333 孤立する城内
十二月の空は、身を切るような冷たさに覆われていた。
その空に、甲高い翼龍の鳴き声が響き渡る。
「敵騎来襲!」
叫んだのは、一色家領軍に属する龍兵隊長であった。冬の澄んだ空に無数の黒い点が浮かび、それらが急速に接近してきている。
「気球隊は、何としても物資を城内にお届けせよ!」
隊長は手信号で後続の龍兵たちに命じる。隊長騎を含む数騎の翼龍の後方には、翼龍に曳かれた気球が五基、飛行を続けていた。いずれも、那古野城内に運び入れるため領民たちに供出させた物資を満載している。
そのために鈍重な彼らを守るべく、隊長騎を含めた護衛の龍兵隊は手綱を握りしめ、翼龍に力強く羽ばたかせた。
「この地は我ら一色家のもの! その空を汚す不逞の輩を、一騎残さず撃墜せよ!」
一色家家臣団出身の龍兵隊長は、周囲の部下にそう檄を飛ばす。部下の龍兵たちが、鞍上で拳銃や騎銃、鋭剣、長槍を掲げてそれに応じた。
「全騎、突撃せよ!」
「護衛に構うな! 第一目標は気球、第二目標も気球、第三目標も気球だ!」
一方、一色家領軍龍兵部隊へと接近を続けていたのは、結城家領軍龍兵部隊であった。隊長の加東正虎少佐が、後続の部下たちに指令を下す。
彼らもまた、速度を上げて一色家側龍兵の編隊へと向かっていく。
敵編隊に見える五基の紡錘形状の気球は、先の対斉戦役において紫禁城降下作戦などで用いたのと同じ、人員・物資輸送用のものだ。
結城家領軍が那古野城を包囲する少し前から、一色家は城内に翼龍と気球を使って物資を運び入れていたことが確認されている。
結城家領軍が保護した避難民などの証言から、一色家は領内各地で物資を供出するよう領民たちに布告を出したことが判明していた。そうして集められた物資を急ぎ那古野城に運び入れるべく、彼らは翼龍に気球を曳かせているのだ。
もちろん、鉄道輸送や馬匹輸送での物資の運び込みも一色家は行っていたようであったが、すでに那古野城は結城家領軍によって完全に包囲されいる。
そのため、空輸こそが那古野城に籠る一色家にとってほとんど唯一残された輸送手段となっていた。
だからこそ、結城家の側もそれを阻止しようと翼龍部隊を出撃させていたのである。
「全騎、突撃せよ!」
部隊全体に伝わるよう、喇叭手が喇叭を吹き鳴らした。龍兵たちが手綱と拍車を操り、翼龍を加速させていく。
加東少佐も手綱を握りしめ、敵編隊への襲撃機動に移った。
顔にかかる風圧が激しさを増し、頬を凍らせるような空気が後方へと流れていく。
前方から、一色家の龍兵が接近してくる。互いに翼龍を加速させているため、相対速度は騎兵の比ではなかった。
上空で、彼我の翼龍が交錯した。
互いの翼龍が威嚇するように鳴き声を上げ、双方の龍兵が喊声を上げる。銃声が鳴り響き、鋭剣や長槍が振われた。
銃弾を体に受けた翼龍が悲鳴と共に暴れ、翼を切り裂かれた翼龍がそのまま地上へと落下していく。
だが、龍兵たちは怯まない。
この程度で怯むなら、彼らは最初から空へ上がろうなどと思っていない。彼らは彼我の龍兵に降りかかった惨劇を無視して、なおも自らの乗る翼龍を操り続ける。
護衛を突破した結城家の龍兵は気球へと迫り、一色家の龍兵は翼龍を旋回させてその背に追いすがろうとした。
気球を曳く翼龍に乗る龍兵が、せめてもの抵抗として接近してくる敵機に拳銃を放つ。だが、鈍重な彼らに対して、結城家の龍兵は俊敏であった。
即座に射線を外し、気球の上空や側面から気嚢を切り裂いていく。
刹那、五基の気球は上空で大きく姿勢を崩し、そのまま重力に従って落下を始めていく。気嚢から下げられた籠が傾き、積み込まれた物資が地上へとばら撒かれる。
気球を曳いていた翼龍がその落下に引っ張られそうになり、龍兵が慌てたように曳航索を切った。
それは、ほとんど一瞬の間に起こった出来事であった。
空を俊敏に飛び回る翼龍とそれに乗る龍兵にとって、鈍重な気球は敵龍兵よりも遙かに狙いやすい標的でしかなかった。
「長居は無用だ! 引き上げるぞ!」
長く上空に留まっていては、寒さで龍兵の体力は消耗していく一方である。目標の敵気球の撃墜に成功した加東少佐は、即座に撤収を命じた。喇叭手が、合図を吹き鳴らす。
そうして編隊を集合させた結城家龍兵部隊は翼龍の翼を翻し、襲撃したときと同じような俊敏さで戦場となった空域を後にしたのであった。
◇◇◇
「こちらに向かっていた気球は、全基が撃墜された模様です。天守の見張り員より、そのように報告がありました」
那古野城三の丸にある中部鎮台司令部では、沈痛な雰囲気が流れていた。
皇暦八三六年十二月六日、一色家領内から集められた物資を乗せた気球五基が那古野城に向かう途中で結城家龍兵部隊に捕捉され、全基が撃墜されていたのである。
「恐らく、撃墜される様子は地上でも多くの者が目撃したはずです。将兵の士気低下や城下領民の動揺が懸念されます」
司令部作戦室の上座では、軍服姿の一色公直が卓上に広げられた地図を見つめている。その表情に、狼狽の色は見られない。
「引き続き、気球による物資搬入作戦は継続せよ。将兵や城下領民にはそのことを布告し、我が一色家領は全土を挙げて那古野救援に死力を尽くさんとしていることを示すのだ」
そして、平素と変わらぬ一色家当主としての揺るぎのない口調で、鎮台司令部の者たちに命令を下した。
「承知いたしました」
しかし、命令を受けた鎮台司令部の者たちの顔は硬い。
那古野城が城下町と共に結城家領軍によって包囲された現在、糧食を始めとする城内の物資は消耗する一方であった。
これは、那古野城攻囲戦が始まった初期の段階で城下町南側の操車場を失ってしまったことも大きい。操車場に集結していた貨車の中には、領内から運んできた物資を降ろす間もなく結城家によって奪取されてしまったものも存在していたからだ。
これにより、物資の備蓄量の計算に大きな狂いが生じてしまったのである。
そうした中で、空輸による城内への物資の搬入は一色家に残された唯一の希望であった。しかし、その望みも最早断たれつつある。
一色公直が十二歳以上五十歳未満の家臣団を根こそぎ動員して那古野城に集合するよう領内全土に号令をかけたことにより、城内には多くの人間が居住する状況となっていた。
もちろん、結城家による那古野城包囲網が完成したことによって、那古野城への集結を命じられた家臣の全員が城へ駆け付けられたわけではない。それでも、相当な人数が城内には存在していた。
これもまた、糧食などの物資の消耗を早める要因となっていた。
飢饉に備えて米などの穀物を備蓄しておく囲米制度もあり、城下町の社倉にも食糧は蓄えられていたが、当然ながらこちらも減少する一方である。
一部の家臣には、社倉の食糧も城内に運び入れるべきとの意見を唱える者もいたが、流石にこれは却下されている。
社倉の食糧は城下領民に対する配給用とされており、この食糧まで一色家が徴発することになれば、間違いなく城下で打ち壊しなどの民衆騒擾が発生するだろう。
攻囲戦の開始以来、一色家は城下領民たちを事実上の軍夫として徴用していたのだ。食糧の配給を疎かにすることは出来ない。
そのため、領軍将兵や家臣団に対する糧食は、城内の備蓄から賄わなければならなかった。
とはいえ、米や味噌、乾燥野菜などがあればそれでいいというわけでもない。それらを調理するための薪などの供給も、大きな問題であった。
これから冬が厳しくなってくれば、暖をとるための木炭なども必要となってくる。
当然、攻城戦である以上、弾薬類の補給も欠かせない。医療物資もそうである。
それらすべてを空輸だけで賄うことは、現実的に考えて無理があった。
「案ずることはない。芳濃国で召集をかけた後備部隊がこの城を包囲中の結城家領軍の側背を突くような動きを見せれば、結城家領軍も動揺する。我らはそれに呼応して、包囲網を突き崩すための反攻に転ずればよい。諸君らは、その時機を見失わぬようにせよ」
だが一色公直は、鎮台司令部の者たちにそのように告げるだけであった。
「御館様は、戦況を正確に理解しておられるのでしょうか?」
一色公直が二の丸へと戻った後、司令官執務室で鎮台参謀の一人が言った。声には、当主である公直への懐疑が滲んでいた。
「御館様は芳野国で召集をかけた後備部隊が到着することを依然として信じておられるようですが、そのような部隊、地図の上にしか存在しません」
実際、重臣や公直側近たちも交えた以前の作戦会議でも、芳野国で召集をかけた後備部隊が戦力として見なすことが出来ないことは指摘されていた。
一色家の統治する領国の一つである芳野国では、十一月に一色公直が兵を挙げた段階で物資や弾薬を供出している。そのため後備部隊に支給すべき武器弾薬・糧食が十分に存在するとは思えず、そもそも実際に後備役・予備役の者たちの召集が進んでいるのかどうかすら定かではない。
そのような部隊に期待をかけるなど、愚かしいことのようにこの参謀は考えていたのである。
「そもそも、御館様は以前、結城景紀を討ち取る策があると言っていましたが、どうにもそれは失敗したというのが、真相のように思えます」
そして、未だ収まらないのか、参謀はそう続ける。
「一昨日夜、東山で発生した大規模な爆発。あれほどの爆発を起こせる火砲を我らが有していない以上、あれは対斉戦役などで噂に聞く呪術師による爆裂術式である可能性が大であります。恐らく、主家に仕える術者による、爆裂術式による結城景紀の爆殺こそが御館様のいう“策”であったのでしょう。しかし、城を包囲する結城家領軍に動揺は見られない。御館様は、自らの策が破れたことを、我ら領軍に秘匿しているのでは……」
「そこまでにせよ」
参謀の言葉を、鎮台司令官がぴしゃりと遮る。
「それ以上は、主家への不敬となろう。確かに、公直様の策というのが、主家に仕える呪術師や忍連中を使ったものではないかという予測は、私もしていた。我ら鎮台司令部の与り知らぬところでそうした策を実行した公直様に対して、貴官が含むところがあることも理解しよう。しかし、我らは一色家の領軍なのだ」
そう言って、鎮台司令官は参謀を宥める。
「ですが閣下」
だが、参謀はなおも引き下がることなく執務机の上に身を乗り出す。
「このまま結城家による総攻撃が開始されれば、城下の領民まで巻き込んだ戦闘となります。御館様の言う策が破れたと考えられる以上、和睦を真剣に考える時期に来ているのではありませんか? 閣下は、一色家分家のご出身であられます。どうか、御館様に和平についてご検討下さるよう、進言してはいただけないでしょうか?」
「私は分家も分家、軍歴だけは長いが、家格では重臣にも劣りかねないほどの人間だぞ?」
鎮台司令官は、自嘲の表情を浮かべた。彼が中部鎮台司令官に就任したのは、若くして当主となった公直の地位や権威を脅かさず、それでいて一色家の血を引く人間だったからだ。
鎮台司令官を務める男は一色家一門衆の中では比較的年長の部類には入るが、政治的にも軍事的にも領内での求心力は皆無に等しい。一色公直が彼に求めたのは、予算の策定や徴募事務など、事務処理能力の方なのだ。
「恐らく進言した途端、私は鎮台司令官を解任され、公直様ご自身が直接領軍の作戦指導に当たろうとされるだろう」
「……」
「……」
「……」
重苦しい沈黙が、司令部に流れる。
一色公直は、家臣団に対し十二歳以上五十歳未満の男女に領地防衛に加わるよう命じ、この那古野城でもまだ幼く見える少年少女たちが健気にも訓練に参加している様子が見られていた。
そのような苛烈ともいえる覚悟で結城・有馬・斯波三家連合に抵抗しようとしている人物である以上、領軍を統べる鎮台司令部が何を具申しようと顧みない可能性の方が高い。
召集された家臣団の少年少女や初老に差し掛かった者たちにまで武器を取らせ、徹底抗戦を命じるだけであろう。
それを主家への忠義であると盲目的に信じられるほど、鎮台司令部の者たちは封建的意識に染まってはいない。
彼らの多くは一色家家臣団の出身者であるが、同時に兵学寮にて近代的な軍事教育を受けた者たちでもあるのだ。
ここに、“一色家の領軍”であり“皇国の陸軍”であるという、封建制と近代性の二面性を持つが故の葛藤があった。
そしてその葛藤を乗り越えることが出来なかったがために、封建制の呪縛に捕らわれて身動きがとれなくなりつつあるのだということを彼らは自覚せざるを得なかったのである。




