第1巻発売記念SS2 櫛選び
書籍版第1巻23話で櫛選びをする景紀の話。
奉公人に導かれて宵と冬花が店の奥へと消えていってからしばらくして、景紀は売り場にいる番頭に声を掛けた。
「なあ、櫛をいくつか見せてくれないか?」
「承知いたしました。少々お待ちを」
「くれぐれも、奥の二人には内緒にしておいてくれよ」
「判っておりますよ」
番頭はそう微笑ましげに言って、店の奥へと向かっていった。
「櫛は冬花の嬢ちゃんに?」
「ああ」
傍らにいる新八の問いかけに、景紀は端的に答えた。
宵には多少悪いかと思ったが、この機会に冬花にも何か買ってやりたかったのだ。彼女は景紀のシキガミとしてずっと自分を支えてくれているが、家臣たちの目があることもあり、こういう機会でもない限り何かを贈ることが出来ない。
宵が自分の元に嫁いで来て以来、複雑な想いを抱えているだろうシキガミの少女を労うための何かを、贈りたかった。
「指輪でなくて、櫛でええん?」
ちょっとだけからかうように、新八が訊いてくる。
「指輪は流石に重すぎるだろうが」
露骨に嫌そうな口調で、景紀は答えた。
最近の若い女性の間で、小指に指輪を嵌めることが流行り始めているという。もともとは遊女や芸妓たちが客の男への相愛の誓いを立てるために小指を切る「心中立て」の代わりに指輪を嵌め始めたのが切っ掛けだとか。それが最近、市中の女性たちの間に広まっているらしい。
だが、流石に指輪は景紀としても重すぎる感情を冬花に押し付けるようで、気が引けた。何より人前で付けるとなると色々と邪推する者たちも出てくるだろう。
やはり、自室で使えるような櫛が良い。
「若も存外、初心やったんやなぁ」
「うるせぇ」
思わず景紀は悪態をつく。
しばらくして、番頭がいくつかの櫛を持ってきた。流石は皇都で華族や豪商たちから贔屓にされる店だけあり、どの櫛も良い素材に精緻な技術で作り込まれたものであった。
最高級とされる斑入りの鼈甲櫛。黒い漆の上に螺鈿の施された櫛。朱塗りに蒔絵の施された櫛。精緻な透かし彫りの施された櫛。
正直なところ、景紀はあまりこういうものを選んだ経験がない所為で、どれを選べばいいのか迷う部分があった。鼈甲櫛は流石に高級過ぎて贈られた冬花としても困惑するであろうし、逆にあまりに安物の櫛ではそもそも贈る価値がない。
櫛を男から女に向けて贈るのは、「死ぬまで苦楽を共にしよう」という意味になる。それだけの価値があり、かつ冬花が気に入ってくれそうな櫛となると……
景紀は新八にも番頭にも意見を求めるつもりはなかった。冬花への贈り物は、自分だけで選びたいという意地である。
「……」
一つ、景紀の目に留まった櫛があった。黒漆の上に、華美になりすぎない蒔絵で花が描かれた櫛。精緻な技巧が凝らされながらも落ち着いた意匠で描かれている花は、椿であった。
椿は、冬に咲く花だ。
そんな閃きを覚えた景紀は、この櫛を入れるための縮緬の袋と共に買い求めることにした。
贈る相手は幼馴染の少女とはいえ、こういうものを買うのはなかなかこそばゆい行為であった。櫛を贈る意味を考えれば、なおさらだ。
ただ、それ以上に冬花の反応が少し楽しみでもあった。
景紀は購入した櫛を冬花たちに気取られないよう、そっと懐に入れるのだった。




