264 軍法会議
皇都内乱の中に巻き込まれた各官庁庁舎の中で、兵部省庁舎は蹶起部隊に踏み込まれることなく最後まで敷地と建物を守り抜いた唯一の場所であった。
皇都内乱では、最終的に蹶起部隊によって宮内省庁舎までが占拠されてしまったのだから、陸海軍の兵部省職員の払った努力は相当なものであったといえよう。
その兵部省の陸軍部では現在、皇都内乱の事後処理に追われていた。
反乱に加担した蹶起部隊将校と彼らに近かった一部の下士官たちを軍法会議にて裁くため、法務局はその準備に忙しかったし、そうした逮捕された将校・下士官の穴を埋めるため、人事局もまた後任の人選に追われていた。
通常、陸軍の軍法会議は「陸軍治罪法」に基づいて行われる。軍法会議は師団軍法会議、鎮台軍法会議、高等軍法会議の三審制がとられていた。
ただし、これはあくまでも建前であって、治罪法の解釈次第では一審で結審とすることも可能であった。
今回、蹶起を主導したと見られる攘夷派将校とそれに積極的に賛同した一部の下士官たちは、陸軍刑法にある叛乱罪の容疑で捕縛されている。
彼らをどのように裁くかという点で、兵部省陸軍部は揺れていた。
これは、皇国陸軍が軍閥の集合体であることも大きく影響していた。逮捕された者の中には、伊丹家や一色家の家臣団出身者が多かったからである。これがそれぞれの領軍内部で発生したことであるならば、その領軍の中で裁けば良かったのであるが、今回は首都衛戍部隊で発生した事件である。
これまでの慣習では、首都衛戍部隊で陸軍刑法を犯した者で六家家臣団出身であった場合は、その身柄をそれぞれの主家に引き渡して、主家の責任において裁くことになっていた。だから陸軍治罪法とは、かなり建前優先の法だったのである。
実際、八月に発生した軍監本部長暗殺未遂事件では、犯人の身柄は伊丹家に引き渡されている(ただし、犯人はあくまで上京してきただけで首都衛戍部隊の所属ではなかったが)。
しかし今回の場合、六家同士の内乱となり、伊丹・一色陣営は敗れ結城家が勝利した。これまでの慣習が、通用するような状況ではなかったのである。
六家の家臣を中央が裁いて良いのかという葛藤は第一師団司令部、皇都鎮台司令部の中に当然存在し、特に第一審を担当することになるはずの第一師団司令部からの照会が、兵部省法務局には相次いでいた。
第一師団司令部としては、いっそ高等軍法会議の一審制にしてもらい、責任を回避したいという思惑もあったのだろう。
また、兵部省の中にも結城家へ配慮して一審制にし、速やかに攘夷派将校や攘夷派下士官を処断してしまおうという声も上がっていた。
さらに問題を複雑化させていたのは、攘夷派浪士の存在であった。反乱に加担し、その後、匪賊化して各地で狼藉を働いた彼らもまた、その多くが捕縛されていた。
彼らは軍人ではないため、捕縛された彼らを裁くのは当然、司法省ということになる。こちらは刑法の内乱罪が適用されることになる。
兵部省と司法省で裁判の方針について足並みを揃えようという動きが、当然ながら発生していた。
これがさらに、軍法会議の問題を難しくしていたのである。
◇◇◇
「貴様もなかなか難しい立場に立たされているな」
兵部省陸軍軍監本部長である川上荘吉少将にそう言ってきたのは、兵学寮同期で軍務局長の畑秀之助少将であった。
皇都内乱が発生した時に川上が畑に言った台詞を、ほとんどそのまま返された形である。
「まったくだ」川上は嘆息して応じた。「結局、兵部省は六家に振り回される運命にあるようだな」
軍法会議の方針を巡って、内乱の勝者となった結城家の意向を探ろうとする者は多い。
兵部省に属する軍人たちは、川上や畑のように主家への帰属意識よりも中央(国家)への帰属意識の方が強い者が多いとはいえ、それでもやはり六家の意向というものは気になるらしい。
結城家家臣団出身である川上の元に、法務局や人事局の担当者が訪れることも珍しくはなかった。
「実際のところ、貴様のところの新当主は何を考えているのだ?」
「貴様も、俺に探りを入れてくるか」
同期生の言葉に、川上は苦笑を浮かべた。それに対し、畑が自虐的な笑みを返す。
「なに、俺も一応、伊丹家の出身だからな。いつまで今の地位にいられるのか、気にならないでもないのだ」
畑は伊丹家家臣団出身の者でありながら、蹶起には一切関わっていない。もちろん、長尾憲隆公爆殺事件の第一報を第一師団司令部に入れてしまったことで、結果的に蹶起を誘発してしまったという部分はあったが、少なくとも陸軍刑法に触れるような容疑は一切存在していなかった。
だからこそ、今も軍務局長の地位にあるといえた。
「俺も若君……ああ、今は御館様と呼ぶべきか? まあ、景紀様が何を考えているのかはよく判らん」
「確かに、坂東兵相や新司法相に裁判の方針について圧力を掛けたという話は特に聞かんな。まあ、それでかえって兵部省と司法省が迷走しかけている面はあるような気もするが」
「六家体制が二〇〇余年も続いてきた弊害だろうな」
中央政府が常に六家の影響下にあったことが、六家の意向を気にしながら政策などを進めていくという中央政府役人の風潮を生み出してしまったのだろう。
だから、六家からの圧力がないとかえって意思決定過程が迷走してしまうという結果を生み出したのだ。
皇都内乱によって六家による集団指導体制が事実上崩壊してしまったとはいえ、人間の意識というものは一朝一夕には変化しない。ましてや、六家体制が瓦解したとはいえ、結果として結城家が突出した政治的影響力を持つに至ったというだけの変化であるとも言えたので、なおさらであった。
「俺も景紀様から直接何かを言われたわけではないが、多分、あの方は今、それどころではないのではないか?」
「まあ、まだ御年十九であるからな。そろそろ二十歳を迎えられるとはいえ、無理もない」
川上も畑も、結城景紀に対してはいささか同情的であった。
「逆賊となるかもしれない重圧の中で領軍を率い続け、父であり当主であった景忠様の意向に背き、何とか皇都を奪還したかと思えば、一色公直公は本領に落ち延びてしまった。内戦の予兆は、まだ燻っている。さらに新政権も安定させねばならず、有馬家や斯波家との意見調整も必要。それに、お方様も亡くされている。軍法会議にまで関わっているだけの余裕が、ないのだろう」
「ならば我らは、陸軍治罪法に則って粛々と裁判を行うしかないのだろうな」
「そこは法務局や第一師団司令部に任せておけばよかろうよ」
川上は煩わしげに言った。軍監本部は、本来であれば軍法会議とは関わりのない部署である。だというのに、川上が結城家家臣団出身というだけで法務局や人事局の人間が意見を求めに来るのだから、彼としても鬱陶しい思いを抱いて当然であった。
「俺としては、貴様のところの若君のご様子も気になるところではある」
「ああ、直信様か」
畑は渋面を浮かべつつ言った。
「あの方も、やはり難しい立場に立たされておられるからな」
伊丹直信は、皇都内乱を主導した伊丹正信公の孫であり、実際に蹶起部隊の一員として行動していた。しかし、あの少年が心から蹶起に賛同していたわけではないだろう。
それは、警視庁庁舎に籠ったまま自身の率いる部隊を、以後、一切動かさなかったことからも窺える。最後には、宮内省庁舎に立て籠る渋川大佐らを説得するために自らの乗り込み、そして撃たれていた。
そうした直信の姿勢が下士卒たちの感銘や同情を誘ったのか、直信が率いていた部隊の下士卒たちからは直信の助命・減刑嘆願の血判書が兵部省や第一師団司令部、皇都鎮台司令部に届けられたという。
また、伊丹家次期当主・寛信の嫡男であるということも、兵部省や司法省が彼を裁くことに足踏みする要因となっていた。兵部省の中には、潔く自決してくれれば面倒が減ると言い放つ者もいるという。
そうした直信の置かれた複雑な立場もあってか、負傷した彼は陸軍衛戍病院ではなく伊丹家皇都屋敷に軟禁されている。
「伊丹家本領の動き、寛信様の動きも、今のところ俺のところには伝わってこない。余計に、直信様のお立場はよく判らないものになっている」
「貴様の方から、寛信卿に伏罪恭順の意思を皇主陛下に示す必要性を説いてはどうだ? 中央にいる貴様ならば、結城家や宮中との仲介役にはなれるだろう? 何なら、俺も力になるぞ。うちの若君は、宮中にも影響力を伸ばしつつあるようだしな」
結城景紀側用人である葛葉冬花の弟・鉄之介は宮内省御霊部長の娘を娶っている。そこから生まれた結城家と宮中勢力との繋がり、特に宵姫と宮中との繋がりは、川上も対斉戦役中の徴傭船問題で十分に実感していた。
「それも一つの手ではあるな」
やはり渋面のまま、畑は続けた。
「ただまあ、正直なところ、いざ伊丹・一色両家を朝敵として討伐せよとの勅命が下ったとき、征討軍の予算やら何やらを弾き出すのは軍務局長である俺の役目になるだろう? だからまあ、後味の悪いことをする前に軍務局長を辞してしまいたいという思いもある」
「俺も、軍監本部長として貴様の主家を滅ぼす作戦を立てねばならん。その意味では、貴様一人に足抜けされてしまっては困る」
どこか咎めるような口調で川上が言えば、畑はかすかに苦い笑みを浮かべた。
「判っている。ここで同期生である貴様を見捨てるのも、それはそれで後味が悪い。貴様のところの新当主が何を考えているのかはよく判らんが、そいつが俺を兵部省から追い出そうとしない限りは、貴様に付き合ってやるさ」
国家と六家、それらに挟まれた者たちの苦悩は、皇都内乱が終結しても依然として続いていたのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
伊丹家皇都屋敷に軟禁状態に置かれている伊丹直信であったが、屋敷内であれば比較的自由に動くことが許されていた。
とはいえ、祖父であり当主であった伊丹正信が死に、伊丹家自体も皇都内乱に敗れた身であるため、何か政務が飛び込んでくるわけでもない。
ただ何となく、屋敷の外を恐れるような雰囲気が、残された家臣の間に広がっている。皇都内乱を主導して皇主の怒りを買ったと思われる家に勤めることを厭ったのだろう、奉公人たちの多くが暇乞いをして屋敷から退去していた。
そのため、内乱前に比べて屋敷は随分と寂しい有り様になっていた。
「……」
直信は、奥御殿の縁側に座り込んで庭園をぼんやりと眺めていた。
内乱の最終局面で負った傷は、すでにほとんど癒えていた。御霊部の術師によって、治癒の術式を施してもらったからだ。
とはいえ、傷が癒えたからといってやるべきことはほとんどない。
蹶起に加わった攘夷派将校の中に、渋川大佐の他にも伊丹家に近しい者、家臣団出身の者はいる。だが直信は、そうした者たちの助命や減刑を伊丹家次期当主嫡男という立場から乞おうとは、思わなかった。
唯一、上官の命に従っただけの下士官・兵卒については寛大な措置を願う旨、兵部省に嘆願書を送った程度である。
直信にとって、この蹶起は最初から最後までよく判らないものだったからだ。
徒に皇都に戦禍をもたらし、市民に被害を与えた蹶起にどれほどの大義があったのか。それが判らないからこそ、彼は伊丹家次期当主嫡男として動こうとしなかった。
それに、その“伊丹家次期当主嫡男”という立場もどこまで維持出来るのか判らなかった。消極的にせよ蹶起に加わってしまった直信を、父・寛信は廃嫡するかもしれない。
伊丹家という家を守るためには、祖父・正信と自分にすべての責任を負わせ、領地にいた自分は知らぬ存ぜぬを決め込むのが一番だろう。
父が殺害された祖父に代わって伊丹家を継いだという話も、直信の耳には入ってこない。もしかしたら、伊丹家本領の方でも何か混乱が起こっているのかもしれないが、軟禁状態の直信に知る術はなかった。
葛葉冬花によって殺害された祖父を悼む気持ちも、一応はある。しかし、祖父や一色公直公のやり方に違和感を覚えていたのも確かである。
加えて、その葛葉冬花に祖父が凄惨な拷問を加えていたと聞かされている以上、直信は彼女やその主君である景紀を恨もうという気にもなれなかった。
皇都内乱中の緊張感、あるいはそれ以前から続いていた祖父からの期待や重圧から解放されて、一種の虚脱状態に陥ってしまったのかもしれない。
結城家主導の軍法会議にかけられて銃殺されるか、あるいは結城家から自決を促す使者がやって来るかもしれなかったが、直信は自分の将来にさして興味がなかった。そのくらいには、日々を屋敷で無気力に過ごしていたといえよう。
そうした兄の状態を心配してくれているのか、女子学士院に在学している妹の牧は、領地に帰ろうとしない。
一応、皇都を掌握している結城家は、かつての自分たち蹶起部隊のように兵学寮や学士院、女子学士院の生徒を人質にとっていると批判されたくないのか、領地に帰りたいと申し出る者についてはそのまま帰しているという。
しかし、妹の牧は兄である自分が促しても、父の元に帰る意思はないようであった。
そしてもう一人、直信のことを気に掛けてくれている少女がいた。
「直信様、本日はお加減、如何ですか?」
女子学士院での一日の授業を終えて屋敷を尋ねてきた、婚約者の桜園理都子であった。
桜園家もまた反乱軍側に加担した家であり、理都子に至っては従軍しているわけであるから彼女に内乱罪が適用されてもおかしくなかったのであるが、むしろ将家の価値観からすると夫(と、なるべき人物)と共に戦場に立った彼女の行動は将家女性の鏡ということになり、特にお咎めなしとなっていた(そもそも十四歳の少女を処断しては、結城家としても体面が悪い)。
だから今も、捕縛されることも、あるいは学院を退学処分にされることもなく、比較的自由に動くことが出来た(流石に父・季邦と蹶起に加わった兄・季寿はそうはいかなかったが)。
「ああ、理都」
直信は、彼女の方を振り向いた。
依然として、理都子は直信の婚約者であり続けていた。直信の側で従軍していた彼女は、最早直信との婚約を解消して別の家に嫁がせることが不可能となっていたからだ。
たとえお咎めなしとはいえ、反乱軍に加わったという“前科”を持つ少女を娶ろうとする家は、まずない(もちろん、桜園家が結城景紀に取り入るために彼女を妾として差し出すことも可能ではあったが)。
「途中、団子屋の屋台がやっていましたので、一緒にいかがですか?」
理都子は湯飲みが二つ載った盆に、竹皮の包みを載せていた。そこから焼き団子の香ばしい醤油の匂いがする。
「ああ、そうだな」
直信は、ちょっとした感慨を覚えていた。兵学寮に在学していた頃は、同期生と休みの日に皇都に繰り出して買い食いなどをしていた思い出がある。
直信の記憶の中では、それが皇都の日常であった。
内乱があって、市民たちも被害を受けただろうに、もう団子屋の屋台が営業している。皇都は、日常を取り戻しつつあるのだ。
民草のたくましさを、直信は感じ取っていた。
理都子が縁側に盆を置き、竹皮の包みを開ける。途端、先ほどよりも濃い醤油の匂いが、直信の鼻をくすぐった。
「はい、直信様」
竹皮の包みを両手で持って、理都子が差し出してきた。その屈託のない表情が、直信にとって癒やしとなっていることも事実だった。
「ああ、ありがとうな」
自分でも口元に笑みが浮かぶのを自覚しながら、直信は焼き団子の串に手を伸す。
秋の深まりを見せる庭園を眺めながら、婚約者同士のささやかなお茶の時間が始まった。それは、皇都内乱とは打って変わった穏やかな時間であった。
あるいはこういう日々の方が、自分の性には合っているのかもしれない。そんなことを、直信は思っていた。




