261 内乱の後遺症
皇暦八三六年十月二十二日。
皇都内乱が収まってから三日後。
皇都府内や、隣接する結城家領彩州、中央政府直轄の久良岐県では、依然として匪賊化した牢人の討伐作戦が行われていた。
伊丹・一色陣営の敗北によって処罰を恐れた攘夷派浪士たちは、皇都市内から逃走すると共に周辺地域での略奪行為に走っていたのである。
もちろん、その過程で皇都市内でも牢人による被害は発生している。
婦女暴行や商店に押し入っての略奪、さらには追っ手から逃れるための放火など、あらゆる狼藉行為が皇都市民たちを襲ったのである。
そしてその被害は、周辺地域に住まう農民たちにも拡大していた。匪賊化した牢人たちは結城家領相柄国を避けるためだろう、東海道を使わず関東地方の山間部へと逃げ込んでいた。
恐らく、そのまま中山道など西方に向かう街道に出て、伊丹家本領や一色家本領に保護を求めようと考えているのだろう。
また、自棄を起こした一部の攘夷派浪士たちは西洋人の多い横浦の焼き討ちを目論んだらしく、海軍が緊急で陸戦隊を展開させる事態にも陥っていた。
当然、皇都を掌握した結城家の側も手をこまねいていたわけではない。
機動力のある騎兵第一、第二旅団に対して直ちに匪賊討伐の命令を下し、さらに武装解除した蹶起部隊の下士卒たちを結城家領軍の指揮下に組み込むなどして、治安維持活動に当たっている。
海軍陸戦隊とも協力して横浦焼き討ちを阻止すると共に、関東地方西部での大規模な匪賊討伐作戦を実施したのである。
この日もまた、皇都府内西方の山間部で結城家領軍を中心とした匪賊討伐が行われていた。
◇◇◇
皇都府内西部の山間部には、古くから石灰の採掘で栄えてきた地域があった。
そこに、採石場にある爆薬を強奪するために匪賊化した十名ほどの牢人集団が押し寄せてきたのは、昨二十一日のことであった。
ただちに地元の電信局が匪賊の来襲を伝えようとしたが、牢人たちによってすでに電信線が切断されてしまっていた。そのため、警視庁や軍への通報が遅れてしまったことが、この村にいくつかの悲劇をもたらした。
採掘場の現場責任者が真っ先に殺害され、さらに地元の交番なども襲撃を受けた。交番からは、警察用の鋭剣や警棒などが奪われていたという。この過程で警察官二名が殉職し、牢人も四人が死亡していた。
異変を知らせるために隣村に駆け込んだ者によって、ようやく事態が発覚した。
爆薬を手に入れた牢人集団が逃走を続けているという情報は、周辺の村々にも伝わった。元徴兵経験者を中心に自警団が組織され、村周辺の警戒に当たった。
そして、通報を受けて真っ先に駆け付けたのは、歩兵第三連隊に所属していた小隊規模の部隊であった。
しかし、ここで問題が生じた。それは、歩兵第三連隊に匪賊討伐の経験がなかったことである。
皇都の治安回復と匪賊討伐のために一時的に結城家領軍の指揮下に編入された元蹶起部隊の下士卒たちであったが、首都衛戍部隊ということもあって、これまで匪賊討伐作戦に参加したことはなかったのだ。
そのため、一度は捕捉したはずの牢人集団に遊撃戦(後世で言うところのゲリラ戦法)を仕掛けられ、逆に混乱が生じたために取り逃がすという不手際を演じてしまった。
匪賊討伐の経験を積み重ねている結城家領軍が駆け付けていればまた別だったろうが、ともかく、奪った爆薬なども利用した牢人集団に翻弄されてしまったのである。
さらにこの時、結城家領軍である騎兵第一、第二旅団がその機動力を活かして主要な街道から山間部を通る街道まで、皇都府内から出るための各所の街道や往還を封鎖しにかかっていた。そのため、逃げ場を失った牢人たちが、皇都府内の山間部に集結し始める現象も生じていたのである。
実際、爆薬を奪取した牢人集団も、逃走の途中でさらに何人かの牢人が加わり、三十人規模の集団に膨れ上がりつつあった。
最終的に進退窮まった彼らは、僧侶や修験者が修行のために籠る山中のお堂に立て籠もり、討伐部隊と対峙することになったのである。
「おい、山砲の到着はいつになる!?」
匪賊たちが逃げ込んだお堂周辺を封鎖している討伐部隊隊長が、苛立たしげな調子で尋ねていた。
この部隊は、歩兵第三連隊と交代して匪賊討伐を任された結城家領軍の一隊であった。彼らは周辺地域を封鎖した上で徐々に包囲網を狭めながら、匪賊化した牢人たちをお堂へと追い込むことに成功していた。
しかし問題は、その匪賊たちが爆薬を手にしているという点であった。
刀や旧式の銃で武装しているだけの匪賊が立て籠っているのであれば、人質の有無を確認した上で狙撃が得意な猟師出身の兵士や剣術の腕が立つ武家出身の将校などを中心とした臨時の突入部隊を編成すればいい。そうした経験は、結城家領軍は豊富であった。
ただし、今回は人質はいない代わりに爆薬が匪賊の手に渡ってしまっている。
突入した瞬間、爆薬を炸裂させてこちらを道連れにしてくる可能性があった。追い詰められた者というは、そうした行動を容易に選択してしまう。
だから隊長は、一定の距離を置いてお堂を包囲するに留めていた。
山間部でも使用出来る山砲の到着を待って、匪賊たちが手にした爆薬ごと彼らを吹き飛ばしてしまおうというわけである。
ただし、匪賊たちが逃走を続けている地域の広さに比べて、山砲の数は不足していた。皇都府内だけでなく、結城家領彩州南西部、中央政府直轄の久良岐県北西部など、広範囲に匪賊化した牢人たちが潜伏、ないしは逃走を続けていたからである。
また、多銃身砲については街道封鎖を担当する部隊に優先的に配備されているため、これも討伐部隊の手元にはない。
「まったく、このままでは夜になってしまうぞ!」
隊長の苛立ちと焦りの原因は、それであった。結城家領内であれば部下の中に土地勘のある兵士がいるのだが、ここは皇都府内の山間部である。
結城家領軍は結城家領出身者で占められていることもあり、この地域での夜間の行動には不安があった。
もちろん、牢人たちもこの山間部の土地勘はないであろうが、それでも夜陰に乗じて逃走を図ろうとする者はいるはずである。
隊長は、犠牲を覚悟で強行突入すべきか迷っていた。ここで匪賊どもを取り逃がせば、彼らは他の地域でも狼藉を働くだろう。
「……」
苦渋の末、彼が強行突入を決意しようとしたそのときであった。
「―――匪賊たちを吹き飛ばすのでしたら、私がやりましょう」
部隊の展開する後方から、年若い女性の声が響いたのである。
「葛葉冬花殿……」
落葉の積もる山の斜面を登ってきたのは、革長靴に短洋袴、そして赤い羽織をまとった一人の少女であった。白いシャツの上に黒い胸当てを付け、背中に矢筒を背負っている。
討伐部隊の隊長も、この匪賊討伐作戦に主君である結城景紀が宮内省御霊部に要請して何名かの高位術者を派遣してもらっていることを知っていた。彼ら術者は、探索用の式を放って逃走や潜伏を続ける匪賊たちを追っているらしい。
彼らはそのまま匪賊を狩ることもあれば、軍に情報を提供してくれることもある。
組織や指揮系統の違いのために結城家領軍との連携にいささか問題が生じる場面もあったが、その探索結果に討伐部隊が助けられることもこの三日間で多かった。
「山砲の到着を待っていては、夜になってしまいます。ここは、私にお任せを」
「……」
隊長は、一瞬だけ迷った。ここで匪賊討伐の功績を、同じ結城家家臣団の者とはいえ術者に渡してしまうのか、という武家としての面子からくる迷いであった。
しかし、今はそうした自分たち武士の面子を考えている場合でないことも事実であった。
「……冬花殿、お頼み申す」
「承知いたしました」
白髪の少女は兵士たちの作る包囲網よりも一歩前に出ると、矢筒から矢を取り出した。それを、弓に番える。
その後方では、隊長が部下たちに突入準備を下令していた。将校は抜刀し、兵卒たちは銃剣を着剣した小銃を構えている。
ぐっと引き絞られた弦から、矢が放たれた。
軌跡を描いた矢がお堂に命中した瞬間、轟音と共に建物が吹き飛んだ。爆風が駆け抜け、木の破片が周囲に飛び散り、悲鳴を上げて火だるまになった匪賊たちが飛び出してくる。
「突撃ぃ!」
隊長が軍刀を振り下ろした瞬間、兵士たちが喊声と共に動き出した。
着物に火が付いて転げ回る牢人を容赦なく銃剣で刺殺し、逃走しようとする匪賊を後ろから撃ち倒していく。
冬花もまた、跳躍するように白兵戦の場に飛び込んだ。刀を抜き放ち、一括りにした髪を躍動させながら、舞うように牢人の一人を斬り捨てる。
紅葉に色付き始めた山中は、それよりも鮮やかな血の色によって不気味に染め上げられていった。喊声と悲鳴とが交錯し、悲鳴は断末魔の叫びへと変わっていき、やがてその声も途絶えていった。
こうして皇都市内から逃走を続けていた匪賊集団は、冬花や討伐部隊の将兵たちによって三十分とかからぬ内に制圧されたのである。
◇◇◇
匪賊討伐を終えた兵士たちが、山中に散らばった牢人の遺体を回収していた。この後、地元の村人たちを雇った軍夫に手伝わせ、付近の寺に遺体を運び込むことになっている。
三十名ほどいた匪賊は二十名あまりがそのまま討ち取られ、負傷して動けなくなった者たちや投降の意思を示した者は捕縛された。しかしその数は六名だけで、重傷を負っていた匪賊はその場で介錯されていた。
一方、討伐部隊側に死者は出なかった。負傷者が数名出ただけで、討伐作戦としては成功の部類に入るだろう。
「……」
冬花は血を払った刀を鞘に収め、周囲を見回した。
十月も下旬に差し掛かり、山は紅葉で色付き始めている。
翼龍に乗って上空から見下ろせば、さぞ壮観な景色が広がっていることだろう。そうした中で匪賊との戦闘が行われていることに、人の営みというものの業の深さを感じざるを得ない。
彼女は、木々の合間から見える空を見上げた。すでに陽はだいぶ傾いている。
冬花は周囲に飛ばしている探索用の式から、情報を得ようとした。夜になって匪賊を取り逃がす恐れのある場所が、ここ以外にあるかもしれない。
そう、式のもたらしてくる情報に意識を集中させようとした時だった。
「姉上」
険しい声で、そう呼びかけられた。
視線をそちらに向ければ、顔を怒らせた弟・鉄之介がいた。
「姉上はまた、爆裂術式を使っただろ?」
詰問するような声で、彼はそう言った。
「ええ、夜になって匪賊たちを取り逃がすわけにはいかなかったからね」
一方の冬花は、弟のそうした態度に平然とした口調を返した。
「ったく、いい加減にしてくれ。昨日も今日も爆裂術式を使いやがって。姉上だって、今の自分の体のことを、理解してないわけじゃないだろ?」
怒りながらも案ずるように、鉄之介は言う。
皇都内乱中、伊丹・一色陣営に捕えられていた冬花は、その所為で霊的な後遺症を残していた。封印を無理に破ろうとした結果、体内を巡る霊力・妖力の流れを傷付けてしまったのである。
本来であれば、土地の龍脈が安定している地で静養に努めていなければならない状態なのだ。もちろん、それで後遺症が完全に消えるかは判らなかったが、少なくとも自身の霊力・妖力が不安定な状況で呪術を行使するよりはまだ回復の可能性がある。
「また血ぃ吐く羽目になったらどうすんだよ? このままじゃあ、本当に母上の言う通り、術者として再起不能になっちまうぞ」
「匪賊の討伐は、今の結城家が最優先で行わなければならないことの一つよ。若様のシキガミとして、私がそれに協力するのは当然のことよ」
「その“若様”からの伝言だ。姉上が今日も爆裂術式を使うようだったら即座に戻らせろ、だとよ」
「……若様も、心配性ね」
主君からの命令に対する不服を一瞬、呑み込んで、冬花は溜息をつくように言った。
「後は俺がやっておく。姉上は早くあいつの元に戻ってやれ」
鉄之介は、有無を言わさぬ口調で姉に促した。そんな弟に、冬花は一瞬、鋭い視線を向けてしまった。
探索用の式を放って山間部に逃げ込んだ匪賊を追う役目は、何も冬花でなければ務まらないということはない。鉄之介を始め、宮内省御霊部の術師たちが匪賊討伐に協力している。
しかし、冬花の中にそれに納得出来ない感情があることも確かであった。そして、自分の役目を引き継ぐのが弟の鉄之介であるということに、特に強い反発を覚えていた。
とはいえ、主君からの命令に逆らうつもりもない。景紀が自分のことを心配していることは判っていたし、自分が彼に心配をかけてしまっていることも理解していたからだ。
「……判ったわ」
結局、冬花は溜息と共に諦めたようにそう応じるしかなかった。そのまま、鉄之介の脇を通って山の斜面を降りていく。
「……」
そんな姉の背を、鉄之介は複雑な表情で見送っていた。
最後に、姉が自分に向けた視線。
それは鉄之介を通して命令を下した景紀へ向けたものというよりも、鉄之介自身に向けられたものであったように感じたのだ。
その意味を深く考えることを、今の鉄之介は拒絶した。
もしその意味を理解してしまえば、自分たち姉弟の仲は決定的に違えることになってしまうだろう。そんな不吉な予感が、この術者の少年の中にはあったのだ。




