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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十四章 皇国乱離編

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262 結城閥系新内閣

 皇都内乱で被害を受けた結城家皇都屋敷に代わり、景紀は宵の実家である佐薙家皇都屋敷に一時的に居を移していた。

 結城家皇都仮屋敷となっている佐薙家皇都屋敷は、佐薙成親伯の追放とその後の宵襲撃事件の影響を受けて、家臣団の多くが皇都を退去せざるを得なくなっていたため、屋敷には管理のための人員を除いて誰もおらず、結城家が一時的に屋敷を移すのに都合が良かったのである。

 ただ、敷地面積十万坪超の結城家皇都屋敷に対し、佐薙家皇都屋敷の面積は一万五〇〇〇坪ほどであり、六家としての政務を行うにはいささか手狭ではあった。

 六家はその領地の広さや国政への影響力から処理すべき政務の量が多く、それに比例して家臣団の数も多いからである。もちろん、それに伴い保管すべき文書の量も膨大な数に上る。

 特に文書量に関しては、内乱に伴い伊丹家皇都屋敷や一色家皇都屋敷から押収した文書もあるため、佐薙家皇都屋敷の書庫だけでは収まりきらず、空いている部屋や廊下の邪魔にならない場所に積み上げているような状態であった。

 そのため景紀は、やむを得ず必要最低限の家臣だけを皇都に呼び寄せて政務をせざるを得なかった。






「新内閣の閣僚は、この顔ぶれで行こうと思っている。どうだ?」


 十月二十二日、皇都府内西部では未だ匪賊討伐作戦が続けられている中、景紀は本領から呼び寄せた筆頭家老・益永忠胤を相手に一つの名簿を手渡していた。

 二十日に大命降下した小山朝綱の内閣に誰を入閣させるか、その候補者を記した名簿であった。

 現在、景紀は有馬貞朋・斯波兼経両公とも協議しつつ、小山新内閣の閣僚の選出を行っていた。


内閣総理大臣:小山朝綱(子爵。結城家分家。下鞍国知事。小山朝康の父)

内閣書記官長:結城景恒(結城景忠の弟。第八十五銀行理事)

外務大臣:石田藤之介(とうのすけ)(男爵。駐アルビオン大使、外務次官などを歴任)

内務大臣:熊谷(くまがい)直行(なおゆき)(結城家重臣。内務担当執政。南洋総督府民政長官などを歴任)

大蔵大臣:萱橋(かやはし)玄基(げんき)(斯波兼経公側用人)

兵部大臣:坂東友三郎(海軍大将)

司法大臣:水谷(みずのや)能勝(よしかつ)(結城家家臣。元司法官僚。南洋総督府法院院長などを歴任)

商工大臣:蒲生(がもう)清長(きよなが)(有馬家家臣。領内の金山開発や製鉄所創設などに尽力)

農務大臣:保科(ほしな)容信(かたのぶ)(男爵。朝康の婚約者・嘉弥の父)

逓信大臣:真井(さねい)昌興(まさおき)(結城久の弟。兄・昌頼(まさとも)は中部地方天濃(あまの)国北部の領主)

文部大臣:北園(きたぞの)量基(かずもと)(子爵。羽林家。有馬閥)


 基本的には結城閥の人間で閣僚が占められている一方、有馬家や斯波家にも一定程度の配慮を行った人選となっている。

 とはいえ、単に縁故だけでこれらの人物を選んだわけではない。

 まず、結城家重臣の熊谷直行は内務担当執政であり、南洋総督府民政長官(総督府における内務省のような役割を持つ部局)としても確かな実績を挙げている。

 同様に、司法大臣の水谷能勝も、重臣の家系の出ではないものの、中央政府で司法官僚を務めた後、南洋総督府に移り法院院長(総督府における司法省のような役割を持つ部局)にまで上り詰めた経歴を持つ人物であった。

 景紀は、その能力と実績を踏まえて結城家家臣団からはこの二人を入閣させることを考えた。

 そして大蔵大臣の萱橋玄基は、斯波兼経公側用人としてこれまで斯波家の財政を支えてきた人物である。

 萱橋は元々、斯波家の下級家臣出身で、家を継げない三男であったため、アルビオン連合王国へ経済や金融を学ぶために留学した経験を有している。帰国後は大蔵官僚を経て横浦正金銀行総裁、そして皇国の中央銀行である秋津銀行総裁を務めるなど財政・金融面で頭角を現わし、最終的に兼経公によって側用人に取り立てられた。

 ある意味で、兼経公が趣味の芸術に没頭するための資金を捻出するために側用人にされた、苦労人でもある。

 組閣にあたり、景紀は斯波公を説き伏せて萱橋玄基の入閣を承諾させていた。対ルーシー戦役などに備えた財政政策を実施することを見越してのことである。

 農務大臣の保科容信は嘉弥姫の父親で保科家当主。将家としては領地は返上しているものの、地元の振興にこれまで力を尽くしてきた人物で、農業分野でもいくつかの実績がある。

 逓信大臣の真井昌興は、景紀の母・久の弟で、その兄で真井家当主の昌頼は、伯爵として中部地方天濃国北部を治めている。先代当主である彼らの父は天濃国北部の交通・通信の近代化を推し進めようとした人物で、久が結城家に嫁ぐことになったのも、結城家の鉄道などを隣国である天濃国に誘致するためであった(南部の諸侯が一色家に近かったため、その対抗という意味もあったというが)。

 なお、坂東友三郎が前内閣から引き続き兵部大臣を務めているのには、海軍側への配慮があった。

 兵相として皇都内乱に対する責任はあるものの、内乱は六家、そして陸軍によって引き起こされたものである。陸軍の不祥事の責任を海軍大将に負わせることになれば、海軍の結城家への反発を生み出しかねない。要するに、海軍への配慮から坂東友三郎は引き続き兵相を務めることになったのである。

 そして外務大臣の石田藤之介は、将家華族ではあるものの特定の六家閥に所属してはいない。今後のアルビオン連合王国との関係を踏まえた上で、親アルビオン派でかつ穏健派、駐アルビオン大使や外務次官を務めた経歴から白羽の矢が立った形である。


「有馬・斯波両家への配慮を考えますと、これでよろしいかと」


 名簿を確認した益永は、その紙を景紀に返した。

 結城家系の人間で閣僚の大半を占めつつ、有馬家系・斯波家系の人間も一定数、入閣させている。結城家筆頭家老の立場としては、これ以上を望むのはかえって有馬・斯波両家との関係を損ないかねないと考えていた。

 景紀は内乱に勝利したとはいえ、実父であり当主であった景忠を隠居に追いやって結城家を掌握した人間である(もちろん、それを決断し実行したのは宵ではあったが)。結城家全体を統制するためにも、この年若い新当主は他の六家の後ろ盾を必要としているのだ。それを、自身も主君押込に加担した益永は理解していた。


「しかし、五摂家からの入閣は一人もなしですか。……ああ、これは失礼」


 苦笑と共にそう指摘した益永は、景紀の傍らに控えている貴通に気付いて表情を改めた。


「いえ、僕もこれは妥当な人選だと思います。伊丹・一色陣営に加担した今の五摂家を入閣させるわけにはいきませんし、何より陛下がご納得されないでしょう」


 特に気にした様子もなく、貴通は言う。

 五摂家の当主陣たちが伊丹正信を征夷大将軍にと皇主に奏上したことを、皇主自身は軽率な行動であると不快感を示している。そして景紀は五摂家の権威を利用しようとは思いつつも、それを現当主陣たちに求めようとは思わなかった。

 貴通が側にいれば、十分に五摂家の権威を結城家が利用することが出来るからだ。


「では、熊谷の奴めが抜けますので、後任の内務担当執政を選出したいと思いますが?」


「そちらは宵も交えて、益永たちの方で上手くやってくれ。当面、俺は領政の方に携われそうにない。一応、当主として時々口を挟みはするだろうが」


 現在、景紀は有馬・斯波両公と共に内乱後の国内情勢の安定化に努めなければならない立場にある。

 伊丹正信は冬花が討ち取ったものの、一色公直は本領へと落ち延びたことが確認されている。一色公直が新政権への恭順の意思を示していない以上、情勢次第では伊丹・一色両家を中心とする西国諸侯との内戦も覚悟しなければならない。

 だからこそ、景紀は領政については基本的には宵や重臣に任せることにしたのだ。出征した夫に代わり、領内や家臣団の統制を行うのが将家の妻の役割である以上、景紀の判断は妥当なものであった。


「ただ、あまり宵には無理をさせないで欲しい」


「はっ、その点は重々承知しております」


 一方で、身重の宵の負担を増やすことを景紀も益永も決して好ましいことではないと理解している。しかし、景紀に代わって結城家を統制出来る立場にある人間が、今は宵しかいないことも事実であった。

 叔父の景秀は景紀との関係が悪く、信用出来ない。もう一人の叔父である景恒は、内閣書記官長としての職務がある。

 景紀に兄弟がいないことによる一門衆の弱さが、完全に顕在化してしまった形である。


「では私は一度、後任人事の件もありますので、河越の方に戻らせて頂きます」


「ああ、よろしく頼む」


 そう言って益永を退出させた景紀は、側に貴通だけしかいなくなった部屋の中で煩わしげに息をついた。


「……ったく、皇都を掌握したってのに、内戦の火種は未だ燻っていやがる」


「今は匪賊化した牢人の討伐に精一杯で、西国方面の情勢にまでは手が回っていませんからね」


 貴通が、文机の上の書類を片付けて書棚に仕舞い込みながら応じる。

 景紀の執務室となっているこの部屋は、結城家皇都屋敷のような洋風のものではなく、数寄屋風書院造りの部屋であった。

 基本的に当主の執務室は表御殿の奥にある殿舎に設けられ(この区画は「中奥」とも呼ばれる)、佐薙家皇都屋敷の構造も他の多くの将家屋敷と同じである(奥に行くほど格式が高いとされるため)。

 表御殿の接見の間など儀礼用の空間は金碧障壁画など豪華な室内装飾が施され主家の権威を見せつける造りとなっているが、この殿舎は日常的な当主の執務空間であるために落ち着いた意匠となっていた。

 とはいえ、黒漆の文机や書棚など室内の調度品は庶民の目から見れば十分に豪華なものであったろう。床の間や襖に描かれた水墨画も、一流の絵師の手によるものだ。


「国際情勢も不穏だし、長尾家の後継者問題も含めて来春までには国内を落ち着けないと、拙いことになるぞ」


 皇都内乱が事実上終結した皇暦八三六年十月十九日、中央大陸の反対側にあるマフムート朝では、ルーシー帝国軍の撤兵を求めた最終通告の期限が過ぎたとして、ルーシー帝国への宣戦布告に踏み切っていた。

 開戦からすでに三日。

 皇都内乱の最中にもかかわらず外務省では情報収集を行っていたようで、各地の大使館などからの報告が次々と外務省本省に舞い込んできていた。

 また、各地の大使館に派遣されている駐在武官からの報告も、兵部省に寄せられている。

 現状、マフムート・ルーシー両帝国の間でまだ本格的な武力衝突は発生していないらしい。しかし一方でマフムート朝側がアルビオン連合王国の世論を動かすべく、相当の資金をマフムート帝国駐アルビオン大使館に送金している事実も確認されている。

 ルーシー帝国の出方も、今のところ詳細は不明であった。

 そして現在、マフムート朝の帝都イスティンボリスには皇国海軍の重装甲帯巡洋艦海門がいる。皇族軍人である有智山宮(ありちやまのみや)剛仁(たけひと)海軍少将の指揮するこの艦をどうするのか、皇国政府としての方針も決定しなければならなかった。すなわちそれは、マフムート・ルーシー両帝国の戦争に皇国がどのように関わっていくのかという、外交的な決断をしなければならないということである。

 ルーシー帝国と国境を接する氷州は、これから厳しい冬の季節に入る。少なくとも、来春までルーシー帝国が皇国国内の混乱に乗じて侵攻してくるようなことはないだろう。もちろん、マフムート朝との戦争の戦況次第ではあるだろうが。


「僕らに残された時間、そして皇国に残された時間はあと半年程度、ということですか」


 貴通の声も、深刻さが滲んでいた。皇都内乱に勝利したとはいえ、自分たちの直面している問題の多くが依然として残されたままなのだ。


「ところで景くん」


「何だ?」


「冬花さんのこと、良かったのですか」


 景紀のシキガミたる少女の件もまた、景紀の抱えている問題の一つであった。


「良いわけあるか」景紀は、憤りと諦めがない交ぜになった口調で吐き捨てた。「あいつの体の状態は、お前も知っているだろ?」


「ええ。でも、でしたら何故、冬花さんが匪賊討伐に参加するのを止めなかったので?」


「お前がそれを言うのか? 俺の軍師であることに存在意義を見出しているお前が」


 景紀の声には、苛立ちを紛らわせるための八つ当たりめいた響きがあった。そんな同期生の態度に若干の危うさを感じながらも、貴通は理解した。

 葛葉冬花という少女は、景紀のシキガミであることに己の存在意義を見出している。術者としての不調を抱えていようとも、シキガミであることを彼女はやめることが出来なかったのだ。そして景紀も、それを理解しているからこそ、彼女を止められなかったのだろう。

 冬花をシキガミとした景紀が、彼女のシキガミとしての在り方を否定するわけにはいかなかったからだ。

 その意味では、景紀の軍師であることに拘っている自分と同じなのだろう。貴通は、そう思った。


「それに、市中を引き回されたことも良くなかった」


 文机に肘をついた右手で頭を抱えながら、景紀は言った。


「あれの所為で、主君を惑わす化け狐ではないと、皇都市民にも判りやすい形で冬花が功績を挙げる必要が出てきちまった」


「だから、冬花さんが匪賊討伐に加わることを許したのですね?」


「ああ。冬花の奴には絶対に無理をするなとは言いつけたんだが、あいつのことだから絶対に無茶をするだろう。だから鉄之介の奴には、冬花が無茶をするようならすぐに戻らせろと言いつけてある」


 景紀も冬花も、お互いを大切に思うあまり自縄自縛に陥ってしまっているのではないか。貴通には、シキガミの主従の関係がそんなふうに見えていた。

 そしてそれを指摘しようにも、自分と景紀との関係もまた歪んでいると自覚している以上、貴通としては黙り込まざるを得なかった。

 皇都内乱に勝利したにもかかわらず何かに追い立てられているように見える今の景紀の姿は、この男装の少女には痛ましいもののように見えてしまっていた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 冬花が結城家皇都仮屋敷に帰ってきたのは、二十二日も夜遅くになってからであった。

 この屋敷にも、彼女は自室を与えられている。その部屋の中で、短洋袴(ショートパンツ)と火鼠の衣を脱ぎ、さらしをほどいて白いシャツだけの姿となって冬花は布団に倒れ込んでいた。


「はぁ……はぁ……」


 苦しげな息遣いが、部屋の中に響いていた。シキガミの少女は布団の上で体を丸めて、自身の胸を押さえていた。ぎゅっと目を閉じた顔には、苦悶の表情が浮かんでいる。狐耳と尻尾の封印も、すでに維持出来なくなっていた。

 時折、もがき苦しむように体を捩らせるため、布団にはすでに無数の皺が寄っている。


「冬花」


 不意に、苦しげな呼吸を繰り返す冬花の耳に聞き慣れた声が響いた。


「……かげ、のり?」


 ぼんやりと瞼を開けば、主君たる少年が案ずるように布団の傍らに片膝をついて自分を見下ろしていた。その手が、そっと額に触れた。


「……少し熱があるな」


 眉間に皺を寄せた景紀は一度立ち上がり、部屋の明かりを点ける。そして、畳の上に腰を下ろした。


「呪術通信で鉄之介から報告は受けている。また、爆裂術式を使ったらしいな?」


 その声には、冬花を咎めるような響きがあった。


「過度な術式の行使は、お前の体の霊的安定をさらに不安定化させるだけだと、若菜からも注意を受けているだろう」


「……ごめんなさい」


 鉄之介に対するときとは違い、冬花は素直に謝罪を口にした。自分が主君の意に反する行動をしてしまっていることは、自覚していた。

 そんな冬花に、景紀は深い溜息を漏らした。


「勘弁してくれ。俺はお前に、体を壊してまで術を使うことまでは求めていない」


 咎めるような、懇願するような、複雑な感情がない交ぜになった声で、景紀は言った。


「ごめ……うっ!」


 冬花はもう一度謝ろうとして、苦しさに体を折ってしまう。


「はぁ……はぁ……はぁっはぁっはぁっ……」


 肺が無理に空気を求めるように、荒く苦しげな呼吸を繰り返す。

 もともと安定していなかった冬花の体内の霊力が、無理な術式の行使を連続した所為でさらに乱れて肉体を苛んでいたのである。


「かげ、のり……、あれを……」


 震える手で、冬花は部屋にある文机を指さした。

 景紀も、即座に動いていた。文机の上に置かれた棚の引き出しから、一枚の呪符を取り出したのだ。それを手に布団のところまで戻り、しゃがみ込んだ。


「冬花、脱がすぞ」


 そう言って、景紀は冬花のシャツのボタンを上からいくつか外していった。肩からシャツをはだけさせると、露わになった背中にすでに貼ってあった呪符を取り、同じ場所に先ほど取り出した新たな呪符を貼り付ける。

 しばらくすると、ようやく乱れた冬花の呼吸も落ち着いてきた。胸を圧迫するような息苦しさも、全身を駆け巡っていた痛みも、徐々に引いていく。

 景紀が、はだけたシャツをそっと元に戻した。


「……こんなの、一時凌ぎにしかならないだろう」


 依然として顔を険しくさせたまま、冬花の主君たる少年は言う。

 この呪符は、冬花の霊力・妖力を安定させるために景紀の血を混ぜた墨で術式を書いたものだ。景紀は冬花の主君であると共に、男性である。

 陰陽道では、男性は陽、女性は陰の気をまとっているとされる。乱れ、澱み、著しく調和を崩してしまった冬花の霊力・妖力を陽の気を加えることで何とか中和して、その霊的な安定を保とうとしているのである。

 だが、陰の気の乱れが激しすぎるために、根本的な解決にはなっていない。それに、肌に直接貼り付けることによって汗などで呪符が湿って墨が滲み、一日も貼り付けていると術式の効力を失わせてしまうという問題もあった。


「いっそ、俺の血を直接……」


 そう言って刀を抜こうとした景紀の腕を、冬花は掴んだ。


「そんなことをしたら、あなたの体が持たないわ」


 確かに、冬花と霊的な契約を結び、陽の気をまとう男性である景紀の血を直接呑めば、冬花の状態はかなりの程度、改善される見込みがあった。

 呪符に込めた陽の気では単にまとうだけだが、血を呑めば体内に取り込むことになるからだ。血は、生命に直結するものであるだけに、その霊的効果は高い。

 しかし、今の自分の状態を改善するために景紀の血を呑めば、彼を殺してしまいかねないと冬花は思っていた。

 自分の体は、それだけ霊力・妖力の調和を乱しているのだ。人間一人の生命を維持するために必要な血を取り込んで、景紀の生命という陽の気を喰らい尽くさない限り、改善は見込めないだろう。

 だからこそ、冬花は景紀の血を直接取り込むことを躊躇していた。

自分は、彼のシキガミなのだ。主君がシキガミを犠牲にすることはあっても、その逆があってはならない。


「大丈夫。きっと元に戻るから」


 冬花は景紀を安心させるように小さく笑みを浮かべた。


「……」


 それでも景紀は、若干の疑わしげな視線を冬花に向けていた。母である若菜から、今の自分の状態を聞かされていればそれも当然だと、冬花は理解している。

 しかしそれでも、冬花は「大丈夫」だと言い続けなくてはならなかった。

 自分が術者としての能力まで失ってしまえば、ただでさえ母親の死と十分に向き合えていないまま行き場のない感情を抱え続けている主君の心に、さらに負担をかけることになってしまうだろうから。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
― 新着の感想 ―
[一言] 冬花はたとえ自分が死んでも、シキガミでありたいのに対し、景紀はとにかく無事に生きていて欲しいんでしょうね。現状景紀は考えの違いを理解しているみたいですが、いよいよ冬花が危なくなった時に喧嘩し…
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