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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十五章 戦野の皇国編

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296 男装少女の恋歌

 本話に関連するノクターン版番外編(十八歳未満閲覧禁止)

冒頭URL:https://novel18.syosetu.com/

Nコード:/n7033hg/10(前編)

Nコード:/n7033hg/11(中編)

Nコード:/n7033hg/12(後編)

 これほどまでに激しく景紀のことを嫉妬したのは、いつ以来のことだろうか?

 彼の体を茶室の畳の上に組み敷きながら貴通は思った。

 兵学寮に入学した当初、景紀に抱いていた嫉妬と羨望。六家の嫡男で、正室の子で、学年首席。

 自分が持っていないもの、欲しくても手に入れられないものを持っているあの少年が、貴通にはたまらなく羨ましく、そして妬ましかった。

 どうして自分は妾の子で、男子として振る舞わせられ、あれほど頑張ったのに学年首席をとれなかったのか。

 とめどなく溢れてきた嫉妬の念を彼に見透かされて、殴りつけてしまったことは今でも貴通の記憶に残っている。

 結局、自分のやっていることはあの時と変わらない。

 あの時は景紀を殴ったが、今度は景紀と男女の契りを結ぼうとしている。行き場のない感情を彼にぶつけようとしている点では、それほど違いはないだろう。

 しかし、だったら他にどうしろというのか?

 自分には、“本当”のものが何もない。

 自分の能力、“満子”という名前。自分がこれまで“本当”だと思っていたものは、所詮、幻覚に過ぎなかったということを、あの暴露記事で突き付けられてしまった。

 兵学寮での五年間やこれまでの軍務で培ってきた能力も、結局は偽りの名である“穂積貴通”に付随するものでしかない。“満子”という名は自分の本当の名前だろうが、しかし“満子”として生きてきた時間が自分には存在しない。

 結局、自分という存在を突き詰めていった末に残るのは、偽りだけでしかなかった。

 ならば、景紀の持つ“本当”を自分に分けてもらえばいいではないか。

 自分は女で、景紀は男だ。

 だから分けてもらうのは簡単だ。

 自分が景紀の子を宿し、その子を産む。そうすれば、偽りだらけの自分に六家宗家の嫡男の血筋を取り込める。

 もし女児が生まれたら、五摂家のどこかに嫁がせるのがいいだろう。あの父親があれほど大切にしていた五摂家の血筋に、自分と景紀の血筋を入れることが出来るのだ。

 男児だったら、結城家の分家を興せばいい。まがりなりにも自分は五摂家の人間だ。それなりに格の高い分家を創設出来るだろう。

 そうして自分と景紀の血筋が後世に続いていけば、自分という存在がこの世に存在したという確かな証が残る。

 偽りの名に紐付いた“軍師”という名声などよりも、もっと確かなものが手に入る。

 でも同時に、それでいいのかと問いかけるもう一人の自分の存在もいるような気がしていた。

 女である“満子”として景紀に抱かれようとしている自分を、景紀の軍師である“貴通”が止めようとしているのか。

 だけれども、今の自分にはその声が酷く煩わしかった。

 “貴通”として過ごしてきた人生が偽りだと暴かれて、この上、女である“満子”として在ることも実感出来ないのならば、自分がどれだけ惨めな思いをするか判っているのか。

 もう一人の自分が囁く疑念を振り払うように、貴通は強引に景紀に迫った。挑発するような言葉も、彼の自分に対する負い目を煽るような言葉も、あるいは自虐的な言葉も吐いた。

 彼を自分のモノに出来れば、少しはこの胸の空虚さを埋めることが出来るに違いない。

 そう、思っていた。






 だけれども、景紀と唇や肌を重ねている内にだんだんと自分に耐えられなくなってきた。

 景紀に酷い言葉をかけて、彼の自分に対する負い目を利用して、そこをさらに抉るようなことをしようとしている自分が、ひどく汚く思えて仕方がなかった。

 そんな“汚さ”だけが自分にとっての“本当”だと突き付けられているようで、耐えられなくなってきた。


「……ごめんなさい」


 その自己嫌悪が胸の内を支配してしまえば、もう限界だった。

 気付けば貴通の口は、景紀への謝罪を紡いでいた。


「ごめんなさい。景くんに迷惑かけて、ごめんなさい。景くんを傷付けて、ごめんなさい」


 瞳から、涙が零れてきた。自分がひどく惨めで、情けなくて、仕方がなかった。

 目元を両腕で覆って、貴通はしゃくり上げながら景紀への謝罪を繰り返す。


「満」


 景紀から名前を呼ばれて、貴通はびくりとしてしまった。こんな身勝手に景紀を傷付けようとした自分に、彼がどんな言葉をかけてくるのか、一瞬でも怖くなってしまったのだ。


「俺は迷惑だとも、傷付いたとも思ってない」


 だけれども、景紀の言葉は貴通の身勝手さを責めるものではなかった。


「だから、お前が謝る必要なんてないんだ」


「景くん……?」


 恐る恐る貴通が彼を見ると、景紀は小さくこちらを安心させるような笑みを浮かべてきた。

 そこまでが、貴通の限界だった。

 貴通は、景紀に掴みかかるように詰め寄った。


「なんで、僕だけがこんな目に遭わないといけないんですか!? なんで、僕は“穂積貴通”なんですか!? なんで、普通に“満子”として生きることが出来ないんですか!? なんで……っ!」


 とめどなく溢れてくる、“何で”という自分を取り巻く理不尽への憤り。

 貴通は自らの額を景紀の胸に押し付けて、なおも叫んだ。


「……でも、僕が“満子”だったら景くんには出逢えなくて……っ! じゃあ、僕はどう生きたらよかったっていうんですか……っ!?」


 その理不尽があったからこそ、自分は景紀に出逢えた。

 その矛盾が、余計に貴通の心を荒れ狂わせる。誰にぶつけていいのか判らない憤りとやるせなさを、貴通は景紀にぶつけた。

 それ以外に、限界を迎えた心が出来ることはなかった。

 景紀の両腕が、そっと自らの背に回された。


「……景くん?」


 その仕草が、彼が自分を女として抱こうとしているのではないと判って、貴通は景紀の腕の中で顔を上げた。上から、景紀の顔がこちらを覗いてきた。


「好きなだけ、吐き出せよ。俺が全部受け止めてやるから」


 その瞬間、貴通の胸の内からどろりとした感情が湧き上がってきた。辛さ、悲しさ、やるせなさ、寂しさ、苦しさ。今までせき止めていた感情が、とめどなく胸の奥底から溢れてくる。

 そしてそれを一人で耐えることは、出来なかった。


「―――っ!」


 貴通は景紀の体にしがみつくと、とうとう耐え切れない感情を爆発させてしまった。

 それはどろりと重く、どす黒く、(くら)く、もう自分の中に留めておくことは出来ないもの。

 泣きじゃくり、嗚咽を漏らす自分を、景紀はそっとあやすように背を叩いてくれた。

 何度も、何度も。

 以前、自分が彼にそうしたように。


  ◇◇◇


 どれくらいの間、自分が泣いていたのかは判らない。

 ただ、気付けば涙は止まっていた。胸の中にあったほの昏い感情は、出尽くしたようだった。

後に残ったのは、倦怠感と虚脱感だった。

 すっきりしたというのとは少し違う、何とも不思議な感覚が貴通の心に漂っていた。

 自分の偽りが暴かれて、もう取り返しがつかないという現実を受け入れるしかないという、覚悟とも諦観ともつかぬ思いが、胸の内にある。

 ただ少なくとも、自暴自棄と自己嫌悪にまみれていた少し前の自分よりは、心の内は落ち着いていた。


「……景くん」


「ん?」


「もうちょっと、このままで」


 景紀の腕の中を抜け出せば、そしてこの茶室を出れば、貴通は再び己の境遇に向き合うことになる。

 それに向き合おうとする己の感情が覚悟なのか諦観なのかは貴通自身にも判らなかったが、どちらにしても、景紀から少しでも勇気を分けてもらいたかった。

 だから貴通はしばらく、今度は泣き叫んでいたときよりも落ち着いた気分で、景紀の体に自らの体を委ねていた。

 兵学寮のときも、景紀と一緒だったから五年間を乗り越えられた。女として体が成長していき、それでもなお男子として振る舞わなければならないことの狭間で心が不安定になっていた自分に、景紀は寄り添ってくれた。

 今回も、彼が側にいてくれれば、乗り越えられそうな気がした。

 自分は何と現金で、欲深で、執着の強い女なのだろうか。


「……すみません。こんな、面倒な女で」


「別に。俺も、お前と出逢えて良かったと思ってるからな」


 景紀の口調は素っ気なかった。先ほどとは別の意味で重い感情を抱いている自分を、少しでも気楽にさせようとしたのだろう。

 あるいは、面と向かって言うには恥ずかしかったのか。


「……ふふっ、ありがとうございます」


 それでも、景紀もまた自分と同じ想いでいてくれたことが嬉しかった。

 貴通はするりと、景紀の腕の中を抜け出した。彼の顔を、正面から見つめる。

 何だか随分と久しぶりに、彼と屈託なく向き合えたような気がした。


「少し、すっきりしました」


 口元にかすかな笑みが浮かぶのが、自分でも判った。


「まあ、これでお互い様だな」


「そうかも、しれませんね」


 確かに、先日は自分が彼の気持ちを受け止め、今日は景紀が自分の気持ちを受け止めてくれた。

 泣きたいときに縋りつける相手がいるというのは、幸運なことなのかもしれない。

 だからもう少しだけ、貴通は彼の温もりを感じたくなってしまった。


「……ねえ、景くん。もう一度だけ、僕をぎゅっとしてくれますか?」


 少し、幼い声が出てしまった。


「判ったよ」


 景紀はしょうがないといった微笑みを浮かべて、もう一度、貴通のことを抱きしめてくれた。その体温と鼓動に、貴通は心地よい安らぎを覚えていた。


「……ふふふっ」


 それと同時に、ちょっとしたおかしさも湧き上がってきた。少し名残惜しかったが、再び彼の腕の中からするりと抜け出す。


「僕たち、こんな恰好で何をやっているんでしょうね?」


 今の自分たちは、肌を重ねようとしたときの恰好のままだ。つまり、自分も景紀も生まれたままの姿を晒している。

 そんな恰好のまま、自分は抱きしめて欲しいと言い、景紀はそれに応じてくれたのだ。

 お互い、何だか滑稽なことをしている。


「お前が言い出したことだろうが……」


 景紀がわざとらしい呆れた声を出して、貴通の方に半眼を向けてきた。

 それがまた何となく、貴通には愉快だった。

 景紀をこの茶室に引き込んだときの鬱屈とした感情は、ほとんど消えていた。


「……ねえ、景くん」


「何だ?」


「ちょっとだけ、“穂積貴通”として、そして“穂積満子”として生きることに勇気が持てるようになりました」


 まだ完全に、自分自身という存在に前向きになれたわけではない。

 幼少期から父に男子として生きることを強要されてきた貴通にとって、“穂積貴通”であり続けることも、“穂積満子”として生き直すことも、簡単には選べない。

 ただ、“偽りの自分”を肯定的に捉えてみようとは思う。

 だってそれすら否定してしまえば、自分は景紀との出逢いすら否定することになってしまうから。


「そうか」


 景紀も、どこか応援してくれるような表情を貴通に向けていた。

 だから貴通は、改めて尋ねることにした。それが、自分と景紀にとって必要な儀式のような気がしたのだ。


「景くんは、まだ僕を“軍師”として側に置いてくれますか?」


 そして、それに対する景紀の答えは明確だった。


「当たり前だ。お前が側にいてくれないと、軍の指揮を執るのに調子が狂うからな」


「ふふっ、ありがとうございます」


 迷いのない即答に、思わず貴通は笑ってしまった。でもこれは、“穂積貴通”としての問答。


「でもいつか、“穂積満子”としてもお側に置いて欲しいです」


 だから、もう一つの自分の望みを貴通は伝えた。やはり、自分は欲深く執着の強い女なのだろう。

 彼の軍師であるだけでは、まだ満たされないものを感じてしまうのだ。


「あんま悩まずに、“満子”になりたいときに“満子”になればいいさ」


 やはり、自分は現金な女だ。

 あれだけ、“穂積満子”として人生を歩んだことがないと悲観しておきながら、景紀に肯定されるだけで胸の空虚さが埋まっていくのだから。


「ふふっ。景くんは優しいですね。でも、今日は“貴通”に戻ろうと思います」


 だから貴通は、勇気をもって“穂積貴通”として再びこの茶室を出る覚悟が出来た。


「僕はあなたを思慕していますが、あなたの重荷になりたいわけではありませんから。今、僕が景くんの子を孕んだら、結城家の後継者問題がややこしくなりそうですからね」


 愛妾の子とはいえ、貴通は公爵家である五摂家の血を引いている。

 一方、景紀の正室の宵は六家の血を引くものの伯爵家の出である。

 今、貴通が景紀の子を宿すことになれば、宵がお腹に宿した子とほとんど年齢が変わらなくなってしまう。

 もしこれで二人とも男児を生んでしまった場合、正室の子を後継者として優先すべきか、母親の血筋の高い方を優先するのかで、家臣団の意見が割れる危険性があるだろう。

 宵が女児を産み、貴通が男児を産んでしまった場合は、なおさらである。

 宵が男児を産み、貴通が女児を産めばある程度、後継者問題での混乱は避けられるだろうが、男児が生まれるか女児が生まれるか判らない以上、慎重になるべきであった。

 もちろん、景紀と最後まで想いを通わせたいとは思う。しかし、それは今ではない方がいいだろう。

 そう考えれば、景紀の血を取り込もうと妄執じみた思いを彼にぶつけようとしていた自分が恥ずかしい。

 だから貴通は、そんな自分の内心を誤魔化すように悪戯っぽく微笑んでみせた。


「ちょっと期待しちゃいました?」


「馬鹿か。とっとを服を着ろ」


 茶化すように言えば、ばさりと上から自分の脱いだ着物が降ってきた。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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