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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第三章 列侯会議編

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52 同期生の事情

「ぐっ……!」


 苦痛の呻きと共に、貴通は屋敷の廊下に倒れ込んだ。

 同時に、首を巡らして背後を確認した。父の手に、護身用の小刀が握られていた。その刃からは、血が滴っている。

 通敏の息は荒かった。興奮のままに、貴通を斬り付けてしまったのだろう。その表情は、自分で自分の行動に驚いているようでもあった。


「うっ……」


 貴通は歯を食いしばって痛みを堪え、腕に力を入れて上体を起こした。そのまま立ち上がり、父が自失している間にその場から逃げ出す。


「ま、待て!」


 目の前から貴通がいなくなったからか、父は正気に戻ったらしい。焦ったように声をかけてくるが、やはり貴通は無視した。

 廊下に、血の雫が点々と零れていく。

 だが、傷は骨にまでは達していない。激痛が全身を苛んでいるが、何とか歩ける。

 ぎょっとしている表情の使用人とすれ違ったが、苦痛を堪えている貴通の目には入らない。


「旦那様、一体なにを……!」


 血の付いた小刀を持って貴通を追いかけようとした通敏が、家令に見咎められたらしい。背中から血を流す貴通の姿と合わせて、屋敷の中にちょっとした騒ぎが起こる。

 屋敷から逃げ出すには、今しかなかった。


「うっ……」


 貴通はさらに時間稼ぎをするために、廊下の柱にかけられていた角灯を床に叩き付けた。ガラスの割れる音と共に中の油皿から照明用の灯油が飛び散り、廊下に火が燃え移る。

 使用人たちの悲鳴。


「おい、誰か水を持て!」


 屋敷内の騒ぎがまた大きくなった。

 貴通は履き物すら履かずに庭に降り、そのまま門から屋敷を脱出する。


「はぁ……はぁ……」


 自分でも、息が荒くなっているのが判る。意識が痛みに埋め尽くされていく。

 後ろから複数人の足音が近付いてくる。

 いくら愛妾の子とはいえ、貴通も穂積家の一員。それが血を流しているとなれば、流石に屋敷の者たちも無視するわけにはいかなかったらしい。

 だが、ここで屋敷に連れ戻されるわけにはいかなかった。

 そうなれば、自分は二度と景紀と会えなくなるような気がしたのだ。


「ぐぅっ……」


 貴通は苦痛を堪えて刀を抜いた。背後から近付いてくる者たちを牽制するように、動かせる左手で刀を構えて振り向く。


「……」


「……」


「……」


 追ってきたのは、屋敷の警備に当たる者たちであった。刀を構える貴通に対して、困惑するように距離を取っている。


「ふぅー、ふぅー……」


 荒い息をつきながら、貴通は凄絶な表情と共に追っ手を威嚇し、ゆっくりと後ずさる。

 それがどれほどの意味を持つ行為なのか、苦痛に支配されつつあった彼の頭脳は理解出来ていない。

 そのままじりじりと後ずさる貴通に、屋敷の警備の者たちは徐々に距離を詰めようしていた。


「……」


 不意に、追っ手たちの視線が上に向く。

 次の瞬間、上空から急降下で数羽の白い鳥が舞い降りてきた。慌てた追っ手たちが得物を抜いてその白い鳥たちを追い払おうとするが、鳥たちは執拗に彼らの周囲を飛び回り続ける。


「貴通ぃ!」


 今度もまた、上空から。

 貴通の目の前に、肩を組んだ少年と少女が降りてきた。彼には背を向ける恰好になっているが、二人が誰なのか、貴通は即座に理解した。あんなに白い髪の少女を連れている少年など、貴通は一人しか知らない。


「こいつの身柄は、この結城景紀が一時、預からせてもらう」


 ほとんど命令口調で、景紀は追っ手に告げた。先ほどの以上の困惑が、彼らの間に広がっていく。


「ここは大人しく退いておけ。あんたらの主人だって、大事にはしたくないはずだ」


「……」


「……」


「……」


 穂積家の者たちも、ここで結城家と事を構えるのは得策でないと思ったのか、あるいは自分たちだけで判断するのは拙いと思ったのか、互いに顔を見合わせて、穂積家屋敷の方へと踵を返していった。


「……景くん」


 それでほっとしてしまったのか、貴通の体から力が抜けていく。


「おい!」


 慌てて、景紀が倒れかかった貴通の体を支える。


「すみませんねぇ……。ご迷惑おかけして」


「いいから!」


 貴通の背中は、出血でべっとりと濡れていた。


「……」


 景紀の顔が、険しくなる。穂積家屋敷のぼや騒ぎで、周囲が騒がしくなり始めていた。ここに長居は出来そうにない。


「ちょっと、移動するぞ」景紀は貴通の腕を自らの肩に回した。「少しの間、耐えてくれ」


 そう言って、貴通を抱えた景紀と、周囲を警戒する冬花は路地の暗がりへと消えていった。






 三人は、穂積家屋敷から少し離れた場所にある神社の境内へと身を寄せていた。

 夜の境内は暗く、人気はまったくない。

 かすかな月明かりに照らされた貴通の顔は、蝋のように白かった。血を流しすぎたのだ。


「貴通」


「……まだ、意識はありますよ」


 億劫そうに、貴通は答えた。苦痛と倦怠感で、会話をするのも辛いのだろう。


「冬花に傷を治させるが、いいか?」


「この状況です。お願いします」


 一瞬だけ、貴通は景紀を安心させるような薄い笑みを浮かべた。そんな同期生の表情を見た景紀は、かすかに眉に皺を寄せた。


「……冬花。すまんが、頼む」


 そして景紀は一瞬の逡巡を挟んで、周囲を警戒していた冬花に声をかける。


「かしこまりました」


 貴通がいるからか、今の冬花の口調は従者然としていた。彼女は地面に座り込んでいる貴通の背後に回る。

 羽織は肩口から腰にかけて切り裂かれ、すでに袴にまで血が染みていた。


「すみませんが、お願いします」


 そう言って、貴通は緩慢な動作で己の上着をはだけさせた。衣が血を吸いすぎたのか、地面に落ちた着物はべちゃりという濡れた音を立てる。


「―――っ!?」


 露わになった色白の少年の素肌を見て、冬花は思わず息を呑んだ。

 肩口から切り裂かれた刀傷は一直線に反対側の腰にまで伸び、赤黒い断面を晒していた。傷が骨にまで達していなかったのは、不幸中の幸いだろう。

 だが、それ以上にシキガミの少女の目を引いたのは、かすかな曲線を描いている胸部だった。

 男ではあり得ない、胸の膨らみ。

 慎ましやかではあるが、それでもはっきりとした質感がある。

 背中を斬られたためか、さらしが解け、普段は隠していたのだろう胸の膨らみが露わになっていた。


「冬花」


 動きを止めていた少女に、景紀の声が声をかける。


「……失礼いたします」


 今は穂積貴通という人物への疑問よりも、治癒の術式を発動させることが優先だった。傷口に手をかざし、呪文を唱える。

 貴通の体に淡い光とともに霊力が注ぎ込まれていき、醜い断面を晒していた傷口が塞がっていく。


「……ふぅ」


 ようやく苦痛から解放されたのか、貴通が安堵の息をつく。表情も、自然と緩んだ。

 そんな兵学寮同期生の頭に、ばさりと景紀は己の羽織を掛ける。


「ほら」


「すみませんね」


 申し訳なさそうに、貴通は景紀の羽織で素肌を晒した上半身を覆う。


「……これが、『あなたと同じ』と言った理由ですよ、冬花さん」


 もの問いたげな表情をしている冬花に、貴通は言う。


「あなたが妖狐の耳と尻尾を隠しているように、僕も女性であることを隠しているんです。父が懇意にしている呪術師に、認識阻害の術式を込めたお守りを作ってもらって」


「それで……」


 冬花はようやく合点のいった表情になる。

 牛鍋店でこの少年(少女、というべきか)を見た時、冬花は彼(彼女)が認識阻害の術式をまとっていることを見抜いていた。だからこそ、最初は景紀の同期生になりすました刺客かと警戒してしまったのだ。

 その後、貴通が冬花と同じであると告げたことで、彼女はこの少年(少女)もまた妖の血を引くものだと勘違いしたのだ。恐らく、貴通もそれを意図してそうした言い回しをしたのだろう。

 自分は妖狐で、御霊部長は龍王、次は鬼でも出てくるのかと思っていたが、こういうことだったのか。


「それにしても、何故?」


「それについては、宵も交えて話をしたい」冬花の疑問を、景紀は遮った。「それに貴通も、この恰好じゃあ寒いだろうからな」


「判りました」


 主君の言うことはもっともだった。冬花はそう言って引き下がり、二人は貴通を連れて結城家屋敷へと戻る。


「それにしても、よくあんな絶妙な頃合いで駆けつけられましたね」


 屋敷へと向かう道中、不思議そうに貴通が問うてきた。


「いや、ちょっと心配だったんでな。冬花に頼んで、警戒用の式をお前の周囲に放ってもらったんだ」


「ああ、それで」


「んで、お前が危なそうだったんで、身体強化の術式をまとった冬花と一緒に、駆けつけた」


「だから上から降りてきた時、肩を組んでいたんですね」


「まあ、屋根とか塀とか足場にして急いでいたからな」


「ふふっ、ありがとうございます、景くん。それと、冬花さんも」


「いえ、私は景紀様の命に従っただけですので」


 女性であることが判ったとはいえ、それでも貴通は公爵家の出身。冬花の口調は自然と硬いものになる。


「でも、これで本当に僕は穂積家と縁を切ることになるかもしれません。景くんにはご迷惑をおかけして、申し訳ないです」


「別に、気にするな」


 景紀の口調は素っ気なかった。本当に、気にしていないのだろう。


「俺も先日の件ではお前に力を貸してもらったし、それに、互いに迷惑を掛け合うなんて、兵学寮の時なんかざらにあったろ?」


「ふふっ、そうですね」


 柔らかく、懐かしそうに貴通は笑みを零す。


「これでまた、景くんと一緒に戦えますね」


「ああ、そうだな」


 景紀もまた、唇の端に楽しげな笑みを浮かべていた。


  ◇◇◇


 屋敷の者たちには、兵学寮の同期を一晩泊めることになったとのみ、景紀は伝えた。

 同期生同士で語り合いたいことがあるのだろうと、家臣たちも特に不審に思わなかった。彼らもまた兵学寮の出身者が多く、そうした同期生同士の付き合いがあったからだ。






 貴通は一旦、冬花に連れられて血で汚れた体を拭き清め、客人用に用意された寝巻に着替えた。

 そうして、宵も含めた四人は景紀の(というよりは結城家当主用の)書斎へと集まった。

 新八だけは書斎に面した廊下に立って、周囲で聞き耳を立てている者がいないか、警戒してもらっている。


「景紀様と冬花様が慌てた様子で向かわれましたが、なるほど、そういうことが起こっていたのですね」


 宵に事情を説明する間もなく、景紀は冬花と共に穂積家屋敷に向かったため、今更ながらに何が起こっていたのかを彼女に説明するところから始めた。


「それにしても、佐薙成親に続き、短慮な者がいたものですね」


 宵はいささか呆れているようであった。数日の間に、父親として、あるいは家長として思慮に欠いた行動を起こした人間を二人も見れば、そういう感想も出てくるだろう。


「さて、どうして僕が男装をしているか、という話でしたね」


 少し遠くを見るような目線をして、貴通は語り出した。


「そもそもの発端は、父の五摂家という血筋へのこだわりにあったのだと思います」


 五摂家は、そもそもが摂政・関白を歴任していた古代のとある大貴族の家が源にある。その子孫たちが分家を興し、現在まで続く五つの家が摂政・関白を輩出する家系として並立するようになったのである。

 だからこそ、血筋へのこだわりは他の華族以上に強いといえた。

 その血筋への執着は、六家が皇国の支配勢力となってからも変らなかった。むしろ、六家が政治的に台頭したからこそ、権威を維持するために彼らはより血筋を重視する姿勢になったともいえよう。

 そうした中、穂積家現当主・通敏と正室・時子との間に男児が生まれた。今から十七年前のことである。ちょうど、通敏の愛妾となっていた使用人の女性からも、後に貴通と名乗ることになる女児が生まれた。

 今も昔も、よほどの例外を除いて家を継ぐのは男子と決まっている。ただし一方で、女子も他家との政略結婚に使えることから、それ相応の価値は存在していた。宵などは、この典型といえよう。

 しかし、公家と武家との一番の違いは、生まれた子供およびその生母に対する扱いである。

 武家では、例え側室であろうとも、男児を産めば相応に尊重される。どころか、場合によっては世継ぎを産んだ側室が、正室を凌ぐ権力を得ることすらある。

 一方、武家などよりもよほど身分秩序を重視する公家においては、側室や愛妾の地位はいかなる場合でも低いままであり、生まれた子供は実母から引き離されて養育される。側室や愛妾は、そのまま使用人として仕える場合もあれば、正室との関係を考慮して放逐される場合もある。

 こうした側室・妾の子たちは、「母と呼べない母」を持つことになるのだ。

 貴通の場合も、彼女を生んだ母親は生後間もなく屋敷を追い出されたという。一応、通敏としても一度は愛した女であるからか、最低限の生活の支援だけはしているらしい。しかし、貴通は実母と会うことを禁じられているので、実の母がどのような人物で、どこに住んでいるのかは、まったく知らなかった。

 そうして、正室・時子の生んだ男児と兄妹として穂積家で養育されることになった貴通であるが、その男児が幼くして亡くなってしまったことで、彼女の運命は狂い出すことになる。

 当時、穂積家に男児はいなかった。しかし、女児はいる。

 ここで通敏が恐れたのは、六家が女児を介して婿養子を送り込もうとすることであった。すでに政治権力は六家に奪われ、経済的にも支配されつつある公家華族である。この上、血筋まで六家に乗っ取られることは、通敏の血筋に対する矜持が許さなかった。

 自分たちは五摂家なのだという、彼らに残された最後の矜持が、通敏にある決断をさせた。

 それは、兄妹で死者と生者を入れ替えることであった。

 つまり、幼くして亡くなったのは女児の方であり、男児の方は生きていると、周囲を欺くことにしたのだ。そのために、通敏は懇意にしている呪術師に、女児が女児であることを露見しないための術式を込めたお守りを作らせた。

 とはいえ、この工作がいずれ破綻するであろうことは、想像に難くない。

 通敏としては、あくまで次の男児が生まれるまで、六家を欺ければいいと考えていたのだろう。しかし、待望の男児は中々生まれず、そのうちに貴通は陸軍兵学寮に入ることになってしまった。

 公家華族でありながら、学士院ではなく兵学寮が貴通の進学先に選ばれたのは、いざという場合に貴通を“始末”しやすいからだろう。戦死でも演習や訓練中の殉職でも、軍隊に入れてしまえば人間一人を消す方法などいくらでもある。

 とはいえ、ここまで来てしまうと、通敏としても引っ込みが付かなくなってしまったに違いない。しかも貴通が兵学寮に次席合格し、首席合格した結城家の次期当主と同室になったとあれば、なおさらだろう。

 幼いながらに貴通が自身の保身を考えて、景紀との関係を深めようと努力していたことも、そうした要因の一つに違いない。


「……そういうわけで、僕は今まで男子として振る舞うことを強要されてきたわけです」


 語り終えると、貴通はどこかほっとしたような表情になった。長年、一人で(正確には景紀と共に)抱え込まなければならなかった秘密を、ようやく打ち明けることが出来たからだろう。


「宵姫様と冬花さんのお二人には、申し訳なく思います」


 そう言って、貴通は畳に指をついて頭を下げた。


「景くんの側に、ずっとこんな女が居たと聞いてご気分を悪くされたことと思います。すべての責任は、景くんに甘えてしまった僕にあります。申し訳ありませんでした」


「顔を上げて下さい」


 凜とした声で、宵が言った。


「それでもあなたは、景紀様の支えになりたいと思っておられるのでしょう?」


「宵姫様にとってはあまり愉快な話ではないと思いますが、僕は兵学寮時代から、景くんの幕下になりたいと思っていました」


「なら、私や冬花様と同じです。詫びる必要はありません。共に景紀様を支えて参りましょう」


「ありがとう、ございます」


 少し声を震わせて、貴通はもう一度深く頭を下げた。自分の存在の所為で、景紀と宵、そして景紀と冬花の関係に亀裂が入れば、一生、自分は自責の念に苛まれることになっただろう。

 自分の存在を受入れてくれたことに、現金なものだとは思いながらも、貴通は深く安堵していた。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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