289 覚悟の違い
寺に立て籠る不平士族たちと、それを包囲する嶺州軍との間で緊迫した状況が続く中、不意に一発の銃声が響き渡った。
寺の築地塀越しに小銃を構えていた不平士族の一人が、景紀に向けて発砲したのである。
「……気の早い奴がいたらしい」
だが、放たれた弾丸は景紀には命中しなかった。
主君に銃口が向けられた瞬間に冬花が前に出、両手で印を結んで即座に結界を張ったからである。
「まだ撃つな!」
そして、柴田平九郎少将は背後の将兵たちに対して大声で命じた。不平士族側に引き摺られて、指揮官の号令なく発砲する者はいなかった。
「……」
冬花はその赤い瞳で、主君を撃った不平士族を鋭く睨み付けた。シキガミの体から、ぶわりと剣呑な霊力の波動が噴き出す。
「―――っ!?」
術者でなくとも判るその威圧に、築地塀越しに小銃を構えていた不平士族たちが怯む気配があった。
「ふん……」
主君を傷付けようとした狼藉者たちがあっさりと怯懦に呑まれたことに、冬花は嘲るように小さく鼻を鳴らした。所詮、不平士族たちの佐薙家への忠義など、その程度のものなのだろう。
景紀に忠義を捧げる冬花だからこそ、佐薙家遺臣団の無様な様子には失望に近い嘲りの感情を抱いていた。
「……景紀殿が出てきたのは、かえって逆効果だったかもしれんな」
「誘ったのは少将だろうに」
柴田少将の言葉に、景紀は皮肉な笑みを返す。
「それで少将。連中はああいう態度なわけだが、まだ降伏勧告を出す必要性があると思うか?」
「私も貴殿も、子供殺しの汚名を着るわけにはいかないだろうよ。景紀殿は特に、な」
主家である佐薙家や景紀の属する六家に批判的な男は、素っ気ない態度でそう言った。
「だからこそ、我々が連中に降伏という選択肢を示してやらねばならん」
つまり柴田平九郎少将は、新政権の中枢を担うことになった景紀の立場に配慮してくれているわけである。
柴田少将の意外に甘い一面を見た気がするが、一方で自分が思い切りが良過ぎるだけなのかもしれないとも思う。少なくとも景紀は、佐薙時親を名乗り始めた大寿丸の生死については、あまりこだわっていない。
そうして二人が問答していると、閉ざされた山門のくぐり戸が開き、寺の中から数人の人物が出てきた。
景紀たちも山門へと進み出て、その人物たちと対峙する。
寺から出てきたのは、恐らくは佐薙時親(大寿丸)と思われる少年と、十代前半だろう少女、そして一人の青年であった。
時親らしき少年は明らかに緊張し、少女は冬花を警戒しているようだった。そして残る青年は、景紀に対して険しい視線を向けている。
「結城公爵家が当主・景紀だ」
景紀は、先手を打って名乗りを上げた。
「こっちは、俺のシキガミの冬花。それでこっちは、もう知っているかもしれないが歩兵第二十八旅団長の柴田平九郎少将」
「……佐薙成親が嫡男・時親」
少し前まで“隼吉”と名を偽っていた少年が、気圧されたようにそう名乗る。
「私は佐薙家に仕えている大堀史高だ」
先程から景紀への敵意の視線を隠そうともしない青年も、自らの名を明かす。
「……中野、流」
そして少し迷ったように、少女が名乗った。
それで景紀はすぐ、この少女が忍であることに気付いた。佐薙家に仕える忍の実態を結城家が完全に掴んでいるわけではないが、中野流という少女が皇都から脱出する大寿丸を助けた人物であることは、鉄之介や新八からの報告で聞いている。
「先ほどは我らの同志が失礼した」
あくまで形式上の口調で、大堀史高は景紀への銃撃を謝罪した。
「それで、結城景紀殿。我らにいったい、いかなる用か?」
その問いに、景紀は柴田少将に目配せをした。柴田少将が、一歩前に出る。
「すでに寺は完全に包囲している。私としても、嶺州人同士が殺し合うのは忍びない。故に貴殿らに対し、降伏を勧告する」
柴田少将は佐薙時親への忠誠心などまるで感じさせない声で言った。
「貴殿らが嶺州人、だと?」
そして大堀史高は、そのような柴田少将の言葉が不快なようであった。
「真の嶺州人ならば、時親様の下に馳せ参じて当然ではないか。それをせぬ貴殿は、単なる結城家の手先に過ぎん」
「……どうやら“真の嶺州人”というのは、平穏だった嶺州に騒乱を起こす人間のことを言うらしい」
柴田少将は皮肉そうに、景紀に振り返ってそう言った。
「これは、騒乱なんかじゃない!」
そんな柴田少将の発言が我慢ならなかったのか、佐薙時親が声を上げた。
「結城家に虐げられている嶺州の民を救うための、義挙だ!」
「九歳のガキが“義挙”か。随分と難しい言葉を知っているじゃあないか」
景紀もまた、一歩時親たちに向かって進み出た。冬花が、主君を守るように腰の刀に手を添えている。
時親を名乗る少年は一瞬だけ気圧されたような表情を見せたが、それでも幼いながらに将家の次期当主としての意地があったのだろう、景紀を睨み付けるように見上げてきた。
「……僕は、あなたが姉上とともに奪った佐薙家の領地を取り戻すために家臣たちと一緒に立ち上がった。これ以上、この嶺州で結城家の好き勝手にさせるわけにはいかない」
十歳に満たない少年が、精一杯佐薙家の正統な後継者として振る舞おうとしているのを見ても、景紀は特に健気とは思わなかった。姉である宵が自分のところに嫁いできた覚悟に比べて、何とも安っぽい正義感であるとしか思えない。
「結城家に好き勝手、ねぇ」
かつて床入りの儀の際に宵が言った言葉を思い出して、景紀は唇を歪めた。
「お前の姉は、結城家を利用しようとしたし、何なら嶺州が結城家に乗っ取られても構わないと考えていたぞ? その方が、嶺州の民のためになるから、ってな」
「なっ……!?」
佐薙家の領地であるはずの嶺州を結城家が乗っ取った方がかえって嶺州の民のためになる、という異母姉の言葉に、佐薙時親は一瞬、絶句した。
「お前は、ここで少数の家臣団と蜂起することが本当に嶺州のためになるって考えているのか?」
子供相手に酷な質問だとは、景紀は思わなかった。取り巻きの家臣たちに担ぎ上げられた傀儡ではなく、この少年もまた自らの意思で蜂起した以上、宵と同程度の覚悟はしていて然るべきだと考えている。
その覚悟もないのならば、蜂起などすべきではなかったのだ。
「嶺州は、佐薙家の領地だ! そして僕は、その正統な後継者だ! 当主になって、民に寄り添う政を行う! そのために、僕は立ち上がったんだ!」
「随分と高尚な覚悟だな」
いっそ嘲弄に近い声で、景紀は佐薙時親という少年の言葉を切って捨てた。
「ガキのくせに、いっぱしの佐薙家当主気取りか?」
「幼名は捨てた! 子供扱いされるいわれはない!」
「どうだかね。少なくとも、お前の言葉は俺には宵の言葉ほどに響かん」
どれほど佐薙時親という少年が言葉を重ねようとも、景紀が認めるのは姉である宵の覚悟だけだ。
「お前は、北溟道で“隼吉”として平穏に暮らしていれば良かったろうに」
それは景紀が、この少年に示したわずかばかりの憐憫であった。
「僕は、必ず佐薙家を再興してみせる!」だが、佐薙時親は景紀の感情に気が付かなかった。「あなたや姉上に、嶺州を奪わせたりしない!」
柴田平九郎少将の降伏勧告も聞き入れるつもりがない以上、これ以上の問答は無用だと景紀は感じていた。
この少年も含めて、佐薙家遺臣団は佐薙成親の亡霊として消えてもらうしかない。
「結城景紀殿。貴殿はどうしても、時親様を佐薙家の正統な後継者として認める気はないと?」
景紀が冷酷にそう断じようとしたとき、大堀史高が幼い主君を庇うように口を開いた。そんな男に、景紀は視線を向ける。
「今さら何でこんなガキを佐薙家の正統な後継者として認める必要がある? そんな奴がいなくたって、嶺州は発展していけるだろうよ。どっかの馬鹿な奴らが、蜂起なんてしなければな」
「だが貴殿は不当な手段で結城家当主の地位を簒奪したと聞く。そのような者にこの嶺州の地を任せることが出来ると?」
「それを言ったら、そもそもこんなガキを領主に据えて、それで嶺州が発展していくとお前たち佐薙家遺臣団は思ってんのか?」
「時親様は、まごうことなく佐薙家直系の男児であらせられる。その血筋の確かさが、すべてを保証している」
「血筋、血筋ねぇ……」
景紀はまた唇を歪めた。皮肉げに、佐薙時親を見下ろす。
「血筋が真にそいつの能力を保証するって言うのなら、宵は佐薙家の血だけでなく六家の血も引いているわけだが?」
「六家の血を引く売女などに、嶺州の政が担えるものか!」
「……へぇ」
ぞっとするほど低い声が、景紀の口から漏れた。
彼の隣で控える冬花は、主君が大堀史高という男に斬りかからないか肝を冷やしていた。少なくともシキガミの目の前にいる男は、景紀の中で越えてはならない一線を越えたのだ。
幼少期は景紀に守られている存在だったからこそ、冬花はそのことを敏感に感じ取っていた。
「……あんたらがそういう態度なら、これ以上は無駄らしい」
だが景紀は、冬花の警戒に反してくるりと踵を返した。
「冬花」
呼ばれて冬花は、半ば慌てたように主君の後に続いた。もちろん、背後の者たちへの警戒は怠っていない。
「……」
柴田平九郎少将も景紀がこれ以上の問答を打ち切ったのを見て、包囲部隊の方へと戻ることにした。彼自身も、故郷のために尽くそうとする健気な姫君を悪し様に罵る男たちの言葉をこれ以上、聞きたくはなかった。
◇◇◇
「最早、是非もなかろう」
完全に佐薙家という存在への愛想が尽きた声で、柴田平九郎少将が言った。
「これより、寺への総攻撃を敢行する。佐薙時親という少年の生死は問わん。それで構わんな、景紀殿?」
「嶺州軍の指揮は少将が担っているんだ。俺は反乱鎮定の軍事的な部分に、これ以上口を出すつもりはない」
景紀は鬱陶しそうに、軽く手を振ってみせた。
「随分と抑制的な態度だな」柴田少将は、かすかに疑わしげな視線を景紀に向けていた。「宵姫様を侮辱したあの男に斬りかからないかと、先ほど私はそちらのシキガミ殿と一緒に警戒していたんだが?」
「あそこであの男を斬ったところで、腹の虫が収まるかよ」
景紀は吐き捨てるように言った。
「連中全員に、自分たちは単なる反乱勢力で、嶺州の誰も馳せ参じようとしないっていう現実を突き付けてやった方が多少は溜飲が下がる。それに、連中が独りよがりな大義を振りかざせば振りかざすほど、宵の故郷に対する健気さが際立つ」
「剣呑な口調で惚気るとは、貴殿もなかなかに器用な男だな」
半ば呆れたように柴田少将は言い、ふっと一息吐いて続けた。
「いつまでも嶺州のことで、宵姫様のお心を煩わせるわけにもいくまい。すでに姫様は結城家御台所となられたのだ。故に、禍根はここで断ち切るとしよう」
そうして柴田少将は表情を険しいものに変え、寺を包囲する部隊へと総攻撃の命令を下したのであった。
やがて山砲の砲声が、寺を包み込むようにして響き渡った。




