324 噛み合わぬ問答
貴通は遠侍の間から連れ出され、周囲を一色家家臣団の者たちに囲まれながら二の丸御殿の廊下を歩いていた。
「……」
無言で御殿を奥へと進まされながら、貴通は城内の雰囲気を感じ取ろうとする。
この城の二の丸御殿は、日常の政務を行う区画である。当主とその家族の居住空間である本丸御殿とは違い、随所に主家の権威を家臣団や来訪者に見せつけようとする意匠が施されていた。
もちろん、これはどこの城や将家屋敷でも同じことであり、表御殿は奥御殿に比べて豪奢な造りになっている。そうすることで拝謁などの儀式の際に、当主の威厳を際立たせることが出来るのだ。
事実、那古野城二の丸御殿は六家の居城に相応しい絢爛さであった。とても、結城家領軍による包囲下にある城塞とは思えない。
金碧障壁画の描かれた襖や畳はそのままであり、調度品なども配置されたままであった。遮蔽物や障害物として持ち出された形跡はない。
自分たちは陽鮮での倭館籠城戦の際、畳や戸板を引き剥がして防衛の強化に充てたが、那古野城ではそうしたことが行われていないようであった。
臭いからして、敵の手に渡るのを恐れて機密文書を燃やしている様子もない。
貴通の感じ取った限りでは、那古野城には包囲された拠点特有の騒々しさが見当たらないのだ。
もちろん、それは一色家側の演出である可能性も彼女は考えている。一色家側が追い詰められているという印象を、貴通に与えないようにしているのかもしれない。
あるいは、単に一色家側の士気が低下するのを恐れて、そうしたことが行われていないのかもしれないが。
城内を好きに歩き回れる立場ではない以上、これ以上の観察は無駄だろう。
貴通は、城内の様子を感じ取ることを諦めた。
やがて彼女は、二の丸御殿の奥まった場所にある殿舎へと連れてこられた。
「……」
そこに居並ぶ者たちの顔を見て、貴通は表情を引き締めると共に背筋を伸ばした。
無数の襖が開け放たれた広い空間に、上段の間の天井は最も格式が高いとされる二重折り上げ格天井。そこに座るのは、一色家当主・一色公直。
そして部屋の両側に座るのは、一色家の主要な家臣団たちだろう。
ここは、二の丸御殿接見の間だ。
「御館様、穂積貴通を連行いたしました」
貴通を連れてきた家臣団が、一色公直に対しそう報告する。
「ご苦労。廊下で控えておれ」
「はっ」
貴通を囲むようにしていた家臣団たちが引き下がり、男装の少女は敷居を挟んで一色家当主と向かい合うこととなった。
「……」
「……」
二人の視線が、互いを探るように交差する。
貴通の見たところ、一色公直の表情に追い詰められた者特有の焦燥感や連続する敗北による憔悴は感じ取れない。景紀の軍師として付き従う中で何度か会ったことのある、一色公直のままであった。
「そのようなところに突っ立っておらず、こちらに入るがいい」
短い視線の交錯が終わり、一色公直は威圧的に言ってきた。
貴通は臆した様子も見せず敷居を越えて接見の間へと足を踏み入れた。そのまま、一色公直の正面の下段の間に腰を下ろす。
正直、気分の良いものではない。別に自分が五摂家の人間として扱われたいわけではなかったが、本来であれば朝敵であるはずの相手を仰ぎ見なければならないことに、貴通は不快感を抱いていた。
あるいは、そうした心理的な揺さぶりをかけることが一色公直の狙いなのか。
「それで、僕をわざわざ接見の間まで呼び出して、いったい何がしたいんです?」
友好の意思が微塵も感じられない声で、機先を制するように貴通は言った。
「ふん、結城景紀も兵学寮の同期生に酷な仕打ちをするものだな。同期生を、人質に差し出すとは」
彼女を見下ろす一色公直の表情には、同情も憐憫もうかがえなかった。むしろ、どこか貴通をいたぶるような愉悦の含まれた声であった。
やはりこの男は、表面上は平静を装っていても、景紀に敗北を重ねたことへの鬱憤を相当に溜め込んでいるらしい。貴通はそう感じた。
「僕は自分の意思で、景くんに対して人質となることを申し出たのです」彼女は、臆することなくそう反論する。「そちらこそ、結城家を宗家と分家で対立させようとする策謀が潰れて、さぞがっかりでしょうね?」
もともと、一色公直が人質として差し出すことを要求してきたのは、小山朝康だったのだ。
もし宗家当主である景紀が有力分家の嫡男である朝康を犠牲にするような形で人質を解放しようとすれば、たとえ内戦に勝利出来たとして小山家との関係は決定的に悪化するだろう。
だからこそ、貴通は代わりに人質となることを景紀に申し出たのだ。
「それで、こんな下らない問答をするくらいなら、僕をさっさと地下牢にでも放り込んだらいかがです?」
これまで景紀に対し散々粘着質な敵意を向け続けてきた男とこのまま問答を続けるくらいなら、地下牢に放り込まれた方がましであった。
だが、一色公直はそうした貴通の挑発を鼻であしらった。
「ふん、そうむきになることもあるまい。せっかく、代わりの人質として結城景紀に差し出された哀れな貴様に、こちらが“保護”している者たちの無事を確かめさせてやろうと思っているのだからな」
相手が貴通であるからか、一色公直は捕らえている者たちを“人質”とは呼ばなかった。この男は結城家陣営に対しては、中小諸侯の子女たちを保護しているという建前を徹底的に貫くつもりなのだろう。
そして、一色公直の合図と共に二の間へと繋がる襖が開け放たれた。
貴通も振り返り、開かれた襖の先を見る。
そこには、遠目に見ても恐怖と緊張で憔悴しきった少年少女たちがいた。中には、貴通にとっても見覚えのある顔の少年もいる。兵学寮の後輩たちであった。
「……人質は、解放するという約定だったはず」
一色公直に向き直った貴通は、上段の間に座る男を険しく睨み付けた。
昨夜の人質解放交渉では、貴通が一色家に代わりの人質として赴くことを条件として、一色家は人質全員の解放を約束したはずであった。
その人質たちは、〇九〇〇時を以て結城家側に引き渡されることになっている。
「そう焦るな。まだ約束の刻限までしばし時間がある」
だが一色公直は、そう平然とうそぶいた。貴通の視線が、ますます険しくなる。
「そもそも、そちらが我々を偽ったまま、こちらだけが約定を守り彼らを引き渡すというのも、筋が通るまい」
一色公直は、そんな貴通の視線など意に介さず、冷厳として告げた。
「私は、皇都での蹶起の折に貴様が女子あることを知った。にもかかわらず、そのような格好でこの城にやってきたということは、貴様と結城景紀が我が家臣団をなお謀ろうとしている証左であろう」
上段の間から響き渡った糺弾するような声に、動揺を見せたのは貴通ではなく周囲の家臣団や人質の少年少女たちであった。
その様子を見て、貴通は自分の正体をまだ一色公直は主要な家臣団たちに明かしていなかったことを知る。皇都で貴通の性別を暴露する記事が出回るよう仕向けたのと同じように、暴露するのに適切な頃合いを見計らっていたのだろう。
そして、自分と景紀はその機会を一色公直に提供してしまったのだ。
接見の間の両側に並ぶ家臣団たちの間でざわめきが広がり、何人かが貴通に不躾な視線を向けてくるのが判った。
一方、人質の者たちは、自分たちを解放するための交渉において結城家が一色家を謀ったという部分に不安を感じているようであった。
もしここで両家の合意が破談となり、自分たちが人質として捕らえられたままとなれば、次に見せしめとして処刑されるのは誰なのか。そう考え、動揺せずにはいられないのだろう。
「故に、貴様が我らを謀ろうとする限りにおいて、こちらも約定を遵守する必要を認めぬ。本来の約束の刻限を以て、さらに三名の処刑を行う。これは、結城家が我らを謀った故であり、その全責任は結城景紀にある」
一色公直は、貴通の背後にいる人質たちの動揺を見抜いていたのだろう。一切の躊躇を感じさせぬ声で、そう宣言した。
「陛下の勅使が来城した直後に、さらなる人質処刑を行う。一色家の非道を、陛下は決してお許しにならないでしょうね。それでも、彼らの処刑を強行すると?」
接見の間で唯一、貴通だけは一切の動揺を見せず、冷然と一色公直を見据える。
確かに、この男の態度には追い詰められた者特有の焦燥は見えない。しかし、今の言葉を聞く限り、やはり内心ではそうではないらしい。
とにかく結城家、そして結城景紀を貶めてやろうという飽くなき執念が見て取れた。
ここでさらなる人質処刑を許せば、確かに一色公直は皇主からますます不興を買うことになるだろう。
しかし同時に、人質がさらに処刑されれば勅使を派遣した皇主は深く憂慮されることになる。そうなれば、たとえ皇主ご自身が結城家の責任を問わなかったとしても、人質を救出出来なかった景紀は皇主の宸襟を悩ませたとして諸侯たちから糺弾される立場に追いやられるだろう。
今は景紀に協力的な有馬・斯波両家であるが、当主の貞朋公や兼経公はともかく、家臣団たちまでもが結城閥系政権が今後も続くことに甘んじるとは限らない。
安易に皇主・皇室の権威を利用してしまったことが、逆に景紀や貴通自身を追い詰めていたといえよう。
人質問題で自分たちが失策を重ね続けていることを、貴通は痛感せざるを得なかった。しかし、それを態度には出さない。
「一色公直、あなたは人質たちを“保護”していると言いましたね? そう言いながら彼らを処刑しようとするあなたこそ、筋が通らない」
貴通はあくまでも強気な態度で、一色公直の弄する詭弁を糺弾する。
「ふん、何を言うか。貴様が我らを謀るのを止めれば、約定通り人質は解放されよう」
だが、上段の間に座る男はまるで取り合わなかった。
「僕が女であることは、先ほどあなたが暴露したでしょうに。最早、謀るも何もないでしょう」
「だが、家臣団の中には未だ信じられなさそうな者もいるようだ」
一色公直の視線が貴通を通り越し、両脇の家臣団たちに向かう。貴通も視線を追えば、一色家の家臣団たちは困惑したような表情を浮かべていた。
彼らも穂積貴通が結城景紀の念友と揶揄されていたことは噂として知っていたが、女であったことまではすぐには信じられないのだろう。
「であるならば、貴様自身が女であることを身を以て証明するより他あるまい?」
瞳に嗜虐的な光を浮かべた視線が、貴通を見下ろしていた。そして、これ見よがしに懐中時計を取り出した。
「ふむ、約定の刻限まで、あと少しか」
「……」
貴通は目の前の男をきっと睨み付けた。薄々、この男の目的に勘付いてはいた。結城景紀を直接、貶めることが出来ないから、代わりに自分を辱めることで多少なりとも溜飲を下げようというのだろう。
景紀にも告げたように、自分を女であると知っている相手の元に人質として出向く以上、覚悟はしていた。
だが、いざその時がくれば、どうしても躊躇が生まれる。
貴通が一瞬の停滞をしている間に、二の間の人質たちを刑吏と思しき格好の者たちが取り囲んでいた。
人質たちが怯えの表情を浮かべ、互いに身を寄せ合いつつ、貴通に縋るような視線を向けてきた。
「……」
貴通は、上段の間に向ける視線をさらに険しくした。この男は、本気で約定の刻限で人質を処刑するつもりなのだ。
「……一色家はこのような非道を行う者たちであると、彼らが実家に帰れば当主たちに伝えることでしょうね」
悔し紛れに、貴通は言い放った。
だが、それでもなお一色公直は自らの主張を繰り返すだけであった。男装の少女を断罪するように、告げる。
「いいや、彼らの命を危険に晒しているのは貴様自身と結城家だ。貴様がこの場で裸になり、女であることを白日の下につまびらかにしさえすれば、彼らの身には何も起こらぬのだからな」
「……」
貴通が睨み付けたところで、上段の間の男の主張は揺るがない。少女は歯噛みした。結局、この場で人質の生殺与奪権を握っているのは、一色公直なのだ。
「……いいでしょう」
男装の少女は挑むように言って立ち上がると、かすかに震える指先で自ら軍服に手をかけたのだった。




