274 内戦への導火線
一方、来春という時間的制約を認識しているのは、本領へと落ち延びていた一色公直も同じであった。
特に彼は攘夷思想を抱いている人間であったから、皇国全土を巻き込んだ内戦には景紀以上に否定的な面もあった。全国規模の内乱は国土を荒廃させ、国力を低下させる。そうなれば、西洋列強に対抗して攘夷を決行、東亜に皇国中心の新秩序を樹立することは不可能となる。
しかし一方で、皇都を占拠する逆臣・結城景紀を排除しない限り、攘夷の実行は不可能であった。
そこに、公直の矛盾があった。
もちろん、彼自身も自らの矛盾には気付いている。だが、六家当主としての矜持もあり、このまま結城閥系の新政権に恭順する姿勢を示すことも出来なかった。
皇主が六家同士の武力衝突を憂えていることを知っていたから、公直はあえて皇都に対して強硬な姿勢を示すことで、詔勅による内戦回避とそれによる一色家の雪冤を目指しているともいえた。
皇主に対して皇都内乱における蹶起の正統性を主張する書状を奉呈したのも、そうした一色家の揺るぎない姿勢を皇主や宮中勢力、そして結城閥系新政権に示すためであった。
皇主が依然として一色家と伊丹家を朝敵とする詔勅を発していないことも、公直に希望的観測を抱かせる要因となっていた。
だからこそ、一色家はそうした“瀬戸際外交”ともいえる姿勢で皇都の勢力に対抗しようとしていたといえよう。
しかし十一月になり、皇主より一色家あての宸翰が届けられると、そうした“瀬戸際外交”による妥協の成立というのが幻想に過ぎないことを公直は思い知らされることになった。
「陛下は、此度の皇都内乱における我が一色家と伊丹家の振る舞いを、皇室と国を思う至情に基づくものであるとはお認めになられなかったようだ」
本来は恐懼しながら読むべきものである宸翰を、公直は不愉快げに老臣・大野為尚に渡した。
「結城の小倅らは、内戦を憂える陛下のお心を蔑ろにした挙げ句、我が一色家に対する讒言を陛下に吹き込んだようだ」
つまり、公直はこの宸翰を正統な宸翰であるとは認めていないのである。
この宸翰は、あくまで結城家が皇都を占拠する中で発せられたもの。そのような状況下で書かれた宸翰が、皇主の本心を表明したものであるとは公直は認めなかった。
「しかし、結城の小倅も小癪なことをしてくれたものだ」
一色家の居城・那古野城には、宸翰の他にも皇都から一色家の主要な家臣が到着していた。彼らは公直が皇都に置き去りにしてきた者たちであり、那古野へと同行した勅使と共に宸翰を公直の元に届けたのである。
主君によって皇都に置き去りにされた者たちは口では公直の無事を喜んではいるが、内心ではどう思っているか判らない。結城家に取り込まれている可能性もあったし、何よりも主君に見捨てられたことを恨みに思っているかもしれなかった。
いっそ結城家が彼らを処刑するなり人質とするなりしていれば、こちらも皇都を占拠する結城家の正統性を否定し、その非を糺弾することも出来た。しかし、結城家は一色家の重臣を本領に送り返しただけでなく、兵学寮や学士院、女子学士院に在籍する生徒で国許へ帰りたいと願い出る者たちは、帰国の便宜を図っているという。
実際、一色家に連なる生徒たちの一部が尾治国へと帰国していた。
結城家は決して武力や人質によって新政権を樹立したのではないことを、まるで皇都内乱時の伊丹・一色両家に対する当てつけのように示していたのである。
「御館様、いかがされますか?」
大野為尚が、公直に問いかける。
「この私に、皇都の勢力に対し伏罪恭順の意思を示せとでもいうのか?」
「それも一つの手ではございましょう」一色家の老臣は、苦渋に満ちた声で言う。「今ならばまだ、朝敵の汚名は着ずに済みます」
「我が一色家は、戦国時代の頃より皇主と皇室、そして皇国のために尽くしてきた。朝敵などと言われようとも、それは結城の小倅らの悪質な喧伝に過ぎぬ」
だが、公直はなおも強硬な姿勢を崩さなかった。たとえ結城景紀が内戦によって一色家を滅ぼそうと画策していようとも、有馬家・斯波家までがそうだとは限らない。
皇国を二分する内戦となれば、国土の荒廃は激しくなる。たとえ内乱の勝者となったとしても、そうした疲弊した国土を背負って西洋列強に対峙しなければならないのだ。
一色家・伊丹家の処遇を巡って結城・有馬・斯波三家の足並みが乱れれば、新政権を安定させなければならない結城景紀も、あまり強硬な態度に出られないはずだ。
未だ公直の中は、そうした希望的観測があった。
「しかし、兵や民らは動揺しましょう」
だが、一色家が朝敵とされれば、動揺が領内に広がることを大野為尚は指摘する。
「我ら一色家の正統性と、陛下の大権を私議しようとする結城の小倅の非を喧伝すれば、動揺は鎮めることが出来る」
公直は、そのような老臣の進言を退けた。
大野為尚の常識的な意見は過激な論を唱える家臣団を牽制するのには必要であったものの、常識論ばかりでは今の一色家の窮状を救うことは出来ないともこの一色家当主は考えていた。
「すぐに、諸侯たちに檄文を出せ。皇都を占拠する者どもが大権を私議し、偽りの宸翰を送りつけて恭順を迫ろうとしていると。このような圧迫に対し、真に皇主陛下への忠誠を貫かんとする者どもは兵を挙げよ、とな」
一色家の発した檄文の効果は、直後に現れた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「村信殿、伊丹家の家論を一つにまとめてくれたこと、一色家の当主として誠に心強く思う」
一色公直が諸侯に対して檄文を発した二日後、伊丹家家中において政変が発生し、次期当主であった寛信が追放されたのである。
寛信追放を実行したのは、亡き正信公の弟・時信と寛信の弟・村信であった。つまり寛信は、叔父と弟に謀反を起こされたということになる。
現在、正信公の弟・時信は西部鎮台司令官の職にあり、伊丹家の軍事力を掌握する立場にあった。
「いえ、我らの方こそこれまで家論がまとまらず、父上と志を共にしていた一色公と連帯を取ることが出来ず申し訳ございませんでした」
そう言って那古野城にやってきた村信は慇懃に頭を下げた。
「兄・寛信は結城の小倅によって父上を弑されたにもかかわらず、仇を討とうとする意思がなく、また伊丹家が朝敵とされかねないことに臆していた様子でした。私と叔父は、この非常時に腰の定まらぬ人間を当主に据えることは家を危うくするものであると考え、兄上の追放に及んだ次第です」
もっとも、村信がどこまで父の仇を討とうという志で兄・寛信を追放したのか、公直には疑問であった。
正信公の弟・時信は、兄と同じく攘夷思想の持ち主であった。そのため、正信公にとって実の弟であることもあり、伊丹家一門衆の筆頭として遇されていたという。兄弟仲は、それなりに良かったようである。
しかし、一方の村信について、公直はその為人をあまり知らなかった。特にこれまで強硬に攘夷を唱えていたという話は聞かず、兵学寮時代の成績も平均程度であったと聞いている。
正信公としては、長男・寛信が次期当主として頼りにならないとなれば、その弟である村信に家督を譲ることを宣言するという選択肢もあったはずである。しかし、そうはせず孫の直信に期待をかけていたということは、村信に伊丹家次期当主は荷が勝ちすぎていると判断したということだろう。
あるいは単に長子相続を徹底して家中を乱さないようにしたかっただけかもしれないが、正信公から村信を紹介された記憶のない公直は、あまり彼に期待をしていなかった。
「しかし、これより我が伊丹家は一色家と行動を共にいたします。不当にも皇都を占拠する者どもを征伐し、攘夷派による新政権を改めて樹立いたしましょう」
とはいえ、正信公弟・時信卿が伊丹家を掌握したことは、公直にとって朗報であった。西国最大の諸侯である伊丹家と、中部地方最大の諸侯である一色家が手を結ぶことが出来たのだ。
対して、皇都には結城景紀、有馬貞朋、斯波兼経の三家当主がいるとはいえ、関東方面で動員出来る兵力は結城家領軍程度である。
もちろん、こちらも有馬家本領および斯波家本領にあるそれぞれの領軍は警戒しなければならないが、伊丹家が一色家と連帯する姿勢を示したことで、伊丹家領軍による有馬・斯波両家への牽制が容易となった。
これでさらに佐薙家の再興を考える者たちを東北で蹶起させることが出来れば、いよいよ結城家領軍は東海道と東北での二正面作戦を強いられることになる。
公直は、伊丹家で発生した寛信追放事件により、自らが軍事的に優位になりつつあることを確信していた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
伊丹家において発生した寛信追放事件の報を受けて、景紀はその日の夜に有馬貞朋、斯波兼経両公との会談を行うことにした。
「このような時間に集まることになってしまい、両公にはご足労をかけます」
兵部省からの続報や結城家隠密衆などからの情報などを整理していたため、景紀と二公との会談は夜遅くから開始された。
会談の場所は、佐薙家皇都屋敷である。兵部省からのさらなる続報が、屋敷に飛び込んでくるかもしれないからであった。
「いや、私も伊丹家での事件を聞いて驚いた。まあ、一方で納得する部分もあったが」
角灯の明かりで照らされた部屋で、貞朋はそう言った。
「今まで正信公の統制が行き届いていたのだろうが、後継者の政治的求心力のなさで家中が分裂してしまったのだろうな」
斯波兼経は、寛信追放事件をそう評した。貞朋公も頷いており、両公は寛信卿の一門衆や家臣団に対する求心力の低さが、今回の事件の原因であると考えているようであった。
「問題は、正信公に近い弟の時信卿が伊丹家の実権を握りつつあるということでしょう」
この時点までに、景紀は伊丹家で発生した政変を主導したのが伊丹正信の弟、西部鎮台司令官・伊丹時信と、寛信卿の弟・村信であることを把握していた。
現地で寛信卿を保護している第二艦隊司令部から、呪術通信を通してそうした事情を報されていたのである。
「これにより、伊丹家と一色家が手を結ぶ可能性が高まりました。両家で皇都内乱に対する責任の押し付け合いでも始めてくれれば楽だったのですが、こうなっては俺たちとしても両家に対する態度を明確に示す必要があります」
「要するに、両家を朝敵とする詔勅を陛下に発していただく、ということか?」
確認するように問うたのは、有馬貞朋公だった。
「未確認ながら、一色家はすでに西国諸侯に対し檄文を発したとの情報もあります。皇都内乱を引き起こしたにもかかわらず、さらなる戦乱を引き起こそうとしているのです。ここでこちらが断乎とした姿勢を見せねば、新政権としての鼎の軽重を問われます」
景紀は、強い口調でそう主張する。
実際問題、一色家の“瀬戸際外交”に妥協するようなことになれば、景紀が皇都内乱に勝利した意味も失われ、景紀自身の家臣団への求心力も失われるだろう。
冬花が自らを犠牲にしてでも景紀を河越まで逃がしてくれた献身、宵が義父である景忠を隠居に追いやってまで河越の実権を掌握してくれた覚悟も、すべてが無駄になる。
その意味では、景紀は依然として“焦り”に似た感情に追い立てられているといえた。
「先日の一色家からの書状で、陛下はいよいよ伊丹・一色両家への不信を露わにしておられたからな」
そう言ったのは、斯波兼経公である。
「皇都であれだけの不祥事を引き起こしておいて、なお自らの正統性を主張し、我らを佞臣・奸臣呼ばわりしたのだ」
「……こちらが妥協しない限り、ことが収まりそうにないというのであれば、最早やむを得んか」
呻くように、貞朋は言う。義弟や家臣を殺された彼ではあったが、だからといって仇討ちという私怨で内戦を引き起こすことについては葛藤があるのだろう。
「しかし、内戦終結後の展望についても考えておかねばならんと思うが、景紀殿、そのあたりは何か腹案があるのか?」
「ええ、いくつか考えてはあります」
景紀はそう言って、昼間に貴通に語った牢人を中心とする武装移民構想、兵科以外の将校に大学出身者や将家女性を充てる構想などをかいつまんで有馬・斯波両公に語った。
もちろん、構想といってもまだ思い付きに近い段階であるので、これから詳細な検討が必要ではあった。とはいえ、有馬・斯波両公は景紀の構想にある程度の有益性を認めはした。
「―――内戦後、国内から不穏分子を取り除き、陸軍を早期に再建するには悪くない考えではあるな」
貞朋は、景紀の考えをそう評した。
「問題は、内戦をいかに短期間に、そして最小限の犠牲で勝利するか、ということだな」
「そのためにも、伊丹・一色両家を朝敵とすることで両家の領軍下士卒の戦意を阻喪させることが重要かと」
執拗ともいえるほどに、景紀は伊丹・一色両家を朝敵とする詔勅を得ることに拘っていた。
冬花や宵、そして亡き母のためにも、景紀は皇都内乱での勝利を無駄にしたくはなかった。だからこそ、自らを官軍とする詔勅を得ることに拘っていたのである。
「まあ、錦旗を奉じて征くというのも、なかなか絵になるのでいいのではないか?」
斯波兼経公は、いささか面白そうにそう言った。
「出来れば我が領軍が錦の御旗を隊列の先頭に掲げているところを、屏風絵にでも残しておきたいからな」
冗談とも本気ともとれぬ口調で、彼はそう続けた。
そんな兼経公に、景紀や貞朋、そして貴通は揃って苦微少を浮かべる。何ともこの人物らしい物言いだと思ったのだ。
「では―――」
兼経の発言で何となく弛緩した空気を引き締めるように、貞朋公が咳払いをしつつ口を開いた。
「我ら三家の総意として、陛下には伊丹・一色両家討伐の詔勅を発していただくよう奏上する。それでよろしいな?」
これが完全な内戦に繋がるものであると自覚していたからだろう、貞朋公の声には厳粛な響きが宿っていた。
だが、景紀は今さら引き返すつもりなどなかった。
「ええ、構いません。もとより、俺はその覚悟なれば」
だから結城家当主となった少年は、決然たる響きと共にそう答えたのだった。




