57 結城家内の暗雲
「景紀様、少しよろしいでしょうか?」
その日の夜、白い寝巻に着替えた宵が、そう尋ねてきた。布団の上で正座して、神妙な表情をしている。
「どうした?」
「景紀様は、いささか私の母に配慮し過ぎであるように感ぜられます」
非難しているというよりは、どこか申し訳なさそうな口調であった。
「私は、確かに母上のことを大切に思っております。しかし、その所為で景紀様に判断を誤って欲しくはないのです」
「佐薙家を徹底的に潰してしまえ、と言いたいのか?」
「はい、可能であれば」宵は頷いた。「母は長尾家当主・憲隆様の妹でもあります。佐薙成親が失脚したからといって、恐らく連座させられることはないでしょう。長尾家に戻された上で、どこかの城か屋敷で蟄居させられる程度になるかと思います」
「だが、それだとお前の母親が置かれている状況が今とは変らないだろ?」
「しかし……」
宵が反論を言う前に、景紀は人差し指を少女の口元に当てた。
「あのなぁ、宵。母親が大切なんだったら、簡単に切り捨てようとするな。確かに、政治をする上で取捨選択は必要だ。ある政策を実行すれば、利益を得る奴と不利益を蒙る奴、拾える奴と切り捨てられる奴が出てくるのは当然だとしても、切り捨てずに済ませられるものまで安易に切り捨てることはない」
「申し訳、ありません」
「そんな声出すなって」
宵の声は、ひどく不安そうであった。自分と母親が景紀の重荷になっていないかと、そう思っているのだろう。
「その覚悟は認めるが、切り捨てるんじゃなくて、大切なものを何とかして守ろうとする覚悟も持って欲しい」
「判りました」
やはり、すまなそうに宵はそう言うのだった。
と、寝所に繋がる廊下から足音が聞こえてきた。
「……景紀様、冬花です。緊急のお知らせが」
襖の向こうから、声が掛かる。
「入れ」
「失礼いたします」
冬花もすでに寝巻に着替えた後だったのだろう。襖を開けて、白い着流し姿のまま部屋へと入ってきた。
緊急の連絡とは言ったものの、その表情はいささか困惑気味なものであった。
「何があった?」
「実はさっき、河越の父様から極秘裏に呪術通信があったんだけど……」
呪術通信とは、呪術師同士が行う霊力波を使用した通信方法であった。電信が発明されるまでは最も早い通信手段であり、電信が開発された後も、呪術師同士ならばどこでも通信可能ということで、利便性(呪術師に限ってだが)という点では電信よりも優れた通信方法である。
「うちの居城からか」
河越というのは結城家の本拠地であり、そこには居城が存在している。
「ええ」冬花は頷いた。「御館様のご病状についてだけど、ご回復の兆しがあるそうよ。数日後には、公式な知らせが届くらしいけど」
「なるほどな」
病に伏せっている結城家当主・景忠の病状が回復しているという知らせであるというのに、室内の空気は即座に明るくはならなかった。
「それは、例の怪僧、丞鎮の死と関係があるのか?」
景紀が確認する。
宵と冬花が誘拐された事件で、丞鎮と名乗る怪僧の兄が景忠に怨霊として取り憑こうとしたことは、すでに冬花の口から景紀に報告済みであった。
「いえ、多分、偶然の一致だと思うわ」冬花は慎重な口調で続けた。「そもそも、医師の見立てだと御館様のご病気はお酒の飲み過ぎが原因ではないかって言われてることは、景紀も知っているでしょう?」
「ああ」
後世、残されたこの当時の記録から、結城景忠は飲酒による循環器系疾患を患っていたことが判っている。
「呪術師として、言い訳がましい言い方になってしまうのだけれど、呪詛なら術の起点を逆探知して術者を特定することが出来るわ。でも、怨霊は祓われてしまえばそれでおしまい。父様も、御館様に取り憑こうとした怨霊が、父様の守護の術式で祓われたことまでは判っていたらしいの。でも、怨霊を祓ったのに御館様が病に倒れたことに関しては、単なる偶然の一致として怨霊と病の関係についてはあまり考えていなかったみたい」
「そもそも、医師や薬師、果ては一部の家臣にまで過度な飲酒は控えるよう諫められていたのに、それでも飲み続けた父上にも一定の責任はあるだろ」
溜息をつきたそうな調子で、景紀は言った。完全に、父親の困った面を見せつけられて呆れてしまった子供の口調であった。
実は家臣からも、息子として父親である景忠の飲酒を諫めて欲しいと言われていた景紀である。
父親の病気について、景紀がいまいち心配する気が起きていなかったのは、こうしたことに起因する。
「以前から、父上の健康については心配されていたんだ。怨霊と病の関係性に気付けなかったからといって、俺は英市郎……ああ、宵、冬花の父親のことだ……を責めるつもりはないぞ」
「冬花様のお父君の責任問題は、ひとまず横に置くべきでは? 景紀様も追及されるおつもりはなさそうですし」
普段以上に淡々とした声で、宵が指摘した。景紀はその声を聞いて、この少女の意識が完全に政治問題へと切り替わったのだと気付いた。
「ああ、そうだな。問題は、父上の病状に回復の兆しがあるってことだ。あまり人に知られたくない連絡内容だからこそ、英市郎からわざわざこの時間帯に冬花に呪術通信を送ってきたんだろうが。で、父上の病状の件以外に何か言っていたのか?」
「御館様の側近の一部が、景紀に対して不満を抱いている、とも」
「まあ、そうなるだろうな」
硬い声音の冬花とは対照的に、景紀の反応はあっさりとしたものだった。
「つまり、景忠様が側近として重用していた用人系統の家臣から景紀様が不満を抱かれている、と?」
「ああ、そういうことだろうな」
将家家臣団の系統には、家老に代表される政治に携わる官僚系統の家臣と、家の庶務を司る用人系統の家臣の二系統に分かれる。
近年では将家家臣団の公私の分離が進められているとはいえ、長年、両者の公私の線引きは曖昧であった。領地経営などに携わる官僚系家臣団が公だとすれば、家の庶務を司る用人系家臣団は私に分類されるのであるが、冬花のように優秀な用人が重用される場合も往々にして存在する。
そして、主君が用人を重用すればするほど、本来の職掌範囲を犯されたと感じる官僚系家臣団の不満が溜まり、両者は対立していくことになる。
それは、これまでの将家の歴史において何度も見られてきた現象であった。
そのため、景紀は用人の娘である冬花には政治的権限を一切与えず、あくまで呪術的警護役兼補佐官としてしか扱っていない。このため、冬花は彼女自身の景紀への忠誠心が極めて高いことなども相俟って、官僚系統の家臣団たちから政敵と認識されてはいない(一部にはいるのだろうが、少なくとも重臣級の家臣団からは反感を買っていない)。
「冬花は例外中の例外だが、俺は官僚系統と用人系統の家臣団は分けて使っているからな。というか、本来はそうあるべきなんだが、長年の慣習やらなにやらで家臣団の公私分離が進んでいないところは多い」
「景紀様が当主代理になったことで冷遇されることになった用人の側近たちが、景忠様のご回復を期に勢力を盛り返そうとする恐れがあるのですね」
「ああ」宵の言葉に、景紀は頷く。「当主が代替わりすれば、父上に個人的に重用されているだけだった用人の連中は失脚する。次の当主が苛烈な人間ならば、あるいはその用人が官僚系統の家臣からの反感を買いすぎていれば、そのまま粛清されることもあり得る」
「つまりこのままですと、結城家が二つに割れる可能性もあると?」
「まあ、戦国時代なんかじゃあ、家督を巡って実の親子や兄弟が対立するなんてことは珍しくもなかった。それほど驚くこともでもないだろう」
景紀は、どこか皮肉そうに言った。将家に生まれた者の宿命として、そうした事態を諦観混じりに受入れているようでもあった。
「一応、御館様もそれを懸念して、議会が終わるまでは静養に努めるとおっしゃっておられるそうよ」
「つまり、来春以降に問題持ち越し、ってことか。ったく、二重権力状態で上手く回っている有馬家が羨ましいぜ」
「あそこは、貞朋公は頼朋翁に従順だから上手くっているのよ」
「判ってる。単なる愚痴だ、愚痴」
景紀は軽く手を振った。
「半年前に俺が結城家の権力を掌握した時点で、今更、そうなる前の親子関係に戻れるわけがない。だが、家の分裂は避けなければならん。父上の病状がこの後どうなるかにもよるが、列侯会議が終わったら、しばらく俺は結城家から離れた方がいいだろうな」
「つまり、以前みたいに匪賊討伐とか長期の南洋の視察に出るとか?」
「あの時は父上が俺に次期当主としての実績を積ませるために命じたことだが、今回は父上と距離を取るために行うことになりそうだな」
そこで、景紀は何かに気付いた顔になった。宵に顔を向ける。
「そうだ、いっそ宵も連れて東北視察にでも行くか?」
「東北、ですか?」
いきなりの提案に、宵は驚きと困惑が混ざった声を返した。
「ああ、嶺州鉄道建設予定地の視察とか、あとは宵の母親にも会いに行けるしな」
「っ-――」
宵はわき上がる感情を抑えるかのように、表情を硬くした。
二度と会うことはないだろうと覚悟していた母に、また会える。
その気遣いをしてくれる景紀に礼を言いたくなったが、同時にそれは彼が父親との対立を覚悟しての行為なのだと思うと、素直に喜びを表すことは躊躇われたのだ。
「……お前は、素直に喜べばいいさ」
「……」
そんな宵の内心を見抜いたのだろう、景紀が小さく笑みを向けた。しかし、宵はそんな少年に何も言えなかった。
「さて、んで、冬花」
再び、景紀は冬花に顔を向ける。
「はい」
「少なくとも、朝食会議に出ている執政・参与たち重臣連中はこちら側に付ける。そいつらが俺の側につけば、領地の代官連中も含めた官僚系家臣団の大半を掌握出来る」
「了解。また妖狐の力を使って、家臣たちへの内偵を進めればいい?」
「ああ、すまんが頼む」
半年前、景紀が当主代理として結城家の政務全般を引き継ぐことになった時と同じように、家臣団の掌握のために、妖狐の血を引くが故に鋭敏な冬花の聴覚などを使って家臣たちの言動を監視するという意味である。
「あとは父上が、上手く自分の側近を抑えてくれることを祈るばかりだな」
「……」
「……」
宵も冬花も、景紀の言葉が本当に祈り以外の何ものでもないことに気付き、静かに頷いた。




