41 少女の決意
「昨日の今日で、随分と情勢が変わってしまったようだな」
皇都郊外の丘陵の上に築かれた有馬家別邸。
その茶室に、有馬頼朋翁の皮肉そうな声が響いた。多少の呆れも混じった声であった。
「まったくです」
景紀は同意するように頷いた。声には若干の疲れが見えた。彼の背後には、いつも通り冬花が控えている。
「それで、情報操作の方は上手くいっておるようだな?」
「ええ、一応は」
昨日の、佐薙成親による宵の誘拐事件。
景紀はこれを、攘夷路線を採ろうとしない結城家に反感を抱いた攘夷派浪士による凶行との情報を流した。宵を誘拐し、それによって景紀を誘き出して殺害する。そうした暗殺計画を不逞浪士たちが立てていたという筋書きの情報を広めようとしたのだ。
「で、馬鹿馬鹿しいほどに状況を引っ掻き回してくれた、貴様の義父はどうする?」
だが、頼朋の声には景紀の手温さを批判するような手厳しさがあった。
「奴は、このままでは列侯会議における攪乱要因になりかねん。それは、貴様とて判っているのだろう?」
昨日、頼朋翁と景紀が会談した際の話題は主に二つ。
一つは攘夷派浪士への対応、そしてもう一つが東北問題であった。
このうち、前者については多少、陥れる感もなきにしもあらずといえるが、弾圧する口実が出来た。内務省警保局や皇都警視庁を動かして不逞浪士を一斉に検挙することは可能だろう。実際、その方向で動き出しつつある。
六家次期当主の妻を誘拐したという事実があり、それを攘夷派浪士の犯行に仕立て上げたとはいえ、誘拐の事実は厳然として存在する。伊丹・一色家が攘夷論者への不当な弾圧だと反論することは、難しい情勢を作り出すことは出来たといえよう。これについては、佐薙成親の短慮ともいえる行動が、頼朋翁にとって、突破口を開いたといえるだろう。
一方、東北問題については、逆に佐薙成親の暴挙によって、宙に浮いたような状態になってしまった。嶺州鉄道建設請負契約を結んだ時点と比べれば、むしろ状況は悪化しているともいえるだろう。
わずか数日の間によくもまあここまで情勢が動いたものだと、景紀は思う。もっとも、決して歓迎出来るような情勢の変化ではなかったが。
「判っていますよ」
そうした内心をおくびにも出さず、景紀は六家長老の厳しい指摘に平然として応じた。
「佐薙成親には失脚してもらいます。差し当たり、列侯会議議員の資格剥奪からですかね。出来れば、爵位の剥奪も狙いたいですが」
「それで東北問題がさらに悪化した場合、どうするのだ?」
厳格な教師のような口調で、頼朋は問うた。
佐薙成親の自業自得とはいえ、彼が失脚すれば佐薙家内は混乱するだろう。反六家感情を持つ家臣の一部が、主君の失脚は六家の陰謀だと騒ぎ出し、主君の無念を晴らすためとして成親以上の凶行に走る可能性も否定出来ない。実際、過去には主君の仇討ちとして皇都の将家屋敷に討ち入りした浪人たちも存在するのだ。
そうした事態に陥れば、この老人や中央政府の望む東北地方の政治的安定化という目的は、さらに遠のくことになる。
「そこは、宵が上手くやると申し出てくれました」
だが、景紀はそうした懸念があるにも関わらず、落ち着いた口調で答えた。
「貴様の妻が、だと?」頼朋翁は怪訝そうな表情になった。「将家の姫として相応の教育を受けてきたとはいえ、今まで鷹前で幽閉同然に過ごしてきた娘だぞ? 世間知らずの小娘が、何をしようというのだ?」
「あいつは、大した奴ですよ」
そう言った景紀の表情は、どこか嬉しそうであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
それは、今朝の朝食会議での出来事であった。
昨日の誘拐事件の真相については、執政級の家臣団は皆知っていた。そして彼らは若君たる景紀が冬花をどれだけ信頼し、重用しているかも知っており、彼女を不用意に侮辱すればこの少年の逆鱗に触れることも弁えていた。
だからこそ、陰陽師の少女を責め苛んだ佐薙家にどのような報復に出るのか、あるいはその怒りが宵姫に向かってしまわないかと懸念する家臣もいた。佐薙家への報復・制裁措置は当然と考える家臣は多かったが、流石に同じ被害者である宵にまで景紀の怒りが向くのは理不尽だと多くの者が感じており、その場合はこの若君を諫めなければならないと筆頭家老の益永忠胤などは覚悟していた。
だから、朝食会議の場に景紀が宵を連れて現れた時には、その場にあからさまにほっとした雰囲気が流れた。すでにこの半年で自由闊達な議論に慣れていた家臣たちは、この場が主君の怒りを買わないようにするために委縮する場となってしまうことに、耐えられなかったのだ。そして、一度でもそうした委縮した雰囲気が流れてしまえば、朝食会議はその価値を失ってしまう。
「さて、お前たち」
口を開いた景紀の声は、どこか神妙なものであった。
「昨日の事件について、この場にいる者たちは真相を知っているだろう。我が結城家に牙を剥いた佐薙家に対して、報復や制裁を科すべきと考える者も多いだろう。俺も、その考えは理解出来る。だが、そうしたことをこの場で議論する前に、宵の言葉を聞いてやって欲しい」
そう言うと、景紀は隣の宵に目配せをした。すると、宵は端然とした動作で立ち上がった。将家の姫としての、堂々たる所作といえるかもしれない。だが、隣にいた景紀だけは、袖に隠れた彼女の手が微かに震えていることに気付いていた。
緊張と不安と恐れ、それを抱きながら、北国の姫は結城家家臣団を睥睨するように見回す。
「昨日の件について、景紀様にご迷惑をお掛けしてしまったことは、私の不徳の致すところだと思っています。しかし、佐薙成親の行動について、私はあなた方に迷惑を掛けたとは思いません。責任も感じていません。私はすでに結城の姫であり、あのような行為をなした佐薙成親を明確に敵であると認識しているからです」
宵の声は、広間によく通った。そして、その声に少女なりの覚悟が滲んでいることを悟り、家臣団は粛然とした面持ちになる。
宵という少女は、明確に結城家の一員であると家臣団に証明しようとしているのだ。
「故に私は、実の父親を庇い立てする気は一切ありません。警察による捜査にも、積極的に応じる所存です」
その言葉で、一部の家臣が難しい顔をした。
六家の家臣団の中には、中央政府の警察権を軽んじる者もいる。基本的に領地における警察権は、その地を支配する諸侯が握っており、中央政府の警察権は限定的であるからだ。
皇都は中央政府の警察権の及ぶ地域であるが、将家屋敷の中にまでは及ばない。皇都の将家屋敷は諸侯の領地の延長線上であると考えられており、皇都警視庁の権限の及ばない土地となっているのである。
であるにも関わらず、宵が内務省の捜査に応じるとの意思を表明したことは、結城家が皇都において中央政府の警察権に服することを意味する。
それに難色を示す者が一定数、存在してしまうことは、この時代の価値観からすればやむを得ないことであった。
「これに異論のある者もいるでしょう」
だが、宵はそうした反応もあるであろうことは織り込み済みであった。
「しかし、結城家が単独で佐薙成親の犯行であると主張しても、彼らは六家が自らを陥れるための陰謀だと反論するだけでしょう。事実、佐薙成親は『攘夷派に誘拐された娘を助けただけ』と主張するつもりであったようです。だからこそ、内務省をこちらに引き込み、より客観的な犯行の証拠を佐薙に突きつけ、我が結城家にやましいことが一切ないことを証明しなければならないのです。幸い、あの男が私を斬り付けた際に落とした刀は、こちらで回収してあります。刀に付着した血や指紋などを呪術的に解析すれば、実際に斬り付けた者が誰であるのかを証明することが出来ると、景紀様より聞いております。そして、内務省にはそうした呪術的問題を専門に扱う陰陽局があるというではありませんか。佐薙は攘夷派浪士を使嗾し、六家の姫を誘拐し、あまつさえ殺害しようとした。そして私を人質にして、景紀様の殺害まで目論んでいた。この筋書きを以て、佐薙成親を陥れます」
「……」
「……」
「……」
家臣団の多くは、黙って周囲の者たちと顔を見合わせていた。
泰然としているのは、景紀と益永くらいなものであった。景紀には宵が事前に話を通してあり、益永も筆頭家老という立場上、部下たちの前で内心の動揺を表すわけにはいかなかった。
一息に言った宵は、結城家家臣団の反応を見つつ、軽く息継ぎをした。
彼女の見たところ、明確に自分の言葉に反発を抱いている者はいないようであった。ただ、今まで朝食会議の様子を景紀の横で見守るだけであった少女が、突然、長広舌を振るったことへの戸惑いが大きいだけのようであった。
宵は続けた。ここからが、肝心なところであった。
「しかし、我ら諸侯の政治的闘争に、民草を巻き込むわけにはいきません。故に、報復の対象とすべきは佐薙家であり、嶺州ではありません」
宵にとって嶺州の民の生活を安定させることは、自らが景紀に嫁いだ意義であると考えている。この点だけは、頑として通すつもりだった。
自分は、佐薙成親の失脚と嶺州の経済振興を両立させなければならないのだ。
「つまりそれは、嶺州への制裁措置、より具体的には嶺州鉄道建設請負契約の廃棄はすべきでないというのが、姫様のお考えですかな?」
ここでようやく、執政の一人が発言した。
「我らの敵は佐薙家であり、嶺州の民ではありません」
本音はどうであれ、為政者は民のために政治を行うというのが建前である。宵にそう断言されては、家臣団としてもなかなか反論し辛かった。
家臣団たちは、腕を組んで難しい表情をしていた。
「しかし、それでは佐薙家へ与えられる打撃が少ないのではないのですかな?」
だが、それでも反論を行ったのは家臣団の代表ともいえる益永であった。
「佐薙家へ打撃を与えるには嶺州に対する制裁措置が最も効率的であり、佐薙家の経済基盤に深刻な打撃を与えることが出来ます。政治的にも経済的にも、彼らを追い込むことが出来るのです。しかし、中途半端な報復措置はかえって我が結城家が軽んじられる結果となり、そうなれば六家による諸侯への統制力にも悪い影響を与え、ひいては国家を混乱させる要因ともなりかねませんぞ」
「益永様は諸侯からの支持と民草からの支持、どちらが重要とお考えなのですか?」
宵は、益永の言葉に即座に反問した。
「それは無論、民草を支配している諸侯ですな。それこそが、我が皇国の支配体制の根幹なのですから」
「私は、民草の力を無視すべきではないと思っています」はっきりと、宵は断言した。「例えば、結城家領とて、今まで一度も一揆や打ち壊しが発生しなかったわけではないでしょう。民衆が支配者に反旗を翻せば、その支配体制など簡単に揺らぎます。自由民権運動の広がりによって衆民院が開設されたのは、わずか三〇年あまり前のことではありませんか」
宵の手厳しい指摘に、益永は一瞬だけ不愉快そうな表情を浮かべる。だが、それでも反論を続けた。
「将来的には、そうなる可能性もありましょう。西洋には、確かにフランク共和国のように民衆が王を打ち倒して建てた国もあります。しかし、皇国はそうではありません。六家の支配体制が揺らげば、国内は乱れ、それこそ民草にも大きな犠牲を強いることになりましょうぞ」
「例え敵には苛烈に対処しようとも、その下にいる民草には寛大な心で向き合う。それでこそ為政者の、ひいては景紀様の度量を天下に示すことになるのではないでしょうか? それとも、佐薙家と嶺州の民、二つを同時に敵に回すおつもりなのですか?」
宵は、一歩も引かない姿勢であった。自分は今、景紀に試されている。そう思っていた。結城家家臣の一人でも説得出来ないならば、自分の力量はその程度なのだろう。
宵の視線と益永の視線が、真正面から交差する。
この初老の結城家筆頭家老は、年相応の威厳を感じさせる人物だ。そんな人物と、十五の小娘でしかない自分が対峙する。
そのことに一瞬、宵は目眩にも似た感覚を覚える。
自身の使命感と、この場で喋ることへの恐怖心で、頭の中でぐしゃぐしゃに混ざり合っている。
こんな場所で、景紀は半年も当主代理を務めていたのか……。
不意に、着物の袖の中で握られていた自身の手に温かいものが触れた。
見れば、そっと景紀が宵の手に己の手を添えてくれていた。その瞳には、宵を労る色があった。
「そこまでにしておけ、二人とも」
そして、次期当主としての声で景紀は言った。
「宵と益永、二人の価値観が違う以上、議論は平行線だ。方や全国の諸侯への統制、方や民草からの支持、重視するものが互いに違う以上、結論は出ないだろう」
景紀は優しく宵の手を引っ張った。
「……」
宵は無言で、腰を下ろした。
「さて、どちらの意見が正解かというわけでもないだろう。現状の皇国の制度上、諸侯への統制は絶対に必要だ。かといって、民草を蔑ろにしていいわけではない」
「……」
「……」
「……」
家臣たちの視線が、宵から景紀に移る。
宵は下から覗き込むように、景紀の顔を見た。
彼女を安心させようとするかのように、一瞬だけ景紀は宵に向けて笑みを浮かべた。そして未だ、景紀の手は宵の拳に添えられたまま。
一人で気負いすぎるなよ、そう景紀が言ってくれているような気がした。
そのお陰で、少しだけ宵の緊張はほぐれた。
「さて、ここからは俺が引き継ごう」
宣言するように、景紀は言った。
「まずお前たちに一つ、尋ねたい。そも、我らの目指すべきものは何ぞや、と」
これまでのご感想や評価、ブックマーク等誠にありがとうございます。
また、誤字報告も非常に助かっております。
今話より、拙作「秋津皇国興亡記」第三章を開始いたします。
また宜しくお願いいたします。
第三章を執筆するにあたって新たに参考しにした文献
主要参考文献
大野哲弥『国際通信史でみる明治日本』(成文社、二〇一二年)
大前信也『昭和戦前期の予算編成と政治』(木鐸社、二〇〇六年)
葛原和三『ストラテジー選書10 機甲戦の理論と歴史』(芙蓉書房出版、二〇〇九年)
佐々木隆『伊藤博文の情報戦略』(中央公論社、一九九九年)
佐々木隆『シリーズ日本の近代 メディアと権力』(中央公論新社、二〇一三年)
玉木俊明『近代ヨーロッパの誕生』(講談社、二〇〇九年)
坂野潤治『明治憲法体制の確立』(東京大学出版会、一九七一年)
室山義正『近代日本の軍事と財政』(東京大学出版会、一九八四年)
主要参考論文
増田知子「海軍拡張問題の政治過程」(『年報 近代日本研究4 太平洋戦争』山川出版社、一九八二年)
久野洋「日清戦争後の対外強硬派」(『日本史研究』第六八五号、二〇一九年)
平松良太「第一次世界大戦と加藤友三郎の海軍改革(一)」(『法学論叢』一六七巻六号、二〇一〇年)
平松良太「第一次世界大戦と加藤友三郎の海軍改革(二)」(『法学論叢』一六八巻四号、二〇一一年)
平松良太「第一次世界大戦と加藤友三郎の海軍改革(三)」(『法学論叢』一六八巻六号、二〇一一年)




