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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十五章 戦野の皇国編

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285 御台所となった少女

 河越城に留まっている宵は、当主正室として不在の景紀に代わり各種書類の決裁などの政務を担っていた。

 結城家領軍は現在、追討令が下った伊丹・一色両家を討伐するため出兵の準備を進めている。彼らに対する兵站を維持するために、領内の後方支援体制を盤石なものにしておく必要があった。

 もっとも、宵は軍人ではないため、そのあたりの細かな部分については穂積貴通を中心とした領軍の兵站担当者が担っている。宵や河越の家臣団が主に担当しているのは、領内の私鉄各社や御用商人との協議、そして医師・歯科医・獣医師の確保であった。

 鉄道輸送の調整や武器弾薬、食糧、医薬品など領軍へ納入する物資の調整など、領軍の兵站担当者からの要望を元に宵や重臣たちが行うべき事項は多岐にわたっている。

 官営鉄道については首相である小山朝綱子爵が逓信省を交えて運行予定の調整を行ってくれているのであるが、官営鉄道と私鉄各線の乗り換え問題などで調整を進めるべき部分も多く、これまで領軍が行ってきた匪賊討伐とは比べものにならないほどの業務が河越に押し寄せていた。

 対外戦争であれば兵部省や軍監本部がそのあたりの調整を担うのであるが、今回は結城家に直接、追討の宣旨が下っている。

 封建制を色濃く残した皇国陸軍ではあったが、兵部省や軍監本部を介さない独自の大規模出兵はそれほど経験があるわけではない。そうした近代的な軍政・軍令機関が構築されていない時代の経験は、すでに六家からも失われつつあったのである。

 将家出身者が優遇される人事制度、それに伴う将家出身者を頂点とする命令系統、そして諸侯ごとに編制される領軍や予算など、制度面の多くに封建時代の残滓が存在しつつも、少なくとも兵站面については皇国陸軍は近代化を十分に遂げていたといえたのだ。

 やはり、六家体制下における皇国陸軍の歪さがあった。

 宵や重臣たちは河越城の書庫から半世紀以上前に作成された文書を引っ張り出してきて、未だ領軍の独立性が高かった時代の兵站業務を参考にしつつ物資の集積や輸送などの手配を行っていた。

 とはいえ、産業革命以前の時代に比べて弾薬消費量は増大し、輸送手段にも鉄道が登場するなど大きな変化が起こっている。過去の兵站計画を現在のそれに沿うように改変するのは、それなりの手間であった。

 こうした状況を変えたのは、千代から河越へと帰領した百武好古中将であった。

 六日に景紀と嶺州情勢についての協議を終えたこの老将軍は、景紀の意を受けて宵を軍事面で補佐するべく河越に戻ってきたのである。

 もともと結城家領軍訓練統監として対斉戦役後の領軍の再編を担っていた百武中将であったが、ここ数ヶ月の間は結城景保と彼を取り巻く青年将校たちの独走を警戒して東北鎮台に留まったままであった。

 景保たちが嶺州の情勢不安を武功を立てる好機であると認識していたのだから、なおさら領軍の重鎮ともいえる百武中将を千代に留めておく必要があったのだ。

 しかし、景紀が結城家当主として東北鎮台、そして嶺州に赴いて結城家としての明確な方針を示した以上、百武中将をただ景保らに自重を促すためだけに千代に留めておく必要もなく、またその余裕も今の結城家にはなかった。

 そのため、皇国陸軍の近代化に貢献し、かつ近代化以前の皇国陸軍を知る老将軍の手腕に景紀は期待したのである。

 十一月七日に河越城に入った百武好古中将は、その場で宵によって結城家領軍兵站総監に任じられた。

 景紀が千代で百武将軍を兵站総監に任じなかったのは、自身の不在中の宵の権威を高めるためでもあった。少なくとも、景紀の代理として河越で政務を取り仕切る宵には、領軍の人事権も部分的ながら委ねられていたのである。


「まったく、景紀様も宵姫様も、この老人を死ぬまでこき使うおつもりのようですな」


 そう苦笑しつつも、百武好古中将は河越城に入ったその日の内に宵や重臣たちが策定しつつあった兵站計画に手直しを加え始めた。

 皇都で兵站計画の調整役を担っている貴通とは、鉄之介やその母・若菜を介した呪術通信でやり取りしており、河越と皇都との連絡はそれなりに円滑に行われていた。

 ところが十一月八日、そうして具体的な兵站計画の策定が進められている最中、宵は皇都にて貴通の秘密を暴露する号外記事がばら撒かれたことを鉄之介からの呪術通信で報されることとなった。


  ◇◇◇


 景紀が皇都を不在にした直後に発生したこの事件に対して、結城家はその初動対応に完全に失敗した。

 皇都内に拡散されていく情報やそれに基づいた無責任な噂を打ち消すための情報工作が、完全に後手に回ってしまったのである。

 かつて景紀は宵が実父・佐薙成親によって誘拐された際、機密費の使用を許して結城家に有利な情報や宵に同情的な噂を流して情報工作を行っていたが、それとは完全に対照的な結果となったといえよう。

 やはり、景紀が不在であったことが大きかった。

 貴通は依然として結城家の客将的な存在であり、宵のように景紀の代理として機密費の使用を許可出来る立場にはなかったのだ。

 また、彼女の秘密を知る人間がごくわずかであったために、皇都にいる結城家の者たちも突然の暴露記事の流布に困惑してしまい、それもまた結城家の対応が遅れる原因となってしまった。

 河越の宵に鉄之介から助けを求めるような通信が届いた段階で、すでに暴露記事は皇都内に広まってしまっていた。


「……やられましたね」


 鉄之介からの報告を受けた宵は、いつも通りの無表情と淡々とした口調でそう言った。


『言ってる場合か!? どうすんだよ!?』


 若菜に呪術通信用の水晶球を用意してもらい、宵は直接、鉄之介と連絡を取っていた。その水晶球の向こうに、鉄之介の焦った顔が映し出されている。


「ともかく、すでに暴露記事が出回ってしまった以上は仕方ありません。真相を求めた記者たちがそちらの屋敷に押し掛けてくるかもしれませんが、屋敷の家臣たちには不用意に対応しないよう、言いつけておいて下さい。これは、結城家御台所としての命令です。いいですね?」


『お、おう……』


 宵が冷厳に告げると、鉄之介はわずかに怯んだようだった。


「そして、新八殿や風間家の忍たちに、暴露記事の情報の出所などを至急、調査させて下さい。一色家による攪乱工作であるかもしれません。鉄之介殿も、余力があれば皇都市内に式を放って新八殿たちを支援するように」


『それだけか? 何か貴通様には……』


「部屋に籠って出てこないのでしょう? ひとまず、屋敷の家臣たちも貴通様に真相を求めて部屋を訪ねるかもしれませんので、それは阻止しておいて下さい」


 鉄之介からの報告によると、どうやら貴通は自身の秘密を公にされてしまったことに衝撃を受けてしまったらしく、部屋に籠ってしまったという。

 この点もまた、隠蔽工作などで結城家の対応が遅れてしまった要因の一つであった。

 宵は貴通を責める気はなかったが、貴通自身が素早く暴露記事に対応していればまた結果は違ったかもしれないとは思っている。

 とはいえ、あの男装少女を責める気はない以上、詮無いことであった。だからこの北国の姫は、貴通を衝撃から立ち直らせることを優先しようとした。


「それと、嶺州の冬花様とは連絡が取れますか? 出来れば今のように水晶球を通して、貴通様が景紀様と話せる機会を設ければ、彼女も少しは立ち直れると思いますので」


『まあ、やってみる』


「お願いします。今はひとまず、それだけです」


『……判った』


 鉄之介は自らを落ち着かせるように、そう返してきた。

 そうして、宵は一度皇都との通信を切ると御用場で政務を行っていた重臣たちを執務室に集め、皇都で発生した事件の概要を説明した。


「―――これは、景紀様と我が結城家に対する悪質な誹謗中傷です」


 説明を終えて真っ先にそう発言したのは、筆頭家老の益永忠胤であった。


「小山首相や内務省に、即座に新聞社に発行停止の処分を下すよう要請しましょう」


 彼は、貴通の正体についてまったく知らない。だからそうした意見になるのだろう、と宵は思う。

 もちろん、新聞社に対する発行停止処分自体は宵も考慮には入れている。問題は、それだけで噂が収まるのかということだ。


「確かに、景紀様と貴通殿は兵学寮時代、念友との噂が立っておりましたが、それにしてもあまりに荒唐無稽な記事ですな。六家体制が崩壊しかかっていることを好機と見た民権派が、結城家の権威を貶めるために仕掛けた策謀でしょうか?」


 別の家臣も、やはり事情を知らないためにそうした意見になる。

 宵は少しの間、このまま貴通の秘密を家臣たちに隠し通すべきか悩んだ。しかし、執務室に集まっているのは重臣たちである。

 今後の対応のためにも、彼らには事情を説明しておく必要があるだろう。


「これから私が言う内容は、他言無用です」


 宵は、自らの声に若干の剣呑さを含ませて言った。それだけで、室内の空気が自然と引き締まる。


「穂積貴通殿は、幼少の頃に亡くなったとされている穂積通敏公が妾に生ませた女児です。本当の意味での“穂積貴通”殿は、その女児が亡くなったとされている時期にすでに死亡しているのです」


「それは、つまり、姫様……」


 宵の言葉で、益永もようやくことの重大さを理解したようであった。確認するような言葉に、宵は応じた。


「ええ、暴露記事の内容は真実です。通敏公は、死亡した男児と生きている女児を入れ替えました。私たちの知る穂積貴通殿は、性別を偽って今まで過ごしてきたのです」


 そこから宵は、以前、貴通本人から聞いた事情を益永たちに説明した。

 穂積通敏公爵が五摂家の血の純潔を尊ぶあまり六家による養子の送り込みなどを警戒し、夭折した正室の男児と愛妾に生ませた女児を入れ替えたこと。そのためにその女児はこれまで男子として過ごしてきたこと。景紀が“穂積貴通”の秘密を知ったのは兵学寮在学中のことであり、彼もまた彼女の秘密を守ることにこれまで協力してきたこと。

 それらの事情を、宵は重臣たちに聞かせた。


「……そうなりますと、皇都内乱にて穂積貴通殿は性別を偽って陛下に拝謁したことになります。これは皇都内乱における景紀様の正統性を考える上で、由々しき事態では?」


 宵からの説明を受けて真っ先に挙がった懸念は、それであった。


「いえ、その心配はありません」


 だが、宵はその部分については特段、心配することはないと考えていた。


「陛下はすでに、このことをご存じです。その上で、景紀様や貴通様に対し、皇都内乱による混乱を最小限に抑えるために、貴通様には今しばらく、五摂家男子として景紀様を支えるようにお言葉を頂戴しているとのことです。その旨の宸翰も下されていると、私は景紀様より聞いております」


「それならば、その宸翰を公開すれば我が結城家が陛下を(たばか)ったという汚名を着ずに済みますな」


 その家臣は、あからさまに安堵の表情を浮かべていた。

 むしろ結城家にとっては、貴通の性別云々よりもそちらの方が政治的に重要であったといえよう。


「……その件はそれでよいといたしましても、景紀様と貴通様の関係に関する無責任な記事は差し止め、噂も払拭せねばなりますまい」


 そう指摘したのは、筆頭家老の益永であった。


「依然として、その暴露記事やそれに基づく噂が景紀様の、ひいては結城家の権威を損なうものであることには変わりありません」


 貴通本人のことよりも結城家としての体面を保つことに敏感である重臣たちに、宵はかすかな不快感を覚えていた。

 もちろん宵自身も結城家当主正室の立場としてそれが重要であることは理解している。これから伊丹・一色両家との対峙に臨まなければならない結城家としては、その権威を損なうような言説の流布を見過ごすわけにはいかない。

 しかし一方で、一人の女としての反発もあった。

 これまで宵自身、景紀と貴通の関係に嫉妬を抱かなかったわけではない。それでも、同じ殿方を想い、同じ殿方を支えようとする女性の存在を、まるで慮ろうとしない重臣たちの態度は不快であった。

 貴通はこれまで、景紀を支え、領軍を支えてきたというのに。

 そもそも、宸翰を公開するということは、貴通が女であることを完全に公表することと同義である。性別の秘密を無遠慮に暴かれた彼女に、結城家自身が追い打ちをかける結果になりかねないのだ。

 しかし、そうした同じ殿方を想う女同士連帯感だけで自身の決断が流されるわけにもいかない。そこに、結城家御台所となった少女の葛藤があった。

 宵は大きく息を吸って心を落ち着けてから、口を開いた。


「……今回の事件については、陛下からの宸翰のこともあります。結城家としては内務省と協力して新聞の発行停止処分を下すとともに、宸翰に従って貴通様の秘密を守りつつ、こちらの密偵や御用新聞などを用いて暴露事件や噂への対応に当たるべきでしょう」


 宵は宸翰に従うことで貴通の秘密を結城家自身が暴露して追い打ちをかけることを避けつつ、景紀や貴通の関係を邪推するような新聞記事などの差し止め、噂のかき消しを狙おうとしたわけである。


「承知いたしました」


 陛下からの宸翰が存在していることもあり、益永は宵の示した方針に特に異を唱えなかった。執務室に集まった他の執政や参与たちも、宵の言葉に納得しているようであった。

 正直なところ、重臣たちは結城家の体面が保たれるのならば、貴通が男であろうと女であろうとどうでもいいのだろう。宵は、そう受け止めていた。


「―――失礼いたします!」


 執務室の扉が乱暴に叩かれ、一人の家臣が入ってきたのはその時であった。


「何だ貴様は!? 無礼であろう!」


 扉の近くにいた重臣が、御台所と重臣たちが協議している場に突然乱入してきたその家臣を叱責する。


「電信局より、東北鎮台よりの至急の電報が届いております!」


 だが、その家臣は息を弾ませたまま報告を始める。


「本未明、嶺州において不平士族が蜂起、花岡県においても一部士族が県庁舎や電信局、銀行などを襲撃した模様です! これを受け、嶺州代官および花岡県令は歩兵第二十八旅団に対し治安出動を要請! 鷹前など一部地域ではすでに交戦が開始されているとのこと!」


 報告者は執務室に集まった重臣たちをかき分けるにようにして、宵に電信の文面を届けた。


「……」


 送達紙を受け取った宵は、一瞬だけ悲しげな視線を紙面に落とした。しかし、表に出た感情の起伏はそれだけであった。

 部屋の誰もが、相次いでもたらされた急報に結城家御台所となった少女がどのような決断を下すのかを注目している。

 その視線を、宵は敏感に感じ取っていた。しかし、かつて初めて朝食会議の席で家臣団を相手にした時のような緊張や重圧は、今ではそれほど感じていなかった。

 ただ、故郷を荒廃させるかもしれない乱の発生に、悲しさと虚しさを覚えているだけだ。結局、佐薙家遺臣団は御家再興という目的に捕らわれたまま、嶺州の民を顧みることはしなかったというわけか。


「……嶺州には、景紀様と冬花様がまだおられるはずです」


 宵は、送達紙から顔を上げてそう言った。


「新南嶺島での士族反乱を鎮圧したお二人ならば、問題はないでしょう」


 そして、宵が嶺州での士族反乱の発生にそれほど悲観的にならずにすんだのは、景紀と冬花がいるからであった。

 もしかしたらこの反乱は景紀が嶺州を訪れた時機を狙って、一色家と連動して起こされたものかもしれない。今、嶺州で佐薙家遺臣団が景紀を討ち取ることに成功すれば、結城家は内部から崩壊するだろう。

 そうなれば、結城・有馬・斯波の三家の連携は崩れ、伊丹・一色両家が勢力を盛り返すことになる。

 だが、宵は電信に書かれていない二人の安否をそれほど心配していなかった。

 景紀と冬花ならば、嶺州での反乱を最小限の流血で鎮めてくれるだろうと、むしろ祈りにも似た信頼を寄せていたのであった。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
― 新着の感想 ―
[一言] 結城家代官が柴田少将を疑うのも仕方の無いことな気がしますね。むしろ明らかに部下が反乱派と接触する中でそのトップである柴田少将を疑わないのは怠慢と言えるでしょう。この状況がどう解決されていくの…
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