第1巻発売記念SS3 茶器の中の星空
書籍版第1巻24話で皇室博物館を見学中、曜変天目茶碗の実物を見た宵の話。
宵にとって動物も植物も、ましてや歴史的宝物も、そのほとんどは書物の中の存在でしかなかった。
ずっと嶺州の居城の中で育ってきた宵には、城の外の世界にある“実物”を見る機会などほとんど与えられなかったからだ。
だから、自分が嫁いだ少年・景紀に連れられてやってきた皇都皇室博物館は、宵にとって新鮮な驚きと知的好奇心を刺激される場所であった。
石造りの重厚な建物自体がまず新鮮であったし、その中に展示されている数々の品は宵の興味を引かずにはいられなかった。
荘厳な曼荼羅に、幽玄な水墨画。穏やかな表情を浮かべた阿弥陀如来像に、険しい表情を浮かべた不動明王像。古代の息吹を感じられる銅鏡に、西域の異国情緒を感じられる胡瓶。
どれも宵が書物の中だけでしか知らなかった宝物たちであった。
そして景紀たちと共に茶器の特別展の区画に入れば、茶器とはこれほどに多種多様であったのかと驚かされた。
茶入れ一つとってもその形は茄子、肩衝などと様々であり、木製の棗も一つ一つ蒔絵の紋様が違って見る者を楽しませてくれる。
茶碗も白磁に青磁、三彩に五彩、油滴天目に禾目天目と、時代の移り変わりや釉調の違いによって様々な表情を見せていた。
その中でも目玉の展示品は、曜変天目茶碗だろう。
「運が良いぞ、宵。こいつは滅多に表に出てこないからな」
にやりと、景紀が宵に笑いかけた。
確かに、今の時機に彼に嫁いでいなければ、自分は名宝と名高いこの茶器に出会うことはなかっただろう。そして景紀がこうして自分を外の世界に連れ出してくれたからこそ、滅多にないだろうこうした機会に巡り会うことが出来たのだ。
今日は本当に、彼に嫁ぐ前には考えられなかったことばかりだ。
曜変天目茶碗は展示品の中でも特に人気のようで、並ばなければならなかった。しかしそれもまた、宵に外の世界を感じさせるに十分であった。
「楽しそうだな」
並ぶことすら楽しんでいる自分を見て、景紀が微笑ましそうにしている。
「ええ、こういう体験も初めてですから」
感情をあまり表に出さない自分が、随分と弾んだ声を出していることに宵は気付いていた。
そうしている内に、宵たちの順番が回ってきた。
宵は逸る気持ちを抑えて心を落ち着かせつつ、その器を見た。
曜変天目茶碗は、小柄な宵から見ても小ぶりな器であった。
しかし、器の内側を見ると、そこには無限の星空が広がっているかのような錯覚を覚える。
黒釉のかかった器の内側には、大小の斑文が浮かんでいた。その斑文を取り巻く瑠璃色の中にさらに玉虫色が浮かび上がる、実に神秘的な器であった。
思わず感嘆の溜息が漏れるほど、宵はその器に見とれていた。
「景紀様」
閉館時間まで博物館の中を見て回った宵は、博物館を後にしながら景紀に言った。
「また、次の企画展があったら、是非来てみたいです」
一瞬、景紀は自分の言葉に目を瞬かせた。
「そいつは随分とささやかな我が儘だな」
そして、彼は少年らしい笑みを浮かべた。何だか、嬉しそうだった。
「いいぜ、また来ようか」
「はい、是非」
宵も自然と、景紀に応ずるように笑みを返すのだった。




