257 都落ち
「駄目だな。この先の道は、すでに結城家の連中が回り込んでいる」
蹶起部隊が皇都市内各地で武装解除されるか、あるいは徹底抗戦の構えを見せる中、宮城を脱出した一色公直は市内を南へと逃走していた。
ひとまず一色家皇都屋敷を目指し、機密文書の処分を命じてから主要な家臣団と共に皇都を脱出、本領である尾治国へと落ち延びるつもりであった。
しかし、探索用の式を飛ばしている八束いさなは、すでに屋敷へ到達することが困難であることを察していた。結城家領軍が、すでに皇都市内各所に展開し始めていたのである。
隠形の術を使い、自身と主君の姿を結城家領軍の将兵から隠すことで精一杯であった。
「どうするかい? 無理にでも屋敷に戻って家臣と合流したいというのなら、まあ、私の術を使えば不可能じゃないさ。しかし、そこから家臣団を引き連れて脱出しようなんてなったら、流石に私も手に負えない。まあ、屋敷に火を放って自害したいというのなら、話は別だがね」
裏路地に隠形の結界を張って表通りの様子を確認しながら、八束いさなは言った。
「貴様は私が、屋敷と共に自害したがるような人間に見えているのか?」
いささかむっとした口調で、公直は小柄な女術者に言う。
「あはっ、いいね。我が主よ、そうでなくては面白くない」
不老長寿を得た術者はしごく楽しそうな笑みを魅せた。
「粛々と滅亡を受け入れられては、私が何代にもわたって御家に仕えてきた甲斐がなくなるというものだ」
「本領に戻れば、領軍を動かせる」
一方の一色公直も、瞳から活力は失われていなかった。
「伊丹家と協力すれば、本州の西半分は我らの勢力圏。我らを滅ぼそうとすれば、内戦を覚悟しなければならん。今この状況で、内戦によって陸軍が大きく損なわれればルーシー帝国に付け入る隙を与えることになる。そこに、我ら一色家が生き延びる道が生じよう」
攘夷派政権の樹立と幕府的権力による統帥の一元化という当初の目的からすればかなりの後退であったが、公直にとっては最早事態は御家を如何に存続させるかというところにまで追い込まれてしまっている。
ここで公直が滅亡を受け入れてしまえば、本領の居城に幼い子供たちと共に残してきた正室にまで滅びの運命を強要することになる。それだけは、出来なかった。
それに、結城家が皇都内乱で勝利を収めたとしても、結城景紀の元で一つにまとまるということはないだろう。自分たちとの和睦を決意していた景忠公、そして景忠・景紀親子に不満を持つ景秀・景保親子、嶺州では今も佐薙家家臣団の中に反結城家勢力があるという。
結城家を攪乱するための工作は、いくらでも行える。
まだ、自分たちは敗れたわけではない。
そう、公直は考えていた。
「では我が主よ、このまま我らだけで皇都を脱出するという方針でいいかな?」
言外に、八束いさなは皇都屋敷の家臣を見捨てていいのかと確認しているのだ。
「……やむを得ん」
公直としても、苦渋の決断であった。皇都屋敷には、彼に付き従って皇都に出てきていた重臣たちがいる。彼らが結城家に捕えられる事態となれば、一色家内部の情報が漏れる可能性があった。
そうなれば、結城家の側も一色家に対して一門衆の対立や派閥同士の対立を利用して、一色家内部を攪乱することが出来るだろう。
もちろん、家臣を見捨てたことで公直自身の家臣団に対する求心力にも傷が付く。
しかし、屋敷にいる者たちを脱出させようにも、最早手遅れな状況になってしまっている。
やむを得なかった。
「このまま横浦港に向かう。何とか船を見つけ出し、西方に逃れる」
中部地方に本領を持つ一色家は、東海道本線に乗れば鉄道一本で尾治国に辿り着けるのだが、途中で結城家領である相柄国を通過しなくてはならない。ここを治めるのは結城景秀であったが、今まで自分たちへの接近を強めながらこの内乱では日和見的な態度に終始したこともあり、公直は警戒していた。
最悪、相柄国で景秀らに捕縛されてしまう可能性もあるのだ。
だから公直は、海路での脱出を目指した。直接、尾治国に向かう船でなくとも、関西地方の商都・石阪に向かう船に乗り込み、そこから陸路で本領に向かうという手もある。
今はまだ、西国地方に結城家の手は及んでいない。
再起の可能性は未だあるのだと、公直は自身に言い聞かせながら皇都を脱出すべく足を速めた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
一方、伊丹正信もまた、皇都を脱出する支度を整えようとしていた。
屋敷の内部は、下級の家臣や奉公人になるほど混乱していた。突然、重臣や正信公側近勢力たちが機密文書の焼却処分を始め、これは何か拙い事態になったのではないかと気付いたときにはすでに手遅れな状況になっていた。
外の状況を確認すると言った奉公人が、そのまま戻らないということも相次いだ。
結城家領軍は皇都市内各地に侵入して、蹶起部隊を次々と武装解除している。自分たちの仕える将家が敗れ、自分まで逆賊として処断されては堪らないと、平民出の奉公人たちの中で聡い者は次々と屋敷を後にしていたのである。
そして、そうもいかないのが伊丹家家臣団であった。
雇い主を見捨てればそれで済む平民出の奉公人と違い、家臣団は伊丹家という陣営に否応なく属しているのだ。このままでは結城家によって逆賊として処断されるのではないかという漠然とした恐怖が、彼らの中に広がっていたのである。
そしてその動揺を、正信は抑えようとしなかった。
彼らは自らの側近や重臣たちと共に、脱出経路の選定にかかり切りになっていたのである。
やはり東海道本線での脱出は危険が大きい。だとすれば、中山道など中部地方の山岳地帯を抜ける陸路か、横浦の船を使った海路しかない。
結局、彼らは陸路組と海路組で二手に分かれ、西国地方への脱出を図ることとなった。
結城景秀が日和見を決め込んだ影響は、ここにきて重大な影響を及ぼすこととなったのである。
しかし、正信は結城景秀という存在が依然として結城家に御家騒動を引き起こすための有効な駒であるとの認識は崩していなかった。
何故ならば、結城景紀が詔勅を得て反乱軍を討伐出来たとしても、彼はまだ十九の若造である。当然、後見人が必要となる。しかし、景忠公は病に冒された身である。となれば、景紀にとって叔父にあたる景秀が後見人を名乗り出す可能性が高い。
そして当然、結城景紀は景秀の後見を拒否しようとするだろう。そうなれば、結城家内部での主導権争いが始まり、それはやがて御家騒動へと発展するだろう。
なまじ勝利してしまったために、結城家は今後の皇国において主導的な立場に置かれることになるだろう。その当主の地位に魅力を感じない者は、結城家の中でも少ないに違いない。
そしてだからこそ、結城家の混乱に乗して伊丹家が再起する時間が生まれる。
本領軍が敗れたならばともかく、自分の統制が完全には及んでいない部隊が敗北したからといって結城家に降らねばならないなど、正信には到底認められることではなかった。
しかも、自分の孫くらいの年齢の相手に膝を屈するなど、六家当主の地位に長年あった者としての矜持が許さない。
そしてもちろん、結城景紀のような軟弱者が次代の皇国を背負っていくことへの反発が、正信の中にはあったのである。
皇都屋敷を脱出するにあたって、伊丹正信は隠密衆の忍集団から変装を勧められた。
脱出には屋敷の裏門を使い、正信やその重臣、側近たちは家財道具などを持ち出して皇都からの脱出を図る大店のご隠居とその番頭に扮するように、と言われたのである。
「因果は巡る、というわけだな」
武士らしい格好から商人らしい格好に着替えて、正信は苦笑した。つい三日前は結城家が皇都から逃げ出し、今度は自分たち伊丹家が皇都を落ち延びることになるとは。
しかし、臥薪嘗胆という言葉もある。
これも攘夷という大義を完遂するために耐え忍ぶべきことなのであれば、正信に否やはなかった。
まだ午前中であるというのに、正信たちはまるで夜逃げでもするように下級の家臣団や奉公人の目を盗みながら屋敷の裏手へと向かう。
不意に、廊下の曲がり角からふらりとした調子で飛び出てくる影があった。
「誰か!?」
反射的に上がった誰何の声に、影の顔がゆらりと正信たちの方を向く。
「葛葉、冬花……」
正信は、呻くようにその影の名を口にした。一糸まとわぬ姿のまま自分たちの針路を塞ぐように立っている少女は、磔にして正門に晒すように命じたはずの葛葉冬花であった。
依然として封印用の鉄枷が手首と足首にはめられた状態であるにもかかわらず、その爪は刀のように鋭く伸びていた。
正信は、そのように妖狐の力を解放している状態の少女の姿を、このとき初めて見た。
伸ばされた爪は赤黒く染まっており、すでに誰かを引き裂いてきたのだと知れた。恐らくは、拷問を担当していた隠密衆の者たちだろう。
そしてその赤い瞳はぎらりとした獰猛な光を宿しており、人間と獣の間を行き来するかのように瞳孔が縦に裂け、元に戻るのを繰り返している。
それはまさしく、化け狐と呼ぶべき禍々しい姿であった。
「どこへ、行こうというのかしら……?」
獲物を見つけ、飛びかかる直前の肉食獣が舌なめずりするような声で、冬花は言った。
「この、化け物がっ!」
その不気味さに耐えきれなくなった重臣の一人が、懐の拳銃を抜こうとした。
が、その瞬間に鋭い爪が一閃。
その腕が宙を舞う。
「ぎゃあああああああっ……!」
腕を斬り飛ばされたその男が、切断面を抑えながらのたうち、廊下から庭へと転落した。
護衛の忍や他の家臣たちも武器を抜こうとしたが、一瞬にして冬花の爪の餌食となる。白い裸身は返り血を浴びながら、跳躍するようにして正信の前へと着地した。
その赤い獣の瞳が、まっすぐにこの六家当主の姿を捉えている。
「化け物に、関わるべきではなかったということか……」
どこか呆然と正信は呟いて、そしてそれが彼の最後の意識となった。
◇◇◇
「くっ……ぁっ……!」
血と臓物の臭いの立ちこめる廊下の真ん中で、冬花は苦しさのあまり蹲った。
体の中で妖狐の血がざわざわと騒ぎ、手足の枷がそれを押さえ込もうとせめぎ合いを続けている。強引に封印を破りながらも、彼女は完全に封印を破壊出来たわけではないのだ。
妖狐の血を暴走させれば枷を壊すことは可能かもしれないが、そのときに自分がどうなるかも判らない。
「はぁ、はぁっ……」
苦しい息遣いのまま、自分の中で猛り狂おうとする妖狐の血を意志の力で押さえ込もうとする。
傷そのものは癒えていたが、度重なる拷問で受けた疲労がすぐに回復するわけでもない。それを補おうとする妖狐の血が、彼女の中で活性化しつつあった。
この場所にいては駄目だと、体を引き摺るように冬花は血溜まりとそこに沈む無残な遺体を置き去りにして歩き出す。
濃密に過ぎる血の臭いは、かえって妖狐の血を激しく駆り立てるような感じを受けたのだ。
「わ、か、さま……」
冬花は景紀の存在だけを支えにして、彷徨うように屋敷の中を歩き続けていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
景紀は、地面に刺した騎兵槍に繋げてあった騎兵第十八連隊の馬を適当に拾い上げ、それに乗った。
鉄之介がそれに続き、景紀を追う。
「おい、景紀! あんた、姉上の居場所が判るのかよ!?」
特に迷う素振りもなく馬を駆る景紀に、陰陽師の少年は問いかけた。
「ああ、これほどはっきりとあいつとの繋がりを感じたのは、初めてだ」
景紀は前を向いたまま答える。阿尾舎法の影響か、今、彼は自らのシキガミの存在を強く感じ取っていた。
二騎の蹄の音が、通りに響き渡る。
すでに皇都各地で反乱部隊の武装解除に成功しつつあるようで、敵兵に出くわすことはなかった。
景紀は、自らと冬花が繋がっている感覚の導くままに馬を走らせた。
この時点で彼は、冬花が捕えられているのが伊丹家皇都屋敷だとは知らない。だが、向かっている方向から、何となく冬花は伊丹家皇都屋敷に捕えられているのではないかという予感はあった。
向かっている方向が同じなので当然ではあったのだが、景紀と鉄之介は途中で伊丹正信公捕縛に向かう部隊と合流し、しかし追い抜いていた。
それだけ、景紀は冬花の元に急ごうとしていたのである。
冬花との霊的な繋がりを示す肋骨のあった場所が、不気味に疼いていたからだ。冬花がもし妖狐の血を暴走させて伊丹家皇都屋敷の者たちを殺戮したり、あるいは屋敷を飛び出して皇都市民たちに危害を加えるようなことがあれば、景紀は彼女の主君として自らのシキガミを討たなくてはならない。
あの八束いさなという術者の仕業なのか、それとも冬花の身に危機が迫っているのか。
浦部伊任から渡された勾玉を使うことも考えたが、彼女に生命の危機が迫っていたとしたら、妖狐の血の暴走を鎮めることはかえってその命を危うくしてしまう。
どうにもならなかった。
その焦燥感が、景紀を駆り立てていたといえる。
「冬花……」
逸る気持ちのままに、景紀はシキガミと繋がる感覚の導くままに馬を走らせていた。




