335 牢獄の男装少女
届けられる食事の回数から、今日は十二月七日だろうかと貴通は当たりを付けていた。
結局、貴通が地下牢から再び天守閣まで連れ出されることはなかった。
地下牢に押し込められたまま、定期的に食事が届けられ、体を拭く程度の水と手拭いが日に一度与えられるだけであった。
そこから貴通は、自身が人質としてこの城に出向いてから何日目かを計算していた。
一色公直は自分を天守閣に呼び出した際、明日朝にはまた天守閣から潰走する結城家領軍を見せてやると言っていたが、その翌朝はとっくに過ぎているはずである。
つまりは、そういうことなのだろう。一色公直は景紀を討ち、結城家領軍を退けることが叶わなかったのだ。
そして、先ほどから延々と続いている地下牢のかすかな振動。
結城家領軍が那古野城包囲網北側に構築していた砲兵陣地の完成がそろそろであったから、恐らくは景紀が那古野城への砲撃を命じたのだろう。
ここまで来れば、一色家が形勢を覆せる望みはほとんど絶たれたと言っていい。
だが果たして、景紀に対して歪んだ対抗意識を向けるあの男が素直に敗北を認めるだろうか?
総大将である景紀個人を討つことで結城家領軍を崩壊に追い込むという策が破れたにもかかわらず恭順の意を示そうとしないということは、やはり籠城しての徹底抗戦を選んだということだろう。
だからこそ、この城は結城家領軍からの砲撃を受けているのだ。
それは、そこまで一色家が追い詰められている証左でもある。
貴通は地下牢に捕らえられていながらも、愉快な笑みが湧き上がってくるのを堪えることが出来なかった。
薄暗がりの中で、彼女は兵学寮の同期生に快哉を送る。
自分が想いを寄せる殿方が、今まさに天下へと手をかけようとしているのだ。そのことが、景紀の軍師を自認する貴通には我がことのように誇らしかった。
十歳のときに兵学寮で出逢ってから、九年の歳月が過ぎている。
そのときは自分が景紀にこんなにも想いを寄せることになるとは思っていなかったし、六家体制がここまで大きく崩れるとも考えていなかった。
きっと兵学寮に入学したての頃の自分に、今の自分と景紀との関係を言ったところで信じてもらえないだろう。当時の自分は、同室となった六家嫡男の少年が妬ましくて妬ましくて仕方がなかったのだから。
貴通は兵学寮の思い出と景紀への想いを心の支えにしながら、囚われの身故の心細さと不安を慰めていた。
貴通が再び地下牢から連れ出されたのは、それからしばらく経ってからのことだった。
先日と同じように両手を縛られ、周囲を刑吏たちに囲まれたまま城の中を歩かされる。地下牢から地上に出れば、砲声がより鮮明に聞こえた。
守備隊たちの怒声や悲鳴らしきものも聞こえ、城内はかなりの喧噪に包まれているようであった。
貴通が代わりの人質としてこの城に入った際には感じられなかった、包囲され追い詰められた拠点の騒々しさがそこにはあった。
もはや一色家は、貴通に対して城内の様子を取り繕う余裕もないのかもしれない。
そうして貴通が連れてこられたのは、初日と同じ二の丸御殿接見の間であった。
しかし、接見の間の様子は先日とは様変わりしていた。
床からは畳がすべて引き剥がされて床板が剥き出しとなり、襖もほとんどが取り外されて柱や梁がいやに目立つようになっていた。
煌びやかな調度品も、見当たらない。
そこは最早、当主の威厳を家臣団や来訪者に示すための空間ではなかった。
戦国時代には頻繁に見られたであろう、戦をするための城の姿であった。
恐らく襖や調度品は障害物や遮蔽物として持ち出され、畳は担架代わりにされているのだろう。あるいは戦災による焼失などを恐れて、絢爛な襖絵や豪華な調度品は蔵にでも避難させたのかもしれないが。
そして粗末な獄衣を着、縄を打たれた貴通を待ち構えていたのは、やはり一色公直であった。
軍服姿の一色家当主は、がらんどうとなった接見の間の中で床几に腰掛けていた。先日、貴通がこの広間に連れてこられた際には居並んでいた主要な家臣たちも、今はいないようである。
「来たか」
一色公直は、刑吏に連れられた貴通に視線を向ける。
貴通は、一色公直の座す上段の間のすぐ側まで連れてこられた。段差を挟んで、彼女は一色公直と対峙する形となる。
「随分とさっぱりした部屋になりましたね」
皮肉げに、貴通は言った。立っている彼女の視線は、上段の間で床几に座っている一色公直よりもわずかに高い。
必然、貴通は一色公直を見下ろす形になる。それをあえて誇示するかのように、彼女はかすかに顎を上げた。
一色公直の不愉快そうな双眸が、彼女を睨み付ける。
その間にも、砲声は二の丸御殿にまで響いていた。
「……ふん。結城景紀に裏切られ、見捨てられた気分はどうだ?」
やがて一色公直の口元が、かすかに歪む。
「貴様は結城の小倅に尽くしていたつもりだろうが、代わりの人質として差し出され、そして今こうして貴様の存在を無視して砲撃を命じている結城景紀は、貴様がそうまでして尽くすべき相手か?」
「先日も言いましたが、僕は自分の意思で代わりの人質となることを景くんに申し出たんです。あなたが言うような、景くんに裏切られたとか、見捨てられたとかは思っていませんので、ご安心を」
「そう強がったところで、貴様が見捨てられた現実は変わらん」
一色公直の口調は、嘲るようだった。この男の目から見れば、なおも景紀を想い続ける自分は滑稽な存在なのだろう。
だが、貴通の目から見れば一色公直こそが滑稽であった。
戦局を挽回する手立てを失ってなお抗戦を続け、自分と景紀との関係に楔を打ち込もうとするその姿に、貴通は将としての魅力を欠片も覚えない。
貴通の頑なな態度をどう思ったのかは知らないが、一色公直は床几から立ち上がると一歩、貴通に近付いた。視線の高さが、それで逆転する。
「貴様、陛下に対して書状を書け」
「はい?」
唐突な言葉に、貴通は怪訝な声を出す。
「結城景紀は、五摂家の人間のいる城を攻めんとしているのだ。これは五摂家の権威に対する許しがたい挑戦であり、ひいては五摂家と繋がりの深い皇室を蔑ろにするものであると、陛下に訴えるのだ。流石の結城景紀も、五摂家の娘が陛下に宛てた書状を阻止することは出来まい。そのようなことをすれば、陛下を軽んずることになる」
「諸侯たちの子女を人質にとっておきながら“保護”だと言い張り、今度は僕を捕らえていることを“保護”だと言い張るつもりですか」
心底呆れ果てて、貴通は言う。
「馬鹿も休み休み言って下さい」
そう、貴通は吐き捨てた。
つまり一色公直は、貴通の命を盾にして皇主から和衷協同の詔勅を出させようとしているのだ。この男は、皇室と姻戚関係にある五摂家の人間を救うために皇主がこの内戦の調停を行ってくれると信じているのだろう。
そうすれば、少なくとも一色家は存続を許される。
結城家に和睦を申し出る形にもならず、一色公直の矜持も傷付くことはない。この男にとって、景紀に降伏するなど耐え難い恥辱なのだ。
だが、それはあまりにも公直自身に都合よく考えたものでしかない。
そもそも、皇主はすでに朝敵追討の宣旨を発している。綸言汗の如しというが、君主による命令はそう簡単に取り消すことは出来ないのだ。
そのようなことをすれば、君主の権威そのものが損なわれる。
だからこそ、皇主が追討令を翻すことはないだろう。
勅使が人質解放に尽力しながら貴通を代わりの人質として差し出すことになった点については、景紀が皇主から不興を買うかもしれない要素ではあったが、だからといって追討令の対象とされた一色家が許されることには繋がらない。
そもそも、勅使が人質の存在を憂慮する皇主の宸翰を届けたにもかかわらず、代わりの人質を要求してきたのは一色家の方なのだ。
皇主とその権威を蔑ろにしているのは、景紀ではなくむしろ公直自身であろう。
「貴様、今の自分の立場が判っているのか?」
だが、一色公直はなおも執拗であった。
「その粗末な獄衣すら剥ぎ取って、磔にして晒すことも可能なのだぞ?」
「どうぞ。それで景くんが城攻めを躊躇すると信じているのなら」
先日以上の辱めを加えようとする目の前の男に内心の恐れを悟られないよう、貴通は精一杯の虚勢を張って挑むように言い返した。
この男が皇都内乱で冬花を辱めた一人である以上、自分を裸にして磔にすることに躊躇はないだろう。
しかし、それに屈して景紀の裏切るようなことはしたくない。
皇主が一色家への追討令を翻すとは思えないが、自分が一色公直に屈して景紀を裏切るような真似をすれば、その記憶は一生涯貴通について回るだろう。
それは、裸で磔にされるという辱め以上に貴通にとって耐えられないことであった。
「……ふん、強情な小娘が」
ぎりっと歯を噛みしめる音が聞こえそうな表情で、一色公直が吐き捨てた。
一向に貴通が自分に屈服する様子がないことが、それほど口惜しいのだろう。あるいは、景紀が五摂家の人間を従えていることから、自分も五摂家の姫である貴通を屈服させたいという歪んだ願望を持っているのか。
いずれにせよ、目の前の男の思い通りになるつもりは、貴通にはない。
互いに剣呑な視線をぶつけ合う。
二の丸御殿には、なおも砲撃の音が響き渡っていた。
「―――失礼いたします!」
睨み合いの応酬を打ち切ったのは、接見の間に飛び込んできた一人の家臣であった。
「先ほどの着弾により、御深井丸多門櫓の一部が倒壊いたしました! 守備隊員数名が下敷きとなった模様!」
その瞬間、一色公直の表情が忌々しげに歪むのを貴通は見た。もちろん、家臣団の手前、そうした表情を見せたのは本当に一瞬だけだ。
だが、一色公直はその表情を貴通に見られたと気付いたのか、彼女のことを鋭く睨み付けた。そして、報告を行った家臣の方に顔を向ける。
「櫓の復旧および救助を急がせよ」
「はっ!」
「私も御深井丸に赴き、守備隊を鼓舞しよう。案内せよ」
そんな一色公直の言葉を、貴通は醒めた感情で聞いていた。当主自らが兵卒たちを鼓舞するのは結構なことだろうが、城が一方的に砲撃を受ける中で果たしてどこまで一色家側の士気が保つことやら。
「……こやつは、牢に戻しておけ」
最早貴通を屈服させることで自尊心を満たそうとする暇もないと理解したのか、ぞんざいな口調で一色公直は刑吏たちに命じた。
貴通は再び、刑吏たちに縄尻を引かれて二の丸御殿から連れ出された。
地下牢へと続く道を歩かされながら、彼女は緊張が解けるのを自覚する。裸に剥かれて磔にされるという恥辱を受けるのは、やはり覚悟を決めていたとしても、少女の身には耐え難いものなのだ。
そうして地下牢へと戻された貴通は、再び暗がりや不安、孤独と対峙することになったが、流石に今は安堵の方が勝っていた。
このまま結城家領軍による砲撃が続けば、城の各所が被害を受け守備隊の士気は下がっていく。そして、一色公直はそうした士気の崩壊を防ぐため、彼らを鼓舞するために駆け回らなければならないだろう。
当面、自分に構っている暇はなくなる。
貴通は牢の壁に背中を預けて座りながら、安堵の息をついた。
そうやってしばらくしていると、視界の端に白いものが映った。
怪訝に思ってそれを目で追おうとすれば、その白いものは牢の格子を潜って貴通の捕らわれている牢内にまで入ってきた。
そこでようやく、貴通はそれが鳥型に切られた紙片であることに気付いた。
その鳥型の紙片は、小さく羽ばたきながら貴通の存在を確認するように牢内をくるくると回っていた。
「……もしかして、冬花さんの式ですか?」
明らかに呪術的な仕掛けで飛んでいる紙片に、貴通は心当たりがあった。
そして、あのシキガミの少女があえて式を城内に潜入させたということは、景紀の命令があったからだろう。
「心配性ですね、景くんは」
思わず、貴通の口から苦笑が漏れる。
恐らく、あの八束いさなとかいう一色家の術者を退けたことで、城に式を侵入させることが出来るようになったのだろう。
まったく、景紀を思慕する冬花に自分の居場所を探させるなど、あの同期生はちょっと女心が判っていない。
「僕はこんな格好をさせられていますが、ひとまず無事だと景くんにお伝え下さい」
恐らくこの式を通じて冬花には伝わるだろうと思い、貴通は鳥型の紙片に向けて言う。
するとその式は、しばらく貴通の様子を確認するように牢内を飛ぶと、そのまままた格子を潜って外へと出ていった。
これで、景紀も後顧の憂いなく那古野城攻略に集中出来るだろう。あの同期生はきっと今も、自分を代わりの人質として差し出したことに忸怩たる思いを抱えているはずだから。
「ほんと、景くんは世話の焼ける同期生なんですから」
景紀の脆い部分を何度も見てきた少女は、慈しみを込めてそう毒づいたのだった。




