275 変わりゆくもの
翌日、景紀は皇都に筆頭家老である執政・益永忠胤ら主要な家臣たちを集めていた。
昨日の内に、河越に電報を打っていたのである。
「我が結城家、そして有馬・斯波の三家は、皇都内乱の主導した伊丹・一色両家に伏罪恭順の意思なしとして、陛下に対し両家を討伐すべく奏上を行うことを決定した」
家臣一同を集めたわけでもないので、景紀は接見の間ではなく執務室で益永ら重臣たちにそう告げた。
「つまり、陛下が俺たちの奏上を是とすれば、伊丹・一色両家は朝敵となる」
その瞬間、重臣たちの間から呻くような声が漏れた。朝敵というのはそれだけの重みを持った言葉であるし、何よりも討伐の詔勅が下されれば戦国時代以来の六家の直接対決ということになる。
それはつまり、皇都内乱以上の内戦に、皇国が陥りかねないことを示していた。
家臣団としても、主君であった景忠を廃立して景紀に家の命運を託すという決断をしてしまった以上、ここで新当主が安易に伊丹・一色両家と和議を結ぶことを望んでいない。
そして、景紀はこの内乱で母・久を失ったが、家臣たちの中にも皇都内乱の中で身内や親族が戦死してしまった者がいる。
だからこそ、彼らは一方では伊丹・一色両家の討伐を望んでもいた。しかし、やはり皇国全土を巻き込んだ内戦へと発展させることについては、その重大さ故に及び腰にならざるを得ない。
益永らの胸中も、複雑であった。
「それで、征討軍の内、我が結城家領軍から出す部隊については、景紀様自ら率いられるおつもりでしょうか?」
新当主の前に集まった重臣を代表して、益永が問うた。
「ああ。むろん、そのつもりだ」
筆頭家老でもある男からの問いに、景紀は答える。
「皇都のことについては、すでに小山子爵が内閣を組閣している以上、そちらに任せることになる。河越のことについても、当面は宵とお前たちに任せることになるだろう」
「承知いたしました。そうなりますと、問題は征討軍への動員と補給ですな。現在は対斉戦役の影響もあって動員が完全に解かれたわけではありませんから、兵員の数については問題ないといたしましても、領内で補給を完結させなければならないというのは問題です」
詔勅が下り、結城家領軍が官軍として伊丹・一色両家を討伐することになった場合、先の対斉戦役と違って“皇国陸軍”という形で補給を受けることは難しい。
当然、伊丹・一色陣営につく諸侯もいるであろうから、“皇国陸軍”として整えられた兵站体制が分断されてしまうのだ。
まさか、伊丹・一色両家の本領へと進軍する途中にある諸侯の領地や中央政府直轄県で現地調達を行うわけにもいかないから、結城家領内で兵站を完結させる必要があった。
もちろん、有馬家や斯波家、そして海軍からの支援は受けられるだろうが、それとても内戦となる以上、有馬家領軍や斯波家領軍自身が各種物資を消費してしまうであろうから、支援を十全に受けることは難しいだろう。やはり、結城家領内で兵站をまかなう必要があった。
「そうなりますと、長期の戦闘は難しいでしょうな」
そう言ったのは、別の執政であった。
「他の列強諸国からの干渉の可能性も当然に懸念すべきですが、結城家領内で兵站をすべてまかなうことが出来る限度という点から考えても、内戦が長期にわたることは避けなければなりません」
「ああ」その家臣の言葉に、景紀は頷く。「恐らく、この国が内戦にかまけていられるのは、来春までが限度だろう。半年、出来れば三ヶ月以内には決着をつける必要があると考えている」
「景紀様」
今度は、また別の執政が口を開いた。
「伊丹・一色両家以外にも、長尾家と佐薙家についてはいかがいたしましょうか? 長尾家は当面は混乱状態に陥るであろうと思われますが、佐薙家領である嶺州については昨今、不穏な情報も届きつつあります」
「ああ、俺もそれは承知している。佐薙家遺臣たちがこの機に乗じて、あるいは伊丹・一色両家と連帯して、我が結城家領を後方から脅かす危険性がある。ただ、佐薙家遺臣どもの反乱が起こった場合には、その鎮圧は歩兵第二十八旅団に任せようと考えている」
「嶺州軍に、ですか」
その執政は、元は佐薙家領軍であった嶺州軍に対して懐疑的な声を上げた。
「確かに、柴田平九郎旅団長は、景紀様と対斉戦役で轡を並べた関係ではありましょうが、その麾下の将兵までもが信用できますでしょうか?」
「懸念はもっともだが、佐薙家遺臣の反乱を嶺州軍に鎮定させることは、政治的な効果が大きい。佐薙家遺臣どもに、最早佐薙家再興を支持する領民たちはいないのだと、知らしめることが出来る」
「それは確かにその通りではありますが、万が一という場合もあります。三月の宵姫様襲撃事件のことは、内地に留まっていた我らには未だ記憶に新しいのです」
「まあ、嶺州の件については俺も柴田少将と直接会って話すべきとは考えている。伊丹・一色両家に対する詔勅が下されて、征討軍の物資の集積が済むまでの間のどこかで、一度嶺州の視察に向かうつもりだ」
「承知いたしました。景紀様がそうお考えなのであれば」
そう言って、その家臣は引き下がった。
「それと、伊丹・一色両家に対する討伐の詔勅が下された場合、いきなり攻め込んではかえって追い詰められたと思った両家が徹底抗戦する可能性がある。まずは征討軍の編成や物資の調達・集積の時間を稼ぐために、景秀の叔父上に和睦の使者になってもらおうと考えている」
景紀のその発言に、重臣たちの間に苦笑を堪えるような何ともいえない空気が流れた。
新当主となった景紀にとっても、景忠を廃立した家臣たちにとっても、結城景秀の扱いは難しい存在となっていた。
以前から伊丹正信・一色公直両公への接近を強めていたものの、皇都内乱において明確に両公を支持したわけではないため、その処遇を決めかねていたのである(もちろん、両公が皇都内乱中、景秀を自陣営に引き入れようとした件は重臣たちも把握している)。
「伊丹・一色家と以前から繋がりのある叔父上だ。和睦の使者としては適切だと思うが、お前たちの意見はどうだ?」
景紀は、何食わぬ顔で益永らを見回す。
使者ということは、最悪、和睦が受け入れられなかった場合、首だけになって帰ってくる可能性もあるのだ。表立って粛清出来ない相手をこの機に乗じて排除しようとする景紀の姿勢に、家臣たちも少しだけ居心地が悪そうな顔をしていた。
彼らにとっては、一応、景秀も主家に属する人間なのである。景忠の廃立を行いながらも、やはり葛藤はあった。
「……人選としては、適切かと存じます」
だが、益永はその葛藤に区切りを付けて、迷いのない口調で新当主の下問に答えた。
「では、叔父上に持たせる和睦案について、お前たちの方でも検討しておいてくれ」
「承知いたしました」
ひとまず今後の方針について摺り合わせを行い、益永たちは景紀の前を退出していった。
「景くんもお人が悪いですねぇ」
家臣たちの退出した執務室で、貴通がからかうように言った。
「まあ、僕としてはいっそ景保殿もどうにかしてしまいたいですが」
「お前も大概だよなぁ」
自分以上に過激なことを言う兵学寮同期に、景紀は苦笑を浮かべる。
「とりあえず、実際に領軍を率いることになったらお前にも頼りっぱなしになるだろうから、またよろしく頼むぜ」
「ええ、僕は景くんの軍師ですからね。どこまでもお供しますよ」
景紀に頼りにされたからか、貴通が嬉しそうに笑う。つられたように、景紀も笑みを浮かべた。
「さてと。とりあえず、益永たちにある程度の方針は示したから、今日はもういいだろう」
文机に手を突いて、景紀は立ち上がった。
「何かあったら、お前に頼んでもいいか?」
そんな同期生の様子に、貴通も察するものがあったのだろう。
「ええ、判りました」深く詮索することなく、男装の少女はそう言った。「ご健闘を」
「ったく、気楽に言ってくれるな……」
貴通の言葉に苦笑を浮かべながら、景紀は執務室を後にした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その日も午後も遅い時間になってから、冬花は連日通っている屋敷内の道場にやってきていた。
ひとまず、他の家臣と共に行っている伊丹・一色両家の皇都屋敷から押収した文書の整理と目録作成に一区切りついたからである。
押収した文書量が膨大に過ぎて、流石にまだ十分に整理と目録化が出来ているとは言い難かったが、最も重要とされていた財政・税収関係の資料については作業に目途がついたのだ。
少なくとも結城家や中央政府が伊丹・一色家本領の統治を引き継ぐことになった場合、これら文書は円滑な統治を行うのに必須であったからだ。
すでに皇都内乱が終結して二週間近くが経ち暦が十一月に入ったというのに、伊丹・一色両家は伏罪恭順の意思を示そうとはしていない。それどころか、西国諸侯に檄文を発して、皇都に対して兵を興すよう呼びかけているとも聞く。
そして嶺州では、佐薙家残党が不穏な動きを見せているらしい。
だとすれば、自分に求められているのは、一刻でも早く術者として調子を取り戻すことだろう。
冬花はそう思い、袴と胸当てを付けた道着姿になって弓を構えた。
対斉戦役では、つがえた矢に爆裂術式を仕込んで何度も敵の軍勢に向けて放った。もし伊丹・一色両家との内戦に陥るのであれば、冬花は再び景紀のシキガミとして従軍することを望んでいた。
「―――ふっ」
短い息と共に放たれた矢は、傾いた日差しに照らされる道場を飛び、的へと刺さる。
「……」
だが、矢は的の中心をわずかに外していた。
無心になって次の矢を放つが、やはり中心を外してしまう。
「……」
的に刺さる二本の矢を見て、冬花は思わず眉を寄せてしまう。弓術の鍛錬に集中出来ない己がいることに、気付いていた。
皇都内乱に勝利したにもかかわらず、どこか思い詰めたような表情、何かに追い立てられているような雰囲気をまとっていた景紀。
冬花はそれを「怖い顔」と指摘したが、それでも主君である景紀からそうした表情は消えなかった。
そんな景紀が、昨日一昨日あたりから少し和らいだ表情を見せるようになっていた。最近では彼を補佐する役目を貴通に押し付けてしまっているが、夕食などは冬花も同席している。
朝食は執政や参与といった重臣たちと共にとり、忌憚のない意見交換を行おうとする主君であったが、流石に一日の政務を終えた夕食は奥御殿に引っ込んで身近な者たちととることが多かった。
だから、冬花は主君のまとう雰囲気の変化に気付いていた。
もちろん、未だ内戦の可能性を孕んでいる情勢下である以上、どこか緊張感のある雰囲気はまとっているものの、見ていて危うさを感じるようなものではなくなっていた。
その理由を考えると、冬花の胸の内にもやもやとしたものが生まれてくる。
きっと、あの男装の少女が景紀の鬱屈した思いを晴らしたのだろう。穂積貴通という少女は、兵学寮で五年間、景紀と寝食を共にしていたのだ。景紀の心に寄り添うことを、彼女ならば当たり前のように出来ただろう。
自分は景紀のシキガミであるとはいえ、主君と家臣の関係でしかない。そこまでの時間を共にした経験は、ほとんどなかった。
自分と景紀は、シキガミとその主君という唯一無二の関係を結んでいると思っている。
しかしそれでも、嫉妬する思いとは無縁でいられない。同時に、主君が苦しんでいるというのに、その苦悩に寄り添うことの出来なかった自分自身が不甲斐なかった。
自分は、主君を苦悩させてしまっている原因の一端なのだ。なおさら、主君の心に寄り添えるはずがなかった。
傾いた陽に照らされた道場で独り、冬花はどうしようもない無力さを感じていた。
自分はいつだって、景紀に寄り添ってもらう立場だった。だから主君が本当に苦しんでいるときに、その心に寄り添うことが出来なかった。
陰陽師としての力を取り戻すことにばかり、意識が向いてしまっていた。そうしてこそ主君の苦悩が払えるのだと、思っていた。
だがそれは、景紀の“シキガミ”として正しいことだったのかと、冬花は今さらになって思う。
景紀の心に寄り添おうとした貴通と、主君の心に寄り添えなかった自分。
そうして白髪赤目の少女が悶々として悩んでいると、道場に人が入ってくる気配があった。その気配は、今、冬花が一番会いたいような、会いたくないような相手だった。
「……景紀」
「あんまり根を詰めすぎると良くないぞ、冬花」
景紀は、こちらのことを案ずるような小さな笑みを浮かべていた。やはりその表情には、先日まで浮かんでいた鬱屈とした感情は存在していなかった。
いつもの、景紀だった。
だからこそなおのこと、冬花は安心すると同時に無力感と劣等感に苛まれてしまう。彼のあの表情を取り戻したのは、自分ではないのだ。
「やっぱり、お前が側にいてくれないとどうにも調子が狂っちまってな」
そう言って悪戯っぽい笑みを浮かべて、景紀が冬花と一緒に道場に立った。
「貴通様がいらっしゃるでしょう?」
しかし冬花は、どこかいじけたようにそう返してしまった。
「でも、俺のシキガミはお前だけだ」
その言葉はずるいと、冬花は思ってしまう。その言葉だけで、自分は元気づけられてしまうのだから。
だからこそ、主君に励まされている自分が情けなかった。これでは、子供の頃と同じだ。
そして、貴通という男装の少女に対する嫉妬と劣等感。だからどうしても、思考が後ろ向きになってしまう。
「……私は、あなたを陰陽師として守護することが“シキガミ”の役目だと思っていたわ」
冬花は、俯きながら内心を吐露する。
「でも、それだけじゃあ駄目なんだって、この間までの景紀を見ていて気付いてしまったの」
彼の“シキガミ”を名乗るのならば、その心も守れるようにならないといけないのだと、彼の“軍師”を名乗る貴通を見ていて気付いたのだ。
「心配かけて、すまなかったな」
だが景紀は、そんなことを言う。心配をかけているのは自分の方だというのに。
「うんん」俯いたまま、冬花は首を振る。「あなたの心の苦しみを、私じゃあ癒やせなかったから」
「俺は十分、お前に救われているよ」
その言葉に、冬花ははっと顔を上げた。目の前に、子供のような邪気のない微笑みを浮かべている景紀がいた。
「俺は、小さい頃からお前が側にいてくれて良かったって思ってるぞ? じゃなきゃあ俺は、次期当主っていう重圧と家臣への不信で押し潰されていた。お前がいてくれたから、俺は孤独じゃないって思えたんだ」
そう言って、景紀はそっと片手を伸ばして冬花の頭を己の胸に抱いた。
「だから俺は、お前に十分救われているんだ」
もう一度、景紀はそう言った。彼の鼓動を感じる中で、冬花は自分自身の心も晴れていくような感じを覚えた。
何て現金な女なんだろうと、思わず笑いが零れそうになる。
「ねえ、景紀」
自分より少し高い位置にある少年の顔を、冬花は見上げた。もうすぐ二十歳を迎え青年になろうとする彼の顔は、以前よりも少し精悍さが増しているような気がした。
そのことを今さらながらに気付いてしまい、シキガミの少女はわけもなく己の鼓動が早まるのを感じていた。
「これは、私の我が儘。私は、あなたのシキガミとしてちゃんと力を取り戻したい」
ずるい女と思われるかもしれない。でも、今ならば自分の想いを伝えられそうな気がした。
「だから、口付け以上の褒美を、私に下さい」
今度は冬花の方から景紀の背に腕を回し、その胸に頬をすり寄せた。
「お前……」
戸惑うように言葉を詰まらせる景紀。
「浦部部長から聞いているんでしょう? 私たちなら出来る、呪術師としての力を取り戻すための方法」
「ああ……、だが……」
景紀が何を言いたいのか、冬花にも判る。
自分たちはこれまで、主君とシキガミという主従関係であり続けてきた。幼少の頃に交わした指切りの契約を、大切に守り続けてきたのだ。
そうして今まで築いてきた関係を変化させてしまうことへの戸惑いと躊躇があるのは、当然だろう。冬花にも、どこか恐れに似た感情がある。
でもそれ以上に、景紀への恋慕の情が勝っていた。
「……お前の、俺に向ける感情の中にそういうのが混じってるってことは、前々から気付いていたし、あの時の口づけてやっぱりそうなんだな、って確信もした」
景紀が、一言一言を慎重に選ぶようにして続けた。
「お前を切り捨てるような命令を出した口で、何を言ってるんだって思われるかもしれない。でも、お前は俺にとって大切な存在だ。だから、その想いには応えてやりたいと思う」
そこで景紀は、一度言葉を切った。彼の戸惑うような気配が、彼の体に腕を回している冬花に伝わってくる。
「……ただ、何て言ったらいいんだろうな……。俺は、冬花のことが大切だからこそ、お前を側室や愛妾みたいに扱いたくない」
それだけを聞ければ、冬花には十分だった。
「ええ、私も、あなたの唯一無二の“シキガミ”でいたい」
だから冬花は、景紀の言葉に応じるようにぎゅっと腕に力を込めた。自分は、将家当主の側室や愛妾という立場に興味はない。
この人のシキガミであることが出来れば、それでいいのだ。
「なら、これからもずっと、俺のシキガミでいろ」
慈しむような口調で景紀が命じて、冬花は強く抱きしめられた。胸に満ちる甘い幸福感に、シキガミの少女はしばし、身を委ねていた。




