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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十七章 六家興亡編

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322 二人の姫君の存在

 河越城南大手門の外側には、重臣たちの邸宅を中心とする武家屋敷が立ち並ぶ地区が存在している。

 その中の一つ、結城家筆頭家老を務める益永家の邸宅の茶室に、珍しい客人が招かれていた。


「貴殿とこのような席を設けるのは、初めてかもしれんな」


「そうですな」


 草庵風の小さな茶室の中で向き合っているのは、筆頭家老・益永忠胤とかつて結城景忠の側用人であった里見善光であった。

 二人は景忠が当主を務めていた頃から、結城家の意思決定過程における主導権を巡って対立を続けてきた。景忠とその側近勢力だけで意思決定を行って重臣勢力を排除し自らの権力を拡大しようとしていた里見善光に対し、益永忠胤は当主―重臣間での伝統的な形での意思決定過程を重視していたからである。

 もちろん、そこには重臣の権力や地位の低下を益永らが危惧していたという理由もある。

 要するに二人は、景忠公が当主であった時代は明確な政敵同士であったのだ。

 そんな二人が茶室を共にしている以上、室内に流れる空気は友好的なものとは言い難かった。しかし、かといって過度にひりつくような緊張感も存在していない。


「今は我らは共に宵姫様をお支えする身。過去のことをすべて水に流すわけではないが、御家のためにも、景紀様不在の結城家を宵姫様と共に守り抜かねばならぬ」


 益永はそう言って、過去の遺恨はひとまず脇に置いておくことを宣言する。

 もちろん、里見善光としても異存はない。

 そもそも、当主によって取り立てられる側用人は、当主の交代と同時に失脚するのが常であった。それが平穏な形での隠居になることもあるが、重臣勢力や次代の当主から反感を持たれている者は、容易に粛清の対象となってしまう。

 葛葉冬花を化物として疎んじていた里見善光にとって、今や自身の能力を惜しんでくれた宵姫は最大の庇護者になっているのだ。

 もちろん、景忠公に取り立てられた身でありながらその主君を裏切ったことについて、結城家家臣団内部で彼のことを冷ややかに見る者が多いことも事実であった。

 宵姫も、必要以上に里見を重用することはなかった。

 だからこそ、彼は今もいささか不安定な地位にあるといえよう。

 とはいえ、御家のために宵姫を支えるべきという意見では二人は心を同じくしていた。

 ある意味で、この茶室にいる二人は一蓮托生の運命にあったのである。共に主君押込を実行した者であり、景紀が景秀・景保父子に当主の座を追われるような事態になれば、二人とも謀反の罪で粛清されかねないのだ。

 だからこそ、景紀と宵姫を中心とする今の結城家の体制を守り抜かねばならなかった。

 そしてここに来て、その体制に思わぬ亀裂が生じかねない事態が発生していたから、二人はこうして密会じみた茶会を催しているわけである。もちろん表向きは、和解のための茶会ということになっていたが。


「景紀様のご活躍もあり、戦況は我が方にすこぶる優位だ。すでに那古野城は包囲下に置かれ、一色家に捕えられた人質の問題はあるとはいえ、大勢は最早覆しようがないだろう」


「とはいえ益永殿、戦国の時代には戦場で当主が討たれ、衰亡の道を歩んだ大名もあります。油断は出来ませぬぞ」


「あまり不吉なことを言うでない」


 ぴしゃりと益永が言えば、里見は軽く頭を下げた。


「失礼いたしました。ご放念下さい」


「景紀様も宵姫様同様、まだまだお若い。自ら陣頭に立ち、戦に勝つことで当主としての地位を盤石なものとせねばならないお立場だ。その程度のこと、景紀様ご自身が先刻承知のことであろう」


 もちろん、益永としても景紀が戦場で討たれる可能性は一定程度、存在すると考えている。その際にどのように家中の混乱を収拾するのか、それは当主が戦場で陣頭に立っているからこその悩みでもあった。

 しかし、そればかりに頭を悩ませていても仕方がない。

 そして目下、河越にいる家臣団の間で新たに認識されつつある問題が発生したからこそ、二人はこうして茶会を催しているのだ。


「益永殿、先にお尋ねしておきますが、穂積貴通様の件については以前からご存じで?」


「いや、私も先の暴露記事によって初めて知ったことだ」


 そうして二人は、今回の会合の本題に入った。


「貴通様が女子(おなご)であらせられたとは。もっとも、宵姫様はすでにご存じであったようであるがな」


「宵姫様は、景紀様のお側に侍る女性について寛容な部分がありますからな」


 いささか困った調子で、里見は言う。


「それはそれで景紀様のご寵愛を巡って奥向きで陰湿な争いが起こらずに良いのであろうが、相手が冬花殿ならばともかく、五摂家の姫君であることが問題なのだ」


 益永もまた、悩ましげに息をついた。


「宵姫様と冬花殿ならば、家格の違いは明確であるし、一方は妖狐の血を引く娘。それぞれにお子が生まれたところで、誰を景紀様の後継者とするのかは自ずと明らかであろう。しかし、五摂家の姫君となるとな……」


 もう一度、益永は重く息を吐いた。


「一部気の早い家臣団の中には、早くも宵姫様のお子と貴通様のお子との間で後継者争いが起こるのではないかと懸念を示している者がおるとか」


「そう、それこそがまさしく問題であるのだ」


 里見の言葉に、益永は渋面を返した。


「宵姫様は六家たる長尾公爵家の血を引いているとはいえ、伯爵家の姫君。それも実家が没落した、な。対して貴通様は愛妾の子であるとはいえ、五摂家の直接の血を引く姫君であらせられる。確かに気が早いが、後継者問題の発生を懸念する者が出てくるのも当然であろう」


「皇都内乱後、皇都仮屋敷の庭園の茶室で、景紀様と貴通様が何度か二人きりになったという話もございます」


 いささか邪推が過ぎようが、やはり年頃の男女が密室で会っていたとなれば、懸念を覚えるものである。


「仲の良い兵学寮同期、しかもそれが五摂家の男子となれば、御家のためにも景紀様にとって良き(えにし)、良き後ろ盾であると無邪気に歓迎出来ていたのだがな」


 益永と里見にとって、穂積貴通という人物が女性であったことは、単に宵姫との間の家格問題、後継者問題に留まるものではなかった。


「我ら主君押込を実行した者たちにとっては、景紀様と宵姫様のお子が結城家を継いで貰わねば困る立場です」


 里見は、いささか切実な声で訴えた。


「それは我ら重臣も同じだ」


 益永も、重々しく頷く。

 主君押込を主導したのが宵姫であるとはいえ、それを支持し実行したのが重臣や里見らであることも確かなのだ。主君押込はあくまでも御家のためという建て前であったが、その正統性を認めない者が当主の座に就けば、益永らは容易に謀反人として粛清の対象になってしまう。

 景紀と宵姫の子が結城家を継いでこそ、主君押込は御家のためにやむを得ない決断であったのだと正当化することが出来るのだ。

 これまでは景紀の寵愛を受ける女性が実質的に宵姫ただ一人だけであったことで、景紀の子の内、誰が結城家を継ぐのかという問題は顕在化していなかった。むしろ一部家臣の間で、景紀の一門衆を強化するために側室や愛妾を早めに迎え入れるべきだとする意見すら出ていたほどだ。

 つまり結城家当主の座を狙う景忠公異母弟・景秀とその嫡男・景保の策動にさえ警戒しておけば、それで良かったのだ。

 ところが、そこに宵姫よりも遙かに家格の高い五摂家の姫君が景紀の側に侍っていることが判明してしまった。

 これが、今度は一転して一部家臣団の後継者問題への懸念に繋がっていた。

 もちろん、宵姫の子が生まれていない時点で後継者問題の顕在化も何もないのだが、やはり主君押込を行ってしまったという臣下としての後ろめたさが粛清の可能性を意識してしまうことに繋がっているのだ。


「宵姫様が主君押込を主導し、そして景紀様が依然として不在なことで、御家の権力が宵姫様に集中し始めています」里見は、そう言って続けた。「この状況を、景紀様ご自身が問題視し始めたらどうなりましょう?」


「つまり、宵姫以上の家格を持つ女性の出現したことで、景紀様が宵姫様を排除しようとする可能性があると、貴殿は言いたいのか?」


 かすかに睨み付けるような視線を、益永は里見に向けた。


「景紀様の幼少期に教育掛を務め、また景紀様が病に臥していた景忠公の代理として政務を執っていた際にお側に仕えていた私に言わせれば、貴殿はいささか景紀様のお心を推し量るのが不得手であるようだな」


「つまり益永殿は、そのような懸念は無用であると?」


 いささか疑わしそうに、里見は言う。


「景紀様はあれで、自らに近しい者に対しては情に篤い一面がおありだ」


 益永は、幼少期に冬花が妖狐としての力を暴走させ、景紀に重症を負わせてしまった事件を思い出していた。あの時、景紀は冬花が力を暴走させてしまったのは、自分が新しく覚えた術を見せてくれと無理強いしたからだと言って、幼い少女を庇ったのだ。

 それこそあの事件で景紀と冬花の関係性が崩れ、景紀が冬花を化け物として遠ざけることも十分にあり得たことだったろう。にもかかわらず、景紀は冬花が力を暴走させた原因が自分にあると言い、その後も現在に至るまで彼女を側に置き続けている。

 だからたとえ宵姫の権力が自身を脅かすほどに拡大したとしても、それを理由に景紀が宵姫を排除しようとすることはないだろう。

 益永は二人が婚儀を挙げたその日から、妻の(なる)とともに彼らを見てきたのだ。


「とはいえ、五摂家の姫君が景紀様のお側に控えていることが判明し、一部気の早い家臣団が後継者問題について強い懸念を抱き始めているという点については、理解出来ぬこともない。だが私は、貴殿とは逆に景紀様が宵姫様を排除しようとする可能性よりも、家臣団が宵姫様の派閥と貴通様の派閥で割れることの方を懸念しておる。事実、我らもこうして宵姫様のお子が生まれる前から後継者問題を論じ合っているわけであるしな」


「つまり益永殿は、むしろ家臣団の中に貴通様を担ぎ上げようとする者が現れかねないとおっしゃりたいのですか?」


「五摂家の血を結城家が取り込むことが出来るかもしれんのだ。幻惑される者が出てきたとしても不思議ではあるまい」


 むしろ益永は、景紀が五摂家の血筋を取り込む誘惑に負けるよりも、家臣団の方が先ではないかと懸念している。

 特に自分たちは主君押込を行ったという汚点がある。自分たちを失脚させ、結城家中枢に地位を得ようと考える者たちが、景紀に貴通を正式な側室として迎えることを進言しないとも限らないだろう。そうして景紀と貴通との間に男児が生まれれば、血筋の良さを理由としてその子を結城家の後継者とするよう景紀に働きかける。

 こうした者たちは、景秀・景保父子と同じように益永ら主君押込を行った者たちの立場と正統性を脅かしかねない存在であった。

 今、結城家家臣団の中にそうした考えを持つ者がどれほどいるのかは判らない。あるいは単に、主君押込を行った自分たちの後ろめたさがもたらした、妄想であるのかもしれない。

 それが、厄介なところであった。

 そして当然、そうした可能性を懸念する家臣が、逆に貴通排除に動き出さないとも限らないのだ。

 穂積貴通が女子であると判明したことは、結城家家臣団にとって景紀の後継者問題を意識せざるを得ないほどの衝撃だったといえよう。これが宵姫よりも家格の低い女性であれば家臣のほとんどは関心を寄せなかったであろうが、相手は五摂家の姫君なのだ。

 宵姫が景紀の側に控える女性の存在に寛容であり過ぎるのも問題だと、益永は思わざるを得なかった。


「宵姫様には、景紀様のお側に侍る女性の存在について、もう少し敏感になっていただく必要がありそうですな」


「里見殿、貴殿はまさか再び結城家側用人に返り咲こうとしているのではあるまいな?」


 身を乗り出すようにして言った里見善光に、益永はそう釘を刺す。里見善光は以前、宵姫の葛葉冬花に対する悋気を煽ろうとしていた過去があるのだ。

 これを期に葛葉冬花を排除して、自身が再び結城家の意思決定過程の中枢に返り咲こうとしているのではないかと益永は警戒したのである。


「滅相もないことです」


 だが、そう指摘された里見は、乗り出した身を慌てたように引っ込めた。


「今の宵姫様には、政務のご負担に加え、景紀様のお子を宿したことによる体調面の不安もある」益永は言う。「これ以上の心労をおかけしないためにも、まずは我らの方で家臣団内で軽率な言動を行う者が出ぬよう注意を払うべきであろう」


「益永殿は、この件を宵姫様のお耳に入れないので?」


 いささか不同意の表情を見せる里見に、益永は続けた。


「無論、家臣団の一部で漂い始めている懸念については、私や済の方からそれとなく宵姫様に申し上げる。貴殿では、宵姫様はかえって警戒されよう」


 冬花の存在を疎ましく思っていた里見が宵姫に進言したところで、自身の権勢を脅かそうとする者を排除するための讒言を吹き込もうとしているのではないかと宵姫に疑われるだけだろう。

 宵姫は里見善光がこれまで側用人として培ってきた見識と能力を求めているだけで、側用人としての権勢を維持することまでは認めていないのだ。

 それを里見も理解していたから、益永に対して何かを言うことはなかった。

 彼らは主君押込によって生じた結城家の歪みを、共に背負わざるを得ない立場に置かれていたのである。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
― 新着の感想 ―
当主が交代したら殺されるなんて側用人になりたがる人いるんでしょうか。 当主に心酔してるとからならあるでしょうが。 話変わりますが、この世界上司に心酔してる人ってあんまりいませんね。 自分の立場とか相…
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