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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第三章 列侯会議編

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44 二人だけの茶会

 皇都郊外の有馬家別邸ほどの規模ではないが、結城家皇都屋敷にも庭園は存在する。

 そもそも、ほとんどの将家屋敷には庭園が存在していた。それは、将家たちが皇都屋敷を造るにあたって、その造園技術を競ったからだ。

 六家たる結城家の皇都屋敷は、他の諸侯の屋敷に比べて広大な敷地面積を誇るため、庭園の面積も相応であった。庭園は、基本的には客人のもてなしや、当主たちの散歩空間として用いられる。

 結城家皇都屋敷の庭園は、他の諸侯の屋敷や有馬家別邸の庭園と同じく、池泉回遊式庭園であった。

 そして、池に面するようにして数寄屋風書院造りの茶室が設けられていた。

 冬のために葉を落とした木々があるとはいえ、常緑樹も植えられているため、茶室から見える庭園の風景はそれほど殺風景ではない。冬囲いのされた木々など、むしろこの季節ならではの趣すらある。

 しかし、芝生が色を落としているなど、全体的に茶色がかった風景ではあった。

 それでも、沈んでいこうとする夕日に照らされた庭園は、明るさと薄暗さを絶妙に混ぜ合わせた、幻想的な光景を描き出していた。






 炉が切られた茶室の中は、火の付けられた炭によって温められていた。


「雪が降れば、きっとまた違った景色になるのでしょうね」


 自らの点てた茶を景紀に差し出しつつ、宵は茶室から見える景色に目を遣る。


「ああ、冬には冬の趣があるからな」出された茶を口に含みつつ、景紀は言った。「まあ、今はちょっと中途半端な印象は拭えないが」


「皇都は、どれくらい雪が降るのですか?」


「いや、北陸や東北ほどには降らないと思うぞ」


「まあ、あの辺りは皇国屈指の豪雪地帯ですから、比べる基準が少し間違っている気もしますが」


「とはいえ、年にもよるが、それなりに降る時もあるからな。そうなれば、この景色にも彩りが添えられることになるだろうよ」


「白なのに彩りというのも、おかしな気がいたしますが?」


「言葉の綾だよ、あまり突っ込んでくれるな」


 そんな他愛ない言葉を、茶室の中で交わし合う。

 ふと、景紀が大きな欠伸を漏らした。


「……すみません」


「どうした?」


 突然、謝り出した宵に、景紀は怪訝な表情を向ける。


「よくよく考えましたら、景紀様、あまり寝ておられませんでしたね」


 昨夜、宵が寝てから、景紀はずっと冬花の側にいたのだ。そのまま朝食会議、有馬頼朋との会談、帰宅してすぐに政務と、彼には休む間もなかった。

 そこに加えて、宵は景紀が政務を出来るだけ早く終わらせられるように、彼に負担を強いたのだ。

 合理性だけですべてを計算していた宵は、この少年の体調のことをすっかり失念していた。


「それなのに、私の我が儘に付き合わせてしまい……」


「いいさ、謝らずとも」


 少し眠たげに目を細めながら、景紀は宵の言葉を遮った。


「お前はお前なりに、俺や冬花のことを心配してくれただけなんだし、お前に付き合ってやると言ったのは俺なんだ。お前が、変に責任を感じる必要はない」


「はい……」


 しゅんと肩を落としながら、宵は頷いた。


「ただまあ、正直、眠いのは確かだな。茶を飲んでも、大して目が覚めねぇ……」


 少し間延びした声で、景紀は言う。


「執務室の長椅子で、少し横になるか……」


 とりあえず、情報操作に関する工作はあらかた指示を出し終わっている。佐薙成親が何かしら行動を起こせば報告が入るはずなので、自分が今すぐ動かねばならない状況ではない。少し遅いが午睡すべきか。

 そんなふうに景紀が考えていると、隣に宵がやって来た。


「どした、宵?」


 ちょっと怪訝そうに、景紀は尋ねる。

 宵は無表情のままであったが、かすかに頬に朱が刺している。


「……膝枕、いたしましょうか?」


 そして、努めて平静な声でそう言った。


「……どうしてそういう言葉が出てくるんだ?」


 困惑を隠せずに、景紀は問う。


「いえ、皇都の女学生の間で殿方がされて喜ぶこととして膝枕を挙げていると、屋敷の若い侍女たちが話しているのを聞きまして」


 こてん、といつかと同じように首を傾げて宵は言う。


「ちょっとやってみたかったと言いますか、まあ、ものは試しですし」


 そう言って、ぽんぽんと宵は己の腿を叩いた。すでに彼女は覚悟を決めているらしい。


「……」


 その様子に何となく圧を感じて、景紀は苦笑を隠せなかった。


「……まあ、足が痺れたら遠慮なく言えよ」


 彼女が作り出した空き時間を、彼女の好きなように使えと言ったのは景紀なので、大人しく宵の誘いに乗ることにする。

 そっと横になり、少女の太腿に頭を乗せる。


「どう、でしょうか……?」


「まあ、いいんじゃないか」


 人の肉体なので、当然ながら枕ほどの柔らかさは感じられない。だが、人の肉体であるが故の心地よい温かさはあった。


「……頼朋翁も言っていたが、本当に短期間で状況が変わりすぎたな」


 眠気に襲われながら、ぼやくように景紀は言う。


「まだ、これからも変わるのでしょうね」


 戯れのように、宵は景紀の髪を梳き始めた。


「ああ、そうだな。結局、問題は全然解決していないわけだからな。六家会議、東北問題、列侯会議……。嫌んなってくるな……」


「私も、出来る限りお力になれるよう努力します」


「すまんな」


「いえ、私がそう決めたのですから」


 少し気恥ずかしそうに、宵は景紀を見下ろす。


「……そういえば」ふと、思い出したように彼女は言った。「景紀様が私の前で明確に愚痴を零されたのって、これが初めてでは?」


「んん? ああ、そうかもな」


 景紀も、言われて気付いた。そういえば、この少女の前であからさまにぼやきを漏らしたのは、初めてだったかもしれない。


「よかったです、私も、景紀様にとってそういう存在だと思っていただけて」


 宵の笑みは微かなものであったが、そこには嬉しげな色が浮かんでいた。


「まあ、多分、これからお前にもいっぱい愚痴を零すことになるんだろうなぁ」


 景紀は苦笑気味に唇を歪める。


「いいではないですか」宵は少年の髪を梳きながら、続けた。「私も、そういう相手が欲しいです。自分の本心を吐露して、受け止めてくれる相手が」


 あまり感情表現が豊かではない少女の顔の中で、瞳だけが慈しむような色を浮かべていた。


「お前も、今まで沢山我慢してきたものな」


 お返しとばかりに、景紀は手を伸ばして宵の長くさらりとした髪に指を通す。


「我慢だと思ったようなことはないのですが……」宵は少しだけ戸惑ったように眉を寄せた。「……私には、それが当たり前だったのですから。でも、景紀様からそう見えたのであれば、そうなのでしょうね」


 その声は淡々としていて、彼女が本心からそう思っているのだと判った。

 この少女は、自分というものを押さえ込むのが当たり前になってしまっているのかもしれない。そう、景紀は思った。昨日、あのような事件に遭ったというのに、平然として見えるのも、そうした彼女の精神性が影響しているのかもしれない。

 動じないといえば聞こえが良いのかもしれないが、それはそれで危うい気がする。彼女は、どこか自分というものを軽視しているようにも見えるのだ。昨日、嶺州の民のために冬花と同じ責め苦を受けても構わないと言ったのも、そうしたことの現れであるのかもしれない。

 何も、自らの覚悟に殉じるだけが宵という少女の生き方ではないはずだ。

 今朝、彼女自身が言ったように、誰かと絆を深めていくことも立派な生き方だと、景紀は思う。


「昨日みたいに、大泣きしたっていいんだぜ?」


 だから次期当主たる少年は、少しからかうようにそう言った。

 すると、少女の表情が目に見えて変わった。


「あ、あれは忘れて下さい!」


 顔を真っ赤にして、怒ったような声が宵の口から飛び出たのだ。


「ははっ、お前、そんな表情も出来るんだな」


 あまりの変化に、思わず景紀は笑ってしまった。


「もう、からかわないで下さい」


 ぷい、と宵は頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。


「いや、悪い悪い」笑いを噛み殺しながら、景紀は謝った。「でも、表情豊かなお前を見ていると、不思議と安心するんだ」


「……」


 何の衒いもない言葉を聞いて、宵は羞恥心を誤魔化すように怒った表情を浮かべ続けていた。

 宵にとっても、昨日の涙は意外なものだった。自分という人間が、あそこまで泣けるとは思ってもいなかった。

 そして、悪くないとも思っていた。

 あれだけ涙を流したら、不思議と心がすっきりしたのだ。自分の淡い恋心も自覚出来た。

 だから、この人の前で泣くことは、悪くない。

 そう、宵は思った。

 と、ふと、少女は別のことに思いを致した。


「……景紀様こそ、あのように泣いた経験がおありなのですか?」


 興味本位ではなく、単に確認するような淡々とした口調。

 宵は、ある可能性に気付いていた。


「んあ? そうだな……」景紀は、記憶の糸を手繰るように目線を遠くにやった。「……そう考えたら、ない、な」


 ひどく平然とした口調で、景紀は答えた。そこには、男特有の女性に対する見栄など何もない。ただ、事実を伝える口調であった。


「……景紀様の方が、よっぽど我慢してらっしゃると思います」


 宵は、何か胸を刺すような思いを抱きながら、そう言った。表情の動きは微かではあったが、自然と痛みを堪えようとするかのようなものになってしまう。


「ははっ、お前ほどじゃないさ。宵の前で言うのはあれだが、俺には小さい頃から冬花がいた。兵学寮に入ってからは貴通がいた。お前に比べたら、随分と恵まれていたさ。気の置けない、同年代の友人がいたんだからな。だから、そんな顔をしてくれるな」


 そっと、景紀の手が宵の頬に添えられた。

 幼い頃から武術の鍛錬を重ねてきたために、硬くなった掌。少年とはいえ、武家の男性らしい無骨さを持った手だった。

 でも、違うのだ。宵は景紀の言葉を聞いて、そう思った。

 貴通という人間については、彼女は詳しくは知らない。しかし、冬花についてならば、この数週間でどのような人物であるのかを把握した。

 友人と、景紀は言う。

 でも、彼と陰陽師の少女との関係は、その言葉は不適切だ。

 主とシキガミ。

 それ以外の表現はすべて不適切だと、宵は思う。

 乳兄妹、幼馴染。そうした言葉もあるだろう。しかし、二人の関係を言い表すのには、それらの言葉ですら不足している。

 ただし、彼らはどこまでいっても主君と従者の関係なのだ。

 確かに、付き合いが長いが故の気安さはあるのだろう。冬花は景紀にとって、愚痴を零せる相手だろう。

 だが、寄りかかれる相手ではない。それは、彼がシキガミの主だからだ。

 むしろ、寄りかかっているのは白髪の少女の方だろう。彼女は、景紀の存在に強く依存している。

 今朝、景紀から冬花の過去を聞いて、宵は強くそう思ったのだ。

 誰かを心の支えにするのは、決して悪いことではない。

 しかし、では景紀の方はどうなのだろうか。人間不信だと自らを評する彼にとって、冬花は数少ない信頼出来る存在だろう。

 だが、それと心の支えであることとは、また違った問題である。

 冬花は景紀の存在に依存しているが、景紀はそうではない。でなければ、幼い頃に共依存関係になり、彼らの成長はそこで止まっていただろう。二人だけの閉じた世界で、完結していたはずだ。

 今のように、次期当主として期待される景紀と、その優秀な補佐官である冬花という存在は、生まれなかったに違いない。

 彼らを成長させたのは、一時的にせよ互いの距離を置こうとした景紀自身の決断なのだろう。

 だからきっと、景紀の中にあるのは意地なのだ。

 生まれてきたことを後悔させたくないという意地、シキガミの主であろうとする意地。

 それはそれで殿方らしい心の在り様ではあるのだろうが、意地は、心が弱った時に寄りかかれるものではない。

 確かに自分は景紀のそうした心の在り様に救われたし、それを好ましいとは思う。景紀がそういう人間だったからこそ、あの陰陽師の少女も救われたのだろう。

 しかし、だからといって、意地や矜持だけで生きていくのは、何となく寂しい気がするのだ。自分が、景紀に責任感だけで接されるのと同様に。


「……景紀様」


「何だ?」


 うとうとと眠りかけている景紀に、宵はそっと声をかけた。


「私は、あなたに必要とされる存在になりたいです」


「……嬉しいが、あんまり気負いすぎるなよ」


 ちょっとだけ案ずるように、景紀は答えた。そしてしばらくすると、彼は宵に身を委ねるようにして小さく寝息を立て始めた。

 宵は自身の膝の上で眠る少年の顔を見下ろした。

 その顔には、どこか疲労の影らしきものが滲んでいる。

 無理もないだろう。

 昨日の事件だけではない。彼は自分と婚儀を結んでから、ずっと結城家、長尾家、佐薙家の緊張関係に対処しようとしてきたのだ。

 そして、当主である父親が病に倒れ、六家が来年度予算を巡って分裂し、皇国を巡る国際情勢が緊張感を孕む中で、彼は結城家の執務全般を引き継ぐことになったのだ。

 愚痴を零すくらいである。

 その重責を、景紀がまったく感じていないはずがないのだ。

 ああ、だから、……だからやっぱり、この人は私が支えてあげないと駄目なんだ。

 宵は、そう思った。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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