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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十六章 六家相克編

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314 那古野城攻防戦の始まり

 皇暦八三六年十二月二日、那古野城攻防戦は開始された。

 未明、那古野城北側を流れる土岐川において、この川を那古野城北側の防衛線として守備についていた一色家領軍に対し結城家領軍(第二師団)が攻勢をかけたのである。一色家領軍は土岐川にかかる橋をすべて破壊して、その南側に野戦陣地を築いていた。

 この土岐川の線にまで敵砲兵の進出を許すことになってしまえば、那古野城が野砲の射程内に入ってしまう。中山道を進軍する結城家領軍をその途上で迎撃出来るだけの兵力がなかった一色家は、この土岐川で結城家領軍の中山道部隊を食い止めようとしていたのである。

 しかし、昇龍川の戦いで領軍主力を失ってしまった一色家領軍には、この土岐川防衛線に十分な守備隊を配置することが出来なかった。

 土岐川沿いには、予備役や後備役、牢人集団、そして十二歳以上五十歳未満の家臣団を武装させた約二〇〇〇名程度の兵力が配置してあるだけであった。規模としては二個大隊ほどではあったが、その内実は正規の軍には及ばないものであった。

 まず、守備隊の指揮系統と武器がまったく統一されていなかったのである。

 領軍の指揮下にあるのは家臣団出身の将校に率いられた予備役・後備役の下士卒たちであったが、牢人集団や十二歳以上五十歳未満の武装した家臣団については領軍の統制下にあるとは言い難かった。

 また、予備役・後備役の者には召集に備えて保管されていた旧式の二十二年式歩兵銃(前装式)が与えられていたが、武装家臣団や牢人集団の武器は必ずしも統一されていなかった。輸入されたスタイナー銃を持つ者、拳銃と刀だけしか持たない者など、様々であった。

 これに対して、結城家領軍は渡河突撃に先立ち、土岐川に築かれた一色家の野戦陣地に対して砲撃を加えた。景紀率いる追討軍本隊と違い、中山道部隊は進軍途上で一色家領軍と交戦しなかったため、弾薬は豊富であった。

 土岐川北岸から響き渡る砲声は、一色家領軍を完全に圧倒した。

 炸裂する砲弾は急ごしらえで掘られた塹壕に土砂を降り注がせ、その壁を崩壊させ、鉄条網などを吹き飛ばしていった。

 これに対して一色家領軍も城内に残された十一年式七糎野砲、十三年式三十七粍歩兵砲など新旧・大小問わず火砲を持ち出して、結城家砲兵陣地に対して砲撃を行ったものの、弾薬の不足もあって効果的な反撃を行うことが出来なかった。

 あくまでも近世的な城郭であり、領主権威の象徴としての役割を負わされていた那古野城には、要塞砲に相当する強力な火砲が設置されていなかったのである。この城が近代的な要塞としての整備がなされていなかったことが、火力において結城家側が優勢となった要因であった。

 双方による砲撃戦の開始から一時間弱で、一色家側の砲兵陣地は沈黙を余儀なくされた。

 それでもなお、渡河突撃の支援を行うため、結城家側の砲撃は継続された。

 そしてこの段階で、一色家側が正規軍や家臣団、牢人の混成集団であることの問題点が露呈した。牢人集団が結城家の砲兵陣地に肉薄しようと、陣地を飛び出してしまったのである。

 確かに砲兵陣地は、肉薄された歩兵部隊には弱い。牢人集団はそれを見越して土岐川対岸の結城家砲兵陣地へと突撃を行ったのであるが、彼らはそのほとんどが結城家側の多銃身砲の一斉射撃に倒れることとなった。

 結城家は当然ながら、砲兵陣地の周辺を無防備にはしていなかったのである。また、一色家の側が逆に川を渡河することになってしまったことも、牢人集団の突撃が成功しなかった一因であった。川の存在は、双方にとって等しく障害として働いていたのである。

 牢人集団は戦後の恩賞を目当てに功に逸っている部分があり、また結城家への仕官の道がすでに断たれてしまっていることへの焦燥から、こうした行動に出たものといえよう。

 牢人集団の壊滅により、一色家側は結城家の渡河突撃を迎え撃つ前に貴重な戦力をすり減らす結果となった。

 土岐川の守備を命ぜられた領軍指揮官は城内に増援を求めたが、その要請が叶えられることはなかった。

 何故ならこのとき、那古野城の南側でも結城家による攻撃が開始されていたからである。


  ◇◇◇


 南北から響き渡る砲声は、当然ながら那古野城内にも届いていた。

 一色公直は三の丸にある中部鎮台司令部庁舎に身を置き、そこを本営としていた。堀を挟んでその北側にある本丸や二の丸の御殿建築、あるいは天守閣などとは違った、煉瓦造り二階建ての近代的な庁舎である。

 司令部作戦室の中央に置かれた机の上には、那古野周辺の地図が広げられていた。上座に軍服姿の公直が座り、地図の周辺を彼の側近や一色家重臣、鎮台の司令部要員たちが囲んでいる。


「現在、結城家領軍は北の土岐川および南の操車場方面で攻勢を開始しております」


 鎮台参謀の一人が、地図上の駒を動かしながら戦況を説明する。

 結城家領軍は城の北側から攻勢をかける一方、南側からも城へと向かって攻勢を開始していたのである。

 城の南側に広がる城下町と市外との境目にある鉄道築堤、その築堤の南側には那古野砲兵工廠や東海道本線の操車場などがあり、東海道を進軍してきた結城景紀率いる結城家領軍本隊はこの方面から攻勢をかけていたのである。

 砲兵工廠や操車場は鉄道築堤を越えた城下町の南東側に存在しており、この地域を奪取されれば結城家領軍は城下町を囲む鉄道築堤に迫り、城の包囲網はさらに狭められることになるだろう。

 また、市街戦が発生すれば、一色家側の損害は加速度的に積み上がっていくことになる。もちろん、兵力を際限なく呑み込んでいく市街戦は結城家の側にも相応の損害が発生するだろうが、兵力量で劣る一色家の側にはそうした消耗戦に耐え切れるだけの余力はない。

 何としてでも、鉄道築堤の線で結城家領軍を食い止めねばならなかった。

 また、市外に存在する砲兵工廠が奪取、ないし破壊されれば一色家の継戦能力は低下する。ここも、結城家に明け渡すわけにはいかなかった。もっとも、すでに兵器や弾薬を生産するための物資自体が極度に不足していたが(それでも、兵器生産を担う施設を失うことは一色家側の士気に関わる問題であった)。

 操車場についても、領内から供出させた物資を搭載した貨車が集まる、兵站上の重要拠点である。

 そのため、鉄道築堤の線で結城家領軍を最終的に阻止するとはいっても、その外側の地域を早々に放棄することは躊躇われた。


「また、城下の者たちには前線に送る糧食の調理や運搬を命じております」


 結城家が城下に迫った時点で、市内に残っていた領民たちにも那古野城防衛に協力するよう、一色家は布告を出していた。その内容は主に糧食の調理や運搬、城内から前線への弾薬等の輸送であり、一色家は城下の領民たちを軍夫として半ば強制的に徴集したのである。

 これにより、一色家は輜重部隊すら前線に投入することで表面的な兵力増強を企図した。


「失礼いたします!」


 その時、一人の伝令が司令部に駆け込んできた。


「土岐川を渡河せんとする敵の攻勢は激しく、北側守備隊より増援の要請が届いております!」


「馬鹿な。まだ戦闘が開始されて半日も経っておらんぞ」


 司令部に詰める者の一人が、呻くように言う。


「守備隊長はいったい何をしておったのか!?」


 別の者は、伝令の者に叱責するような声を浴びせていた。


「はっ! 牢人集団が結城家砲兵陣地に対して逆襲を仕掛けたものの、撃退された模様であります!」


「あの者ら、功を焦って先走りおったか……っ!」


 苛立たしげに放たれた一人の言葉が、司令部の者たちの内心を代弁していた。

 鎮台司令部や一色家の家臣団たちの間に、狼狽の空気が流れる。北側の防衛線は、土岐川という天然の堀と野戦陣地によって相応に持ち堪えられると考えられていたのだ。

 領軍将兵や武装した家臣団、牢人集団の混成部隊とはいえ、二〇〇〇名の部隊である。攻撃側は防衛側の三倍の兵力が必要ということを考えれば、その兵力でも抗戦することが可能なはずであった。

 特に中山道を進軍してきた結城家領軍は、結城家本領より長駆進撃してきた疲労(特に季節は冬である)が蓄積していると判断されたことも、北側の防衛線はある程度、持ち堪えられると考えられていた要因であった。

 しかし、そうした判断は、本来は味方であるはずの牢人集団の行動によって崩されることとなったのである。


「狼狽えるな」


 一色公直は、動揺を見せる司令部の者たちを静かに一喝した。


「まだ結城家によって土岐川の防衛線が突破されたわけではない」


 一色家当主の言葉に、司令部の者たちは己の態度を恥じるように沈黙した。当主の前で醜態を晒してしまったことを、今さらながらに自覚したのだ。結城家領軍に敗北を続け、那古野城にまで追い込まれてしまったことで、彼らもいささか冷静さを欠いていたといえよう。


「そして、結城景紀が指揮しているのは、東海道を進軍してきた南側の部隊だ。北側の結城家領軍は、あくまで助攻、陽動に過ぎぬ。惑わされてはならん」


 このとき一色公直は、城下町市外にある操車場や砲兵工廠に迫る結城家領軍こそ、主攻であると判断していた。東海道を進軍してきたこの敵軍は、結城景紀の直率部隊だったからである。

 当主となってまだ日が浅く、しかも父・景忠を廃立して当主となった結城景紀は、この内戦で戦功を挙げることで当主としての地位をより確固たるものとしようとするだろう。だからこそ、己の率いる部隊に主攻面を任せているに違いないと判断していたのである。

 逆に一色家は、結城景紀が直接指揮をとっているだろう部隊を撃退すれば、戦況を覆すことが可能であった。少なくとも、一色公直はそう考えている。

 結城景紀の率いる部隊が敗走することになれば領軍の士気は下がり、必然的に彼の当主としての指導力に疑問を抱く人間が結城家家臣団や領軍内部に現れることだろう。実際、結城景忠の異母弟・景秀とその嫡男・景保(かげもり)は明確な反景紀派であった。

 現状で彼らが結城家内で動き出した様子はなく、公直による工作は不発に終わってはいたが、結城景紀が戦場で敗北すれば景秀・景保親子も動き出すかもしれない。

 戦況は確かに一色家に不利な情勢ではあったが、結城景紀もまたその政治的立場は盤石なものではないだろう。だからこそ公直は、結城景紀が直率する部隊に一撃を加えることで戦況を覆すことが出来ると言う考えを捨てていなかった。


「しかし御館様、北側の敵軍を放置することも出来ません」


 鎮台参謀の一人が言う。


「土岐川を突破されれば、我が城が敵砲兵部隊の射程圏内に入ります。城が砲撃されることになれば、領軍将兵や家臣団、そして城下領民の間に動揺が広がりかねません」


 壮麗な天守閣をいただく那古野城は、一色家の権威の象徴であった。それが結城家からの砲撃に晒される事態となれば、城と城下町を守ろうと今まさに奮戦している者たちの士気が低下する恐れがあった。

 その懸念を、この参謀は指摘したのである。


芳濃(よしの)国で召集した部隊がこちらに急行中であるはずだ。彼らに結城家領軍の側背を突くように命ぜよ。電信線は結城家によって切断されたが、呪術通信は健在だ」


 公直は、そのように命じた。

 一色家領である芳濃国は、那古野城のある尾治国の北側に位置している。その地で召集された後備部隊や家臣団たちが現在、那古野城救援のために向かっているはずであった。

 土岐川を渡河せんとして攻勢を強めている結城家領軍にとっては、その北側から一色家の増援部隊が到着する形となる。一色家側が時機を計って城内からも逆襲を敢行すれば、芳濃国の部隊と挟撃を成功させることも可能だろう。

 中山道を進軍してきた結城家領軍に相当の打撃を与えることが出来れば、一色家側の士気が向上するだけでなく、周辺諸侯も今一度、一色家と結城家、どちらに付くべきか考えを改めることになるだろう。

 結城景紀の直率する部隊を撃破するよりも敵の士気に及ぼす影響は限定的であろうが、ここまで敗走を重ねてきた一色家にとっては戦術的にも政治的にも大きな勝利となる。

 少なくとも、北側の防衛線が危機に瀕しているという報告を受けながらも、公直は依然として一色家側に勝機は残っているという確信は捨てていなかった。


「……御館様」


 当主の言葉に対し、鎮台参謀の一人がいささか躊躇いがちに口を開いた。だが、それ以上、言葉を続けようとしない。むしろ、周囲の人間が言葉を引き継いでくれないかと視線を彷徨わせてすらいた。


「御館様」


 結局、言葉を続けたのは老臣・大野為尚であった。


「芳濃国は先の挙兵にあたって、備蓄の糧食や弾薬、馬匹などのほとんどを御家に供出し尽くしております。そのため現状、召集した後備部隊に支給すべき十分な装備も糧食もないと思われ、戦力として見なすことが出来ますかどうか」


 一色家老臣の率直に過ぎる言葉に、司令部に張り詰めた沈黙が下りる。

 物資の買い入れ、集積が不十分なままに挙兵したことによる影響が、ここでも祟っていたといえよう。

 石阪の商人などから物資を買い入れることに失敗した一色家は、挙兵にあたって領内から物資や弾薬、糧食をかき集め、東海道を進む第三師団、騎兵第四旅団に支給すると共に、美河国など東海道上の拠点へと輸送した。

 結果として、一色家領北側に位置する芳濃国からは、ほとんどの軍需物資が東海道方面に供出されることとなったのだ。

 このため、芳濃国では召集した後備部隊に支給すべき弾薬・糧食ともに欠く事態となり、芳濃国知事からは主家の危機に遅参することになってしまうことへの陳謝の書状が公直の元に届けられていた。

 結城家領軍が那古野城への包囲網を完成させつつあるにもかかわらず、未だ芳濃国の部隊が那古野城に到着していないのはそうしたことが影響していたのである。


「何を弱気になっている」


 だが公直は、老臣からの指摘をはね除けるように言葉を続けた。


「我が軍の内実を、結城家は知らん。結城家領軍の側背を突くような動きをこちらが見せるだけでも、十分な牽制になろう」


「しかし御館様……」


 老臣・大野為尚は装備も整わず、糧食も不十分な部隊を戦場に投入することへの危惧を訴えようとした。

 しかし、そんな老臣の言葉を遮る者があった。


「父上、主家にお仕えする我らがそのような弱気ではどうされます」


 為尚の嫡男・為之であった。


「今、城下に集まっている者たちは、結城家に降った不忠者たちとは違います。主家を救わんと忠義に燃える者たち。その者たちの奮戦を、一色家の枢機を担う我らが信じずしてどうします?」


「為之、お主……」


 為尚は、息子の言葉に絶句した。

 皇都内乱によって一時、この息子が結城家に捕らわれていたことは家臣団の多くが知っている。そしてそれ故に、結城家に捕らえられながら無事に本領に帰ってきたことで、国許(くにもと)の家臣団からはかえって結城家との内通を疑われる立場にあった。

 だからこそ、その疑いを晴らそうとここで主家への揺るぎない忠誠を示そうと躍起になっているのだろう。

 しかし、徒に兵を死地に追いやりかねない主君の策に追従することが、真に御家のためになるのか。

 今ですら、家臣団の中から男女問わず、十二歳以上五十歳未満の者たちに武器をとらせて戦わせているのだ。

 これ以上、家臣団や領民に流血を強いるべきなのであろうか?

 為尚は息子の態度に疑念を抱かざるを得なかった。


「為之殿の言われる通りだ」


 しかし、この老臣の意見は家臣団の中では少数派でしかなかった。一色家の重臣の一人が、さらに声を上げたのだ。


「結城家に一撃を加えれば、彼らも我ら一色家の抵抗の激しさを思い知らざるを得ないでしょう!」


「その通りだ! 二十歳にもならん若造に、戦とはそんなに甘いものではないということを教えてやろうではないか!」


 そうして、その声は重臣や側近の間でさらに広まっていく。

 しかし一方、鎮台司令部の者たちの表情はどこか険しかった。

 彼らも一色家家臣団出身者で多数が占められていたが、兵学寮で正規の軍事教育を受けた者たちである。武士階級出身であるが故に封建的な価値観を持つ一方、近代的な軍事的素養も身に付けている。

 封建的な価値観に重きを置いて戦を考えようとする重臣・側近勢力とは、戦況認識に差異が出てしまうことは必然であった。


「為尚、卿の懸念も判っている」


 そして公直は、一色家当主であるが故に司令部に相反する空気が流れていることに気が付いていた。


「だが、心配には及ばぬ」


 だから公直の言葉は老臣に向けられながらも、司令部の者全員を鼓舞するような響きがあった。


「結城景紀さえ討ち取ることが出来れば、結城家は瓦解する。そのための策を、私はすでに講じている」


「御館様……」


 為尚はなおも言い募ろうとしたが、その前に公直は司令部の主要な者たちに向き直っていた。


「故に諸君らには、冷静沈着、目の前の戦況に惑わされることなく、諸部隊を適切に統率することに専念せよ」


 一色家当主からの言葉に、多くの者たちは恐懼して背筋を伸ばすのであった。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
― 新着の感想 ―
人間、追い詰められれば追い詰められるほど視野が狭くなって自分にとって都合の良い(と思われる)情報にしか目が行かなくなるものですが…一色公はどうなのやら
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