305 西進する追討軍
十一月二十二日、大谷川での会戦から三日後、景紀や貴通の姿は大井川沿いにあった。
「一色家領軍は、橋梁や隧道を徹底的に破壊していく肚のようですね」
大井川右岸(西岸)で川を渡河してくる兵士たちを見つめながら、貴通は言った。
「ああ。予想はしていたが、いろんな意味で厄介だな」
景紀も、顔をしかめていた。
大谷川での会戦後、結城家領軍は宇津ノ谷峠を突破して一挙に廬原国と久努国との国境にまで進出していた。しかしその時にはすでに大井川にかかる橋梁は、一色家領軍によって破壊された後であった。
東海道本線の鉄道橋は爆破によって線路がねじ切れており、東海道の石造りの橋も無残な姿を晒している。また、鉄道や大街道の橋だけでなく、その他の小規模な橋もことごとく破壊されていた。
そのため、結城家領軍は工兵による迅速な橋の修復および浮橋をかける作業を行わざるを得なくなっていた。
皇国陸軍においては川を渡河する場合、“架橋”と呼ばれる固定脚の橋をかけるか、あるいは小舟を並べてその上に板を乗せる“浮橋”を渡すこととなっていた(もちろん、橋を利用せずにそのまま渡河する場合もある)。
今回は構築に時間のかかる架橋ではなく、小舟を並べる浮橋を大井川にかけていた。
もともと東海道上の橋梁が一色家によって破壊されることを見越して、浮橋用の小舟と板はあらかじめ用意されていた。そのため、比較的迅速に結城家領軍は浮橋をかけることに成功している。
「斥候の報告では、この先にある東海道本線の隧道も破壊されていたって話だ」
「今後の補給線の維持は、この先の港とかを抑えればまあ何とかなるとは思いますが、鉄道輸送がまったく使えないというのも、厄介なものです。結局、船で運べるのは港まで。そこから先は馬匹輸送に頼り切りになるわけですから」
いかに船舶輸送の方が陸上輸送よりも効率がいいとはいえ、それはあくまでも港と港の間だけである。そこから先に輸送するためには、やはり鉄道が使えるに越したことはないのだ。
「鉄道部隊に命じて、なるべく早めに復旧させるしかないな」
鉄道部隊とは、鉄道輸送のみならず鉄道の建設、修理、敵鉄道の破壊などを任務とする部隊のことである。
「だがまあ、これで一色家は廬原国と久努国の領民の恨みを買っただろうな」
景紀は、視線で破壊された東海道の橋を指した。そこでは、結城家領軍の工兵隊に混じって、地元の大工など土木工事を生業とする者たちが橋の復旧作業に当たっていた。相応の給金を与えているとはいえ、彼らにとっても生活のために橋は必要なものだったのだろう。
「―――景紀、鉄之介から昇龍川沿いの画像が送られてきたわ」
と、二人で川を渡る将兵の様子を見守っていたところに、冬花が近付いてきた。手には、水晶球を持っている。
「よし、いったん野戦司令部に戻るぞ。主要な指揮官に集合をかけろ」
「承知しました」
付近の寺の本堂を接収して、景紀たちは野戦司令部としていた。
そこに運び込まれた机の上に、水晶球から紙に写した昇龍川沿いの画像が広げられている。
机を取り囲んでいるのは、景紀や貴通、そして騎兵第一旅団長の島田富造少将や独立混成第一旅団の細見為雄大佐らであった。
「一色家は、昇龍川に防衛線を敷くつもりらしい」
拡大した画像を示しつつ、景紀は言った。
その画像には、河岸に沿うように掘られた塹壕らしきものが映っていた。また、構築中の砲兵陣地と思われる場所も確認出来る。
もちろん、昇龍川にかかる橋梁は、鉄道用・人馬用ともに爆破されていた。
一色家が築きつつある昇龍川沿いの野戦陣地は、特に東海道と昇龍川が交わるあたりが最も強固なもののようであった。
「しかし、河口から比較的平坦な扇状地の端までは二十キロ近くあります。そのすべてを守り切ることは一色家領軍の兵力では到底、不可能でしょう」
そう指摘したのは、島田富造少将であった。
一色家領軍の中核となるのは、第三師団と騎兵第四旅団である。この兵力で二十キロ近い川沿いを守ろうとすれば、必然的に兵力を薄く広く展開させることになる。そうなれば、容易に敵の突破を許してしまうだろう。
「恐らく、この東海道と川が交わっているあたりに重点的に兵力を配置して、それ以外の地域に関しては騎兵部隊を機動的に運用して、渡河しようとするこちらを叩くつもりだろうな」
景紀は東海道と昇龍川の交わっている一点を指で示した。
「こちらの兵力も三個旅団規模ですからな。攻撃側は防御側の三倍の兵力が必要という原則に基づけば、一色家側の作戦方針も、それほどおかしなものではありますまい」
細見大佐が、景紀の言葉に付け加えるように言う。
実際問題、東海道を進む景紀直率の追討軍は、一色家領軍に対して兵力で圧倒的優位に立っているわけではない。恐らく、第三師団、騎兵第四旅団で構成された一色家領軍と、兵力的には同等程度だろう。
また、結城家の側は東海道諸侯への牽制も込めて、占領地の維持・警備に一定程度の兵力を割かねばならなかった。そのため、三個旅団の全兵力を一色家領軍との戦闘に投入出来るわけではない。
「ただ、一色家も領軍の全兵力を東海道上に配置しているでしょうか?」
そう疑問を呈したのは、貴通であった。
「こちらは中山道を西進する部隊もいます。東海道に領軍のすべてを投入すれば、一色家の居城のある那古野が無防備になりますが?」
「その点は何とも言えないな。一色家も後備役の者たちを召集しているだろうから、那古野の守備はそいつらに任せて、とにかくこの俺が直率する軍を破ることに重きを置いている可能性もある。結城家領軍の総大将で、当主でもある俺が負けたら、一気に戦況は覆せるからな」
景紀はそっと貴通に目配せをした。
彼女としても、本気で昇龍川沿いに配置された一色家領軍の兵力を低く見積もっているわけではない。そのような油断を誘うような情勢判断を、貴通はするつもりはない。
ただ、景紀の軍師として一つの可能性を提示しているだけなのだ。
それを景紀も判っていたから、それ以上、二人の間で情勢判断についての議論は行われなかった。
「戦力的には拮抗していると考えられる以上、どうしても防御側である一色家の方が有利となります」
島田少将が、景紀と同じように一色家が第三師団および騎兵第四旅団を東海道上に配置している前提で指摘した。
「久努国の諸侯の動向はどうなのです?」細見大佐が言う。「彼らが一色家領軍を背後から突いてくれれば、こちらとしては助かりますし、彼らも我が結城家に協力するという姿勢を示すことになると思うのですが?」
「積極的な行動は期待しない方がいいだろう」
細見大佐の見解に、島田少将は懐疑的であった。
「我が軍が小田野出発して以来、東海道の諸侯は日和見的な態度を貫き通している。我が軍が来れば領内を通し、一色家が来ればやはり領内を通す。要するに、これを六家同士の争いと捉え、その余波で領内が荒らされるのを恐れているのだろう。それに、彼らは一色家に子女を人質に取られている。一色家領軍には軍夫を出さないとか、そういう消極的な行動は期待してもいいだろうが、明確な敵対行為には出ようとはしないだろう」
「俺も、島田少将の意見には同意だ」景紀は続ける。「大谷川での会戦に勝ったことを諸侯たちには喧伝しているが、期待していいのは我ら結城家に対して敵対しないということ程度だろう。それだけで十分、俺たちは助かるんだからな。仮に、すでに恭順させた廬原国の各領主が裏切って俺たちの補給線を脅かすような行動に出れば、一色家と対決するどころじゃなくなる」
「東海道の諸侯連中も、何とか生き残ろうと必死というわけですな」
若干の憐憫を込めて、細見大佐は言う。六家の家臣団として生まれた身であるがために、どうしても中小諸侯たちの生存戦略については認識が不十分な部分がある。
それはある意味で、六家の傲慢といえるだろう。
「結局のところ、久努国の領民たちを戦火に巻き込むという点を無視すれば、我が軍と一色家領軍との純粋な六家同士の対決ということになります」
島田少将が、いささか脱線した話を元に戻す。
「昇龍川をいかに突破するか、それが問題です」
「戦力が拮抗している、あるいは僕たちの方が若干、兵力で劣っているとなれば、どうしても防御側である一色家が有利となります」
貴通も、昇龍川沿いの画像を見ながら悩ましげな顔をしていた。
「まさか敵の眼前で悠長に橋を架けることはできませんから、周辺地域から小舟を集めて押し渡ることになります。季節が季節ですから、流石に歩兵をそのまま川の中に突っ込ませるわけにはいきませんからね」
十一月も下旬に差し掛かり、朝晩は冷え込む日々となっている。大谷川の戦いのように馬に乗って押し渡るのならばともかく、歩兵ではずぶ濡れになって対岸に辿り着くころには体が冷え切ってしまうだろう。
もちろん、渡河中の無防備な歩兵は敵にとってはいい的である。
多数の小舟を用意して、味方の援護射撃の下に損害覚悟で対岸に渡るしかない。
「しかし、ここで我が軍が大きな損害を負えば、それを補充するのには時間がかかります。第二師団が中山道を進軍している今、千代の第十四師団から部隊を引き抜いて来なければなりませんから」
細見大佐もまた、昇龍川の一色家側陣地を厄介なものと感じているようであった。
「僕たちが戦力を回復するための時間は、敵にとっても同様です」貴通は険しい声で言った。「出来れば、この昇龍川での攻防戦で一挙に一色家領軍を壊滅させ、朝敵となった一色家将兵の士気を完全に阻喪させたいところです。もちろん、我が軍の損害は軽微なままで」
自らの持つ軍事力を失ってしまえば、一色家としてもそれ以上の抵抗を続けることは難しくなるだろう。結城家に降伏するか、那古野城を枕に滅亡するまで徹底抗戦するかのどちらかだ。
内戦を短期で終わらせるためにも、大谷川に続いて昇龍川でも一色家は大敗したという事実が必要だと貴通は考えていた。
「昇龍川に陣取る一色家領軍は、事実上の背水の陣を敷いています」
貴通は、地図を示す。昇龍川の西方、久努国と美河国の国境に近い場所に、佐夜部湖という大きな湖が存在している。
この湖は過去の大地震によって海と繋がっており、そのために東海道の本街道と東海道本線は湖と海が繋がっている今切という箇所に橋を渡して通っていた。一方、湖の北側の峠には東海道の支街道が通っており、事実上、この二本の街道が湖の東西を繋いでいた。
その湖の東側に、一色家領軍は展開していたのである。
「つまり、我が軍が湖の南北を走るこの二街道を遮断してしまえば、一色家領軍は本領への退路を断たれることになります」
男装の少女は、自らが軍師として支えるべき相手を見た。景紀もまた、貴通の方を見ていた。
「……」
「……」
景紀と貴通の間で短い視線の遣り取りがあり、互いに頷き合う。
「よって僕たちは、昇龍川沿いに展開する一色家領軍を拘束するための一部兵力を残しつつ、敵後方への迂回突破を図るべきであると考えます」
「しかし、湖北側の支街道は挺進騎兵によって遮断が可能だとは思うが、南側の本街道まで迂回突破することは困難なのではないか? 南側は、大規模な部隊を迂回させられるだけの地形的余裕がない」
貴通の進言に疑問を呈したのは、騎兵第二旅団の旅団長であった。挺進騎兵とは、敵の後方へと侵入して破壊工作や敵司令部の襲撃を行う戦術のことである。
「いや、俺たちが海軍の支援を受けられることを忘れるな」景紀が指摘した。「陸地を進むことだけが、すべてではない。それに、ここまで東海道沿いの港を確保してきたんだ。それを活用しない手はない」
その言葉で、司令部の者たちは景紀と貴通が何を企図しているのかを理解する。
と、野戦司令部となっている寺の本堂に新たな人影が現れた。
「失礼いたします」
昇龍川の偵察に出ていた、加東正虎少佐と鉄之介であった。報告のために本堂にやってきたのだろう。
「冬花」
「はい」
景紀の後ろに控えていた冬花が、すぐに火鉢にかけられていた鉄瓶を取り上げて二人のために白湯を用意した。加東隊長の顔も鉄之介の顔も、上空の寒さのせいか、青白くなっている。
姉から湯飲みを受け取ろうとする鉄之介に、景紀は顔を向けた。
「鉄之介」
「はい」
流石に他の家臣団の前だからだろう、鉄之介の言葉も丁寧なものであった。
「お前に一つ、頼みたいことがある」
湯飲みに口を付けようとする鉄之介に、景紀はにやりとした笑みを向けていた。
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昇龍川右岸(西岸)に拠り結城家領軍を迎え撃つ態勢を見せていた一色家領軍ではあったが、下士官・兵卒たちの士気は振わなかった。
彼らはもちろん、一色家が追討令を受けたことを知っている。
領主である一色公直公(すでに公爵位を剥奪されているが)は、この挙兵を大権を私議する結城家を討ち、君側の奸を芟除して宸襟を安んじ奉るためのものであると檄を飛ばしているが、下士卒たちの中でそれを本気で信じる者は少なかった。
一色家家臣団出身の将校たちは御家の危機ということで必死さを募らせていたが、平民出の下士卒たちはどこか醒めた視線を彼らに向けていた。
一色家領軍は、将校と下士官以下との間で戦意に温度差があったといえよう。
そもそも下士卒たちは、御家の危機というのならば何故一色家当主である公直公自らが陣頭に立たないのかという不満に近い疑問があった。
そして、久努国の領民たちが一色家領軍に対して非協力的な態度をとっているとなれば、平民出の下士卒たちは嫌でも自分たちが賊軍であることを実感させられてしまう。それもまた、彼らの戦意を低下させる要因となっていた。
十一月二十四日にはついに結城家領軍の姿が昇龍川対岸に現れ、川を挟んでの砲兵同士の砲撃戦が開始された。同時に、両軍の龍兵が敵砲兵陣地に対して爆撃を敢行しようとして、空戦も発生している。
こうした中、一色家領軍の将校たちは自軍下士卒の士気低下に気付いていた。
戦闘開始前からの士気低下は、実際に砲撃戦が始まると陣地に籠っているだけという状況も加わり、さらなる低下を見せた。
彼らの戦意を高揚させるには、結城家領軍に対して局地的なものでも構わないから勝利を得る必要がある。一色家領軍の司令部では、そのような意見が大勢を占めることとなった。
結果、騎兵第四旅団主力を用いた対岸への挺進騎兵による襲撃を敢行することが決定された。
目標は、結城景紀のいる野戦司令部である。




