258 主従の再会
伊丹・一色両公の他にも、皇都からの脱出を図ろうとする将家や公家は存在していた。
伊丹家、あるいは一色家と姻戚関係にある家は特にその傾向が強く、彼らはひとまず自らの本領に落ち延びるか、伊丹・一色両家の本領に保護を求めることを考えていた。しかしながら、本当に皇都からの脱出を成功させた者はごく一部であった。
中小諸侯の皇都屋敷で働く人間の数は流石に六家皇都屋敷のように一〇〇〇人単位というわけではなかったが、それでも奉公人も含めて数百名単位で存在している。そうした者たちが集団で皇都を脱出するのは、極めて困難だったのである。特に屋敷にあった宝物ごと逃げ出そうとした者は、なおさらであった。
結城家領軍によって主要街道を封鎖され、彼らは皇都から逃げ延びようにも逃げられなかったのである。
屋敷の家臣や奉公人を見捨て、側近などの少人数で脱出を図った一部の者たちが、辛うじて皇都を脱出出来た程度であった。
そして一方、皇都から落ち延びるのではなく結城家に取り入ることで生き残りを図ろうとする者たちも、当然に存在していた。
その筆頭は、五摂家であった。
蹶起部隊によって皇都が占拠されている間は伊丹・一色両公の側についていた五摂家であるが、今度は結城家の正統性を担保することで、その政治的な生き残りを図ろうとしていたのである。
もちろん、九重基煕公爵ら五人の当主は伊丹家ないし一色家の保護を求めることも選択肢には入れていた。しかし、結城景紀に皇主の詔勅が下り、伊丹・一色両家が逆賊として討伐されかねない状況下でなおも伊丹・一色陣営に付くことは五摂家の破滅を招きかねないことであると、五人は考えていた。
兵部大臣による“呪術放送”は当然、五人の耳にも入っていたのだ。
また、これは伝統的な公家の価値観の影響もあるのだが、皇主の勅許なく都を離れるわけにはいかないという事情もあった。少なくとも現在ではそのような法的な規定があるわけではなかったが、かつて公家は皇主の勅許なく都を離れてはならないという定めがあったのである。
こうした公家特有の伝統的価値観も、五摂家に都落ちを躊躇わせる要因となった。
それに、彼らには自分たちが処断されることはないだろうという、“確信”があった。
まず、五摂家を取り潰すとなれば皇室にも多大な影響を及ぼすことになる。皇太子の妃は、宮家か五摂家から選出するのが習わしとなっているからだ。
そして何より、結城家領軍には穂積通敏公爵の子・貴通が加わっている。
実はこのとき、通敏はまだ貴通を勘当にする手続きを行えていなかった。そこに、五当主たちは自らの活路を見出した。
自分たちは最初から結城家の側に付いており、伊丹・一色陣営に付いたのはあくまでも両家の内実を探り結城家に密かに伝えるためであると、強弁することにしたのである。
「……あれが、初めて役に立ったな」
とはいえ、他の四当主が貴通の存在に胸をなで下ろす中、当の穂積通敏だけは貴通の存在を素直に喜べなかった。
確かに、貴通が結城家領軍に従軍していたことで、五摂家として生き延びる道が残された。しかし、穂積家にとってみれば貴通と景紀に御家を乗っ取られかねない危機に陥ってしまったとも言えるのである。
通敏が以前から危惧していたように、貴通が景紀の子を孕み、その子を表向きは貴通が愛妾に生ませた子であるとして、結城家が強引に穂積家の後継者問題に介入してくる危険性があるのだ。
そうなれば、五摂家の血の純潔が守れない。
「通敏殿、卿と貴通殿が不仲であるのは我々も承知しているが、今は五摂家の存亡がかかっておる。どうか、堪えてくれ」
五摂家筆頭・九重基煕はそう言って通敏を宥めた。
「……」
他の四当主は、貴通が男であると思い込んでいる。通敏だけが、貴通の本当の性別を知っているのだ。どうしても、貴通という存在に対する認識に齟齬が生じてしまう。
とはいえ、貴通という存在を利用しなければ五摂家事態の存続が危ぶまれるかもしれないのだから、通敏としてもやむを得ざる決断ではあった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
皇都では将家や公家が官軍と朝敵の狭間で自らの生き残りを図ろうとしている最中、そうした問題から離れて自家の将来について考えなければならない家も存在していた。
「あ~~~、結局何もかも目論見が外れてしまった感じですねぇ……」
畳の上で両手足を投げ出して寝転がっていたのは、皇都を脱出した長尾多喜子であった。
今、彼女と千坂隆房は河越城の一室に軟禁されていた。
昨日の内に彩州へと越境した二人であったが、案の定、結城家の憲兵隊に捕縛された。ただ、昨夜は結城家の側でも混乱があったらしく、二人はそのまま最寄りの警察署に拘留され続ける羽目に陥っている。
二人の存在が河越に報告され、その身柄が河越城へと移されたのは午前もだいぶ回ってからのことであった。
少なくとも、結城家の者から聞いた話によるとすでに結城家領軍は宮城への突入を果たしたらしい。
それをあえて多喜子たちに伝えてきたのは、長尾家の出る幕など最早ないと言いたかったからだろう。
実際、長尾家の姫として結城家に助力を求め、結城家が領軍を動かす正統性を担保するという多喜子の当初の目論見は完全に外れる形となった。
躊躇なく領軍を動かして皇都へと進発した景紀に対しては流石という感情を抱いてはいるが、だからといって目論見を外されたことを恨みに思わないわけでもない。
乙女心と策略家の狭間を彷徨うというのも、一苦労であった。
「しかも宵姫さん、景紀の子を身籠もっているなんて、そりゃあ景紀も腹くくるしかないですよ。これ、完全に私が道化みたいじゃないですかぁ……」
「お前が自棄にならずに、最初から色々と画策していりゃあこうはならなかっただろうな」
多喜子の態度を鼻で嗤うように、隆房は言う。
長尾憲隆公爆殺事件を報された直後は自害しようとしていた多喜子。それを隆房が止めるまで無為無策でいたことを彼は追及しているのかとも思ったが、どうにもそれ以外の含みも持たせているような調子であった。
「天下を取ろうって俺に呼びかけてきておいて、このザマかよ」
「……」
この分家嫡男の瞳に宿る感情を、多喜子はじっと探り取ろうとする。
「……嫌な目だな、それ」
そうすると、隆房は露骨に嫌悪感を滲ませた。
「……乙女心ってのは、複雑なんですよ。時に、身を滅ぼしてしまっても構わないと思うほどに」
「だから、なのか?」
「だから、ですよ」
互いに、何がとは言わない。ここは結城家の居城。どこに結城家の密偵の耳があるか判らない場所で、迂闊な発言は出来ない。
「……この内乱で特に力を示さなかった長尾家は、落ちぶれていくでしょうね。父上も兄上も亡く、兄上の嫡男・虎千代はまだ幼い。いったい誰が長尾家を継ぐのか、あるいは虎千代が継ぐとして誰が後見人になるのか、しばらくは身内同士の争いが続いていくでしょう。というわけで隆房、状況が落ち着いたら私たち、婚儀を挙げましょうか?」
「唐突に過ぎるな」
そう言いつつも多喜子の台詞は予想したものだったのか、隆房の顔に驚きはなかった。
「隆房も分家とはいえ、長尾家の男系男子ですからね。あなたの家に男児が生まれて、宗家の男児が全滅していたら、その子に宗家当主の座が回ってくるかもしれませんよ。そしてその子の母が宗家の姫だったら、より完璧じゃありません?」
「ここまで恐ろしい台詞は、そうそう聞かねぇぞ」
要するに多喜子は、今後発生するであろう長尾家の御家騒動に乗じて宗家男子を全滅させてしまい、自分が分家の男児を産んでその子に長尾家を継がせる、という道を考えているわけである。
しかし、叔父や兄弟などを全滅させ、しかも自分自身すら男児を産むための道具としか考えていないような多喜子の台詞に、隆房は皮肉げな言葉を返すだけであった。
長尾多喜子という少女の恐ろしさは、すでに彼も十分理解しているのだから。
「まあ、宵姫さんが景紀の子を孕んでしまいましたからねぇ。私も景紀に言い寄って、私の子と宵姫の子でドロドロの結城家跡目争いとかも面白そうですが、まあ、景紀がそんなことにはさせないでしょうから」
「だから長尾家を自分のものにする方向に切り替えたわけか」
「自棄っぱちだと、また怒りますか?」
多喜子の声に、急に切ない響きが混じった。
それは、宵姫の懐妊によって長年の想いが完膚なきまでに破れた乙女の、悲痛な叫びだったのかもしれない。
「……自棄っぱちが過ぎて、もう怒る気にもなれねぇな」
隆房は、半ば突き放すように言う。少なくとも彼には、長尾多喜子という少女の意を汲んでやる義理など、どこにもなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
伊丹正信公捕縛のため伊丹家皇都屋敷に向かっていた自軍部隊を追い越してしまった景紀と鉄之介であったが、領軍の側としても次期当主を護衛の少年一人で伊丹家皇都屋敷に向かわせるわけにはいかず、結局、景紀が伊丹家皇都屋敷に辿り着いたときには三十名近い騎兵を引き連れていた。
歩兵部隊が後続で来ることになっていたが、ひとまず馬に乗っている将兵だけで次期当主を追いかけた結果であった。
彼らが伊丹家皇都屋敷へと至ったとき、すでに屋敷内からは煙が上がっていた。
「まさか、屋敷に火を掛けたのでは……」
騎兵の一人が、おののくように言う。火が周囲へと燃え広がれば、皇都は大火となってしまう。伊丹正信が、皇都そのものを道連れに屋敷に火を掛けて自害したのではないかと、その騎兵は思ったのだろう。
「いや、煙は一ヶ所からしか上がっていない。これは多分、機密文書を焼いているんだろう」
だが、景紀はそう受け取らなかった。上っている煙の勢いなどから、機密文書の焼却処分を行っているのだろうと考えていた。実際、景紀たちも皇都屋敷を脱出する際、機密文書を焼いている。
「このまま一気に突入する。鉄之介、行けるか?」
そして景紀は、後続の歩兵部隊の到着を待つような真似はしなかった。一刻も早く、冬花を見つけ出さなくてはならない。
「おう」
鉄之介もまた、躊躇しなかった。袖から呪符を取り出し、それを屋敷の正門に投げつけたのである。途端、爆裂術式によって門扉や番所が吹き飛ばされる。
「……やけにあっさり吹き飛んだな」
爆裂術式を放った鉄之介自身も唖然とするほど、屋敷の門は無残なほどに破壊されていた。結城家皇都屋敷と同じく屋敷には結界が張ってあると考えて、威力が高い爆裂術式を放ったからだろう。
「術者が結界を維持出来る状態じゃなくなったんだろうな」
伊丹家に仕える術者・大江綱章は捕縛され、その父で大江家当主の綱道はこれまで一度も景紀たちの前に姿を現わしていない。屋敷に結界が張られていなかったことを合せると、綱章の言葉通り、綱道は冬花に討ち取られていたのだろう。
「行くぞ」
一〇〇〇人規模の人間の居住する屋敷を三十名程度の人数で制圧することへの疑問は、誰も抱かなかった。機密文書の処理が行われているかもしれないと知り、騎兵たちも一刻も早く屋敷に突入して文書を押収しなければならないと考えていたのだ。
景紀たちは蹄の音を轟かせながら、破壊された正門を潜って敷地内に突入した。
「結城景忠が嫡男・景紀である! 伊丹正信公には此度の反乱に加担した嫌疑がかけられている! これより屋敷を検める!」
屋敷内から、悲鳴が上がった。屋敷で働く者たちも混乱状態にあるらしい。ほとんど恐慌状態に陥ったように、人々が屋敷の奥へと逃げようとする。
統制も何もあったものではなかった。
もしかしたら伊丹家の主要な者たちはすでに屋敷を脱出しており、彼らは置き去りにされてしまったのかもしれない。
「おい、十名は機密文書の押収に回れ! 残りは邸内を捜索して正信公の身柄確保に努めろ!」
「はっ!」
三十名の騎兵の内、最先任の者にそう命じると、景紀は馬を放り出して駆け出した。鉄之介が、それに続く。
「本当に、ここで合ってるんだろうな!?」
走る景紀を追いかけながら、鉄之介はなおも疑問を抱いているようだった。それほどまでに、景紀の行動に迷いがなかったからだ。
二人は屋敷の建物内を突っ切るようにして進んだ。途中に出くわした者たちは、ある者は悲鳴を上げて逃げ惑い、またある者は伊丹家家臣としての義務感からか景紀たちに得物を向けてきた。
抵抗の意思を見せる者は斬り捨て、あるいは不動金縛りの術で動けなくし、景紀と鉄之介は屋敷内を駆けた。
そうして景紀の目の前に現れたのは、周囲から隠れるようにして建っている蔵であった。
「……」
その蔵を見た瞬間、景紀の顔が険しくなる。同じような蔵は、当然ながら結城家皇都屋敷にもある。この蔵が何のためにあるのかなど、そして冬花がどのような目に遭わされたかなど、たやすく想像がついた。
景紀は蔵を囲う塀に取り付けてあった門扉を開けて、中の様子を確認して慎重に体を滑り込ませる。
「これは……」
まず景紀の目に飛び込んできたのは、無残に引き裂かれた男たちの遺体であった。血が、蔵の壁にまで飛び散っている。
「っ―――!?」
景紀は反射的な衝動に駆られて、蔵の中に飛び込んだ。蔵の分厚い扉は、開け放たれたままになっていた。
蔵の中の、拷問のための器具が並べられた部屋の中に、冬花はいた。
部屋の中央で、仰向けに倒れている。その身には、何もまとっていない。ただ、両手が血で赤黒く染まっていた。
部屋の壁には、おびただしい数の呪符が貼ってあった。恐らくは冬花の呪術師としての能力と妖狐の血を封じるためのものなのだろう。
外に体を引き裂かれた死体があったということは、冬花は一度、この蔵から出ることに成功したわけだ。しかし、妖狐の血が暴走しかけ、あえて封印の施されたこの蔵の中に戻ってきたのだろう。
景紀は、慎重にシキガミの少女へと近付いた。
「……冬花」
彼女の主たる少年は、その側に膝を付いた。
「……か、げ……のり……」
主君の声に反応したのか、冬花が絞り出すように言った。虚ろに開かれた赤い瞳が、景紀を見上げている。
「ああ、俺だよ、冬花」
冬花がもう一度何かを言おうとして、苦しげに身を捩らせた。
「……わかさま」
喘鳴を漏らすような、囁きに近い声で冬花は言う。
「っぁ……!」
冬花の瞼がかっと開かれ、その目が真っ赤に染まる。妖狐の血が、封印を破って活性化しようとしているのだろう。
冬花は震える手で自らの体をかき抱くようにした。呼吸は浅く速くなり、体が小刻みに痙攣している。
活性化しようとする妖狐の血と、この建物に施された封印が、彼女の肉体でせめぎ合っているのだろう。
その震えを止めてやりたくて、景紀は白い裸身を強く抱きすくめた。
「かげのり……」
最初、冬花は小さく暴れた。妖狐の血が暴走しかけているからか、あるいは血塗れの手で景紀を抱き返したくなかったのか。
だが、景紀はその体を離さない。
「もう、大丈夫だ。心配しなくていい」
妖狐の血を鎮めるように、景紀は柔らかく語りかけた。それが、互いの勾玉に反応したのだろう。冬花の体の震えが、徐々に収まっていた。
「かげのり……」
冬花の手が景紀の背に回ろうとして、躊躇うように降ろされる。それを感じ取った景紀は、あやすように言った。
「いいよ、冬花」
「……うん」
それでもなお躊躇いがちに、冬花の手が景紀の背に回された。
「わかさま、わかさま、わかさま」
シキガミの少女は景紀の胸に顔を押し付けながら、縋り付くように何度も呼びかける。
「ああ、頑張ったな、冬花。……俺の、シキガミ」
「うん、うん」
すすり泣くように頷きながら、冬花は景紀にしがみついていた。生きて再会出来た温もりを離すまいとするかのように、その両腕には力が籠っていた。
景紀もまた、無言で少女を抱きしめる力を強める。
もう、言葉は要らなかった。
今はただ、互いに聞こえる心臓の音だけがあれば、それで十分だった。




