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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十五章 戦野の皇国編

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292 人生を持たぬ少女

 貴通は景紀の居室に籠ったまま、膝を抱きかかえて蹲っていた。


「……」


 虚ろな瞳を、ずっと畳の上に向けている。

 自分の本当の性別を暴露し、兵学寮時代から景紀との間に不純な関係があったと無遠慮に書き立てる号外記事。

 その現実を前に、彼女はどうすればいいのか判らなくなっていた。

 自分はずっと、公には“男”として生きていくことを決めていた。もはや自分が女として生きていくには、あまりにも嘘を重ねすぎている。

 父である通敏に男児として生きることを強いられていたとはいえ、“穂積満子”として人生を歩み直すには、すでに引き返せない地点にまで来てしまっていることを自覚していた。

 それに、この嘘を自分と一緒に守ろうとしてくれた景紀の存在がある。

 兵学寮でずっと性別を偽り、体が女として成長していく中で不安定になっていた心に寄り添ってくれた彼のためにも、この嘘はつき続けるつもりだった。

 もちろんその中に、自分自身の歪な欲求が混じっていることも貴通は判っている。

 景紀を軍師として支え、彼の名を歴史に残すことで、自分自身の名も歴史に刻む。そうすれば、この偽りだらけの人生にも意義があったのだと納得することが出来る。

 だが、重ねてきた嘘が暴かれ、歴史にその偽りの罪が記されることには、耐えられない。

 それでは、自分は“穂積貴通”でもなく“穂積満子”でもなくなってしまう。“穂積貴通”として生きてきたことはすべて否定され、かといって“穂積満子”として生きてきたわけでもないのだから。

 だからこそ、自分は“穂積貴通”でなければならなかった。

 それなのに今、自分の嘘は白日の下に晒されて、自分と景紀との関係すら貶める言説まで広められてしまっている。

 それは男装の少女にとって“穂積貴通”として生きてきたすべての否定であり、自身の秘密を共に守ろうと寄り添ってくれた景紀への裏切りであった。


「……景くん」


 それでも、貴通はここにいない同期生の存在に縋りたかった。だって、自分という人間の存在価値は彼と共にあることでしか示すことが出来ないのだから。

 でも、同時に思うのだ。

 嘘を暴かれて“穂積貴通”ではなくなってしまった自分が景紀と共にあれたとしても、それは以前までの自分と景紀の関係ではない。秘密の共有者では、なくなってしまうのだ。

 “景紀の軍師”では、あれるかもしれない。

 偽りだらけの自分の中で、その能力だけは本物だと景紀も認めてくれている。でも、それだけで終わってしまう関係は、嫌だった。

 それに、周囲も今までと同じように自分と景紀の関係を見ることはなくなってしまうだろう。

 自分と景紀との、兵学寮に入学して以来、九年以上にわたる関係を、何も知らない者たちに汚されるのは嫌だった。

 ぐるぐると、男装の少女の胸中では行き場のない感情が渦巻いていた。


「貴通様……?」


 と、居室の障子の向こうから控え目な声が掛けられた。鉄之介の声だった。


「……」


 貴通は応えず、緩慢な動作で顔を上げてぼんやりとした視線を障子に向けるだけであった。

 自分から、この部屋を出たくはなかった。出ればきっと、結城家の家臣団たちからの不躾な視線に晒される。

 そして、大勢の者たちの前で、自分の口で、自分が隠してきた秘密を説明させられる。

 もう貴通は、兵学寮に入学した頃のように秘密を一人で抱え込めるほど強くはなかった。景紀に自分の本当の性別が露見してしまったあの日から、自分は景紀に秘密を守ってもらうことに甘えていたのだから。


「……」


 貴通が鉄之介の呼びかけに応えないまま、時間が過ぎる。


『貴通』


 不意に、この場にいない彼の声が聞こえて、思わず貴通は顔を上げてしまった。

 鉄之介が無言のまま障子を開けると、部屋の中へと入ってくる。片手には、水晶球があった。陰陽師の少年は、極力、貴通と顔を合せないようにしながら、その水晶球を貴通の前に置いた。

 そしてまた、普段、景紀に見せているぶすりとした表情のまま、静かに部屋を出ていった。

 鉄之介が置いていった水晶球には、景紀の顔が映っている。


「景くん……」


 助けを求めるように、貴通はその名を口にした。


『冬花と鉄之介に頼んで、呪術通信を繋いでもらった』


 透明な宝玉の向こうに映る景紀は、そう言った。


『すまん。俺の不手際だった。一色公もお前の正体を知られた以上、警戒しておくべきだった』


 景紀は、悔やむように顔を歪める。


「一色公の、仕業だったんですか?」


 貴通は、か細い声で尋ねた。普段であればこの短時間で情報の出所など判るはずがないと理解出来るのに、今の彼女はそこまで考えることが出来なかった。


『まだ判らんが、可能性は高いと思っている。それに、暴露記事が出回った後、穂積通敏が例の宸翰を屋敷に押し掛けた記者連中に公表した、って言うからな。最初の情報源は、一色公の密偵でほぼ間違いないだろう』


「お(もう)様が……」


 実父・穂積通敏が自分の本当の性別を公表したという景紀の言葉に、貴通は父の身勝手さを改めて思い知らされた。

 今まで自分を男として振る舞わせておいて、いざ本当の性別が露見してしまえば、その秘密を守る努力をあっさりと放棄する。

 父の身勝手さに対する怒りは、湧いてこなかった。

 あの男が自分のことを慮ってくれるとは最初から期待していない。

 それでも、今まで自分は何のために男として振る舞ってきたのだろうという、虚しさと徒労感が湧き上がってきてしまうのは止められなかった。


『貴通』


 景紀が申し訳なさそうな、それでも確かな意思を感じさせる声で言った。


『もうこうなった以上、お前の秘密を守るのは不可能だ。お前には悪いと思うが、お前の事情については結城家の方からも公表させてもらうぞ? お前が穂積通敏にずっと利用されてきて、なのにお前の弟がようやく成長したからお前が不要になって、あの男はお前を始末する機会を窺っていた。お前が結城家に身を寄せているのは、父親から自分の命を守るためだ、っていう感じで、お前に同情が集まるような記事を御用新聞の記者に書かせる』


「……そうですか」


 押し寄せる空疎な感情の赴くまま、投げやりな声で貴通は応じた。

 同時に、こんな時でも迅速に対応しようとする景紀に、どこか誇りに近い感情を抱いていた。自分が軍師として仕え、恋慕の念を向ける殿方は、やはりこの程度では狼狽えない。

 自分とは、大違いだ。


『勝手に進めちまって、すまん』


 景紀は謝ってはくるが、それでも彼はこれが今出来る最も有効な対象方法だと考えているのだろう。言葉には、迷いがなかった。


「いえ」


 だから貴通は、どこか自己嫌悪を覚えながら応じた。


「僕が、情けないだけです。女だということが露見しても、僕自身がちゃんと対処すればよかったんですから」


『貴通……』


 案ずるような声が、呪術通信を通じて貴通の耳に届く。


「僕は、これからどうすればいいんでしょうかね……?」


『お前は、俺の軍師だ。唯一無二の』


 ぽつりと貴通が問いかければ、景紀は迷いなく即答した。


「それは、“穂積貴通”のことでしょう?」


 だが貴通は、自嘲するように唇を歪めて言う。


「女であることが暴かれた僕はもう、“穂積貴通”ではいられませんよ」


『お前が“貴通”であろうが、“満子”であろうが、俺と一緒に兵学寮の五年間を過ごして、対斉戦役や皇都内乱を切り抜けた奴であることに変わりはない』


「六家の御嫡男様は、気楽でいいですねぇ」


 思わず貴通の口から、兵学寮に入学した直後のような言葉が漏れた。


「それとも、冬花さんに“シキガミ”、“シキガミ”言っているから、僕にも“軍師”、“軍師”って言っておけば良いとでも思っているんですか?」


 自分でも、悪意しかない言葉を景紀に向けていることは判っていた。判っていても、止められなかった。

 自分が景紀の出自を羨んでいたのも本当であるし、女として彼の側に控えることが出来る冬花という少女に嫉妬していたのも事実だ。

 “秘密の共有者”という関係は消え去り、“景紀の軍師”という関係だけが残ることは、貴通には耐えられなかった。

 能力だけで繋がっている関係など、嫌だった。

 自分だって、宵姫や冬花という少女と同じように、景紀との間に絆があったはずなのだ。

 だから景紀の言い方に、何か許せないものを感じてしまったのだ。

 景紀の出自に対する羨望、宵姫と冬花に対する嫉妬、女であることを暴かれ“穂積貴通”でいられなくなってしまったことへの絶望。

 様々な思いが彼女の中で渦巻き、行き場を失った感情が景紀への八つ当たりとなって現れていた。


『満、俺は……』


「本当に僕は、“満子”なんですか?」


 景紀が何かを言い掛けたのを遮って、貴通は言う。


「僕は今まで“穂積貴通”として生きてきました。“穂積満子”として生きてきたことは、一度もありません」


『それでも、その名はお前の“本当”だろう?』


 景紀が諭すように言うが、今の貴通は“満子”という己の名を“本当”であると認めることは出来なかった。

 いつもは景紀にそう呼ばれれば嬉しいはずなのに、今はその名にすら空虚さを感じてしまう。

 女であることが暴かれてしまったというのに、その“満子”が過ごしてきた人生はこれっぽっちも存在しないのだ。“満子”という名前は本当でも、そこに付随するはずの人生は何もない。


「なら景くんは、僕に満子としての生き方を示せるんですか?」


 だから貴通は、景紀へのかすかな反発と共にそう訊いてしまった。


『お前が“貴通”であろうと“満”であろうと、兵学寮に入学した時から始まった俺とお前の関係は、偽りなんかじゃない。お前が俺の軍師として側にいて支えてくれたことも、本当だ。お前は、それすら否定しようってのか?』


 景紀の声は慰めるようでもあり、また責めるようでもあった。


『何より、お前は俺を立ち直らせてくれた。それには、本当に感謝している』


「じゃあ、今度は景くんが僕を立ち直らせて下さいよ」


 自棄になったように、そして挑発的に、貴通は吐き捨てた。水晶球の向こうにいる景紀が、一瞬だけ顔を歪める。


『……判った』


 そうして、呻くようにそう言った。


『すぐに、皇都に向かう』


「……」


 しかし貴通は、そのまま無言だった。


 景紀に対する八つ当たりめいた感情と、自分自身の不甲斐なさへの自己嫌悪から、どう答えればいいのか判らなかった。


『……少し、待ってろ』


 結局、景紀も貴通から返答が来ないと思ったのか、そう言い残して通信を切ったようだった。


「……」


 水晶球から景紀の顔が消えたことに、貴通はどこか安堵に近い思いを抱いていた。

 早く景紀に帰ってきてもらいたい。自分の側にいて欲しい。

 でも、“貴通”でも“満子”でもいられなくなった自分に対して、六家当主という確固たる地位を得た景紀に対する妬ましさも胸の内で渦巻いている。

 彼が側にいれば、自分という存在の空虚さと劣等感を嫌でも感じてしまう。

 だから、今は側に来て欲しくない。

 そんな矛盾した思いを、男装の少女は抱え込んでいた。


「……」


 貴通はなおも無言のまま、何も映さなくなった水晶球をしばらく見つめているのだった。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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