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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十七章 六家興亡編

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325 贄の意義

 結城家と一色家の間で合意された刻限で、人質として捕らえられていた諸侯の子女たちは解放された。

 結城家領軍が包囲網を敷く鉄道築堤のところで、彼らは結城家側に引き渡されたのである。

 憔悴していた少年少女たちは、結城家領軍の兵士たちに守られながら近くの寺へと収容された。


「一色家から解放された以上、結城家としては諸君らを無事に親元に届けたいと考えている」


 景紀は人質解放の報告を受けると自ら寺へと出向き、本堂に収容された彼らにそう告げた。

 人質だった少年少女たちの景紀を見る視線は、様々であった。疑念や困惑、安堵に敵意、そして諦観。

 未だ解放された実感が湧いていない者もいれば、今度は結城家によって人質にされるだけだと考えている者、これでようやく理不尽に処刑される恐怖から逃れられたのだと感じている者、六家同士の内乱に巻き込まれた所為でこのような目に遭ったのだと恨んでいる者、そしてすでに己の運命を諦め切っている者。

 そうした無数の感情を無視して、景紀は続けた。


「しかし、今我が軍は朝敵を追討する作戦の最中であり、各地の治安状況も悪化の一途を辿っていることだろう。無事に諸君らを故郷に送り届けられる保証はない」


 結局のところ、自分はこうした者たちに心から寄り添えるだけの感情を持ち合わせていないのだろうな。

 言いながら、景紀は内心でそう自嘲していた。

 冬花や宵、貴通といった狭く深い人間関係だけを拠り所にしてきた自分は、人質たちに同情や憐憫は覚えても、それを我がことのように感じて寄り添おうと思えるだけの感情が湧き上がってこないのだ。

 あるいは、故郷の民たちのために自分に嫁ぐ覚悟を決めた宵がこの場にいたならば、彼ら彼女らに寄り添えたのかもしれないが。


「そのため、諸君らには一度、皇都に戻ってもらう。皇都の治安はすでに我が結城家によって回復しており、また陛下は諸君らの無事を大変気にされておられる。陛下の御宸襟を安んじ奉るためにも、諸君らには不便をかけるが、汽車の準備が整い次第、皇都へ向けて出発してもらうことになるだろう」


 景紀の言葉を、解放された少年少女は先ほどと同じような表情のまま聞いていた。


「ひとまずこの寺に滞在している間は、保科男爵家のご息女で小山子爵家嫡男・朝康の婚約者である嘉弥姫が諸君らの面倒を見てくれることになった」


 紹介されて、景紀らと共に寺にやってきていた嘉弥姫が、一歩前に出て一礼する。


「汽車の手配が済むまでの間はこの寺に滞在してもらうことになるが、家族への手紙などを書きたい者がいれば書いて構わん。その他、入り用のものがあれば嘉弥姫に言うように。可能な範囲で手配しよう」


 結局、景紀の言葉は事務的な伝達に終始することとなった。

 出来る限り彼らへの配慮はするつもりではあったが、ここは戦場である。食事や衣服などの面でも、自ずと限界がある。

 また、不必要に彼らを戦火に巻き込む危険性もあった。解放された以上、彼らを無事にそれぞれの諸侯の元に帰すことが出来なければ、内戦後、結城家は中小諸侯たちの支持を得ることは出来ない。

 だから景紀は出来るだけ早い内に彼らを安全な皇都へと送り出すつもりであった。

 中小諸侯たちからすれば今度は結城家が子女を人質にとっていると見られるかもしれないが、この状況下で彼らを本領に無事に送り届けられる保証はない。彼らの安全を考慮するならば、やはり現状では皇都が一番であろう。

 景紀は、負傷兵を後送するための列車に、解放された彼らを乗せるつもりであった。


「では、すまないが嘉弥姫、あとは任せる」


「承知いたしました」


 嘉弥姫が一礼してから、景紀は人質だった者たちの横を通って寺を後にしようとする。貴通がいなくなった分、司令部でこなさなければならない業務が増えているのだ。

 人質が解放された以上、出来るだけ早期に那古野城への総攻撃を開始したい。

 すでに景紀の意識は解放された人質たちから離れ、今後の作戦計画へと移った、その刹那のことであった。


「―――姉上の、仇ぃ!」


 突然、人質だった少年たちの中から一人が飛び出してきて、刀を抜いて景紀を背後から斬り付けようとしたのである。

 しかし直後、その刀は景紀の護衛として付き従っていた冬花の刀に止められた。

 金属の激突する音が、本堂に響き渡る


「……」


 景紀は、動ずることなく振り返って少年を一瞥した。


「邪魔をするな! この化け物が!」


 斬りかかった少年は、表情を怒りと憎悪に染めて目の前の冬花に叫んだ。


「―――化け物、だと?」


 それを聞いた景紀の口から、一切の温度が消えた声が漏れる。自然と、手が刀の鯉口を切っていた。


「閣下、何事ですか!?」


 しかし結局、景紀が刀を抜くことはなかった。直後に寺を警護していた兵士たちが駆け付け、少年を取り押さえて刀を取り上げたからである。


「離せぇ! 俺に姉上の仇を取らせろぉ!」


 しかし、少年は涙さえ浮かべながら、なおも激しく抵抗した。


「結城景紀! お前の所為で姉上は処刑されたんだ! 攘夷を阻み、陛下を蔑ろにする大逆の徒が! 一色公は、必ずやお前を討ち果たして陛下をお救いするぞ! 男と偽っていたあの女、そしてそこの化け物の従者共々、覚悟しておけ!」


「景紀様、この者は錯乱しておるようです」


 兵たちを指揮して少年を拘束させた下士官が、少年と景紀の間に入るように体を動かしてそう言った。そのまま、喚き散らす少年を外へと連れ出すよう指示を出す。

 途中で兵士の誰かが布でも噛ませたのか、少年の喚き声はくぐもった叫びに変わる。

 その間、下士官の視線は鯉口を切ったままの景紀の手に注がれていた。むしろ、少年よりも景紀の挙動の方を警戒している様子ですらあった。


「景紀様」


 そして、景紀を諫めるように声を掛けたのは、ようやく刀を収めた冬花であった。


「どうか私に免じ、あの者を許してやって下さい」


 そう言って、シキガミの少女は主君に頭を下げたのである。


「……」


「……」


「……」


 しばらく、本堂の中に嫌な沈黙が続いた。人質だった少年少女たちだけでなく、嘉弥姫や下士卒たちまでもが、景紀の逆鱗に触れてしまったのではないかと恐れていたのだ。

 シキガミの少女が侮辱されることに景紀が極めて敏感であることを知っている者は多い。


「……ちっ」


 やがて景紀は大きな舌打ちを響かせて、鯉口を切った刀を収めた。その音が、いやに大きく響き渡る。


「次はない。お前たちも、それはよく覚えておけ」


 そして景紀は解放された少年少女たちを威圧するように睨み付けて、荒い足音を響かせながら本堂を後にした。その後に、冬花が続く。

 残された嘉弥姫や下士卒たちは、それでようやく安堵の息をついたのであった。


  ◇◇◇


「どうやら、一色公直が処刑した人質三人の内の一人が、あの子の姉だったそうよ」


 数刻後、領軍本営の天幕で冬花は景紀に報告していた。

 景紀に斬りかかった少年はその後、他の解放された人質たちとは引き離され、僧房の一角に閉じ込められることになった。少年の取り調べは、憲兵隊に任せてある。

 人質たちは一色家から解放されるに当たって没収されていた刀などを返還されていたが、結城家の側ではあえて彼らからそれらを没収する措置はとらなかった。結城家は彼らを人質とする意思はないということを示そうとしたためであるが、今回はかえってそれが仇になった形である。

 そのため事件後、彼らから刀などをすべて預かり、皇都に送還する際に返却することなった。


「どちらも母親が同じで、姉弟(きょうだい)仲もかなり良かったとか。しかも、嘉弥姫が他の人質たちから聞き出したところによると、かなり攘夷論に傾倒している子だったそうよ。人質となったのに一色公直を恨まず、むしろ奸賊の所為で逆賊の汚名を着せられることになったのを同情していたとか」


「それで姉を処刑した一色公直を恨まず、俺を恨んでいるわけか」


 不愉快極まりない調子で、景紀は吐き捨てた。


「そういうことでしょうね。それにどうやら、貴通様が女であることも一色公直が人質の子たちに暴露したみたいだし」


 やるせない表情を浮かべて、冬花が応じる。

 本来であれば人質として捕らえられ、仲の良かった姉を処刑されたのだから、一色公直に幻滅していてもおかしくはないはずである。それでもなお一色公直を尊崇し、景紀を恨むのは、攘夷論に相当傾倒しているからだろう。

 景紀は別に人質だった者たちから感謝されたいわけではない。しかし、貴通を犠牲にしてまで救い出したことは本当に正しい選択だったのだろうかと、どうしても思ってしまう。

 貴通が女であることを一色公直がどのような形で人質たちに暴露したのか、その詳細は景紀の元に報告として届いていない。

 人質たちが口を噤んでいるのか、あるいは冬花や嘉弥姫が自分の耳に入れない方がいいと判断しているのか。

 いずれにせよ、皇都内乱で冬花が受けた仕打ちからして、到底、景紀が許容出来るものではなかったろう。

 貴通を犠牲にしてまで得られたものはあったのだろうかと、自問せずにはいられない。

 自分に恨みを向け、冬花を化け物呼ばわりする人間が混じっているとなれば、なおさらだ。数刻前の事件を引き起こした少年以外にも、内心で景紀のことを恨んでいる者、冬花の容姿を蔑んでいる者はいるはずだ。

 どうしても、景紀はそう疑わざるを得ない。自分にとっては、やはりシキガミの少女や兵学寮の同期生だった少女の方が大切なのだから。

 だというのに、貴通は人質たちのために自らが犠牲になると言い出し、冬花は自身を化け物呼ばわりした少年を許すよう言ってくる。


「にしても冬花、お前も随分と立ち回りが上手くなったな」


 だから珍しく、景紀は自身のシキガミに嫌味を言った。


「あそこで、お前が自分を化け物と呼んだガキを、主君から不興を買うのを承知で許すよう言ってきたことで、他の連中はむしろお前に感謝しているだろうよ」


「もう、いつまで拗ねてんのよ」


 冬花はやれやれとばかりに頬を膨らませた。


「そりゃあ、私だって化け物と呼ばれたことを景紀が怒ってくれるのは嬉しいわ。でも、今回ばかりは別よ」


 腰に手を当てながら、彼女は続けた。その口調は、叱り付けるような響きすら混じっている。


「もしあそこで景紀があの子を斬っていたら、それこそ貴通様の犠牲が無になるでしょうが」


「……」


 シキガミの少女から言われて、景紀はばつが悪くなって視線を逸らした。


「今は、一色家をどう降すかということにだけ集中しなさい。それが、一刻も早く貴通様を救い出すことに繋がるんだから」


「……」


 冬花の言葉は正論だ。しかし、今の景紀はどうしてもそれを素直に受け止めることが出来なかった。

 自分でも馬鹿馬鹿しい感情に振り回されていることは自覚している。そしてそれをシキガミの少女に見透かされている。


「貴通様。景紀のこと、きっと待っているわよ」


「……んなこたぁ、判ってる」


 優しく諭すように言う彼女に、景紀はつっけんどんに言い返した。冬花に言われるまでもなく、景紀は貴通を一色公直の手から取り戻すつもりだ。

 いちいち彼女に言われるまでもないと、ささくれ立った気分のまま思う。そして同時に、シキガミの少女に対してそんなことを思ってしまっている自分への嫌悪も抱いてしまう。


「……私は、本営周りの警備をしているわ」


 そんな主君を見かねたのか、シキガミの少女がなおも労るように言う。


「何かあったら、呼び出してちょうだい。私はあなたのシキガミ。何があっても、すぐ駆け付けるから」


「ああ」


 やはり素っ気なく、景紀は応ずるだけだった。そのことに溜息をつくでも苦笑を浮かべるでもなく、冬花は司令部天幕を後にした。

 妙なところで意地っ張りな主君が、これ以上情けない姿を自分に見られたくないと彼女の方で察してくれたのだろう。


「……くそっ」


 それもまた自分の情けなさを突き付けられているようで、景紀は独りだけになった天幕で悪態をつく。

 それで気持ちが晴れるわけでも、何でもないのだが。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 薄暗い地下牢の中で、貴通は壁に背を預ける格好で座っていた。

 格子の向こう側の通路に点る角灯の明かりだけが、この地下牢唯一の光源であった。牢内にあるのは、寝具代わりの(こも)と排泄用の桶だけ。

 粗末な獄衣に着替えさせられた貴通は、菰を体に巻き付けて寒さを凌いでいた。


「……これからのことを考えると、皮肉なことにここが一番安全かもしれませんね」


 まとった菰をぎゅっと引き寄せながら、貴通は天井を見上げて強がるように呟く。

 人質は、無事に解放されたはずだ。だとすれば、結城家領軍がこの城に総攻撃をかけるのも時間の問題だろう。

 そうなったとき、城は砲兵部隊からの砲撃や龍兵からの爆撃に晒されることになる。

 この薄暗く冷たい地下牢は、皮肉なことにそうした砲爆撃から貴通の身を守ってくれるだろう。そう考えれば、変な笑みすら浮かんできてしまう。

 こんな場所に押し込められ、粗末な衣服を着せられ、寒さに震えながらも、自分は景紀の勝利を疑っていない。

 もしかしたら、これから自分は結城家領軍の配置を聞き出すために拷問にかけられるかもしれない。それに対する恐怖は、当然ながらある。

 でも、たとえそのような仕打ちを受けたとしても、景紀の勝利を信じる心だけは失わないようにしたい。

 きっと皇都内乱の際の冬花も、そんな気持ちで責め苦と恥辱に耐えたのだろうから。

 あるいは本当に心の支えが必要なのは、景紀の方かもしれないと貴通は思う。皇都内乱で冬花が市中を引き廻された時、彼はシキガミの少女を助け出そうとしない自身に身を焦がしそうなほどの憤りを見せていた。

 もしかしたらきっと今も、あの同期生は自己嫌悪に陥っているかもしれない。

 それが少し、心配だった。


「……景くんは、僕が一色公直から受けた辱めを人質たちから聞いているでしょうか?」


 自身よりもむしろ景紀を案ずるように呟きながら、貴通は数刻前に自分が受けた仕打ちを思い出していた。


  ◇◇◇


 貴通は一色公直に言われるままに自らの上着に手を掛け、それを畳の上に落とした。

 指先が、かすかに震えていた。

 皇都内乱で冬花が受けた仕打ちを思えば、市中を引き廻されないだけまだましだろう。それに、自らが人質として出向くと景紀に言った時点では覚悟はしていたはずだ。

 しかし、それでも胸の内にどうしようもない羞恥の念が湧き上がってくるのを押さえることは出来なかった。


「……ふん、先ほど自ら人質となることを名乗り出たと言っておきながら、所詮はその程度の覚悟であったか」


 そんな貴通に、一色公直は心底失望したように言った。


「これでは、約定の刻限を以て貴様の後ろにいる者たちを処刑せねばなるまいな」


 上段の間に座る男は、貴通を通り越して二の間に控える刑吏たちに目配せをする。


「っ―――」


 貴通は慌ててシャツの(ボタン)を外しにかかった。襟を開き、腕を通してそれも脱ぎ去る。

 胸の膨らみを潰しているさらしが、露わになった。

 貴通は、確認するように一色公直を見た。上段の間から注がれる視線は、ただ冷ややかに男装の少女を見ているだけであった。

 ここで羞恥に負けて人質を見捨てるのか、それとも自らの羞恥を押し殺して人質を救おうとするのか、それを値踏みされている気分であった。


「くっ……」


 歯噛みしながら、貴通はさらしをほどいた。胸の膨らみが否応なく解放されて、貴通の“少女としての性”をさらけ出す。

 彼女に注目していた家臣団たちの間から、かすかなどよめきが起こった。


「ううっ……」


 それが、否応なく貴通の羞恥をかき立てる。

 市中を引き廻された冬花よりまし。そう思っていても、これだけの視線に晒されて平静でいられるわけもなかった。

 それでも、ここで人質たちを無事に解放させられなければ、景紀に中小諸侯たちの怨嗟が及ぶことになる。

 今自分の感じている屈辱と羞恥は、景紀に天下を取ってもらいたいという願いを上回るほどものなのか?


「っ―――」


 そう思い、貴通は意を決して革帯に手をかけてそれを抜き去ると、軍袴(ぐんこ)から足を抜き、己に最後に残された下帯すら取り去った。

 全身の素肌が、外気に晒される。


「……これで、文句はないでしょう?」


 それぞれの手で胸と下腹部を庇い、精一杯強気の口調で貴通は言った。肌を羞恥に染めながらも、その瞳はキッと上段の間に座す男を睨み付けている。

 貴通の、せめてもの意地だった。


「ふん、あの妖狐の小娘といい、貴様といい、結城の小倅にそこまでして尽くして何になるというのだ?」


 一方の一色公直は、むしろ気分を害したようにそう言った。冬花が厳しい拷問と晒しに耐え、そして今また貴通が一糸まとわぬ姿になったことが、心底気に喰わないようであった。

 景紀への歪んだ敵愾心を抱くこの男にとってみれば、冬花や貴通が景紀に尽くそうとする姿を見せつけられることが、堪らなく不愉快なのだろう。

 だが、貴通にはこの男の言い様が我慢ならなかった。自分を辱めて景紀に対する鬱憤を晴らそうとする程度の器の人間に、自分が想いを寄せる殿方を侮辱されたくはない。


「あなたにそれを理解してもらう必要はありませんよ。そして、理解されたらされたで不愉快でしかありません」


 今の己の姿も忘れて、貴通はそう反論していた。この男に、自分や冬花の想いなど理解出来るはずもないだろう。


「僕は、僕自身の想いに従って、景くんを生涯にわたって支える。ただ、そう決意しているだけです」


 挑むような調子で、貴通は言い放った。

 みしりと、一色公直の手の中で扇子が軋む音がした。貴通を辱めて溜飲を下げるはずが、かえって心理的な部分でも敗北を喫したように感じられたのかもしれない。

 景紀も景紀で妙なところで意地っ張りだが、一色公直の矜持は相当に歪んでいる。それに同情も憐憫も貴通は覚えない。

 ただ、冷めた感情だけが降り積もっていくだけであった。


「僕は、あなたの言うように服を脱ぎ、女であることを誰の目にも明らかにしました。そちらも、結城家との約定は守ってもらいましょう」


 自身が今、惨めな姿を晒しているのは判っている。それでも貴通は、先ほどと同じ強気の口調で目の前の男にそう告げた。


「……我らを(たばか)っておきながら、よく言えたものだな」


 あくまで結城家の非を鳴らしたいからか、一色公直はその一点にのみ強いこだわりを見せる。そして、廊下で待機させていた者たちに扇子で合図を送る。


「おい、こやつをあの者らの前に引っ立てよ」


 一色公直が扇子で指したのは、二の間で刑吏たちに取り囲まれている人質たちであった。主君の言葉と共に、先ほど接見の間まで貴通を連行してきた者たちが彼女へと無遠慮に手を伸す。

 胸の膨らみと下腹部の翳りを隠していた両腕を強引に掴み、男たちは少女を両脇から拘束する。


「くっ……」


 最早どこも隠すことが出来なくなってしまった口惜しさと屈辱に、貴通は歯噛みするしかない。そのまま、畳の上を引き摺られるように歩かされる。

 接見の間の両脇に控えている一色家家臣団たちの好機の視線と気まずそうな視線に晒されながら、白い裸身を晒した齢十九の乙女は人質たる少年少女たちの前に引っ立てられた。


「っ―――……」


 無数の視線が至近距離で自身に突き刺さることに、流石の貴通も耐えられなかった。唇を噛みしめたまま、目の前の人質たちからの視線を拒むように目をつむり、顔を背ける。


「よいか! この者は男子と偽り、結城景紀と共に皇主陛下すら欺いた大罪人である!」


 広い空間によく通る声で、一色公直が人質たちに向けて言う。


「我が一色家は、そのような欺瞞を弄する奸賊・結城景紀とその一党を決して許しはせぬ! 我が一色家は伊丹家と共に、真の皇室の藩屏として結城景紀を討ち取り、皇主陛下をお救いいたす! 諸君らをこの城から退去させるのはこれ以上、諸君らを戦禍に巻き込むことは忍びないとする我ら一色家の慈悲によるものであり、決して我らが結城家に屈したからではないことを肝に銘じるべし! 諸君らはこれまで我が一色家によって保護されてきた恩を忘れず、逆賊・結城景紀討滅を掲げる我が一色家の大義を理解し、決して結城景紀の甘言に乗せられることのないようにせよ!」


 一方的に自身の正統性を叫ぶ一色公直の言葉を、白い裸身を隠すことも出来ずに貴通は聞いているしかなかった。

 ここで自分が一色公直の言葉に反論するのは簡単だ。だが、依然として人質の生殺与奪権は一色公直の手にある。人質たちを無事に解放させるために、一色家の掲げる大義を否定することは出来なかった。

 貴通は白い裸身を衆目に晒されながら、一色公直の言葉を聞いているしかなかったのである。


  ◇◇◇


 そうした辱めが終われば、貴通が案ずるのは景紀のことであった。

 自分が一色公直によって辱めを受けたと知れば、彼はきっと平静ではいられないだろう。冬花が狐耳と尻尾を晒された格好で皇都市中を引き廻された際に、景紀が見せた感情を貴通は思い出す。

 それと、解放された人質たちの存在。

 彼らが無条件に自分たちの解放に尽力してくれた景紀に感謝することはないだろう。事実、貴通自身があれだけの男どもの前で裸身を晒すという屈辱に甘んじながらも、人質たちの視線に自分を労るようなものは感じられなかった。

 ただ、誰もが気まずそうにしているだけであった。中には、あからさまに憤りの視線を向ける者までいた。

 貴通は彼らと言葉を交わしたわけではないから、人質たちが自分が女であったことにどのような感情を抱いていたかは判らない。

 それでも、六家同士の内乱に巻き込まれて自分たちが捕らえられ、処刑されることになったのだと感じている者はいるだろう。そうした者は、一色公直だけでなく景紀や自分にも怨嗟の感情を向けてもおかしくはない。

 あるいは、一色公直の言葉に乗せられて景紀にこそ怨嗟を向ける者も出てくるかもしれない。

 自己の正当性を相手に強烈に印象付けようとする態度。それは、景紀が一色公直に明確に負けている部分だろう。

 景紀は別に人質たちから感謝されることは望んでいないだろうが、かといって自分に怨嗟を向けてくる者たちを解放するのに貴通を犠牲にするだけの価値があったのかと、懊悩することになるに違いない。

 貴通自身の自惚れも入っているかもしれないが、自分は景紀に相応に大切にされているという自覚がある。

 それは嬉しいが、逆にそれは景紀にとっての足枷でもある。彼は、自身に近しい者たちにどうしても冷酷に振る舞うことが出来ないのだ。

 だから皇都内乱では、冬花が辱められたことに憤りと自己嫌悪を見せた。

 今、この地下牢の中に閉じ込められている貴通は、あの時と違って景紀の側に寄り添い、彼を奮い立たせてやることが出来ない。それが、もどかしかった。


「……でも、僕がいなくても、景くんならきっとこの城を落とせますよ」


 こんな場所に閉じ込められているというのに、小さく笑みすら浮かんでしまう自分がおかしかった。

 自分が軍師として、この城を落とす景紀の側にいられないのは心残りではある。皇都内乱と同じように、彼の側で共に勝利を掴みたかった。

 でも、宵や冬花のように、囚われの姫君として彼に救い出してもらうのも悪くない。

 そんなふうに考えながら、少女は牢内の薄暗闇と対峙を続けるのだった。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
― 新着の感想 ―
悪名を恐れない者は強いと言われますが、一色公に関しては単にヤケクソになってるだけですよね なんだが自分が勝って生き残る事よりも主人公の評判をひたすら貶めたいだけに思えて同情心すら抱いてしまいそうです
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