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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十五章 戦野の皇国編

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295 執着と渇望

 皇主より宸翰を下す意向を示された景紀が結城家の仮の皇都屋敷となっている佐薙家皇都屋敷へと帰ったのは、九日の午後三時を過ぎた頃であった。


「景紀様、ご無事のご帰還、何よりでございます」


 屋敷の表御殿玄関で景紀を迎えたのは、屋敷の家政を統括する家令長であった。皇都内乱で景紀の母・久を守り切れなかった責任をとろうとして、景紀に思い止まるよう説得され、今もこうして屋敷の家政を任されているのである。


「屋敷内の様子はどうだ?」


「はあ、“例の件”で一時は騒がしくなりましたが、宵姫様よりのご指示もありましたので、今は落ち着いております」


「外に記者連中もいなかったな」


「我々の方で追い払いましたので。それに、内務省の協力もありました」


 つまり屋敷の警備の者たちと警察の力を借りて、貴通の件をもっと詳しく知ろうと集まった無遠慮な記者たちを排除したということである。


「それでいい」


 流石に御用新聞など将家と距離の近い新聞記者はその辺りのことを弁えてはいるが、大衆向けの娯楽性重視の記事ばかり載せる小新聞(こしんぶん)の記者などは無神経な者たちが多い。さらに民権派の新聞記者に至っては、「報道の自由」などという共和思想的な主張を掲げ、自らの報道のためならば何をしても許されると考えている節があった。

 景紀はそのまま表御殿の奥へと進む。冬花には、御用場に出向いて自分たちが皇都を不在にしていた間の執務報告などをまとめてきてくれるよう、頼んだ。


「若」


 執務室のある中奥へと繋がる廊下を歩いていると、庭園の方から声がかかった。


「新八さんか」


 庭園の樹木の影から溶け出すように現れた忍の青年に目を向け、景紀は足を止める。


「貴通の坊っちゃんの件で、ちょいとええ?」


「ああ」


 景紀の顔が、かすかに険しくなる。


「僕は昨日から皇都市内で話の出所とか噂の広まり具合とか調べとってな、とりあえず風間家や隠密衆も協力して、情報源を探とったんや」


「……」


 景紀は、黙って続きを促す。


「まだはっきりとは判らんが、貴通の坊っちゃんが女だという情報源は、“皇都のとある医師”らしいで」


「“皇都のとある医師”?」


 兵学寮時代、確かに景紀は貴通の体のことで皇都の医者に相談に行ったことがある。女として体が成長していく貴通であったが、性別の秘密を守るためにも兵学寮の校医にはかかれない。

 だから景紀は、秘密厳守で華族・士族の隠し子などを診察しているという医師を見つけ出し、そこに相談を持ちかけたのだ。もちろん、自分と貴通の身分は明かさず、あくまでも隠し子の存在を知る兄が妹のことを心配して、という体裁をとった。

 そうした、世間には公に出来ない御落胤の存在は、華族や士族の集まる皇都には一定数、存在していると言われている。だから秘密厳守でそうした者たちを診る医師も、皇都には一定数、存在していた。


「そのまま受け取るには、あまりに不自然だな」


 だが景紀は、新八の報告に納得しなかった。


「ああ、僕もそう思う」


 そして新八もまた、自身の得た情報を信用していないようであった。


「厳守であるはずの秘密を漏らせば、もうそいつは医師としてやっていけないだろう。最悪、口封じのために刺客が放たれる可能性だってある」


 秘密厳守で診察を請け負う以上、医師の身にはそれなりの危険が伴う。華族・士族の側としては秘密を守ってもらいたがために多額の謝礼を医師に支払うことになるが、一方で秘密を漏らしかねないと判断されれば将家の隠密衆などによって消されかねないのだ。

 もちろん、それを新聞に暴露するようなことをすれば、その者は確実に医師としてやっていけなくなり、最悪、事故や自殺などに見せかけて暗殺される危険性は非常に高い。

 なのに新聞に貴通の件を暴露したというのは、不自然極まるものであった。

 一応、景紀は新八の言う“とある医師”の名前を尋ねたが、まったく心当たりのない名であった。また、すでにその名前の医者の存在は皇都市内では追えなくなっているという。


「恐らく、一色家の隠密か何かだろうな」


 景紀は己の迂闊さに改めて歯噛みしながら言った。

 一色公直が貴通の性別を暴露することの利点は、いくつか存在する。まず、やはり結城家内に混乱を引き起こし、結城家領軍の統制を揺るがすことが挙げられる。

 これについては島田少将から部隊の将兵に大きな動揺はないと伝えられている一方、従兄の結城景保があのような行動に出たこともあり、一定程度の効果はあっただろう。

 そして、皇都市民に景紀の悪い噂を流し、皇都内乱の勝者としての景紀の功績を貶めること。

 また、景紀が新聞社への発行停止処分を下せば、それだけ民権派は景紀への反発を強めるだろう。皇都市内で結城家政権に対する民権派の騒擾事件でも発生すれば、やはり結城家は混乱する。

 あるいは、今も皇都市内に潜伏している一色家の密偵が、そのように煽動するかもしれない。

 そのあたりのことを、景紀は新八に説明した。


「じゃあ僕は、民権派を煽動しそうな連中を排除すればいいわけやな?」


「まあ、そういうことだ。あと、もう宵から指示は来ていると思うが、貴通を貶めるような噂の払拭も頼みたい」


 すでに宵からは、貴通の件に関して結城家としての正式な声明を発表し、彼女が何故男として過ごさざるを得なかったのかを御用新聞を通じて広めようとしていると報告を受けている。

 それでも景紀は、改めて自らが雇っている忍の青年にそのことを頼んだ。


「噂の件はもう努力しとるけど、ちょっと難しい問題もあるで」


 いつもは飄々とした表情を崩さない新八が、かすかに眉根を寄せる。そして、景紀の周囲に憚るような視線を向けてから、再び口を開いた。


「ほら、皇都内乱のとき、冬花の嬢ちゃんが、まあ、その、引き回されたやろ?」


 景紀の勘気を被らないか、いささか探るような口調になりつつ新八は続ける。先ほど景紀の周囲に視線を遣ったのは、冬花が近くに控えていないかを確認するためのものだったらしい。


「皇都の市民は普段の冬花の嬢ちゃんの姿にはある程度、慣れていても、狐耳と尻尾を晒された所為で、やっぱり得体の知れん存在やと噂する者もおる。そこに今回の件やからな。若の女の趣味について、あれこれ無責任に言い立てる者を完全に無くすんは、ちょいと難儀や」


「……」


 景紀はこの場に冬花がいなかったことに安堵しながらも、不快そうに渋面を作る。

 伊丹・一色陣営の連中は、どこまでも景紀の大切な者たちを貶めようとする。そのことに、景紀は腹立たしさを隠せなかった。


「……難儀だろうと、噂を放置することは我慢ならん」


「判っとる、判っとる」景紀を宥めるように、新八はいう。「ただ若にその難しさを認識して欲しかっただけや。僕も雇い主の悪い噂が出回っとるのは、いい気分にならん」


 そうして新八はいつものようなへらりとした笑みを浮かべて、再び影の中に消えるようにして景紀の前を退出していった。


「……」


 景紀はしばらく新八が消えていった影を苛立ち紛れの表情で見つめていたが、一つ鼻を鳴らしてまた歩き始めた。






 中奥にある当主執務室に、貴通の姿はなかった。

 ただ、鉄之介がそこで待っていた。


「……帰ってきたのか、あんた」


 鉄之介は、いささか疲労が見える声で言った。新八や風間家、隠密衆たちの捜査に、彼も式を飛ばして協力していたという。


「新八さんから、情報源の捜査についての報告は受けた。お前の方から、何か報告はあるか?」


「貴通様は相変わらず部屋に籠ったままなんだが……」


 鉄之介は、難しい顔をして続けた。


「どうやら昨日の夜中、起き出して滞っていた兵站関連の書類を片付けていったらしい。指示も書いてあったから、その書類も含めて御用場の者たちに渡しておいた」


「……そうか」


 景紀はその報告をどう受け止めるべきか迷った。

 昨日の自分との会話である程度、立ち直ったのか。しかし、それでも女であることが露見した所為で人前には出づらいと思っているのか。

 これは、直接貴通に会って話してみたいとどうにも判らなかった。


「……俺は、奥御殿に向かう。後で冬花が執務報告とかをまとめた書類をこっちに持ってくるだろうから、そう伝えておいてくれ」


 鉄之介にそう言伝を頼むと、景紀は執務室を後にして奥御殿へと向かうのだった。


  ◇◇◇


「帰ってきたぞ、貴通」


 奥御殿にある居室の前に至ったとき、景紀は締め切られた障子に手を掛ける前に、そう中に声をかけた。


「……ああ、景くん」


 すると、少し間を置いてどこかぼんやりとした声が返ってきた。


「入るぞ」


 一言そう断ってから、景紀は障子を開けた。部屋の中で、貴通は膝を抱えるようにして蹲っていた。その視線は、畳の上に虚ろに注がれている。

 畳の上には、女性であることを隠す認識阻害のお守りが、投げ捨てられたかのように転がっていた。

 景紀が部屋に踏み入れると、貴通の視線がちらりと彼の方に向けられ、また畳の上へと戻る。


「……とりあえず、兵站に関する書類とかは作成して執務室に置いておきました」


 貴通は事務的にそう報告する。


「ああ、助かる。鉄之介が御用場の連中に渡しておいてくれたそうだ」


「どうせ僕の取り柄なんて、そのくらいしかありませんからね」


 いじけるような口調で、貴通が言った。


「だって僕は、あなたの軍師ですから」


 その言葉には、少しも誇らしさは宿っていなかった。むしろ、どこか景紀を責めるような響きすらある。


「貴通……」


 景紀が続けようとした瞬間、貴通はすくりと立ち上がった。何か、糸で操られた人形のような、主体性の感じられない動作であった。

 そのままふらりと、景紀の方へと足を踏み出した。


「嶺州から強行軍で帰ってきて、さぞお疲れでしょう」


 決められた台詞をなぞるだけの三流役者のような声で、男装の少女は続ける。


「少し、お茶にしましょう。景くんは、軍服を着替えてきて下さい。僕は茶室で待っていますので」


 そう言って貴通は、景紀と目を合せることなくその横を通り過ぎていっていった。


「……」


 そんな虚ろな仕草を見せる同期生の背に、景紀は何か危ういものを見るような気がしてならなかった。


  ◇◇◇


 とにかくここで変に言い争っても意味がないと考えた景紀は、貴通の言葉に従って素早く普段の和装姿に着替え、庭園にある数寄屋風の茶室に向かった。

 ただ、お茶にしようと自ら誘っておきながら、貴通は自ら茶を点てるつもりも、景紀に茶を点てさせるつもりもないようであった。

 とにかく、奥御殿よりももっと個人的な空間に逃げ込みたかっただけなのかもしれない。


「俺がしっかりしていなかった所為で、お前に辛い思いをさせた。すまん」


 茶室にいてもなお体を縮こまらせて座っている貴通に、景紀は改めて詫びた。


「いえ、僕にだって、責任があります。むしろ、僕のことなんですから、僕がしっかりしていなきゃいけなかったんです」


 自己嫌悪にまみれた声と共に、貴通はふるふると首を振った。


「ははっ、笑っちゃいますよね。景くんには自分で明かしておいて、宵姫さんや冬花さんにも自分で説明して、でもこうして世間に暴露されたら何も出来なくなってしまうんですから」


「今まで秘密を守り続けてきたんだ。いきなり暴露されて、お前が呆然としちまったのも無理はない。そのことは気にするな。お前が出来なくても、俺が何とかしてやるから」


 景紀は貴通の正面に回り込んで、腰を下ろした。俯いた彼女の顔を、下から覗き込むようにする。


「先ほど、陛下に拝謁して宸翰に背いたことへの謝罪をして、お前が“穂積貴通”としても“穂積満子”としても好きなように生きられるよう、改めて宸翰を発して下さると仰せになった。それさえあれば、あんな暴露記事とか、お前を貶めるような噂を気にしなくて済むようになる」


 途端、貴通はハッと嗤い声を漏らした。


「……僕を立ち直らせてくれるって、そういうことですか?」


 むしろ、失望に近い視線を、景紀は向けられた。


「“穂積満子”として生きたことなんてない僕が、“穂積満子”として生きてもいいなんて言われて、喜ぶとでも思っていたんですが?」


「それでもその名前は、お前の“本当”だろう?」


「“本当”? ええ、“本当”ではあるでしょうね。中身はなんにもない、空っぽの」


 自身の本当の名を知ることが出来て喜んでいた貴通の姿を、景紀は覚えている。それなのに今、この少女にとって自身の本当の名は何の慰めにもなっていないようであった。

 そのことに、景紀は内心で己を罵っていた。自分は彼女が胸の奥底に抱えている、“本当”という概念への執着を勘違いしていたのかもしれない。

 兵学寮での五年間を共に過ごし、そして対斉戦役や皇都内乱を共に切り抜けながら、まだ彼女との向き合い方が不十分だったのか。


「……景くんにとって、僕は“誰”ですか?」


「俺にとってお前は兵学寮で五年間を共にした“穂積貴通”で、性別の秘密を共有する“穂積満子”で、そして俺の“軍師”だ。どれも、それが俺にとってのお前の“本当”だ」


 昨日も似たような質問をされた景紀は、やはりどうしても同じ答えを返さざるを得ない。それが己の偽らざる本心だからだ。

 それ以上の答えも、以下の答えも自分の中に見つけることが出来ない。


「じゃあ、景くんがそう思っているのなら……」


 不意に、貴通が立ち上がった。景紀が反射的に身構えそうになる、そんな動作であった。


「景くんがそう思ってくれるのなら……」


 貴通はまるでそれが当然とでもいうような動作で、己のまとう衣服に手をかけた。


「僕に、その“本当”を教えて下さい」


 そして滑るように、袴と羽織を足下に落とす。

 突然のことに息を呑んでいた景紀の目の前に、男装のために胸に巻いたさらしと褌だけをまとった少女の肢体が露わになる。


「貴通。お前、何を……」


 そして、景紀が言い終わる前に彼の体は少女によって押し倒された。背中の痛みに顔をしかめながら、景紀は己に覆い被さった貴通を見る。

 そして再び、息を呑んだ。

 その瞳には、どろりとした執念が渦巻いていた。


「景くん、僕は言いましたよね? 六家嫡男で、正室の子であるあなたが、妬ましくて妬ましくて堪らないと」


 それは、兵学寮に入学した当初に言われた言葉であり、また昨日の会話でも感じた貴通の心であった。


「だったらそれを、僕にも分けて下さいよ」


「お前、何言って……」


「僕が景くんの子を腹に宿し、その子を産めば、六家宗家の嫡男で正室の子という血筋を僕が取り込めるじゃないですか?」


 執念と執着で澱んだ言葉だった。あるいは、五摂家の血の純粋さにこだわっていた彼女の父・通敏の影響を、貴通も知らず知らずの内に受けていたのかもしれない。

 でも、それはあまりにも破滅的な願望のように景紀には思えた。そこに、彼女の“想い”は感じられない。ただ、自棄になっただけのように感じるのだ。

 景紀は畳の上に肘をついて上体を起こそうとする。


「……何で、押し返そうとするんですか?」


 すると貴通は、むしろ景紀を責めるように力を強めてきた。景紀の背が、再び畳の上に押し付けられる。


「この前は、景くんがこの茶室で僕を押し倒したじゃないですか?」


「―――っ!」


 そう言われて、あの時の罪悪感が景紀の中で蘇る。その一瞬の隙を突くように、貴通が唇を重ねてきた。

 どこか虚しさすら感じられるその接吻を、景紀は受け入れざるを得なかった。

 受け入れながら、兵学寮での出逢いを思い出す。

 どうして今、自分たちはこんな状況に陥ってしまったのだろうかと考えながら。

 本話に関連するノクターン版番外編(十八歳未満閲覧禁止)

冒頭URL:https://novel18.syosetu.com/

Nコード:n7033hg/10

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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