47 妥協案
宵と冬花が佐薙成親らに誘拐されてから三日。
この間、佐薙成親が景紀に直接何かを働きかけてくることはなかった。佐薙家は事件に関する内務省の公式発表に対し、将家たる佐薙家の武威を瀆すものであると抗議を行ったのだが、意味はなかったようである。
その間、景紀は宵に付き添って警視庁に出向き、捜査に全面的に協力する旨を警視総監に約束した。また、景紀は穂積貴通に対して書状を送り、警察の捜査に協力してくれるよう頼んだ。貴通は二つ返事で了承し、これによってさらに佐薙成親にとって不利な証言が集まっていくことになる。
さて、そうした事件への対処も行う一方で、景紀は六家の一員として来年度予算案を確定させる必要があった。
すでに頼朋翁には、六家分の家禄・賞典禄を軍事費に回すこと、そして六家の財産から一定の金額を国庫に納めるという来年度予算案に対する妥協案を話しており、その後の書状の遣り取りなどもあり、結城・有馬・長尾の三家はおおむねその方針で六家会議に臨むという合意を形成することが出来ていた。
問題は、それで伊丹、一色が納得出来るか、という点であった。
華族会館会議室で、この日もまた、六家の代表者たちが顔を合わせていた。
「先日、貴殿の義父である佐薙伯が随分なことをしでかしたようであるな?」
早速、予算についての議論が交わされると思いきや、最初に口火を切った伊丹正信が話題にしたのは、宵の誘拐事件のことであった。
「如何に六家の外戚といえど、皇都に騒擾をもたらす不逞の輩には相応の処罰があるべきと考えるが、結城殿の意見如何?」
とはいえ、景紀としてはある程度予想していたことであった。
伊丹・一色にとって、先日の事件を会議での攻撃材料としてくるであろうことは、想像に難くない。先日の誘拐事件は、外敵が迫る中で内輪揉めをしている連中として糾弾する材料になり得るものであった。
しかし、景紀の予想に反していたのは、伊丹公の口調であった。攻撃的でもなく、粘着質でもなく、どこか景紀の出方を窺うような慎重さがあったのだ。
とはいえ、景紀の答えは決まっている。
「ええ、私も伊丹公に全然同意です。不逞の輩と手を組んで、我らが六家に叛意を示すなど、陛下のお膝元たる皇都の治安の上からも、また諸侯の統制の上からも見過ごせることではありません」
景紀は佐薙成親の行為を、結城家に対する敵対的行為ではなく六家全体への敵対的行為にすり替えることで、結城・長尾対佐薙という構図を隠そうとしているのである。
詭弁ではあるが、他の諸侯に叛意を抱かせるわけにはいかないとう点では、六家の利害は一致している。六家はあくまで、皇国における支配勢力でなければならないのだ。
だからこそ伊丹も一色も、景紀の言葉が自分たちの批判を躱すための詭弁であると理解していたとしても、話を合わせるしかないと彼自身は読んでいた。
「ふむ、では列侯会議が開会され次第、伯の議員資格剥奪の動議をなすべきと考えるが?」
「ええ。その上で、成親殿より伯爵位の剥奪も行うべきでしょう。爵位は彼の息子である大寿丸に継がせ、彼が兵学寮を卒業するまでは、結城家が彼の後見人として嶺州の統治全般を監督すべきかと」
つまり景紀は、佐薙成親を糺弾することに同意しつつも他の他の六家が嶺州の統治に介入することを防ごうとしているわけである。あくまでも、結城家の独占的進出を目指そうとしているのであった。
「私としても、結城殿の方針に賛成である」
ここで声を上げたのは、長尾憲隆であった。景紀は、この男から改めて長尾家が嶺州統治に介入することはないと、書状にて確約をもらっていた。
「私も、その方針で問題ないと考える次第である」今度は有馬貞朋。「先の嶺州鉄道建設請負契約などを見るに、結城殿の東北政策に問題があったとは思えんのでな。ここは、若い人間の発想に期待してみようではないか」
いつかの頼朋翁と似たようなことを言って、彼は景紀を支援する。
「ふむ」
伊丹公は、思案顔になった。
実際問題、予算問題で六家会議が揉めている状況で、東北問題でさらに議論が拗れることは、彼にとっても望ましいことではなかった。
もともと、この問題で結城・長尾を糾弾することは難しいと考えていただけに、すでに両家に加えて有馬家も小倅の味方をしてしまっている以上、伊丹としてもこれ以上の議論は時間の無駄であると考えていた。
「卿らがそう考えているのであれば、私としても異存はない」
だから、そう言って彼はこの話題を打切ることにした。
沈黙を守っている一色公直にしても、自らの不手際がこうした状況を呼び込んでしまっただけに、伊丹正信の判断に従わざるを得なかった。
「それで問題は、来年度予算だな」有馬貞朋が言う。「もう列侯会議の開会まであまり時間がない。早急に、予算案を確定させる必要があろうぞ」
その言葉が出た途端、会議室の空気が張り詰めた。
宵の誘拐事件と佐薙成親の処遇など、所詮は前座に過ぎなかったのである。
「来年度予算約八五〇〇万円の内、軍事費はその半分に当たる約四二〇〇万円。先日も述べたが、国家財政の見地から、これは削減すべきと考える」
「一体、貴公らは皇国の危機を何とお考えか!」
有馬頼朋の言葉に叱責するように噛みついたのは、一色公直であった。
この時代、もりそば・かけそば一杯の値段は一銭二厘であり、警察や学校教師の初任給は八円から九円であった(後世の貨幣価値に単純換算することは難しいが、八五〇〇万円は後世のおおよそ一兆七〇〇〇億円から二兆円程度にあたる)。
「危機だからこそ、慎重な国策が求められるのだ」頑とした声で反論したのは、長尾憲隆である。「このままでは、皇国の財政が遠からず破綻することは目に見えていよう」
「ならば、増税を行えばよいでしょう」一色は気色ばんだ。「危機なればこそ、国民は国家に協力する義務が生じます。民権派議員は地租の軽減を、などと喚いておりますが、そのようなこと、言語道断です」
「ならば、まずは我ら六家が率先して、国家に尽くす姿を示すべきでは?」
景紀は内心でにやりとした笑みを浮かべつつ、口を挟んだ。図らずも、一色公直の発言は景紀の考える妥協案へと誘導しやすい会議の雰囲気を作ったといえよう。
「それはどういう意味か、結城従五位殿」
論戦の最中に横から口を挟まれて、一色は先日と同じく景紀への対抗心を秘めた口調で問うた。
「まずは我ら六家が、身を切って国家財政を支えるべきだと言いたいのですよ。例えば今後五年間、我らの家禄・賞典禄の削減しその分を軍備拡張費に当て、また我らの財産からも一定の金額を国庫に納める。そうした姿勢を示して初めて、民は政府の増税に納得することでしょう」
「……」
「……」
伊丹と一色は有馬と長尾の反応を窺うように、視線を二人へと遣った。しかし、有馬貞朋の表情にも長尾憲隆の表情にも、驚きも動揺も浮かんでいない。すでに根回し済みか、と伊丹と一色は判断せざるを得なかった。
「結城殿は民党の肩を持つつもりであるのか?」
伊丹正信が、険しい口調で質した。
「いいえ、まさか」そのようなことを訊かれたこと自体が意外だと言わんばかりの口調で、景紀は応じる。「私はただ、物事の順序について述べているだけですよ」
伊丹の睨み付けるような視線も、景紀は柳に風と受け止める。
「とはいえ、我ら六家も、民が思っているほど贅を尽くした生活を送っているわけではないのですがねぇ」
と、突然、口を開いたのは斯波家当主・兼経であった。
そして、この時ばかりは残り五人の心は一致していた。この中で、最も家財を浪費しているのはこの男なのである。それが何を言っているのか、という思いに捕らわれたとしても、無理はないだろう。
「卿は世の芸術家どもに払っている金を、少しは皇国のために使おうとは思わんのか?」
呆れと苛立ちの混じった声で、伊丹信正は言う。流石に景紀も、この流れには内心で苦笑を浮かべていた。
「我が国の絵画や仏像を始めとする優れた芸術・文化もまた、西洋に対抗すべき重要な皇国の一部ですからな。これもまた、皇国の御為となる出費ですよ」
「その“優れた芸術・文化”とやらも、西洋の不遜な連中どもにこの国が犯されれば、戦火の中に消えゆく運命にあるのだぞ」
「ふむ……」斯波兼経は、少しだけ考える素振りを見せた。「……なるほど、伊丹公のご意見にも一理あろう。しかし文化の保護も、皇国という国家を存立させる上で重要なものであることは理解していただきたいものですな」
「結局、貴殿は賛成なのか、反対なのか?」
「強いて言えば、消極的反対ですな。とはいえ、拒否権を行使してまで反対しようとは思いませんよ。我が斯波家にとって財政的負担の少ない範囲で、お決め願いたいところですな」
そう言って斯波兼経は、以後の議論には関心がないとばかりに口を閉じてしまった。
会議室に一瞬、何ともいえない戸惑ったような空気が流れたが、残りの五人は気を取り直して議論を続けることにする。
「しかし家禄・賞典禄を削減し、財産の一部を国庫に納めたところで、四二〇〇万円には遠く及ぶまい」
安易に妥協する気はないのか、伊丹はそう反論した。
実際、六家に支給される家禄・賞典禄の合計金額は、家によって多少の差があるものの、おおむね一一〇万円から一三〇万円前後であり、全額を削減したとしても一〇〇〇万円にも及ばないのである。
一方で、税収などを除いて六家が鉱山などの経営や植民地利権、あるいは会社の運営や投資などによって得ている年収は、景気状態などによって年ごとの差があるものの、おおよそ五〇万円から七〇万円であった。やはり、こちらも六家の全額を足したところで、一〇〇〇万円に及ぶことはない。
「しかし、それでは話は平行線ではないか」一方、長尾は暗に譲歩を迫る。「そもそも、膨大な軍事費を含む予算案を通そうとすれば、衆民院の民権派連中の反発は確実。連中が各地で一揆を煽動するような事態となれば、国内は混乱状態に陥りかねんぞ」
「民権派如きに恐れをなすとは、将家らしからぬご発言ですぞ」
長尾の言葉を弱腰と捉えたのか、一色が攻撃的な口調で指摘する。
「一揆の頻発する領地では、十分な税収も望めまい。それに、兵には農村出身者も多いのだ。一揆が起これば、軍の士気も低下しよう。一色公こそ、増税に一揆と、いささか楽観視し過ぎているのではないか?」
「国内の安定化は、我が皇国が西洋列強に対抗するためには必須の条件であろう」
一色が長尾に反論する前に、続けざまに有馬がたたみ掛けるように言った。
「国内での反乱故に撤兵する羽目に陥った比島戦役の故事もある。無意味に民心を刺激することはあるまい」
「とはいえ、軍備の完成は一日も疎かにせざるべからざる問題である」伊丹が二人に反論した。「その点について、貴殿らの存念如何?」
「以前にも言ったと思うが、常識的範囲内での軍備拡張ならば反対するつもりはない」長尾が答える。「陸軍常備兵力平時二十五個師団というのは、現在の皇国では財政負担が大きかろう。ひとまずは、北域防衛のため、二個師団程度を増設するのが適当であると考える。海軍に関しては、まずは海上交通路の保護と植民地警備に適した巡洋艦部隊を整備すべきであろうな」
「その他、逓信省などからも要望が出ている電信の敷設拡張、さらには将来の兵器製造・軍艦建造に備えて新たな製鉄所・造船所の設立などに軍事費を流用すれば、国内の振興による国力の増進が図れましょう。戦国時代の教訓を考えれば、むしろこれらの整備の方が重要だと考えますが?」
景紀もまた、自らの主張を述べる。
観念論に基づく攘夷論よりも、歴史という教訓を元にした主張ゆえに、なかなかに反論は難しい。特に国力の増進という点は、軍事力の整備と共に西洋列強に対抗する上で必須の条件であった。
「そして我が結城家は、五年間継続して三〇万円を国庫に納める用意があります」
それは、実質的に結城家の年収の約半額を国庫に納めるという宣言に等しかった。
景紀が結城家の会計掛に諮ったところ、貯蓄や今後の南海興発の事業発展などを見込めば、三〇万円ならば結城家の財産状況に大きな悪影響が生じることはないとのことであった。ガタパーチャ市場を抑えている、結城家ならではの強みといえよう。
「二〇万だ」
伊丹正信が呻くように言った。
景紀の妥協案に完全に納得しているわけではないだろうが、彼にも六家としての面子がある。ここで金額を提示しないというわけにもいかないのだろう。
「六家としての一体性を示すために供出金額は全家同額としたいところであるが、一年ならばともかく、五年間継続で三〇万というのは、いささか難しい」
伊丹の口調は、苦々しいものであった。金額において結城家に及ばなかったからだろう。
「何も、家禄・賞典禄の削減と、家の財産からの供出金額を別個で考える必要もなかろう」
長尾憲隆が言う。彼は景紀宛の書状の中で、家禄・賞典禄の削減に消極的である旨を述べていたので、景紀としても特に驚きはない。
「家禄・賞典禄を受け取った上で、結局、いくらを国庫に供出するのかを議論すればよかろう」
「私としては、一つの案を出しただけです」景紀は平然とした声で応じた。「具体的にどうすべきかは、この場で議論を重ねていけばいいでしょう」
「ふむ、ならば各家とも、家禄・賞典禄を受け取った上で、一律、四〇万円を国庫に納めるというのはどうであろうか?」有馬貞朋が言う。「一年で二四〇万円。五年継続で一二〇〇万円。先ほど長尾公が言われた二個師団増設ならば、二〇〇万円を継続して投入すれば実現可能であろう。残りの金額と軍事費を合わせれば、一定規模の海軍拡張も実現出来よう。その今年度軍事費についてであるが、現在の五割から三割程度にまで削り、削った二割を国内の振興に充て、国力の増進に繋げる。細かな点については大蔵官僚などを含めて詰めていく必要があろうが、これでどうか?」
「……」
「……」
長尾憲隆と有馬貞朋が結城景紀の妥協案に賛成したことで、伊丹正信、一色公直は難しい状況に立たされていた。ここまでの妥協案を示されておいて一切の妥協をしないとなれば、六家会議は決裂し、本格的に予算が成立する目途は立たなくなる。
列侯会議で双方の陣営が拒否権を乱発するような状況に陥れば、政治が停滞し、六家の統治体制そのものを揺るがしかねない。
「来年度予算に関しては、ひとまずはそれでまとめることとしよう」
再来年度予算への含みを持たせつつ、伊丹正信はそう言うしかなかった。
「しかし、なお皇国の危機は継続しているとの認識は、全員が共有すべきであろう。ルーシー帝国の領土拡張の野望に、ヴィンランド合衆国の泰平洋進出。これに加えて、陽鮮王国の政情不安や斉の衰退と、東洋を巡る国際情勢は日に追って緊迫感を増しつつある。皇国の危機において、我ら六家の使命は重大である」
演説するような口調で伊丹はそう釘を刺したものの、景紀を始めとする三家はどこか白けた心でそれを聞いていた。
結局、この日の六家会議にて、来年度予算案の概略がようやく決定されたのである。




