291 男装少女を巡る諸相
穂積貴通の本当の性別が暴露されたことで混乱を来していたのは、何も結城家だけではなかった。
いや、結城家に関しては迅速とはいえないまでも葛葉鉄之介の機転で御台所である宵の指示を仰ぐことが出来ていたから、この場合、最も混乱していたのは結城家ではなかった。
貴通の実家である、穂積公爵家であった。
五摂家の各当主は屋敷に軟禁され、相互の連絡も禁じられているとはいえ、屋敷の外とまったく遮断されてしまったわけではない。皇都で貴通が女であることを暴露する号外記事がばら撒かれたことは、屋敷で働く者たちの口を通して彼女の父・通敏の元に伝わることとなった。
さらには一部の記者たちまでもが屋敷に押し掛けていたから、穂積家の家令たちはその対応に追われていた。
「だから私は、早くあの娘の正体を公表すべきだと申し上げたのです!」
一方、屋敷の内部では通敏の正室・時子は、そう言って夫に詰め寄っていた。
「これではまるで、我が家が陛下を謀ったように受け取られかねないではないですか!?」
「判っておる!」
通敏は居室の中をうろうろとしながら、苛立たしげに怒鳴り返す。
「だが、陛下からはあやつを今しばらく男として振る舞わせよとの宸翰を頂戴している。断じて、我が穂積家は陛下を欺き続けたのではない……!」
部屋の中を落ち着かなく行き来しながら、彼はぶつぶつと呟いていた。
いくら皇主からの宸翰があるとはいえ、通敏が皇都内乱で貴通の性別が露見してしまうまで皇主を欺き続けていたという事実は変わらない。
しかし、彼はそれを認めることが出来なかった。皇主からの宸翰の存在に縋り、何とか己の正統性を己自身に言い聞かせようとする。
皇都内乱で敗北した伊丹・一色両家の側に付き、皇主からの不興を買ってしまった五摂家にとって、ここでさらなる醜聞にまみれることは何としても避けたいことであった。
そうでなければ、五摂家、中でも自らが当主を務める穂積家の権威そのものが揺らぎかねない。
何とか、打開策を考えねばならなかった。
「通敏様、屋敷の各門のところに記者どもが押し掛けております」
屋敷の家令長が、困惑がちに通敏に報告に来る。
「追い返そうにも、連中、まるでこちらの言うことを聞きません」
「たかが記者ごときが、五摂家の権威を何だと思っているのか!?」
怒りを露わにしたのは、時子であった。
新聞記者にこれほどまでに翻弄されるというのは、皇都内乱による五摂家の権威の低下を如実に感じさせられる出来事であった。
「これは、我が穂積家に責任を転嫁しようとする結城家の差し金か?」
だが、通敏が真っ先に疑ったのはその点であった。
結城景紀もまた、貴通を公には五摂家男子として扱ってきた。皇主を欺いてきたという意味では、通敏と同罪であるはずだった。
だからこそ通敏は、結城家が貴通の本当の性別について知らぬ存ぜぬを決め通し、皇主を欺いてきたすべての責任を自分自身に押し付けてくることを警戒していたのである。
「いえ、どうにも民権派の新聞記者どもが多いようです」
家令長は、なおも困惑気味であった。彼もまた、貴通が女であることを知らされていなかったため、今回の暴露記事に戸惑いを覚えていたのである。
「民権派、民権派……、あの不埒者どもか……!」
そして、家令長の言葉を聞いて通敏はさらに忌々しげに顔を歪めた。
恐らく、皇都内乱による五摂家の凋落を見て、民権派の者たちはこれを自らの政治勢力を伸ばす好機と見たのだろう。だからこそ、穂積家の醜聞に飛び付き、よりその権威を貶める記事を書こうと狙っているのだ。
少なくとも、通敏はそう受け止めていた。
「……いや、だがこれは好機でもあるか」
一方でこの五摂家当主は、別の見方も出来ることに気付いていた。
民権派の勢力伸長を恐れているのは、恐らく結城家も同じだろう。六家体制が崩壊し、五摂家の権威も揺らいでる現在の政治情勢は、結城家にとっても自らの政治権力を絶対のものに出来る好機である。
民権派の存在は、結城家にとっても疎ましいものであるはずだ。
暴露記事の内容は、穂積家だけでなく結城家の権威すら傷付けるものである。
六家体制が崩壊した今、皇都内乱の勝者である結城家の正統性を揺るがせる暴露記事、そしてそれを利用しようとする民権派は結城家が新政権の基盤を盤石なものとする際の障害になるに違いない。
「ならば、ここでこの混乱を収拾し、結城家に恩を売るのも手か……」
未だ五摂家の復権を諦めきれない通敏は、今回の事件における混乱を自ら収拾することで結城家に対し貸しを作ろうとしていたのである。
「家令長」
「はっ」
「記者どもを、屋敷に上げてやれ。連中に、陛下からの宸翰を見せてやろう。我が穂積家が、決して陛下を謀っていたのではないという、決定的な証拠を、な」
その声は、先ほどとの苛立たしげなものと打って変わって、どこか勝ち誇るような響きがあった。
自らの血を分けた一人の少女の人生を弄び続けた男は、この時もまた、自らの行いが少女にどのような影響を与えるのかにまったく無自覚であった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
河越城内の電信局には、嶺州での士族反乱に関する電報が次々と入ってきていた。
「皇都での貴通殿の暴露記事、そして嶺州での佐薙家遺臣団による蜂起、これらは一色家ないし伊丹家の計略である可能性が高かろうと思います」
千代の東北鎮台から河越城へと帰還していた百武好古将軍が、当主執務室で宵にそう言う。
「ええ、私もそれは考えておりました」
指摘を受けた宵は、動揺を欠片も見せずに応じた。電報の送達紙を受け取る顔も、普段通りの無表情である。
「両事件が同じ日に起こったことまでが向こうの策略かは判りませんが、一色家ないし伊丹家は以前からこうした事件を起こすことを目論んでいたのでしょう」
もちろん、宵としてもしてやられたという思いはある。
穂積貴通の本当の性別が皇都内乱で一色家陣営に露見していた以上、一色家陣営によってそのことが暴露されることを警戒していなかった景紀の迂闊さもあるだろう。
もっとも、皇都内乱終結直後は景紀も母君や冬花の件で精神的にかなり追い詰められていたから、宵自身はそこまで景紀の失態を責める気にはなれない。
それに、皇主から貴通の性別を当分の間秘匿せよとの宸翰の存在もある。
結城家の側から真実を明らかにすることも出来なかった以上、どうしても後手に回らざるを得なかったのだと割り切るしかない。
「姫様。嶺州の件、あまりお気落としされませぬよう」
どこか案ずるように、筆頭家老の益永忠胤が宵の表情を窺う。彼は、この結城家御台所となった少女がどれほど故郷の民を気に掛けていたかを、景紀との婚儀の直後から見ていた。
だからこそ、嶺州の地に戦火が上がったことに宵が心を痛めていないか案じていたのである。
「いえ、その件については先ほども申したように、景紀様と冬花様がいらっしゃるのであまり心配していないのです」
一方の宵は、益永が案ずるほどには嶺州での士族反乱発生を悲観していなかった。
もちろん、最初の一報が届いたときには悲しみとやるせなさを覚えた。しかし、嶺州には今、景紀と冬花がいる。それが宵には心強かった。
新南嶺島の士族反乱を実質、二人だけで鎮圧した彼らならば、きっと嶺州の反乱も大過なく収めてくれるだろう。
「すでに現地代官による治安出動要請も出されたとのこと。ならば嶺州の件は、景紀様と現地の軍に任せましょう」
宵は結城家重臣と老将に、確かな意志の籠った瞳を向けた。
「私たちは嶺州での反乱に惑わされず、西国鎮定のための兵を興す準備を万全にしなければなりません。それこそが、景紀様から留守を預けられた私たちの役割です」
「御意」益永が恭しく一礼する。「皇都での暴露事件の件も含めまして、家臣団および領軍の動揺は最小限に抑えるよう、努めます」
「百武将軍も、そのように」
「かしこまりました」
まだ十代で結城家御台所となった少女に、皇国陸軍の長老格の一人である百武中将もまた一礼した。
「それと、東北鎮台にいる結城景保殿、その御父君である景秀殿の動向にも目を光らせておくように」
宵は、念を押すようにそう指示する。
皇都での暴露事件と嶺州での反乱が同時発生したことで、河越城内では若干の混乱と動揺が発生している。
景紀自身が主導したものではないとはいえ、彼は父・景忠を廃立して結城家当主の地位についた。そして、当主となってまだ日が浅い。
そうした権力基盤が十分に確立出来ていない状況を、あの親子が狙っていないとも限らない。
特に結城景秀は、伊丹・一色両家を恭順させるという使者の任は果たさないまま、病と称して河越に帰還している。
一色公直との会談を終えた直後に病に罹ったということであるから、あまりにも不自然な病であった。有馬頼朋翁の事例もあり、宵としては警戒せざるを得ない。
これまでの景秀の言動から考えて、一色家との内通、あるいは一色家の動きに呼応して結城家内に混乱を引き起こし、当主の地位を簒奪することを狙っているとも考えられたからである。当然、その嫡男である景保もまた、宵の警戒する相手であった。
「結城家は、景紀様以外の誰にも渡しません」
宵は口の中だけで呟くと、そっと腹部に手をやった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
景紀は、貴通の性別を暴露した号外記事が皇都に撒かれたことを冬花の呪術通信を通して知ることになった。
嶺州での反乱鎮圧を河越の宵と皇都の貴通に連絡しようとしたところ、皇都にいる鉄之介から報告が入ったのである。
「宵には、このことは報告してあるのか?」
『ああ。とりあえず、情報の出所を新八さんと一緒に調べている。それと、姫様からは号外記事を出した新聞社にはあんたと貴通様の関係を侮辱するような記事を掲載したって理由で発行差止を命じて、こっちの御用新聞を使って結城家の権威を損なうような噂話の払拭をやるよう、言われている』
冬花が用意してくれた水晶球の向こうで、鉄之介はいささか疲れた表情を浮かべていた。
今、景紀は急ぎ鷹前城に戻り、奥御殿で皇都の状況を確認していた。貴通の本当の性別に関わる話であることもあり、ひとまず城の者たちには部屋に近付かないよう命じてある。
『で、こっから先はまだ河越には報告していないんだが……』
「何だ?」
鉄之介が若干、言い辛そうにしているのを、景紀は急かす。
『少し前、穂積通敏が屋敷に押し掛けた記者連中に、例の宸翰を公表したらしい』
「ちっ……」
景紀は顔を歪めて舌打ちを響かせる。完全に、己の失態だと思っている。
皇都内乱で一色公直に貴通の本当の性別を知られてしまった以上、警戒はしておくべきだったのだ。だけれども自分は、母・久の死や冬花が呪術師としての力を損なってしまったことで、貴通の秘密をどう守り抜いていくかということにまで頭が回っていなかった。
あまつさえ、そんな貴通に立ち直らせてもらった始末である。
皇都内乱後の自分の不甲斐なさが、今回の事態を招いてしまったともいえる。
「これで、あいつの秘密を隠し通すことは不可能になっちまったな……」
鉄之介からは、暴露記事に衝撃を受けた貴通が皇都屋敷の景紀の部屋に籠ってしまったということは伝えられている。
本来であれば真っ先に彼女に呪術通信を繋げて何か言葉を掛けてやるべきなのだろうが、景紀は結城家としての対応を優先させてしまっていた。
それがますます、彼が己に苛立つ原因となっていた。
『正直、暴露記事が出回った時点で、貴通様の性別の秘密を守り抜くことは無理だったと思うぞ』
皇都にいて暴露記事の拡散を直に知っている鉄之介は、そう指摘してきた。景紀は不快の唸りを上げるが、鉄之介の言葉は真っ当な状況判断だろう。
だからこそ、景紀はますます腹立たしいのだ。
『どうする? 宸翰を公表された以上、それを掲載する記事を差し止めようにも口伝てで宸翰の内容は絶対に皇都の市民に広まるぞ』
「あの野郎、どこまで貴通の人生を弄べば気が済むんだ」
奥歯が軋む音が、景紀の口から漏れた。
「鉄之介。お前、貴通が何で男として振る舞っていたか、一応は聞いているな?」
『まあ、あんたや宵姫様、姉上が南洋植民地に行っていた間、俺は貴通様の近くにいたからな』
「だったらそれを記事にして出回るようにしろ」
景紀は剣呑な口調で命じた。
『いいのか?』
水晶球の向こうの鉄之介は、怪訝そうだった。
「ああ。どういう意図で穂積通敏が宸翰を公開したのかは知らんが、あの男のことだ、娘を俺に差し出すことで、自分は皇都内乱の最初から結城家陣営に伊丹・一色陣営の情報を流していた、結城景紀が皇都内乱に勝利出来たのは自分の功績、とでも言い出しかねない。そうやって、自分の娘をダシにして復権を目指すような人間だ」
『要するに、貴通様は常に穂積通敏公に疎まれ、命を狙われていた。それを結城家が、まあ端的に言えばあんたが守ってきた、って体の記事にすれば良いわけだな?』
「ああ、そういうことだ。出来るだけ貴通に同情が集まる記事になるよう、記者に書かせろ。それと、俺とあいつの関係を邪推する記事への対抗だが、軍を巻き込め」
『軍? 兵部省ってことか?』
「ああ」景紀は水晶球の向こうに頷いて見せた。「まあ確かに兵学寮時代から俺と貴通を“念友”とか言ってくる連中はいたが、今回の暴露記事はそれ以上に俺と貴通、特に貴通が軍で今の地位を得たことと女であることを繋げて扇動的に書き立てているんだろ? それは、兵学寮という教育機関、つまりは軍に対する侮辱だ。それと、あいつの対斉戦役や皇都内乱での功績の否定でもある。だから結城家だけでなく、兵部省にも反論の声明を出すように働きかけろ」
もっとも、貴通が若くして現在の地位にいるのは確実に景紀との関係があったからである。ただし、それは景紀自身にもいえることであるし、封建的な部分を残したまま近代化した皇国陸軍の歪な面の一端である。
必ずしも、そのことを以て貴通が批判されるいわれはないのだ。
「ひとまず、俺からの指示は以上だ」
『おう』
鉄之介は、どこか釈然としないような表情で頷いた。宵に引き続いて景紀までもが、渦中の貴通を無視して対応策を指示していることに納得がいっていないのだろう。
「お前が何に不満を持っているかは判る」
『……』
景紀の指摘に、鉄之介はばつが悪そうな表情を浮かべた。
「だから、貴通と少し話がしたい。頼めるか?」
そう言った景紀の声には、少し固い響きが宿っていた。




