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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第三章 列侯会議編

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51 公家華族の生存戦略

 鍋の中の具をあらかた食べ終わると、店の者に頼んでうどんを入れてもらった。


「甘辛いたれにうどんが絡んでとても美味しいです」


 宵が目を輝かせて、感想を述べた。


「それに、肉の脂とかの出汁も利いているからな。普通の醤油味のつゆよりも味に深みが出る」


 満腹一歩手前の腹に、四人はうどんを入れていく。

 結局、この日の食事会は景紀と貴通、二人の会話で終始していた。

 冬花は身分の違い故にあまり口を挟まなかったし、宵もまた同期生同士の会話を楽しませてあげようという気持ちから、積極的に口を開くことをしなかった。

 一時期は、会話が少し不穏な方向に行ってしまったが、それでも兵学寮同期の二人は語り合いを楽しんでいた。

 そうして夜の八時を回る頃、四人は店を出ることにした。


「今日は本当に楽しかったです」少し名残惜しそうに、貴通は言った。「議会が終わって状況が落ち着いたら、今度はお花見でもしたいものですね」


「あっ、いいな、それ。うちの庭園で茶会でもするか?」


「あははっ、その時は是非お招きいただきたいものです」


 そう言って他愛ない会話に興じながら、景紀たちは店の門を抜けた。


「じゃあ、どうもごちそうさまでした」


 今日は景紀が貴通への礼として開いた食事会のため、会計はすべて景紀が持ったのだ。


「ああ。気を付けてな」


「ええ、景くんも」


 そう言って、景紀と貴通はそれぞれの屋敷へと帰るため、店の前で分かれる。

 ガス灯の明かりに照らされた道を、景紀と冬花、宵は歩く。


「……役得やったな、冬花の嬢ちゃん」


 不意に、街灯の影から朝比奈新八が現れた。とはいえ、三人とも、今更驚くようなことはしない。


「僕も牛鍋、食いたかったわ」


 ちょっとだけ恨みがましそうな声で、新八は言う。


「羨ましがっているようだけど、公爵家の人間に挟まれて食べる牛鍋なんてそんなに良いものじゃないわよ……」


 冬花は、少しだけ気疲れを見せていた。そんな二人の遣り取りに、景紀は小さく笑いを零す。


「まあ、あとで金を渡すから一人で食べてこい」


「若、さらりと酷ないか? 鍋を一人で囲うなんて、ちょっといたたまれんわ」


「じゃあ、情報を提供してくれそうな牢人連中でも誘え。情報も取れて牛鍋も食べられて、一石二鳥だろ?」


「そんな羽振りの良い牢人がいたら、あっという間に警察に目ぇ付けられるわ」


 景紀の言葉に、新八は苦笑を浮かべる。


「それで、どうなんだ?」


 諧謔味に満ちた口調から一転、景紀の声は鋭くなる。


「別に、何も警戒するようなことはないわな。仲間が殺された報復にと、攘夷派浪士が若を襲おうって話も聞かんで。だから帰り道は至極安心や」


「こっちは、問題ないか」


 新八の報告に、景紀はぼそりと呟く。


「冬花」


「はい」


 主君からの鋭い声に、冬花は表情を引き締めた。


「念の為、貴通の方に警戒用の式を放っておいてくれ」


「さっきの攘夷派の話を気にしているの?」


「ああ。それと、あいつの父親の方も、な」


「了解」


 冬花は袖に手を入れて、一枚の呪符を空に放った。その呪符は鳥の形に変化し、貴通が去っていった方向へと飛んでいく。


「まあ、何事もないのが一番なんだが、人間、時に何をしでかすか判らんものだからな」


 先日の佐薙成親の件から、景紀はそう言わざるを得なかった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 貴通は実家である穂積公爵邸の門を潜った。

 しかし彼にとってこの屋敷は、どこか自分の家ではないような違和感を与えるものであった。かといって、近衛師団の官舎もまた、自分の帰るべき所という意識はない。

 基本的に陸軍では、士官以上は兵営外の自宅や官舎に住まい、一方の兵卒は兵営内に設けられた兵舎にて生活することになっている。

 近衛師団に所属する士官である貴通は、兵学寮を卒業してからの二年、基本的には近衛師団の官舎にて生活していた。あまり、実家である屋敷に寄りつきたくなかったというのもある。とはいえ、どちらの場所も、自分の居場所であるというようには感じられていなかった。

 唯一、兵学寮時代の寮だけは自分の居場所であるように感じていたが、それはきっと気の合う同期生と同室だったからだろう。しかし、そこは最早帰るべき場所ではない。

 もし自分の出自が違っていれば、こんな思いは抱かずに済んだのだろうか。

 だから貴通は、景紀という存在が妬ましいほどに羨ましいのだ。結城家現当主・景忠のただ一人の子供にして、結城家次期当主。彼の将来はほとんど確定しているようなものだ。

 自分のような人間とは違う。

 自分は絶対に、景紀のような存在にはなれない。

 それでも自分があの少年に対して悪感情を抱いていないのは、彼を羨ましく思うと共に、憧れているからだろう。

 あの少年の指揮の下で戦ってみたいと思ってしまうのは、少し軍記物の読み過ぎだろうか。






 そんな思いを抱きながら、貴通は父の待つ書斎へと廊下を歩く。

 気が進まないが、景紀との間にあったことを報告しなければならないのだ。景紀が政府や伊丹・一色両公爵の動向を気にしているように、文相である父も六家の動向を気にしている。

 だからこそ、貴通は景紀にとって不利益とならない範囲で、景紀の動向について父親へと報告していた。そうでなければ、貴通も父から政府内部の情報を得られないからだ。

 景紀のために情報を得ようとして、景紀の情報を流す。

 そのことに矛盾を感じないでもなかったが、穂積家内で自分の地位を維持するためには必要な行動であった。

 もっと気楽に家を捨てられ、結城家の幕下(ばくか)に馳せ参じることの出来る零細公家華族に生まれていれば良かったと、貴通は何度となくそう思ったことがある。一方で、それだともしかしたら自分は景紀と出逢うことがなかったかもしれないとも思うのだ。

 ある意味で、自分と景紀が出逢えたのは、自分が穂積家に生まれたからだともいえるのだ。

 だからこそ貴通は自らの出自について、複雑な思いを禁じ得ない。


「……あら、帰っていたのですね」


 不意に、廊下の前方から一人の女性が現れた。


御母(おたた)様……」


 すっと貴通は道を譲るように、頭を下げて廊下の端に寄った。貴通が母と呼ぶ人物は、彼にとっての実母ではない。父である通敏の正室・時子であった。


「また例の兵学寮の同期生と会ってきたのですか?」


 その声は、詰問口調であった。家に帰ってきた貴通を歓迎する気配は、表情からも口調からも窺えなかった。


「はい」


 何かを堪えるような硬い口調で、貴通は答える。


「ああ、だから旦那様が書斎で待っておられたのですね」一方、時子の声にはどこか粘着質な響きがあった。「確か、その同期生は六家の一つ、結城家の嫡男でしたね?」


「はい、おっしゃる通りです」


「それで、その方から旦那様のためになる情報は得られたのですか? まあ、あなたのことですから、あなたの母と同じく、その顔と体で取り入れば容易いことでしょうが」


「……」


 明確な侮蔑の含まれた言葉に、貴通は何も言い返さなかった。こんなことは、今に始まったことではない。

 愛妾の子である貴通は、時子にとってみれば常に侮蔑の対象なのだ。公家出身の女性である時子と違い、貴通の母は平民出身の一使用人に過ぎなかったのだから。

 その上、時子自身が貴通が生まれるのと同時期に子供を産み、その子が幼くして死んでしまったとなれば、生き残って十七まで成長した貴通に対する感情に憎悪に近いものが混じり込むのは、やむを得ないことといえた。


「精々、その顔と体を使って旦那様のお役に立つことですね。あなたには、その程度の存在価値しかないのですから」


 数年前、時子はようやく第二子たる男児を出産し、その子は順調に成長している。最早彼女にとって、家の存続を果たすという意味でも、貴通の存在は不要となっているのだ。


「……」


 無言で耐えている貴通の姿に多少は溜飲が下がったのか、時子は蔑みの一瞥を彼にくれると、貴通とは反対の方向へと去っていった。

 だからここは自分の家であるように感じられないのだな、とその背中にちらりと視線をやった貴通は思った。






 そして、貴通は何事もなかったかのように、父の書斎へと入った。


「それで、結城家の動きはどうなっている?」


 いささか神経質な調子で問うてきた父・通敏に、貴通は景紀の不利にならない程度に、そして父が喜びそうな嘘の情報も交えて、報告する。


「……貴通」


 聞き終わった後、通敏は硬い口調で告げた。


「当面、結城公の嫡男に会うのは止めるのだ」


 その言葉に、少年の秀麗な顔に険が走る。


御父(おもう)様、理由をお聞かせいただいても?」


 努めて平静な口調で、貴通は問うた。


「今、六家の間で攘夷か国内振興かで割れているのは、お前も知っていよう。そのような状況で、我が家が過度に結城家に接近しているという印象を与えてはならんのだ」


「ここで結城家との繋がりを断てば、逆にかの家から穂積家が不信の目をもって見られることになります。そうなれば、結城家と繋がりの深い有馬、長尾両家との関係も崩れかねません。御父様は、伊丹、一色両公の脅しに屈したと見られたいのですか?」


「我ら公家華族は、不偏不党でなければならん。特定の政治勢力や主義主張に肩入れするようなことがあってはならんのだ。あくまで権威の象徴としての存在を維持してきたからこそ、ここまで生き残ることが出来た。だからこそ、六家同士に対立に巻き込まれるわけにはいかんのだ。そのためにも、どの六家からも、我が穂積家は距離を取る必要がある」


 結局は、自家の安泰が第一か……。

 貴通は苛立ちとも失望とも取れぬ感情が胸に湧き上がってくるのを感じた。

 もちろん、華族の当主としてそれが間違った態度であるとはいえない。どの華族にとっても、家の存続は重要な課題である。

 しかし一方で、不偏不党という言葉を隠れ蓑にして日和見を決めることが本当に家の為になるのか、とも思う。

 五摂家という権威があったからこそ、これまで穂積家は存続することが出来ていた。その権威が、六家にとっても利用価値があるものだったからだ。だが、いつまでもそれが通用すると考えるのは思考停止に等しいのではないか。

 皇国を取り巻く国際情勢は、徐々に厳しさを増している。

 アヘン戦争、数度にわたる広南出兵、そしてルーシー帝国の東進とヴィンランド合衆国の泰平洋進出。

 この対外危機の中で、皇国は否応なく変革を求められることになるだろう。恐らくは、三〇年前の衆民院の設置などよりも、もっと根本的な改革が行われるかもしれない。

 現在の国家体制で対外危機を乗り切れる可能性もあるが、もしかしたら現在の六家を中心とした封建体制が崩壊し、中央集権国家が出現する可能性だってある。

 その時、不偏不党を謳ってその時々の政治情勢に流されるだけであった公家華族が、なおも政治勢力として存在出来るかどうか、貴通には大いに疑問であった。

 結局、中立というのは、対立するどちらの陣営からも恨まれることになるのだ。

 中立が賢明な選択である場合も存在するが、そうでない場合も多い。特に、弱小な勢力が安易に中立を選択することは、より強力な勢力に容易く蹂躙される危険性を孕んでいる。それを防ぐためにも、どちらかの陣営に付くという選択肢はあって然るべきだろう。

 父は、その辺りのことを判っているのだろうか。


「今後、六家の対立、というよりは、民衆も含めた国論の分裂はさらに加速するでしょう」


 だから、貴通は父に現政治情勢下での中立の危険性を訴えることにした。


「最早、かつてのように不偏不党を謳って政治生命を維持することは難しく、むしろ特定の政治勢力との結びつきを強めるべきと、私は考えます」


「はっ、お前は気楽なものだな」


 だが、通敏は貴通の言葉を不愉快そうに切り捨てた。


「結城公の次期当主に取り入ったお前は、いざとなれば奴の庇護下に入ればいいだけの話だからな。いや、お前が兵学寮在学中、あの少年との間に衆道の噂が流れたことがあったな。つまりは、そういうことなのか?」


「御父様……!」


 その言葉に、思わず貴通は腰を浮かしかけた。


「とにかく」頑とした声で、通敏は言う。「当面、結城景紀と会うのは控えるのだ」


「承服出来かねます」


「これは家長としての命令だ」


 聞き分けのない自らの子に対して、通敏は苛立った声を出す。


「……」


 ぎゅっと貴通は拳を強く握りしめた。


「……つまり、私の穂積家における役割はもう終わったと考えてよろしいのですね?」


「何を言っている?」


「時子様には穂積家を継ぐべきお子がおり、六家の一角、結城家との密接な繋がりを作った私は結城家ともう会うな、と。ならば、御父様にとって私の利用価値はもうないのでしょう?」


「今までのお前の状況の方が異常だったのだ」どこか後ろめたさを感じる声で、通敏は続ける。「これからはお前本来の役割を……」


「あなたの都合に振り回されるのは、もうまっぴらなんですよ!」


 思わず、貴通は父の言葉を遮って怒鳴っていた。やはり、景紀に言った通り、鬱憤が溜まっていたのだろう。

 それは、この二年間のことだけではない。ずっと前から、それこそ兵学寮に入る前から溜まっていた鬱憤だ。


「今まで育てていただいたことに感謝します。でも、私も十分、穂積家への義理は果たしました。あとはどうぞ、そちらだけで穂積家の安寧を図って下さい」


 言うや否や、貴通は乱雑な動作で立ち上がった。


「待て、どうするつもりだ?」


 少し焦ったように、通敏は腰を浮かせた。


「あなたが言ったんじゃないですか? 私が結城景紀に取り入っている、と。ならば、その言葉通りにするまでですよ」


 父に対する嘲笑と、自身に対する自嘲とを混ぜ込んだ歪な笑みを、貴通は顔に貼り付けていた。

 結局、あの同期生には迷惑を掛けることになるのか……。

 そう思いながら貴通は父の書斎を出て、足早に廊下を歩いていく。

 景紀からの誘いを断った舌の根も乾かぬうちに、彼の幕下に加えて貰おうとする。我ながら随分と恥知らずな行いのような気がするが、一方で彼ならば受入れてくれると考えてしまうのは、景紀に対する甘えだろうか。

 はあ、と溜息一つつく。


「待て、待つのだ!」


 背後から父が焦燥に駆られた声を掛けてくる。だが、貴通は無視した。もう、この屋敷に未練はない。もっとも、最初から未練を抱くほどの情を抱いていたわけではないのだが。


「待てと言っておろうが!」


 父の声が近付いてきたが、それでも貴通は無視を貫き通した。肩や腕でも掴まれたら、即座に振り払ってやろう、と思いながら。


「このっ……!」


 焦燥に満ちた父の声が、苛立ちへと変った。

 その刹那だった。


「―――ぃっ!?」


 肩口から腰に掛けて、衝撃が駆け抜けた。一歩遅れて、脳が痛みを理解する。


「ぐっ……!」


 斬り付けられたのだと理解した時にはもう、貴通の体は廊下へと倒れていた。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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