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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十四章 皇国乱離編

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280 忍び寄る破綻

 鉄道で皇都を発った景紀と冬花が河越の駅に到着したのは、その日の夕刻であった。

 ひとまず河越城で一泊し、その後、翼龍で嶺州に向かう予定である。


「お帰りなさいませ、景紀様」


 河越城に着くと、本丸表御殿で宵が出迎えてくれた。


「ああ、ただいま」


 宵の顔を見て何となくほっとした気分になり、景紀は小さく笑みを浮かべてそう応じる。そんな背の君の態度に何か感じるところがあったのか、宵が何度か瞬きをした。


「景紀様、結城家に逆臣追討の詔勅が下ったとの由、誠におめでとうございます」


 だが、宵が何かを言う前に、彼女と同じように景紀を出迎えた筆頭家老・益永忠胤が恭しく頭を下げた。


「家臣団および領軍将兵は、久様の敵討ちであると奮起しております。必ずや、伊丹・一色両家を討ち果たすことが出来ましょう」


「ああ、頼もしいことだな」


 景紀は、益永の言葉に鷹揚に頷く。


「討伐軍の出陣にあたり、俺も陣頭で指揮を執ることになる。有馬・斯波両公も領軍を率いるために本領に下がる。俺や両公が不在の間、お前たちは小山朝綱首相と一致協力して国政に空白を作らぬよう、留意せよ」


「はっ、承知いたしました。宵姫様とも十分に諮りまして、万事、遺憾なからしめるよう努めます」


「ああ、頼んだぞ」


「ははっ」


 新内閣を発足させたときと同様、益永は宵を景紀の代理として仰げという指示に疑念を抱いていないようであった。

 当主である夫の不在中はその妻である正室が残った家臣団を統制するというのが武家の習わしではあるものの、宵はまだ十七の少女である。

 ここ十日ほど、宵を当主正室として仰ぎつつ領政を運営してみて、重臣たちはこの北国の姫を十分に当主の代理を務められる人物であると認めたということだろう。

 つまり、それだけの信頼を宵は家臣団から勝ち得ていることになる。そのことが、景紀にとっても誇らしかった。


「それで景紀様。景紀様がご不在中の領政についてですが……」


「あー、宵。その前に少しいいか?」


 表御殿執務室に入るなり、早速、宵が領政について報告しようとしたのを遮って、景紀は言う。

 今、この部屋の中には景紀と宵、冬花の三人がいた。


「はい、何でしょうか?」


 自分の言葉を遮られたにもかかわらず、宵は特に不愉快そうな表情を見せなかった。若干、景紀は気まずい気分になりながらも、正室である少女には言わねばならないと思っていたことを口にした。


「冬花を、抱いた。女として」


 景紀の背後で、冬花が気まずさと緊張感から息を呑む気配を感じた。景紀自身も、今まで側室や愛妾を侍らせた経験がないので、こういう時に正室にどう報告すればいいのか、緊張と戸惑いがあった。


「はぁ、左様ですか」


 だが、言われた方の宵はきょとんとしていた。わざわざ領政に関する報告を遮ってまで自分に伝えることなのかと、訝しんでいる様子ですらある。


「貴通のことも、抱きかけた」


 景紀がそう続けても、宵の反応は変わらなかった。宵の反応を身構えていた彼にしてみれば、いささか拍子抜けするような気分である。


「私は以前、冬花様を抱いてしまえばよろしいと申し上げました」


 そして、むしろ宵は普段通りの淡々とした口調を崩さない。


「これまでの冬花様や貴通様との関係を考えれば、むしろ今までそうでなかったことの方が不自然に感じるのですが?」


 心底意外そうに、こてんと首を傾げる宵。逆にそう応じられる方が、かえって景紀にはいたたまれない。


「確かに私の母は正室でありながら蔑ろにされましたが、私は景紀様に十分正室として尊重されていると思っています。景紀様としてはいろいろと私や冬花様、貴通様の生い立ちの件もあって神経質になってしまう部分もおありなのでしょうが、むしろ私としては私の所為で景紀様に遠慮させてしまっているのではないかと思う部分もありましたので、今回の件は私にとっても喜ばしいことだと思っています」


 そう言うと、宵は微笑ましそうな表情を浮かべた。


「でも、私の前で景紀様が緊張なさっているのを見るのは、なかなか新鮮でした」


「お前なぁ……」


 からかうようなその言葉に、景紀は肩の力が抜けていくのを感じた。

 そんな夫の姿を微笑ましく思いながら、宵は冬花に視線を向ける。シキガミの少女は、まだ表情を硬くしていた。


「冬花様も、おめでとうございます」


「えっ? あっ、はい」


 突然、主君の正室からそう言われ、冬花は戸惑った声を出す。


「冬花様が、身を挺して景紀様を河越に落ち延びさせて下さったことは聞き及んでいます。だからこそ、冬花様の想いが報われて、私は良かったと思うのです」


「もったいない、お言葉です」


 シキガミの少女は、恐懼したように(こうべ)を垂れた。


「景紀様」


 宵は、再び視線を景紀に戻した。そして、少し真剣な口調で言う。


「貴通様の想いにも、いずれ応えてあげてください。同じ殿方を想う者として、貴通様に不憫な思いはさせたくないのです」


「すまん」


 それが宵の本心なのだろうが、かえって彼女に気を遣わせてしまったようで、景紀は申し訳なくなってしまう。


「それと、ありがとう」


 そして同時に、正室という自身の立場を危うくするかもしれない者たちに景紀が想いを注ぐことを許してくれたことへの感謝を告げる。


「ふふっ、そういうところ、景紀様らしいです」


 正室というよりは姉のような口調で微笑まれ、景紀はばつが悪そうに頭を掻いた。

 もしかしたら自分はこの少女には敵わないのかもしれない。そんなことを思いながら。


  ◇◇◇


 その日の夜は、お互い久し振りに寝所を共にすることになった。

 景紀と宵にとってはそれが日常であり、景紀が直接嶺州に向かわなかったのも、皇都内乱によって失われてしまった日常というものをわずかにでも偲びたかったからなのかもしれない。


「こうして景紀様と寝所で語り合うのも、何だかひどく懐かしいもののように感じます」


 白い寝巻をまとった宵は、布団の上に端然と座っていた。まだ、景紀の子を身ごもったことによる外見的な変化は現れていない。


「対斉戦役の時の方がより長い間、お会い出来ていなかったというのに、不思議なものです」


「それだけ、俺たちを取り巻く環境がここ二週間くらいの間で変わっちまったってことなんだろうな」


 景紀も自らの決断に対して感じる重圧というのは、父に代わって当主代理を務めていた頃や対斉戦役に出征していた時よりも、皇都内乱とその後の方が大きかった。

 逆賊とされ、宵やそのお腹の子まで処断されてしまうかもしれないという恐怖は、それだけ少年の精神を蝕んでいたということだろう。


「それにしても、こうしていて、少しだけ寂しいものを感じてしまいますね」


 行燈の光に照らされた宵の顔に、淡い笑みが浮かぶ。


「今までは、何だかんだで私が景紀様を女として独占出来ていたのですが、これからはそうもいかなくなりそうですから」


「すまん」


 確かに、景紀の傍には冬花や貴通といった少女がいたが、男女の関係であったのは宵だけだったのだ。そのことに、やはり宵としては思うところがないわけではないのだろう。

 景紀としては、そう言うしかない。


「いえ、ただの戯言です」


 宵は軽く首を振った。


「久様の葬儀の際、景紀様はだいぶ思い詰めた表情をしてらっしゃいました。今は、そうではありません。ですから、冬花様と貴通様には感謝しているのです」


 表御殿の玄関で出迎えてくれた際、景紀を見て目を瞬かせたのはそうした表情の変化に気付いたからだったようだ。


「私の生涯をかけてあなたをお支えするとは誓いましたが、私一人では限界があります。私も景紀様のお力になりたい、辛いときには安らぎを与えたいと思っています。でもあの時、景紀様が私に心配をかけまいと一人で抱え込まれていたことも理解出来ます」


「そこまで見透かされていたかぁ……」


「ええ、これでも私は景紀様の正室ですから」


 ちょっと得意そうな笑みを、宵は浮かべた。


「でも、もしまたお辛いことがありましたら、私にも縋り付いていただけると嬉しいです」


「……俺にとっちゃあ、かなり情けない話なんだが?」


 気恥ずかしさを誤魔化すように、景紀は軽く抗議する。


「ふふっ、これくらいは言わせて下さいな」


 宵はそう言って、笑みを悪戯っぽいものに変える。それが、少女なりの嫉妬の発露だったのだろう。


「―――さて、これから景紀様と冬花様は嶺州に赴くのでしたね?」


 先ほどまでの甘い雰囲気を捨てて、宵は為政者の顔になる。景紀もまた、気持ちを切り替えた。


「ああ、嶺州での不穏な動きが気になるんでな」


「はい、私のところにも情報は届いています。佐薙遺臣団の背後に一色家がいるとの情報もあるのですよね?」


「ああ、恐らくは佐薙家を使って結城家を背後から脅かそうとしているんだろう」


「やはり、太寿丸も含め、佐薙家遺臣団にはどこかで御家再興を諦めるだけの決定的な打撃を与えなければならないようですね」


「やっぱり、お前もそう思うか」


 自分と宵の意見が合致したことに、景紀はかえって苦い思いを抱く。故郷を思う少女の気持ちを踏みにじる者たちへの怒りと、少女にそうした覚悟をさせねばならないことへの憤りからだった。


「俺としては、流血覚悟で一度、太寿丸たちには蜂起してもらった方がいいと思っている」


「……」


 宵は、景紀の言葉を黙って聞いている。


「そして、その鎮圧を柴田少将以下嶺州軍に担わせる。自分たちは領軍、領民からの支持をすでに失っているのだと、連中に判らせる必要がある。御家再興を諦め切れず、今後長年にわたって嶺州情勢が不安定化するよりは、その方がいいからだ」


「……私も、景紀様のご意見に賛成です」


 宵は、普段通りの平坦な口調で答えた。一瞬の間は、この少女の抱いた葛藤によるものか。


「流血が避けられないのであれば、その流血を最小限に抑えるべきでしょう。これは、為政者としての傲慢かもしれませんが」


 景紀と宵の意図がどうであれ、実際に血を流すのは嶺州の民と将兵なのだ。その血の量を左右しようというのは、確かに為政者としての驕りかもしれない。

 だが、民や兵からどれだけ恨まれようがそれが為政者というものなのだと、景紀も宵も理解している。


「―――これから始まる戦でのご武運を、心よりお祈りしております」


「ああ、ありがとう」


 覚悟の籠った宵の声を聞いて、景紀はその小柄な体を自らの腕の中に収めた。それが故郷に流血をもたらす決断をした少女に対して、自分が出来る唯一のことだと思ったからだ。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 一方、皇都に残っている貴通は、伊丹・一色家追討軍の兵站に関わる業務を続けていた。

 弾薬や糧食、医薬品の手配について結城家家臣団や御用商人、そして結城家領軍各部隊との調整を行っていたのである。

 伊丹・一色両家に対する追討令は皇主から景紀(および有馬貞朋公、斯波兼経公)に対して発せられたため、基本的には兵部省に諮らない形で貴通は業務を進めていた。

 皇主からの詔勅が下った以上、結城家領内の私鉄各社、御用商人たちも協力を惜しまなかった。もちろん、官営鉄道についても結城家への便宜を図ってくれている。そうした各所との調整を、貴通は結城家重臣や実際に部隊を率いる島田富造少将らと進めていたのである。

 貴通はあくまでも五摂家の人間であり、結城家家臣団でないために陸軍大佐として以上の決定権を有しているわけではなかったが、やはり五摂家という家柄はそれなりに役に立った。結城家の側としても、私鉄各社や御用商人たちへの協力を要請(実質的な命令)する際、貴通の五摂家としての出自を大いに利用していたのだ。

 皇主による追討の詔勅と共に、結城家領軍に五摂家の人間が加わっていることは、それなりの権威になっていたのである。

 父・通敏が失脚し、五摂家の中で唯一、皇主からその正統性を認められている貴通は、以前以上に景紀の軍師として精力的に行動していた。


「……なんか、あんた、随分と活き活きとしてんな」


 景紀のいなくなった執務室で貴通が帳簿を確認していると、貴通と同じく皇都に残っている鉄之介がそう言ってきた。


「そうですか?」


 貴通自身はそのような自覚はなかったが、一方で自分が張り切っているという自覚についてはあった。それが、表に出てしまっていたのかもしれない。

 父という呪縛から解き放たれ、そして景紀の軍師としてこれから伊丹・一色両家の討伐に赴こうとしている。

 貴通は、景紀を天下人に押し上げる総仕上げをしようとしているのだ。戦国時代にはついに現れなかった存在を、自分が軍師として支えている。

 自然と、張り切ろうというものだ。

 もちろん、景紀と冬花が男女として結ばれたことについて何も思っていないわけではない。しかし、自分もまた景紀に想いを告げることが出来た。

 今は、それで十分だった。

 まずは自分の想い人に天下を取らせ、自分はその横で軍師として支えるという兵学寮時代からの望みを叶えることの方が優先であった。それこそが、自分が最も自分自身の存在を感じ取れる瞬間なのだから。


「でも確かに、この状況に気持ちが高ぶっているというのはあるかもしれませんね」


 相変わらず歪んだ恋慕に基づく感情だと理解しながらも、そんな自分を景紀は受け入れてくれたのだからと貴通は今の自分を肯定する。


「家臣団の皆様も、伊丹・一色両家を打ち破れば結城家の天下が来ると思っているようですが、そう言う鉄之介くんの方は、あまりこの状況を快く思っていないように見えますが?」


「……」


 貴通がそう指摘すれば、陰陽師の少年は途端に苦い顔を見せる。


「……別に、内戦を憂えているとか、そういうんじゃねぇ。俺は俺で、宵姫様に従って御館様を隠居に追いやった人間だからな。最後まで、ちゃんと決着は付けたいと思ってる」


 そうでなければ、鉄之介自身が自分の選択に納得出来そうになかった。


「でも、姉上と敵対するんじゃないか、っていう怖さはある」


 鉄之介も、かつての帯城軍乱などと同じように伊丹・一色両家に対する追討軍に従軍することが決定していた。伊丹家の術者は当主が討ち取られ、嫡男も捕縛されているとはいえ、一色家の術者である八束いさなは健在であるからだ。


「姉上は多分、俺が功績を挙げることを内心で快く思っていない。景紀のシキガミって自分の立場を、俺が葛葉家次期当主として脅かしかねないからだ」


「まあ、冬花さんのあなたへの接し方を見ると、薄々そんな感じはしていましたけれど」


 景紀と冬花の間にあったぎこちなさは解消されたが、逆にこの姉弟の関係は依然として複雑なようであった。

 むしろ、皇都内乱においては鉄之介と八重という、次代の葛葉家を担う二人が景紀の窮地を救うという功績を挙げたことで、より姉弟の断絶は深まってしまったかもしれなかった。

 とはいえ、貴通の目から見てまだ表面化はしていないようであった。

 そうした意味でも、冬花が景紀と“シキガミ”以上の契りを結べたことは良かったのではないかと男装少女は思う。

 もっとも、このあたりについて自分が下手に口出しは出来ないとも貴通は思っている。せいぜい、景紀にこの姉弟の関係について注意を促す程度だろう。

 いずれにせよ、一色家を討伐するためにはこの姉弟の力は必要だ。

 貴通がそう考えて鉄之介に声を掛けようとしたところで、不意に執務室に面した庭に人の影が降り立った。


「貴通の坊ちゃん、おる?」


 何事かと貴通と鉄之介が振り向けば、唐突に現れたのは景紀に雇われている忍の青年・朝比奈新八であった。


「はい、何か火急の報せでも?」


 立ち上がって、貴通は縁側に出る。


「ちょいと拙いことが起こったで」


 忍の青年の顔には、いつもの飄々とした表情は浮かんでいなかった。声も、どこか切羽詰まった響きがあった。


「今、こんな号外が皇都に出回っとる」


「はい?」


 新八が懐から差し出してきた紙を、貴通は受け取った。


「えっ……?」


 そして広げた瞬間、男装少女の表情が凍り付いた。


「……なん、ですか……、これ……?」


 男装の少女は、辛うじてそれだけを絞り出した。号外の記事に書かれていたのは、彼女にとってそれだけ衝撃であったのだ。

 “結城家新当主の一大不逞事件”という扇動的な見出しと共に、貴通が女であることが暴露されていたのである。

 記事では皇都内乱時、貴通を男と偽って皇主に拝謁した結城景紀は不忠の輩であると断じ、そこから憶測に基づいた景紀と貴通の兵学寮時代の関係など、景紀を誹謗中傷する内容が書き連ねられていた。


「……ああ、これで……」


 はらりと、貴通の手から号外が落ちる。


「お、おいっ!」


 そのまま、ふらふらと覚束ない足取りで屋敷の奥へと歩き出す。鉄之介の声も、今の彼女には届かなかった。

 気付けば、貴通は景紀の居室にいた。


「……ぜんぶ、終わっちゃいました」


 ぽつりと虚ろに、貴通は呟いた。先ほどまで見えていた将来への展望。そのすべてが閉ざされていくかのような感覚だけが、胸の内を支配する。


「……どうしましょう」


 少女の目の前は、暗闇に覆われていた。


「……どうしましょう、景くん」


 偽りで塗り固められていた少女は、たった一人、自分に“本当”を与えてくれる少年の存在に縋った。

 だけれども、その相手は今、この場にはいなかった。


「……どうしたら、いいの?」


 返ってくるはずのない答えを求めて、貴通という偽りの名を持つ少女は虚空へと問いかけ続けるしかなかった。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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