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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十四章 皇国乱離編

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269 整理のつかぬ気持ち

 皇都内乱が終結したとはいえ、皇都は戦場となった秋津橋・皇都中央駅周辺地域や匪賊化した牢人たちによって破壊された南部地域など、戦禍の爪痕を各所に残すことになった。

 そうした地域の復興は、反乱に加わらなかった第一師団麾下の工兵第一大隊や結城家領軍の工兵部隊などを中心として行われていた。皇都市内に軍政や戒厳令が敷かれているわけではなかったので、単純に使い勝手の良さから軍工兵隊が選ばれていただけであった。

 実際、これまでにも大火や震災が皇都を襲った際にも軍は災害復旧や復興に尽力している。

 皇都の復興には、中小諸侯たちや公家華族たちも相次いで資金の供出を申し出ていた。一度は反乱軍側に食糧供給などの便宜を図った者たちは、今度は一転して皇都復興に協力する姿勢を新政権に示していたのである。

 こうした混乱と復興が続く皇都では、不穏な情勢下でやむを得ず休校となっていた学校が次々と再開していた。


「……でもまあ、あんなことがあったから、そのまま退校届や休学届を出して戻らなかった子たちもいたわ」


「まあ、だろうな」


 皇都にある浦部家の邸宅で、八重は縁側に腰掛けて足をぷらぷらとさせていた。傍らでは、匪賊討伐から戻った鉄之介が縁側に腰を下ろして胡座をかいていた。


「景紀の奴は学院の奴らを人質に取るつもりはなかったから、領地の親元に帰りたいって奴は帰したらしいからな」


 人質を取って諸侯たちを従わせようとすれば、それこそ伊丹・一色陣営と同じことになり、反乱軍討伐の詔勅を受けた景紀の正統性が揺らいでしまう。それに、親や兄たちが反乱に加担したからと十五歳以下の少年少女を処断しては、かえって中小諸侯たちからの反発を受けるだろう。

 そう、鉄之介は姉や貴通から説明を受けていた。


「あの子は、婚約者のことがあるし、実家も皇都だからそのまま在籍し続けるらしいけど」


「ああ、桜園理都子って奴のことか」


 桜園子爵家は、理都子が正信公の孫・直信の婚約者であったために、公家の中でも明確に伊丹家側に付いた家となってしまった。

 理都子の兄の一人、近衛騎兵将校であった季寿(すえひさ)も反乱軍側に合流していたため、彼は捕縛され、反乱軍に加わった他の多くの攘夷派将校たちと共に軍法会議にかけられることになっている。

 当主・季邦(すえくに)もまた、責任を取って式部官長を辞任、家督を嫡男・季経(すえつね)に譲り、自身は屋敷で謹慎していた。


「針の筵ってわけでもないようだけど、やっぱり伊丹家や一色家に属する生徒たちは肩身の狭い思いをしているみたいよ。学院を辞めて本領に帰っちゃった子たちもいるし」


「でも、一歩間違えれば俺たちが処断される立場に立たされていたんだ」


「判ってるわよ」


 そう言って、八重は自身の腹部に目を落とした。皇都内乱の終盤で突然、体調を崩した彼女は、医師の診断の結果、妊娠六週間目あたりであることが判明していた。

 この時代、十代半ばから後半での妊娠は珍しいことではない。女学校などでは、結婚や妊娠による寿退学が一般的な時代である。


「私も冬季休暇を期に退学するように学院長から勧められたけど、まあ、いざ辞めるってなると少し寂しいものがあるわよね」


 そう言って、八重は遠い目をした。

 この十日ほどで、自身を取り巻くあらゆることが変化し過ぎていた。それに気持ちが追いついていないというのが、鉄之介や八重にとって正直なところであった。


「……とりあえず、子供が生まれるまでは少しは大人しくしていろよ」


「判っているわよ」


 鉄之介の言葉に、八重は唇を尖らせた。彼女は、自身の子を景紀の子のシキガミにしたいと以前から言っていた。宵姫もまた景紀の子を宿していると聞き、鉄之介との間に子を授かったことは八重にとってはむしろ望むところであった。


「……ねえ、冬花義姉(ねぇ)様は大丈夫なの?」


 シキガミということで八重が思い出すのは、義理の姉である冬花のこと。

 皇都内乱の最中、市中を引き回される冬花を見捨てた景紀に怒りと恐れを抱いたものの、それでもあの若君が詔勅を得るや真っ先に冬花を助け出そうとしたことで、八重の中での景紀に対する感情は複雑である。

 あの宵姫も義理の父である景忠公を廃立したというのだから、景紀にも宵姫にもそれなりの事情があったことは、八重も理解している。それでも、感情的に納得出来ない部分は残るのだ。

 それが、冬花に霊的な後遺症が残っているとなれば、なおさらであった。


「良くは、ねぇな……」


 鉄之介は、苦い口調で言う。


「でも、無理してんのは姉上の方で、あんま無理させないように命じているのが景紀だから、正直、俺としても複雑なところはある」


「私も、もし術者としての力を失うようなことになったら、きっと怖くなると思うわ」


「ああ、俺も、それは判る」


 でも、姉が無茶を重ねる原因は果たしてそれだけなのだろうかと、鉄之介は思う。

 姉である冬花は、景紀のシキガミであることに己の存在意義を見出している。それこそ、弟でありながら幼少期にほとんど姉から顧みられることがなかったと鉄之介が記憶しているくらいに。

 弟の鉄之介から見て、姉の景紀に対する感情は主従のそれを越えて男女のそれだ。河越へと逃げ延びる最中に姉が景紀に口付けする瞬間を見ているから、姉の景紀への思慕は最早疑いようもないだろう。

 そうした感情がより一層、無理をすることに繋がってしまっているように、鉄之介には見えた。

 しかし一方で、この内乱で鉄之介自身の立場も変わってしまった。宵姫が景忠公を廃立する際に自分も父・英市郎と対立し、そして八重が自身の子を身籠もったことで父親になろうとしている。

 母・若菜にも、久姫を守り切ることが出来なかったとして、一部ではその責任を追及する声も上がっているという。これに関しては、景紀から屋敷を任された家令長、警備隊長が責任を問われていないので、母の責任追及の声もそれほど大きなものとはなっていないが、冬花の存在を疎んじている者は景秀卿の嫡男・景保(かげもり)やその周囲の青年家臣団を始め、結城家内で一定数は存在している。

 そうした者たちの悪意から、鉄之介は葛葉家嫡男として“家”という存在を守り抜かねばならないのだ。

 姉のことばかり心配しているわけにもいかなかったし、姉のように自分と景紀との関係にばかりに執着しているわけにもいかない。

 子供の頃に姉を景紀に取られ、景紀への反発とともに姉のことを遠くに思っていた鉄之介。だが今は、子供の頃とは別の意味で、姉のことを遠くに思うようになりつつあった。


「冬花義姉様、良くなるといいわね」


「ああ、そうだな」


 だから鉄之介は、八重の言葉に弟の立場として義務的に頷くことしか出来なかった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 ひゅん、と空気を切る音と共に、矢が的へと刺さる。

 凜とした残心の姿勢で道場に佇んでいたのは、白い胴着に黒い袴を身にまとった冬花であった。その上から、黒い胸当てをつけている。


「……」


 ゆっくりと構えを解きながら、彼女は幾本もの矢が刺さっている的を見る。的の中心部に刺さった矢よりも、その外側に刺さった矢の方が多い。


「……」


 冬花は思わず、表情を険しくさせた。


『……鉄之介から話は聞いていたが、やはり調子は戻らぬようだな』


 と、道場の中に別の声が響き渡った。弟である鉄之介が所属する宮内省御霊部の部長・浦部伊任の声であった。

 本人はこの場にはおらず、蝶型の式が一羽、道場の中を浮遊していた。


「……何の用ですか?」


 思うように的の中心を狙えなかった苛立ちも加わり、冬花の声には刺々しさがあった。


『ここは皇都。霊的に不安定となった妖狐の血を引く存在を、我ら御霊部が気にせぬ道理はなかろう』


 守護の結界が張ってあるはずの佐薙家皇都屋敷にこの式が侵入してきたのは、あの弟の手引きか、と冬花は理解した。

 現在、屋敷に張り巡らされた結界を構築し、そして術式を維持しているのは、主に鉄之介であった。以前ならばともかく、今の冬花にそれだけの結界を構築し、維持するだけの力がなくなっていたのだ。

 そして、自分がそのような状態になってなお、この龍王の血を引く陰陽師は妖狐の血を引いていることを理由に警戒しているというわけか。いや、むしろ霊的な不安定さを増しているからこそ、万が一の暴走を警戒しているのかもしれない。

 その皮肉さに、冬花は思わず唇を歪めてしまった。


「浦部伊任殿は、私よりも八重さんのことを心配してはいかがです? 来年にはお孫さんが生まれそうですし」


 だから冬花は、思わずそう返していた。

 あの内乱で、殿を務めたことを冬花は後悔していない。むしろ、景紀を無事に河越へ逃れさせることが出来て、誇りにすら思っている。

 自分が殿の任を全うしたからこそ、景紀は領軍を率いて伊丹・一色両公に打ち勝つことが出来たのだ。

 それで、捕えられて激しい責め苦を受けたことも、市中を引き回されて妖狐としての姿を晒されたことも、何もかもが報われた。

 だから、後悔はない。

 ただ、景紀のシキガミとしての役目を十全に果たせなくなりつつあることが、冬花にとって不安であり恐怖であった。

 自分が術者としての力を失ったとしても、景紀が自分を見捨てることはないと判っている。

 しかし、シキガミであることが出来なくなってしまえば、自分と景紀と繋ぐ絆の一つが失われてしまう。

 そんなことで自分と景紀の関係が損なわれることはないと判ってはいても、その絆を大切にしたい冬花にとっては耐え難いことだった。

 宵姫や貴通といった、景紀を慕う女たちの中で、シキガミという絆で結ばれているのは自分だけなのだ。だからこそ、宵姫が景紀の正室となることで生まれた寂しさや、貴通が政治・軍事・家柄の三つで景紀を支えられることへの羨望を慰めることが出来た。

 そしてもう一つ。

 幼少期に抱き、景紀のシキガミとなる切っ掛けとなった冬花の根源的な恐怖が、蘇りつつあった。

 宵姫や貴通など、景紀を支える者たちの中で術者は自分だけなのだ。その立場を、弟で葛葉家嫡男の鉄之介に奪われてしまうのではないかという恐怖。

 匪賊討伐の中で後は自分に任せるよう言ってきた弟に向けてしまった、敵意と嫉妬。

 宵姫に従って景忠を廃立した鉄之介は、今や実質的な葛葉家当主である。術者として主君を支え、守護する立場を奪われてしまうことをへの恐怖が、再び冬花の中で首をもたげ始めていた。

 何よりも、自分が術者としての能力を失ってしまうことで、景紀に責任を感じさせてしまうことが、不甲斐なく、そして悔しかった。

 先日の久の葬儀で多喜子が景紀に言った言葉を、冬花はその妖狐の聴力を使って聞いていた。

 あれから、景紀はさらに追い詰められたような表情をするようになってしまった。

 伊丹・一色両家に対して苛烈な方策をとるような決断はまだしていないが、それでも今の景紀には皇国を内戦状態に陥れてでも両家を滅ぼしてしまおうとするかのような危うさがあった。

 それを押し止めているのは、内乱の最中から今までずっと景紀の側に控えている貴通だ。彼女が、何とか景紀の選択肢を辛うじて穏便な範囲に収まるように調整しているのだ。

 悔しいが、冬花ではその役目を果たせない。景紀に心配をかけるだけの今の自分の言葉は、彼には届かないだろう。

 それに、自分は補佐官として事務処理に秀でている自覚はあるが、政治的な判断に関しては疎いところがある。

 今はこうして、少しでも自身の霊的安定に繋がるようなことに集中しなければならなかった。

 武術は戦うための技術を身に付けるという目的の他に、精神修養を行う武“道”としての側面も持っている。

 冬花は今、弓術によって己の体内の気の流れを意識するということに集中していた。全身を巡る気の流れに調和を崩した霊力や妖力を乗せて、その(よど)みや(しこ)りを解消しようとしていたのである。

 しかし、かえって霊力や妖力の乱れが気の乱れに繋がってしまっているのか、なかなか思うような効果を実感出来ずにいた。


『……三日ほど前、貴様の主・結城景紀が私に一通の書状を送ってきた。内容は、貴様の件についてだった』


 それは、冬花にとって初耳であった。三日前といえば、自分はすでに匪賊討伐から帰還していた時期である。

 「大丈夫」だと言った自分の言葉を、景紀は信じていなかったのだろう。


『我が浦部家も人ならざるものの血を引く術者の家系。結城景紀はだからこそ相談を持ちかけたのだろうな』


 冬花と同じく妖狐の血を引く父・英市郎と景紀との関係は対斉戦役以来、芳しくない。母の若菜も、冬花を景紀の元から引き離して静養させるべきと主張している。景紀が浦部伊任に相談の書状を出したのは、そのためだろう。


『貴様の霊的な不安定さ、乱れを治す方法。それはないのかということだった』


 伊任の声には、冬花を咎めるような響きがあった。


『貴様、結城景紀の血を混ぜた呪符を体に貼り付けているのだ。己の霊的不安定さを改善するための方法に、よもや気付いていないわけではあるまいな?』


 今の冬花の現状を回復させる手段があるのにそれを主君に進言しないことを、伊任は咎めているのだろう。

 彼にとって懸念すべきことは、このまま冬花が霊的安定さを取り戻せず、妖狐の血を暴走させてしまうことなのだ。決して、景紀と冬花の関係性を慮っているわけではない。


『貴様は結城景紀の体の一部を体内に移植し、非常に強固な霊的契約を結んでいる。それによって、貴様と結城景紀の魂の同調性が高いことは、皇都内乱で貴様と結城景紀が阿尾舎法を使えたことからも明らかだ。そして、貴様は女で、結城景紀は男。陰陽の調和という意味でも、これ以上ない組み合わせだ。であるならば、使うべき術は一つしかなかろう』


 浦部伊任の言う術が何であるのか、冬花も理解している。理解しているが、その術を試すことには躊躇いがあった。


「……それを、浦部部長は若様に説明したのですか?」


 冬花は、詰問するような口調で蝶型の式に言う。


『今の貴様の状態を放置するわけにはいかぬのでな』


 余計なことを、と冬花は思った。今の状況では、それはかえって景紀を追い詰めかねない。

 男女が一組となって心身の調和を図る術。それはつまり、“房中術”のことだ。

 陰陽道や仙術、錬丹術など様々な呪術で取り入れられている、男女の交わりによって心身の調和や不老長寿などを目指す術。


『もっとも、結城景紀は自分の立場上、それを言い出すことは出来ない、と返答してきたが』


「……」


 冬花は、自分たちの関係を単に事務的に処理しようとする浦部伊任の姿勢に怒りを覚えていた。

 浦部伊任から房中術のことを聞かされたときの景紀の、苦悩するような表情が目に浮かぶ。

 確かに景紀は男で、自分は女だ。だが、そこには主君と従者という立場が厳然として横たわっている。

 冬花の霊的不安定さを治すためとはいえ、景紀の方からそうしたことを言い出せば、どうしても命令に近い形にならざるを得ないだろう。

 景紀がその立場を利用して冬花に手を出そうとしたことは一度もなかった。彼はいつだって、自分のシキガミとしての立場を尊重してくれた。

 それを、浦部伊任は踏みにじろうとしたのだ。

 何かに追い立てられ、追い詰められているような雰囲気さえまとっている今の景紀に房中術という解決方法を教えることは、さらに彼を追い詰めることになってしまうだろう。

 そして、そのような精神状態で房中術を行ったとしても、効果はない。男女が心を通わせてこそ、この術は本来の効果を発揮する。

 だから冬花は、今までその術のことを景紀に言い出さなかった。シキガミとしての、景紀を恋慕する女としての矜持も、勿論ある。

 自分の霊的安定のために、景紀に迫りたくはなかった。

 あるいはそれは、術者ではなく一人の女としての意地なのかもしれなかったが、冬花にも譲れない一線がある。


「……私は、あの人のシキガミです。若様を苦しめるために、術を行使するつもりはありません」


 だが、浦部伊任はどこまで冷厳であった。


『私は、貴様ら主従の矜持などに興味はない。貴様が妖狐の血を暴走させ、結城景紀がそれを始末できなくなった時には、我ら御霊部は容赦なく貴様を討ち取るつもりだ』


 最後まで、浦部伊任は冬花の心情を慮ることはなかった。蝶型の式が、道場の外へと飛んでいく。


「……」


 冬花は再び弓を構え、矢をつがえた。

 景紀にこれ以上、自分のことで思い煩わせるわけにはいかない。シキガミの少女はその一念で、的へと矢を放った。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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