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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十五章 戦野の皇国編

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299 内戦の分水嶺

 皇暦八三六年十一月十五日、景紀の直率する結城家領軍は小田野城を進発した。

 騎兵第一旅団、騎兵第二旅団、独立混成第一旅団の三個旅団を主力する追討軍は、翌十六日には函嶺(はこね)の山々を西側に抜け、結城家領相柄国の隣国である廬原(いおはら)国へと入った。

 函嶺の山中に一色家の忍が潜み、鉄道路線の破壊などを行うことを結城家側は警戒していたものの、追討軍は大きな障害や抵抗もなく国境(くにざかい)を突破している。

 そして十六日中には、廬原国東端に位置する港町・蓼津(たでつ)を占拠し、城と港を接収した。蓼津は、東海道における宿場町の一つとして栄えた町である。

 現在は東海道本線が函嶺の北側の峠を越える際、補助機関車を連結させるために停車する駅のある町として、相応に発展していた。機関車の保守整備などをしなければならない他、停車している間に乗客が観光などを楽しむためである。

 蓼津の領主はこれまで去就を明らかにしていなかったが、結城家領軍が領内に侵入すると即座に使者を立て、景紀に対して恭順の意思を示した。これにより、結城家領軍は戦闘を行うことなく蓼津の町を占拠することが出来たのである。

 もちろん、入城に当たって景紀は領軍将兵に対し城下での略奪などを厳禁とし、違反者は軍紀に基づいて厳正に処罰する旨、達している。官軍ということで気を大きくした兵士たちが、蓼津領民たちに対して横柄に振る舞うことなどを警戒していたのだ。


「とりあえず、これで蓼津の港は利用可能となりました。ひとまず、函嶺より西側の港を確保出来たことは喜ばしいことです」


「ああ、そうだな」


 接収した蓼津の政庁の一室で、貴通と景紀は地図を覗き込んでいた。今は一時間の大休止の最中であり、将兵たちには昼食を配って休息を取らせている。


「ただ問題は、ここの港が廬原湾の最奥に近い場所に位置することだ。それに、港の規模も多数の船舶を入港させられるものじゃあない。このまま進軍を続けて、早いとこ清水港を確保しておきたい」


 景紀は廬原湾西側に存在する港を指し示す。それは、廬原国国府にほど近い港であった。

 この港は戦国時代には東海道を治める戦国大名の水軍の基地として用いられ、その後は廬原国の名産品である茶の貿易港として外国船なども入港する港となっていた。

 そのため、漁港である蓼津港と比べて、清水港は大型の輸送船などを入港させることが出来た。

 東海道の港を確保して海上補給路を確保するという作戦目標からすれば、清水港の確保は必須といえた。


「一色公直も今ごろ、僕らが出陣したことを確認していることでしょう。恐らく、向こうも清水港を我が軍に奪取されることは避けたいと考えているはずです」


 この日、結城家領軍は一色家の家紋を翼に描いた翼龍と遭遇していた。蓼津に入城しようとする結城家領軍の隊列を、敵翼龍の搭乗員も確認していたことだろう。

 そしてその搭乗員は一色家領の基地に帰還して、偵察の結果を報告しているはずだ。

 もちろん、結城家領軍も翼龍を飛ばして索敵と上空援護に当てているが、三個旅団の兵力が東海道を進むことを完全に秘匿することは不可能である。


「ああ、だから出来るだけ早めに先に進みたい」


「はい。現在、東海道本線を使った糧食の輸送も順調に進んでいますので、急速な進軍には十分に対応出来るかと。鉄道の線路さえ無事ならば、一色家領にまでだって行けますよ」


 貴通は冗談じみた笑みを浮かべながら言う。とはいえ、言っている貴通もそこまで楽観視していない。

 龍兵偵察の結果、東海道に架かる鉄道橋を初めとする橋梁は、まだ破壊されていないようであった。これは、一色家の側も皇都への進軍を計画している以上、結城家の西進を阻止するために破壊するわけにはいかなかったからだろう。

 しかし、一色家が本領にて結城家領軍を迎え撃つ方向に戦術を変えた場合、橋梁などは真っ先に破壊されるだろう。そうなれば、鉄道輸送だけでなく馬匹輸送にも大きな困難が生じることになる。


「よし。そうなれば大休止を終えたらすぐに進発させる」


「了解です。島田少将たちに、そう伝えてきましょう」


 貴通は溌剌とした表情で景紀の言葉に頷いて、部屋を飛び出していった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 その後も結城家領軍は順調な進撃を続けていた。

 東海道本線の線路や橋梁なども破壊されることなく確保しており、鉄道による物資の輸送も円滑に行われている。

 結城家領軍の進撃を阻止するため、一色家領軍が龍兵爆撃で鉄道や橋梁の破壊を試みることも警戒されていたが、実際にはそのような事態は発生していない。もちろん、両軍の翼龍が空中で互いに互いを追い払い合うことはあったものの、行軍中の結城家領軍が龍兵爆撃を受けることもなかった。

 一方、結城家の龍兵部隊も、一色家領方面へ索敵を行っている。

 その結果、一色家側もすでに領軍が本領を発し東海道を東進していることを確認していた。

 恐らく、東海道のどこかの地点で会戦が行われることになるであろう。景紀と貴通は、そう覚悟を決めていた。

 そして、結城家と一色家の間で行われる最初の戦闘は、両軍将兵の士気に大いに影響することになるだろう。

 結城家にとっては、景紀が新当主となって初めて指揮をとる戦闘になる。新当主としての権威と面子のためにも、初戦で敗北することは許されない。

 また、官軍でありながら敗北することになれば領軍将兵の士気は落ち、中小諸侯たちが伊丹・一色陣営に走ることになるだろう。そうなれば、内戦が泥沼化しかねない。

 皇主の宣旨というのは、絶対の勝利を約束するものではない。皇国の歴史では、皇主からの追討の宣旨を受けながら官軍に勝利し、時の皇主や上皇を島流しにしてしまった武将もいるのだ。

 一方の一色家領軍にとっても、すでに朝敵とされてしまっている以上、敗北は余計に将兵、特に下士卒たちの士気を低下させる要因となる。最悪、平民出の下士卒から離反者が出かねない。

 もちろん、一色家家臣団の中でも動揺が広がることだろう。

 その意味でも、結城・一色両家にとって最初の会戦は何としても勝たねばならない戦であった。






 結城家領軍は戦闘を交えることなく東海道を西へと進んでいき、廬原国東部を流れる富士川を突破、十一月十八日には目標である清水港を望める地点にまで進出していた。

 だが、ここで問題が生じていた。

 廬原国西部を治める領主たちが、依然として去就を明らかにしていなかったことである。

 結城家領と接している蓼津の領主と違い、一色家領に近い西部の領主たちの中には子女を一色家領の高等学校や大学に通わせて、一色家の子女やその家臣団の子女たちとの関係を深めていた者たちも多かった。そのため、一色公直が諸侯の子女たちを人質として捕えるよう命じた際、皇都から本領へと帰還しようとした諸侯の子女たちと同じように、その多くが那古野城に捕えられていたのである。

 もちろん、一色家と姻戚関係にあるために一色家寄りの態度を崩さない領主や、一色家領軍による自領の占領を恐れる領主もいる。

 このあたりについては、廬原国西部を治める中小諸侯たちの間でも温度差があるようであった。

 そしてそのために、皇都を目指している一色家領軍もまた順調に東進を続けていることが龍兵の偵察によって判明している。

 確認された敵兵力は騎兵部隊のようなので、恐らくは一色家領軍である騎兵第四旅団であろう。

 その先鋒が、すでに廬原国西部に差し掛かっていたのだ。


大谷(おおや)川を渡られると厄介です。廬原国西部の諸侯たちに恭順を促すためにも、ここで一戦すべきです」


 東海道沿いに存在する寺に設けた野戦司令部で、貴通はそう進言した。

 大谷川とは、廬原国西部を流れる川のことである。この川には東海道本線の鉄道橋だけでなく、人馬用の橋梁も架かっている。


「ああ、俺も同意見だ」


 景紀も、自らの軍師である少女の言葉に頷いた。

 大谷川の東側には廬原国の国府があり、城下町が広がっている。市街戦となれば双方ともに大損害は避けられないだけでなく、城下町それ自体にも大きな被害を及ぼすことになる。

 皇都内乱の時もそうであったが、市街地や住民を巻き込むような戦闘を行えば、たとえ内戦に勝利したとしてもその地の領主や領民から反発を受けることは必至だろう。

 また、一色家領軍が撤退する際、橋梁や鉄道路線を破壊していかないとも限らない。

 そのため、結城家領軍としては一色家領軍が大谷川を渡ることを阻止したかったのである。


「貴通、今すぐ動かせる部隊は?」


「独混第一なら、すぐに動かせます。騎兵第二の第十五連隊も、動かそうと思えば動かせます」


 貴通は、帳簿などを確認せずに即座に答えた。

 三個旅団の兵力で進軍している結城家領軍であったが、当然ながら地形的な問題などによって一度に全兵力が進軍出来るわけではない。

 景紀は三個旅団中、かつて自らが直率していた独立混成第一旅団を先鋒として東海道を進軍させていたのである。

 独立混成第一旅団は諸兵科連合部隊であり、また旅団規模ということもあって指揮系統が師団に比べて単純化されているため即応能力も高い。そうした事情もあり、景紀は三個旅団中、独混第一旅団を先鋒としていたのである。

 その次が小山朝康も所属する騎兵第二旅団(騎兵第十五、第十六連隊基幹)であり、これは対斉戦役で出兵しなかったため、この内戦で戦功を挙げる機会を与えるための、結城家当主としての措置であった。

 後詰めが、島田富造少将率いる歴戦の騎兵第一旅団である。


「よし、独混第一はこのまま東海道を西進させ、大谷川まで進出させる。清水港の確保は、騎兵第十五連隊に任せる」


「判りました」


 こうして結城家領軍は、その日の内にさらなる進撃を続けることとなった。


  ◇◇◇


 景紀が直率することになった独立混成第一旅団は、清水港を素通りするように東海道を急速に西へと進撃していった。

 皇国陸軍において、行軍は歩兵で一日二十四キロ前進することを基本としている。

つまり一時間に四キロ、将兵の疲労などを考慮して六時間が限度であろうと想定されているのである。

 しかし景紀はこの時、歩兵に背嚢を外させて「早足(はやあし)」の号令をかけ、時速六キロの行軍速度で旅団を西進させた。

 景紀自身は自ら馬に乗って部隊の先頭に立ち、この地域を治める諸侯たちに自身の存在を誇示した。

 東海道の諸侯たちを恭順させるために、使者同士に遣り取りさせる時間が惜しかったのである。もし諸侯たちが結城家に恭順するための使者を送ってきたのならばその場で即座に対応し、先を急ごうとしていたのだ。

 もちろん、依然として去就を明らかにしていない諸侯にとっては、ここで景紀を討ち取ることで一色家に対して戦功を示すという選択肢もあるだろう。

 しかし、だからといって景紀が後方に下がれば領軍の士気にも悪影響を及ぼす。

 結城家が朝敵追討の宣旨を受けているとはいえ、皇都内乱と同じく皇軍相撃の事態に疑念を抱いている下士卒もいるかもしれない。

 そうした自軍将兵に疑念を抱かせないためにも、追討軍の総大将的地位にある景紀が軍の先頭に立つ必要があったのだ。

 十八日の内に廬原国国府である城下町を通過した独混第一旅団は、大谷川へと到達した。

 その時点ではまだ一色家領軍は大谷川までは到達しておらず、また廬原国西部を治める領主からの結城家に対する抵抗もなかった。

 一色家と姻戚関係にある者、一色家に子女を人質に取られている者、一色家の武力を恐れている者、そうした様々な事情を抱える東海道の諸侯たちは、結城家に対して一致して抵抗を示すことも出来なかったのだろう。

 一方で未だ結城家領軍と一色家領軍との会戦が発生していないため、結城家領軍が領内に入ってきたからといって即座に恭順の意思を示すことも彼らは選ばなかった。

 いくら皇都内乱で景紀が勝利したとはいえ、所詮は十九の若造に過ぎない。彼よりも軍人としての経験が豊富な一色公直が自らの領軍を率いて対決すれば、皇都内乱とはまた違った結果になるのではないか。

 そう考えている諸侯も多いのだろう。

 恐らく、彼らは現状では様子見に徹しようとしているに違いない。結城家領軍がやってくれば領内を通し、一色家領軍がやってくればやはり領内を通す。少なくともそうすれば、領内が六家によって蹂躙される危険性は少ない。そういうことだろう。

 やはり、最初の戦闘こそがこの内戦において最も重要な意味を持つことになる。景紀は改めてそう認識せざるを得なかった。


「一色家の先鋒部隊は、宇津ノ谷峠に差し掛かろうとしておりますな。海沿いにも、一隊が進んでおります」


 夕刻、自ら索敵に出ていた龍兵第六十四戦隊隊長・加藤正虎少佐が報告した。

 宇津ノ谷峠とは廬原国西部ある峠であり、東海道における交通の要衝として古くから街道が整備されてきた場所である。

 現在は東海道の主要街道を通すために隧道(トンネル)が設けられており、かつてのような山越えをする必要性はなくなっていた(なお、東海道本線は宇津ノ谷峠ではなく海沿いを通っている)。


「夜襲をかけるなら別ですが、会敵は明日になりそうですね」


 大谷川左岸(東岸)の高台にある八幡神社に置いた野戦司令部で、地図を確認しつつ貴通が言う。


「ああ。右岸は地形が左岸に比べて狭隘で、こちらの兵力が活かしづらい。それに、向こうも夜襲は警戒しているだろうから、こちらが峠の隘路に入ったところ狙い撃ちされたら堪らん。連中が平地に出てきたところを迎え撃つ。大谷川左岸に旅団主力を配置して、大谷川沿いに防御陣地を敷く。国府での市街戦に持ち込まれることだけは、絶対に避けたい」


 景紀が進軍速度を速めたのは、そうした理由からであった。

 峠の出口と大谷川の間の平地、つまり大谷川右岸(西岸)の平地はそれほど広くない。大兵力を展開させるには不利な地形である。

 結城家領軍は、川を天然の障害としつつ、峠の出口を塞ぐ形で迎撃態勢を整えようとしていたのである。もちろん、逆に平地に展開する結城家側も山上から砲撃を受ける可能性もあったが、龍兵索敵の結果、敵が有力な砲兵部隊を伴っていないことが確認されている。

 恐らく、一色家の側は東海道の諸侯を恭順させるために、とにかく迅速に自らの領軍を東海道諸侯たちの領地に入れる必要があったのだろう。だから騎兵部隊だけが先行しているのだ。

 敵部隊の有する火砲は、若干の騎兵砲と多銃身砲程度であるようだった。


「では、僕たちは、夜襲や一色家領軍の接近に呼応して東海道諸侯が蜂起することを警戒しつつ、川沿いに野戦陣地を構築する方針でよろしいですか?」


 確認のため、貴通が訊いてくる。


「ああ。工兵隊長に命じて、特に多銃身砲陣地の据え付けを急がせろ。ただし、ここまでの行軍で兵にも馬にも疲労が溜まっているはずだ。交代で休息を取らせるのを忘れるな」


「了解しました」


 小田野を進発してからすでに三日。

 結城家領軍はその間、東海道諸侯の抵抗を常に警戒しつつ迅速な進撃を行うという、体力と神経をすり減らす行軍を行ってきた。一色家領軍との戦闘の前に、出来るだけ将兵と馬には休息を与えておきたかったのである。


「貴通、この最初の会戦の結果で、内戦が短期間で終わるか、泥沼化するかが決まる。必ず、勝つぞ」


 決意と共に、景紀は告げた。それに対する貴通の答えもまた、己と景紀を奮い立たせようとするかのような力強さに満ちていた。


「ええ。勝てますよ、僕らなら」

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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