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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十四章 皇国乱離編

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270 心の軋む音

 景紀が冬花を遠ざけているのか、冬花が景紀から離れたがっているのか、どちらなのだろう。


「……」


 家臣たちから届けられた報告書や書状に目を通していく景紀の姿を見ながら、貴通はそんな思いに捕らわれていた。

 結城家皇都仮屋敷となっている佐薙家皇都屋敷の執務室に控えているのは、側用人であるはずの冬花ではなく男装の少女の方だった。ここ最近、冬花が景紀の側に控えている時間よりも、貴通が景紀の側に控えている時間の方が多くなりつつあった。

 景紀としてもあのシキガミの少女が本来の調子を取り戻すことを願っているし、冬花自身も景紀にこれ以上の心配をかけまいと少しでも術者として回復すべく努力を続けている。

 武道の鍛錬や長時間の座禅など、彼女もいろいろな手段を試しているらしい。そのため、景紀の側に控えている時間が削られていたのだ。そして、景紀自身もそれを許容している。

 今、冬花が景紀の補佐官として行っている業務といえば、伊丹・一色両家の皇都屋敷から押収した文書の整理であった。それはそれで重要な仕事ではあるのだが、やはり冬花が景紀の側から離れる口実のようにも感じられた。あるいは景紀が、か。

 やはりこの二人は、互いを心配するあまり自縄自縛に陥っているのではないか。

 その疑念を、貴通はますます深めていた。

 冬花が抜け、宵姫も河越にいるため、政務における貴通の負担は増えつつあったが、自分以上に負担が増えているのは景紀の方だろうと彼女は思う。

 長尾多喜子から長尾憲隆・憲実父子爆殺事件の真相を暴露されて以来、景紀の心からますますゆとりが失われているように感じていた。

 一色公直が伏罪恭順の姿勢を示そうとしないことが先日の書状で明らかになった際の景紀の態度は、そうした内心の現れだろう。

 貴通も何とかしたいと思ってはいるが、彼の軍師を気取っている彼女にも思いつく手立てはそう多くはない。


「……おかしなものだな」


 と、不意に書類から顔を上げた景紀が、皮肉そうに呟いた。


「どうしました?」


 貴通は、すぐに思索から政務へと意識を切り替えた。


「これから六家同士の本格的な内戦が起こるかもしれないというのに、商人どもは気にした素振りもない。むしろ皇都内乱で宵が皇都への食糧の出荷を停止したのを見てか、一部では米なんかを買い漁っている連中もいるようだ」


 景紀は手元にある資料を、貴通の方に向けて滑らせた。それを見て、男装の少女が眉を寄せる。


「……確かに、おかしなものですね。対斉戦役では起こらなかった米騒動が、起こってしまうかもしれませんよ」


 六家同士の本格的な内戦が起これば、各家は大量の武器弾薬と共に食糧を消費する。それを見越して、商人たちが食糧の買占めに走っているのだろう。


「小山首相にも言って、外地(植民地)や東南アジアなんかからの食糧の緊急輸入が出来るようにしておかないとな」


「いっそ商人たちに伊丹家や一色家との取引を禁止するように命じたいところではありますが……」


 資料を見ながら、貴通が嘆息した。

 確かに、皇都内乱時、結城家は皇都への食糧出荷を停止した。しかし、それは結城家領と皇都の地理的関係があったからこそ出来たことで、他の六家領を経済封鎖するというのは至難の業である。それぞれの将家には御用商人がおり、中央政府が彼らを完全に統制するのは困難だったからである。

 これもまた、封建的な体制を残したまま近代化してしまった皇国の歪な部分であった。

 産業革命による市場規模の急速な拡大がありながらも、その商業分野にも御用商人・御用会社などを通して将家が深く関与していたために、市場経済と統制経済とが奇妙に混ざり合っているのが、皇国経済の特徴なのだ。


「東海道本線も中央本線も、ほとんど普通に運行を再開しているしな」


 現状、皇主が命じたのは“叛乱軍”の討伐であって、伊丹・一色家両家ではなかったため、官営鉄道や私鉄各社も平常通りの運行に戻りつつあった。

 景紀や貴通、一部の商人などのように内戦の危機を予感する者がいる一方、皇都内乱の終結によって皇国には再び平穏が戻ると考えている者たちも多いのだろう。

 実際、匪賊化した牢人の討伐が続いているものの、関東での軍事行動の規模は縮小しつつある。

 伊丹・一色両家が伏罪恭順の意思を示していないとはいえ、所詮は皇都で起こった事件として捉えている者も全国には多いはずである。

 そうなればますます、当事者たち以外は内戦の危機を覚えにくいのかもしれない。


「失礼いたします」


 と、一人の家臣が景紀宛ての書状を数通、届けにきた。ひとまず貴通との会話を打ち切って、景紀はそれらの書状を開く。


「……」


「……景くん?」


 読み進めていく内に、同期生の表情が徐々に険しくなっていくのを貴通は見ていた。


「ったく、混乱に付け込もうとする連中は、どこにでも現れるんだな」


 景紀は、投げるように貴通に自身の目を通した書状を渡す。

 報告書の形式をとったその書状の中に、気になるものが二通あった。

 一通は、嶺州に衛戍する歩兵第二十八旅団長・柴田平九郎少将からのもの。もう一通は、結城家が嶺州に置いている代官からのものであった。


「嶺州に、不穏な動きがあるらしい。だが、報告の内容が矛盾していやがる」


 柴田少将からのものは、単純に御家再興を諦め切れぬ佐薙家家臣団に不穏な動向が見られるということ、相変わらず自分にも接触を持ちかけてくる者がいることが、どこか辟易とした調子で書かれていた。

 一方、嶺州代官からの書状は、その第二十八旅団に不穏な動きがあるというものであった。代官曰く、柴田少将が佐薙家家臣団の動向について嶺州政庁にも警戒するよう上申してきたが、それは第二十八旅団の不穏な動きから結城家の目を逸らすための攪乱工作であると言うのである。


「これは多分、柴田少将の方が真実を突いていると思いますよ」


 書状から顔を上げて、貴通が言った。


「だが嶺州代官の方は、皇都内乱や結城家の突然の代替わり、長尾家の混乱に乗じて、嶺州軍が反旗を翻すんじゃないかって疑っているらしいな」


「宵姫襲撃事件の影響から来る不信感、ですかね?」


 封建的な性格を残した皇国陸軍の厄介な側面が、また一つ、現れた形である。


「だろうな」


 貴通が再びたたみ直した書状を、景紀は受け取った。


「……ったく」


 彼は、苛立ち混じりに舌打ちをする。


「どいつもこいつも、そんなに皇国を戦国時代に引き戻したいってのか?」


 景紀は、何かを呪うような視線を虚空へと注いでいた。


「……なあ貴通、もうまどろっこしいことなんてしないで、とっとと伊丹・一色両家を朝敵とする詔勅を得て、ぶっ潰しちまわないか?」


 不穏な口調のまま、景紀は続けた。

 先日の一色家からの書状に対し、予想通りと言うべきか、その対応について皇主から有馬・斯波両公に対して下問があった。両公の奉答内容は、先日の会合で示し合わせたように、一色家に伏罪恭順を示すよう皇主の口から改めて諭して頂く必要がある、というものであった。

 両公の参内後、景紀と貴通も皇主からの下問を受けて、その方針で問題がないかと皇主より確認をされている。皇主は皇主なりに、まだ年若い景紀を結城家当主として尊重する姿勢を見せているといえよう。

 そうして現在、皇主から一色公直あての宸翰(しんかん)が発せられ、それに対する一色家の反応を待っている段階であった。

 一方、伊丹家の方は依然として動きがない。


「紫禁城でやったのと同じだ。ああ、連中が河越にやってくれた空襲も使えるな。海軍の龍母も動員して、連中の居城を徹底的に爆撃で破壊してから、空挺部隊で乗り込む。工業地帯なんかを荒廃させることなく、一瞬でケリが付くぞ?」


 同期生のその言葉は、どこか自棄(やけ)っぱちなものに貴通は聞こえた。


「……景くんがそうお望みなら、僕はそれに従いましょう」


 男装の少女は、慎重に言葉を選んだ。


「しかし、両家を滅ぼした後はどうされます? 大量の牢人、広大な領地の統治方針、それらも併せて景くんは考えていますか?」


「……」


 軍師らしい貴通の指摘に、景紀が不愉快そうな表情のまま黙り込む。


「最近の景くんは、いささかやろうとしていることが極端に過ぎます。ご母堂様を亡くされて、冬花さんもあのようになってしまったことで、仇を討たねばと逸る気持ちは判りますが、少しは落ち着くべきです」


 内戦へと向かって回り出そうとしている歯車の軋みが、貴通には青年になろうとしているこの同期生の心の声のように思えて仕方がなかった。


「景くん、今日はもう、ここまでにしましょう」


 貴通は今日これ以上政務を続けていても景紀のためにならないと感じ、机の上を片付け始める。


「おい」


 当然、景紀はそんな同期生の行動に抗議の声を上げる。しかし、貴通は聞かなかった。そのまま、机の上を綺麗に片付けてしまう。


「そんな精神状態で政務をやっても効率は上がりませんし、家臣の皆様も近寄りがたく感じてしまいますよ。今までが少し忙し過ぎました。今日は、ゆっくりとお茶でもしましょう」


 貴通は、渋面を隠さない景紀にたたみ掛けるようにそう言うのだった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 佐薙家皇都屋敷の庭園にも、数寄屋風書院造りの茶室が建てられていた。

 草庵風の茶室を好む華族もいるものの、書院造りの間で行われる茶会の方が格式が高いとされるため、数寄屋風書院造りの茶室を屋敷内に設ける華族も多い。


「……」


 その八畳間で、景紀は仏頂面のまま行儀悪く片膝を立てた姿勢で座っていた。目の前では、貴通が茶を点てている。

 茶の湯は“茶道”という芸道の側面もある一方、将家にとっては日々の政務から離れて一息つくための娯楽という側面もあった。

 だから貴通も、景紀の行儀悪い姿勢に何も言ってこない。二人だけの空間であるため、周囲の目を気にする必要もなかったからだ。


「はい、景くん」


 貴通が、自ら点てた茶を景紀に差し出してくる。景紀はそれを相変わらずの仏頂面で受け取り、一気に飲み干した。滑らかな舌触りと共に茶の苦みが喉を通り抜けていく。

 景紀は呻くように息を吐き出し、突き返すような動作で茶碗を畳の上に置いた。


「……やはり、ご気分は晴れませんか?」


 判っているだろうに、貴通が案ずるように聞いてくる。それが何となく、景紀には苛立たしかった。

 十歳から十五歳まで兵学寮の同室で過ごしてきたこの少女に、自分の何もかもを見透かされているような感覚が、今は何となく癪に障るのだ。


「多分その思いは、一色公直を討っても変わらないと思いますよ」


「うるせぇな」


 貴通の冷静な指摘を、景紀は鬱陶しげに切り捨てた。足を胡座に組み直し、膝の上に肘を置く。


「なあ、俺は間違っていたのか?」


 言い掛かりをつけるような口調で、景紀は問うた。


「父上みたいに、何とか伊丹・一色両公と妥協の道を探ればよかったのか? そうすれば、誰も犠牲にならずに済んだってのか?」


「景くん……」


「んなわけがあるかよ」


 景紀は、吐き捨てるようにただ一方的に喋り続けた。


「あの時点で戦う決意をしていなければ、潰されていたのは俺たちの方だ。頼朋翁も多喜子の奴も、俺たち六家が互いに喰らい合うように仕組んでいた。あそこで戦わないなんて選択肢はなかった」


 自分の、そして冬花や宵、貴通の決意も、すべては有馬頼朋翁や長尾多喜子に皇都内乱という事態を仕組まれた上でのことかと思うと、あの二人が自分たちを嘲笑っているかのように景紀には感じられた。


「俺たちは、自分たちが生き残るために正しい選択をした。ああ、そうだ。俺は今だって、後悔なんてしちゃいない。俺たちは、正しかった」


 自分自身に言い聞かせるように、景紀は言う。


「母上を屋敷に残した時点で、冬花にあの命令を下した時点で、覚悟していた。他の何を犠牲にしてでも、宵と腹の子を守るために勝ち抜いてやると。なのに!」


 景紀は思いきり畳に拳を打ち付けた。

 母は死に、冬花は霊的な後遺症を抱え、それでも景紀は宵とお腹の子を守るという目的を果たした。

そして、詔勅を得て反乱軍を討伐し、結城家主導の新政権を樹立することにも成功している。

 皇都内乱を主導し冬花を痛めつけた伊丹正信は、重臣や側近と共に無残な死を遂げた。

 なのに、その勝利に少しも達成感がなかった。かといって、虚しさがあるわけでもない。

 満たされる感覚もなく、空虚な感覚もない。

 ただ納得出来ない結末と真実だけがもたらされ、そして事態がこれで終わったわけでもない。

 犠牲を払い、勝利し、それでもなお中途半端な結末しか得られなかった。景紀の中では、その思いが強かった。


「なあ、貴通」


 景紀は、手負いの獣のような余裕のない瞳で同期生の少女を見た。


「俺は、母上を犠牲にした。冬花に殿を命じて犠牲にしちまったあの時と同じだ。今さら、止まれるわけがねぇだろうが!」


 もう一度、景紀は拳を畳に打ち付けた。


「止まる必要はありませんし、僕は景くんに止まって欲しいと思っているわけでもありません」


 そんな少年の拳を、男装の少女はそっと包み込んだ。


「しかし、前に進むにしても、休むことは必要です」


 拳を包んでいた貴通の手が伸びて、景紀の頭を自らの胸に抱え込むようにする。その耳元で、案ずるように、言い聞かせるように、男装の少女は言う。


「今の景くんは、休まなくては駄目です」


 その言葉が、余計に景紀の勘に障った。

 今この瞬間にも一色公直は皇都奪還のために挙兵するかもしれず、あるいは嶺州で佐薙家の遺臣たちが大寿丸を担ぎ上げて蜂起するかもしれない。

 休めという貴通の言葉に、景紀はどうしようもない反発を覚えた。その感情のままに、彼は突き飛ばすようにして貴通を畳の上に押し倒した。


「休め、だって?」


 少女の上にのしかかるような体勢になりながら、景紀は低い声で言った。


「はい」だが、貴通に怯んだ様子はなかった。「景くんのお気持ちは、理解出来るつもりです。でも、だからこそ休まなくてはいけません」


 そこでふっと貴通は微笑んで見せた。


「大丈夫ですよ。ここには、僕と景くんしかいません。辛いことも、悲しいことも、苛立つことも、僕が全部受け止めます。そうすれば、少しは楽になるはずです」


 その慈しむような言葉が、今の景紀にはひどく苛立たしかった。

 皇都内乱中に貴通がずっと自分を励まし続けてくれたことは覚えている。だから彼女は今もそうして自分を励まそうとしているのだと判ってはいた。

 しかし今は、彼女のその気遣いを素直に受け止めることが出来なかった。

 男としての見栄や意地、矜持といったものに固執しているのは、自分でも判っている。

 だが、そうした感情を理解してくれない同期生に、景紀は反発を覚えていた。余計なお節介をしてくることが、気に喰わなかった。


「……じゃあ、全部受け止めてみろよ」


 景紀は威圧的な口調で言って、貴通が身に付けている認識阻害のお守りに手をかけた。そのまま、部屋の隅へと放り投げてしまう。

 景紀の目に映る貴通の雰囲気が、妙齢の女性へと至りつつある少女のものへと完全に変わる。


「ええ、いいですよ。その覚悟もなく、あんなことを言ったりはしません」


 だが、景紀に組み敷かれ、脅すような言葉を掛けられながらも貴通は怯んでいなかった。それどころか、口元にはかすかな笑みすら浮かんでいた。


「っ……」


 こうしていながらも、自分の中の行き場のない感情をすべて彼女に叩き付けてしまうことへの躊躇いが、まだ景紀の中には残っていた。

 かといって、自分から彼女を突き放してしまうだけの踏ん切りが、どうしても景紀には付かなかった。無意識の内に、貴通に甘えていたのだろう。

 だから、いっそのこと彼女の方から逃げてくれればいいという思いがどこか景紀の中にあった。やはり、貴通への甘えであった。

 しかし、貴通は逃げようとしない。

 自分の思い通りにならないことへの苛立ち、そして彼女の包容力を湛えた態度が、余計に景紀の中の危うい衝動を駆り立てる。

 自分でも、引くに引けなくなってしまっている自覚はあった。景紀の中にあるちっぽけで身勝手過ぎる見栄が、すべてを邪魔していた。


「―――っ!」


 一瞬の逡巡の後、景紀はまるで八つ当たりのように少女の服を乱暴に暴きにかかるのだった。

 本話に関連するノクターン版番外編(十八歳未満閲覧禁止)

冒頭URL:https://novel18.syosetu.com/

Nコード:n7033hg/7/

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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