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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第四章 半島の暗雲編

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74 開化派と攘夷派

 夜、景紀は久々に風呂に入ることが出来た。

 帯城までの行程で汚れた体を清め、湯船で体を伸す。


「あぁ~、生き返るような心地がします」


 景紀の隣でそんな気の抜けた声を出したのは、貴通だった。


「異国でも、こうして秋津人らしい生活が出来ると安心しますね」


「まあな」


 景紀もまた、さして緊張感のない声で応じた。

 若林曹長たちは長屋の風呂を利用しているはずであり、西館の風呂は景紀、貴通、冬花、宵、鉄之介、八重で順番に使うことになった。

 銭湯ほどには広くないので、一度に入れるのは二、三人程度であった。

 術者が三人もいるためか、薪を燃やして風呂を沸かす作業もさして手間は掛からなかった。それどころか、外で風呂釜の温度を維持するための人員すら火焔術式で代用出来るので不要であった。

 貴通は表向き男ということになっているので、倭館や視察団の者たちに不審を抱かれないように景紀と一緒に風呂に入ることになったのである。

 それ自体は、別に二人とも兵学寮で経験済みなので問題はない。

 ただ、景紀には一つだけ、気になることがあった。


「んで、お前は術式を解いていて大丈夫なのか?」


 今、貴通は自身を女性であると認識させない認識阻害の術式を持つお守りを、脱衣所に置いてきている。だから景紀の目に、貴通が女性であることを示す胸の膨らみや腰から臀部にかけての曲線などが露わになっていた。


「秘密をずっと抱え込んで気を張っているのって、結構疲れるんですよ?」


 己の裸身を晒しながらも、貴通は恥じらう様子を見せなかった。


「景くんは僕の一番古い秘密の共有者ですからね。風呂場でくらい、僕の気晴らしに付き合ってもらいませんと」


「じゃあ、今は(みつ)って呼んだ方がいいか?」


 貴通の本当の名前は、満子だ。彼女が少しの時間でもいいから女であることに戻りたいというのであれば、景紀にそれを拒むことは出来ない。


「そうですね。そうしてくれると、僕も自分自身というものを見失わずに済みそうです」


 ふぅ、と満子は安心したように息をついた。


「……正直」


 ぽつりと、男装を解いた少女は呟いた。


「今じゃあもう、どうやって女性として生きていけばいいのか判らなくなっています。兵学寮入学以来、もう八年近くも軍人として生活していますし、それこそ子供の頃から男として生かされてきました。今更、宵姫様のように将家の女性としての立場で景くんを支えることなんて、僕には出来そうもありません」


 景紀は、愚痴めいた満子の言葉を黙って聞いている。愚痴を零すことも気晴らしの一つならば、そうさせてやるべきなのだ。


「もうこの際だから言っちゃいますけど、景くんのことを思慕する気持ちだって、ないわけじゃないんですよ」


 少し悪戯っぽく、それでいてどこか寂しそうな微笑みと共に、満子は景紀を上目遣いに見る。


「でも、もし僕が景くんの側室になっても、宵姫様のような支え方は出来ないと思います。出来ないというか、判らないといった方が正しいかもしれません。将家の妻として夫をどう支えればいいのか、僕には判らないんです」


 満子は湯船の中で膝を抱え、水面に映る少年のような己の顔を見つめていた。迷子になって疲れ果てた子供みたいなだな、と彼女は心の内で自嘲する。


「……お前がそういうことに悩むってのは、男として生かされてきた反動なんだろうな」


「まあ、そうかもしれませんね。だから時々、自分という存在は何ものなのだろうかって思ってしまうんでしょう」


 自分が何ものであるのかを自分自身では確定出来ないから、満子は自分という存在を女としても軍人としても肯定してくれる景紀の側にいたいと思うのだ。

 今、この少年の前で裸身を晒していることとは矛盾するかもしれないが、満子は景紀に体で迫って自分自身の存在を確定するということはしたくなかった。それは確かに、女であることを実感出来る行為かもしれないが、所詮、“女”であることを実感出来るだけだ。

 満子としての生を実感出来るわけでもないし、今まで築き上げてきた景紀との関係も完全に破綻するだろう。

 自分は、ただの記号としての“女”ではなく、穂積満子として、穂積貴通として、景紀に自らの存在を肯定してもらいたいのだ。

 そして、景紀が歴史に名を残せる存在になれば、自分の存在は景紀だけでなく歴史というものが肯定してくれる。

 友人に向ける想いとしては、かなり屈折しているだろう。

 だけれども、景紀はそれを判った上で自分を受入れてくれている。甘えていると判っていても、自分という存在を肯定してくれるこの少年の側を、満子は離れがたく思っているのだ。


「女としてどう生き、どう景くんを支えればいいのか判らない。だから僕は、冬花さんが式神として景くんを支えているように、軍人として景くんを支えたいんです」


 不安定な自分の心の中で、それだけは確固たる覚悟を持って言えることだった。

 そんな満子の言葉に、景紀はふっと口元に笑みを浮かべた。


「まっ、俺はもともとお前が幕下に欲しかったんだ。お互い、欲しいものは得られたんだ。だから、あんまり気負わずにいればいいさ」


「ふふっ、ありがとうございます」


 そんな同期生からの言葉に、満子はくすぐったそうな笑みを浮かべた。


「じゃあ、これからもよろしくお願いしますね、景くん」


 風呂釜から、満子は拳を握った腕を上げる。滑らかな肌を、水滴が滑り落ちていく。


「ああ、こっちこそ」


 二人はコンと、拳を握った腕をぶつけ合った。


  ◇◇◇


 翌朝、景紀も体を鈍らせないように貴通や冬花と木刀を使って打ち合った。

 流石に鉄之介や八重のような野次馬は出来なかったが、それでも華奢な少女である冬花に剣術の才能があることに、兵士たちは驚いているようでもあった。

 朝食は、帯城城壁の外、倭館の周辺に住む村人たちが開く朝市からとれたての野菜などを買ってきて作られる。なお、こうした買物の際、代金は米であった(陽鮮では今も米が貨幣としての価値を持っていた)。

 倭館に配属される料理掛は、陽鮮側の使者をもてなすための饗応料理なども作れることが求められるため、相応の腕前を持つ。少なくとも、皇国から持ち込まれた調味料がある内は、倭館内で祖国の味を味わうことに不自由はなかった。

 一通り朝食が済むと、景紀は冬花、宵、貴通を部屋に呼んだ。






「さて、昨日で一通り状況の把握は済んだと思うから、改めてまとめてみるぞ」


 異国の地でありながら書院造りの内装が整えられた部屋で、景紀は言う。


「まず、昨日は陽鮮側で饗応の宴が開かれたはずだから、東平館では今日から本格的な交渉が始まるだろう。交渉が順調にまとまれば俺たちは何事もなく帰国出来るが、陽鮮政府内ではこの交渉に不満を持っている連中がいるらしい。俺たちは“軍事視察団”と銘打ってはいるが、攘夷派による政変が起きた場合の使節団と倭館館員を保護することが、むしろ本来の任務だと思っていい」


 三人は、表情を引き締めて頷いた。


「ただ、状況の予測を難しくしているのは、こちらの諜報網が陽鮮の朝廷にまで伸びていないということだ。倭館では出入りが制限されていることもあって、普通の在外公館ほどには情報収集が行えていない。んで、問題はその政変を起こしそうな攘夷派も含めた宮廷内の派閥構造だが、館長に話を聞いたところ、これがまた単純なものじゃなかった」


 陽鮮政府内では、大きく分けて現国王派ともいえる開化派と、前国王派(太上王派)ともいえる攘夷派(旧守派、衛正斥邪派ともいえる)に分かれている。

 とはいえ、それらの派閥はさらに細かく派閥分けすることが出来た。

 まず開化派についてであるが、これはさらに急進開化派と穏健開化派に分けることが出来た。

 急進開化派は、これまでの斉との宗属関係を否定して陽鮮を近代的な「自主独立」の国と見なして秋津皇国のように国力を伸し、西洋列強に伍する国家へと変革させていこうとする者たちである。これを、大陽鮮主義者と呼ぶ者もいる。

 一方の穏健開化派は、陽鮮の近代化は目指しつつも、急進的な近代化政策は財政難に陥っている国庫をさらに危うくするだけだと主張。さらには斉からの完全な独立は求めず、「属国自主」を唱えてこれまでのような宗属関係の下で王国の安全保障を維持しようとしていた。つまり、斉や秋津皇国の間で上手く勢力均衡バランス・オブ・パワーを保ち、東洋の中立国としての立場を確立させようとする者たちである。これを、大陽鮮主義と対比して小陽鮮主義と呼ぶこともある。


「国王は斉への立場上、完全な独立を目指しているわけではないらしいが、それでも心情的には急進開化派寄りらしい。まあ、国王として国を偉大にしたいって気持ちは判らんでもないが。で、一方の攘夷派だが、こちらも単純に前国王派って見ればいいわけでもないらしい」


 攘夷派の中には、斉は所詮、夷狄が作った王朝であるからこれ以上従う必要はないとして急進開化派のように「自主独立」を目指すべきだと主張する最も過激な国粋主義者のような一派もいれば、これまで通りの華夷秩序を維持すべきと主張する現状維持派もいる。さらに面白いのは、斉、陽鮮、秋津の三ヶ国が合従連衡して西洋諸国との対決の道を選ぶべきという、後世でいうところの大アジア主義的な主張を唱える一派もいる。


「太上王は、頑固な旧守派らしくて現状維持派に近いらしい。むしろ、華夷秩序を破壊しかねない国粋主義的な一派については、明確に不快感を示しているという話もある」


「こうして見ると、開化派と攘夷派で主義主張が重なり合っているところもあって、かなり滅茶苦茶な状態ね」


 腕を組んだ冬花が、唸るように感想を述べる。


「だからどうも、国王も太上王も、開化派と攘夷派、それぞれの派閥を完全に掌握しているわけじゃないらしい」


「となりますと、本当に情勢の変化について予測が困難ですね」宵もまた、悩ましげな表情であった。「つまり、国王や太上王の意思とは関係のないところで、政変が発生する可能性もあると?」


「それも、一つの可能性だ」


「一番厄介なのは、国粋主義的攘夷派ですね」貴通が言う。「彼らは自らを東華、唯一中華の伝統を受け継ぐ国であると自認し、周辺諸国すべてを夷狄と見なしているような連中みたいですから、当然、我々秋津人も徹底的に排斥しようとするでしょう。彼らが決起した場合が、一番厄介です」


「とはいえ、こちらが出来るのは自衛行動の範囲内だ。何度も言うが、予防的な措置はとれん」


「直接的な行動が出来ないなら出来ないなりに、過激な連中が暴発するのを裏で制御するのが良いんですが、陽鮮宮廷への諜報工作が出来ない現状ではどうしようもないですね」


 そう言った貴通は、小さく溜息をついた。


「さらに言ってしまえば、陽鮮側官憲が処理出来る程度の小さな事件が連続する程度だと、やはりこちらは手を出せない。陽鮮側官憲の処理能力を超える事態が起こって初めて、こちらは自衛行動に移れる」


「とりあえず、城内にも積極的に式を放って見張っておく?」


「いや、昨日も言ったが、あくまで慎重に頼む」冬花の言葉に、景紀はそう返した。「式を飛ばすのは、完全な諜報工作だ。向こうの宮廷呪術師とかを刺激するような大々的な行動は、今の段階では控えるべきだろう」


「了解」


 少しだけもどかしそうな表情を浮かべる冬花であったが、それでも主君の言葉には素直に従うことにする。


「現状だと、電信敷設交渉の交渉状況も判らん。使節団は請訓のために今夜には一旦、倭館に戻ってくるらしいから、冬花はそれの請訓と本省からの回訓の処理を頼む。それと、この四人で交渉状況については適宜、情報を共有しておくことにする。交渉状況が、恐らくは政変を企んでいる人間たちが行動を起こす一つの基準になるはずだからな」


「判ったわ」


「景紀様、その件で一つ宜しいでしょうか?」


 宵が手を挙げた。


「何だ?」


「館守日記を読んでの、私なりの予測です。前回の電信敷設交渉において、仁宗国王は反対派に対して我々秋津人が国内を自由に移動出来ないことを理由に、我が国の独占的な電信敷設権を認めさせたようです。そう考えれば、東萊-帯城間の電信敷設を秋津人が行うという内容で合意が形成される可能性が出てきた瞬間が、最も危ないかと」


 一瞬、部屋の中に沈黙が降りた。

 三人が呆けたような顔をする中、景紀が真っ先に立ち直った。にやり、と笑みを深くする。


「……お前を連れてきて良かった。お手柄だ、宵」


「いえ……」


 少し面はゆくなって、宵は視線を景紀から逸らした。


「僕たちも、情勢を探ることばかり考えていて、そういう資料の読み込みにまで手が回っていませんでした。流石というべきでしょう」


 貴通も、宵の予測に驚いているようであった。


「前回と言っていることが違う、秋津人に国土を売り渡そうとしている、そう騒ぐ攘夷派は絶対に出てくるだろうな」景紀が言う。「さらに拙いのは、今回の交渉でうちの国は陽鮮と条約による外交関係を結ぼうとしていることだ。これも、攘夷派の攻撃材料になるな。これで国王が絶大な権力を握っていれば反対派を封じ込めることが出来るんだろうが、前国王の太上王が攘夷派に影響力を及ぼせる二重権力状態ってなると、確かに拙いことになるかもしれん。いやはや、今の結城家にとっては以て他山の石とすべし、ってところだな」


 皮肉と自嘲の混じり合った歪んだ笑みを、景紀は口元に浮かべていた。


「じゃあ、交渉がそういう流れになったら要注意ってことね?」


「ああ、当面はその基準で警戒しておくべきだろう。もちろん、引き続き情勢の判断は行う必要があるとは思うが」


 冬花の問いに、景紀は頷く。


「それじゃあ宵、また何か気付いたことがあったら遠慮なく言ってくれ」


「かしこまりました。私も、無理を言って連れてきてもらった以上、何のお役に立てないのも嫌ですから」


 宵は誇るでもなく、普段通りの淡々とした口調で自らの覚悟を述べたのであった。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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