287 御家再興という幻想
八日未明、嶺奥国およびかつて嶺州南部であった花岡県にて、不平士族たちの反乱が始まった。
鷹前城の本丸御殿に潜入して結城景紀暗殺を狙った中野家忍集団の他にも、不平士族たちは決死隊を編成して嶺州代官や花岡県令の官舎、そして電信局や鉄道施設を襲撃した。
特に彼らは電信局に損害を与え、また電信線を切断することで、反乱の第一報が岩背県千代の東北鎮台に伝えられるのを出来るだけ遅らせようとした。
鉄道施設の破壊についても、東北鎮台から鎮圧部隊が迅速に派遣されることを防ぐためである。佐薙家遺臣団は、嶺州領民たちの悲願であった鉄道すら、反乱成功のために破壊したのだった。
加えて、結城景紀と共に嶺州代官と花岡県令を狙ったのは、彼らによって歩兵第二十八旅団に治安出動が命ぜられるのを阻止するためであった。
皇国陸軍における治安出動は、奉勅命令なしに領主・県令の判断で軍を動かせる命令型式の一つである。基本的には、匪賊討伐など領内に軍を出動させる場合に下される命令形式であった。
結城景紀の暗殺を成功させられれば結城家自体が混乱に陥り、嶺州代官と花岡県令を殺害すれば嶺州軍に治安出動を要請出来る人物もいなくなる。
こうして嶺州と花岡県における指揮系統を麻痺させ、併せて情報伝達や交通を遮断することで、大堀史高ら佐薙家遺臣団は蹶起を成功させようとしていたのである。
少なくとも、佐薙家再興派の士族たちは、計画上はかなり綿密に反乱計画を策定していたといえよう。
◇◇◇
だが、こうした計画の大部分は、実行直前に露見していた。
景紀の命を受けた冬花が、探索用の式を城下に放ったからである。流石に反乱が二人の鷹前到着の翌日である八日未明に発生したため、詳細な情報収集をするだけの時間はなかったが、それでも冬花は蜂起の日付と優先順位の高い標的を察知することには成功していた。
景紀の寝所に忍の暗殺集団を送り込むというのも、冬花が掴んだ情報である(もっとも、その情報を掴んでいなくても冬花は景紀の寝所に身辺警護のための結界を張っただろうが)。
結果、景紀暗殺は失敗し、嶺州代官、花岡県令もまた事前の警告を受けていたために不平士族たちによる襲撃から逃れていた。
「冬花、城下町の状況は?」
「電信局で警察官との間で銃撃戦が発生。周辺の警察も応援に駆け付けつつあるみたいだから、何とかなりそうね。ただ、電信線は別の場所で切断されたみたい。代官官舎の方は火を放たれたわね。今、火消しが駆け付けているわ。市街地の方に延焼しないといいけど……」
景紀と冬花の二人は今、鷹前城内の廊下を歩いていた。冬花は、探索用の式を飛ばして得た情報を主君に報告していく。
「市街地の方に延焼しそうだったら、式を飛ばして結界で覆っておいてくれ」
「了解。気にしておくわ」
そうして彼らが向かった先は、城内の御用場であった。そこにはすでに、嶺州代官を初めとする政庁の主要幹部たちが集まっていた。
机の上には、嶺州の地図が広げられている。
「景紀様のおっしゃった通りになりましたな」
苦い口調でそう言ったのは、嶺州代官であった。
「私の施策が至らないばかりに不平士族による反乱を招いてしまい、誠に申し訳ございません」
そして、恐懼したように景紀に対し深く頭を上げた。
「いや、今はその件はいい」景紀は軽く手を振って続ける。「まずは反乱を鎮圧し、嶺州の治安を回復することが先決だ。ただちに、第二十八旅団に対する治安出動命令を出せ」
「承知、いたしました」
いささか気まずそうな声で、結城家家臣出身の嶺州代官は応じた。彼はこれまで、嶺州軍の一部が佐薙家遺臣団に呼応して反乱を起こすことを警戒し、その旨の書状も景紀に送っていた。
だというのに今、代官としての立場で嶺州軍に治安出動を求めることに、忸怩たる思いがあるのだろう。
以前、重臣からも指摘されたように、実際に内地で嶺州浪士による宵への襲撃事件に遭遇した者たちの嶺州への警戒感は根強いものがあった。中でも現地で嶺州の統治を任されている代官にとってみれば、嶺州の治安維持はなおさら切実な問題であったのだろう。
だが、そのために柴田平九郎少将を始めとする嶺州軍と結城家系の役人との間に隔意を生じさせてしまっては、本末転倒である。
幸いにして、佐薙家遺臣団にそうした点を突かれることはなかったが、景紀としてはいささか危ういものを感じざるを得なかった。
やはり、一色家との対峙を前に嶺州に自ら赴いて良かったとすら思っている。たとえ今回の士族反乱が、自分が嶺州を訪れたことによって引き起こされたものであったとしても。
「それでは、俺は柴田少将の方に合流させてもらう」
御用場にいる者たちに向かって、景紀はそう言った。すでに昨日の協議の段階で、士族反乱が発生した際には景紀は冬花とともに嶺州軍に合流するつもりであることは伝えている。
「お前たちは宜しく警察や火消したちを指揮し、城下に大きな被害が生じぬよう努めよ。以上」
景紀は短く政庁の役人たちに命令を下すと、冬花を従えて御用場を後にした。
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一方、反乱を起こした佐薙家遺臣団にとって、嶺州代官と花岡県令の殺害に失敗したことは彼らの最初の大きな躓きといえた。
しかし、彼ら佐薙家の不平士族たちは、嶺州と花岡県で相互に連絡を取る術を持っていなかった。電信局は嶺州政庁や花岡県庁が抑えていたため、一度挙兵してしまえば反乱計画を修正することは不可能であった。
嶺州で挙兵した組と花岡県で挙兵した組は、互いが互いの計画成功を信じつつ、さらなる行動に移らざるを得なかったのである。
特に花岡県で挙兵した不平士族たちは、結城景紀の暗殺さえ成功していれば反乱は事実上成功したも同然と考えていたから、嶺州側の情報を得られなかったこともあり、事前の計画通りの行動を続けていた。
彼らは花岡県の電信局やようやく開通した鉄道の駅舎などに手製爆弾を投げ込み、警察署も各所で襲撃している。当然、不平士族と警察官との間で銃撃戦も発生していた。
一方の嶺州側で挙兵した者たちは、結城景紀暗殺成功の報がもたらされないままに、反乱を拡大させていた。
結城景紀暗殺のために中野家の忍集団が鷹前城に潜入した直後、暗殺部隊に加わらなかった中野家の忍たちが城下町の各所で檄文をばら撒いたのである。
檄文には、佐薙家の正統な後継者である大寿丸が嶺州に帰還し、“時親”と名を改めて旧家臣団を糾合し結城家による抑圧から領民たちを解放すべく立ち上がったという反乱の大義が記されており、非常に扇動的な内容となっていた。
大堀史高ら反乱の首謀者たちは、この檄文によって嶺州領民から反乱への支持を取り付けようとしたのである。
また、檄文を撒き終えた中野家の忍たちは、次に結城景紀が討ち取られたという噂を城下に流し始めた。時親(大寿丸)による御家再興のための義挙が、順調に進んでいることを領民たちに印象付けるためである。
未明の出来事であったために、かえって領民たちは寝起きの混乱の中で何とか情報を得ようとしてそうした檄文を拾い、あるいは噂に飛び付く事態となった。その意味では、中野家忍集団による情報工作は、一定程度の成功を収めていたと言えよう。
「まもなく、この場には時親様に忠義を尽くそうとする郎党、郷士たちがこぞって馳せ参じてまいりましょう」
大堀史高は、主君である“佐薙大寿丸”から“佐薙時親”となった少年にそう報告した。
城に潜入した中野家の忍たちは、未だ一人も帰還しない。もしや結城景紀を討ち取ることに失敗したのではないかという疑念が大堀史高の中に芽生えていたが、あるいは結城景紀を討ち取った後に城から脱出することが出来ず全員が討ち死にしてしまったのかもしれないとも思っている。
とにかく、結城景紀の生死を確定させられる情報がない以上、暗殺は成功したという前提でこの義挙の計画を進めなくてはならない。
今、佐薙時親や大堀史高らがいるのは、鷹前の城下町にある佐薙家の菩提寺であった。
城から見て南西に約一キロ、いわゆる裏鬼門の方角に建立された寺院であり、創建以来三〇〇年近い歴史を持つ由緒ある寺でもあった。
しかし、この寺は純粋に佐薙家の歴代当主と弔うという役割だけでなく、鷹前城および城下町の防衛拠点としての役割も担っていた。
もともと、戦国時代などには寺は陣所として活用されてもいた(現在の皇国陸軍でも、国内の匪賊討伐などに際して寺に部隊を駐留させる事例は存在する)。寺に砦としての役割を与えるのは、建立当時としてはさほど珍しい事例ではない。
そのため三〇〇年前、佐薙家菩提寺は北側が断崖、東側が低湿地帯に面する地に建立され、さらに西側には堀が造られていた。
北溟道から嶺州へと帰還した大寿丸は、この寺に匿われて再起の時を窺っていたのである。
以前からこの寺は、佐薙家菩提寺という性格から大堀史高ら佐薙家再興派に密かに便宜を図っており、武器弾薬も秘密裏に敷地内に運び込まれていた(僧侶の中に、佐薙家の血を引く者が多いため)。
結城家の嶺州支配を打倒するための挙兵に当たって、この寺は佐薙家遺臣団の本拠地として機能していたのである。
城下に撒かれた檄文にも、忠義の心ある者は士族・平民を問わずこの寺に馳せ参じるよう、書かれていた。
遠からず自分たちの拠点は露見してしまうだろうから、逆手を取って時親(大寿丸)の居場所を明確にして、嶺州の領民や旧佐薙家家臣団たちの佐薙家への忠義に訴えようとしたのである。
大堀史高は、結城景紀を討ち取ってしまえば、今まで態度を明確にしていなかった旧佐薙家家臣団たちも自分たちの元に馳せ参じるだろうと考えていた。
そして嶺州代官と花岡県令を殺害、電信や鉄道施設を破壊して指揮系統や通信網、交通網を麻痺させることで、結城家側の対応に遅れを生じさせ、その隙に馳せ参じた者たちを取り込みつつ反乱を嶺州と花岡県全土に拡大させてゆく。
結城家は新当主が討ち取られたことによる混乱と、一色家の挙兵によって嶺州の反乱に対応する余力は失われ、最終的に一色公直による新政権の元で佐薙家は再興されるだろう。
大堀史高ら反乱を主導する者たちは、そのように考えていた。
しかし、現状は結城景紀を確実に討ち取れたという報告はもたらされておらず、ただ討ち取ったという噂だけを広めている状況である。
だからこそ、大堀史高は主君に対して忠義の者たちがこの寺に馳せ参じるという強気の報告をして、逆に自らの平静さを保とうとしていたといえよう。
「それは、心強いな。史高」
“大寿丸”から“時親”と名を改めた少年は、主君としての言葉で応じた。
時親自身、隼吉たちから結城景紀を討ち取ったという報せがもたらされないことを不審に思っている。しかし、中野流から彼らが自分のために死ぬ決意をして暗殺の実行に臨んでいると聞かされていたから、幼心にそうした者たちに恥じない主君でありたいと、精一杯の鷹揚な態度を示そうとしていた。
九歳の少年なりに、将家当主たらんと背伸びしていたと言えよう。
それに、時親は一度、多くの家臣たちを置き去りにして北溟道に落ち延びている。
もう二度と、家臣たちを見捨てるような主君にはなりたくない。それが、幼名を改めて“時親”と名乗ることに決めた少年の決意であった。
自分が主君として相応しい態度を示し続ければ、結城家に虐げられている嶺州の民は自分たちの下に集まってくる。
そう、この少年は信じていた。
彼らの期待が所詮は幻想に過ぎないと思い知らされることになったのは、それからしばらくしてからのことであった。
「嶺州軍です! 嶺州軍が来ます!」
寺の山門から、一人の武士が飛び込んできた。城下町の様子を確認し、領民たちを煽動する役割を担っていた男であった。
その叫びを聞いて、寺に拠る者たちの表情が一瞬、明るくなる。
今、嶺州軍を率いているのは佐薙家家臣団出身の柴田平九郎少将である。柴田少将はこれまで佐薙家再興派の誘いに応じるような姿勢を見せていなかったが、佐薙家の正統な後継者・時親(大寿丸)が起ったと聞いて、その立場を明確にしようとしたのだろう。
時親や大堀史高らは、そう考えたのである。
嶺州軍さえ自分たちの陣営に引き込むことが出来れば、反乱は成功したも同然であった。
だが、嶺州軍が佐薙時親の下に馳せ参じようとしていることを報せるにしては、その武士の口調にはいささか恐慌を来している響きがあった。顔も、青ざめている。
「奴ら、寺に向けて山砲を設置しようとしています!」
「何ぃ!?」
その報告に、大堀史高は怒りに近い声を上げた。
佐薙家家臣団が旅団長を務める嶺州軍が、その正統な後継者たる佐薙時親に砲を向けるなど、許すべからざる不忠であった。
佐薙家再興を目指す同志たちにとってみれば、まさしく嶺州軍の裏切り行為である。
「嶺州軍の中に、真の武人はおらんのか!?」
「代々主家からの恩顧を受けておきながら、何たる不忠か!」
「結城景紀と共に、柴田平九郎なる謀反人も討つべし!」
境内に集まっていた同志たちが、口々に憤りの叫びを上げる。
「……」
寺の本堂を本陣と定めていた佐薙時親も、思いがけぬ報告に顔を強ばらせていた。彼は今まで、家臣団の忠義しか受けたことのない少年である。
その家臣の一部が裏切るなど、想像だにしていないことであった。
そしてだからこそ、嶺州軍が裏切ったとは信じたくないという思いが働いた。
「……きっと、卑劣な結城家が人質を取って無理矢理僕たちと戦わせようとしているんだ」
九歳の少年は、嶺州軍が寺に迫りつつあるという状況を、そう解釈した。
「史高」
「はっ、ここに」
大堀史高も表情を強ばらせつつ、主君の言葉に応じた。
「嶺州軍が寺に迫ってきたら、僕が直接、彼らに語りかけようと思う。今一度、彼らに忠義の心を思い出して欲しいから」
「……」
一瞬、大堀史高は言葉に詰まった。確かに、佐薙家の正統な後継者自ら言葉を掛けるというのは、それなりに効果のあることかもしれない。
しかし同時に、幼い主君を家臣として十分に支えることが出来ず、そのような悲痛な決意をさせてしまったことへの忸怩たる思いがあった。
「……時親様のお心、必ずや嶺州軍の将兵に伝わりましょう」
だが結局、状況を打開するために史高自身も佐薙家の正統な後継者直々の言葉が必要であると認めざるを得なかった。
「……」
そんな二人を見て、中野流もまた険しい表情と共に覚悟を決めるときが来たのだと悟らざるを得なかった。




