255 収束へ向かう反乱
皇暦八三六年十月十九日一一〇〇時、反乱討伐の詔勅と奉勅命令の内容は、呪術通信によって彼我両軍へと伝達された。
正式な勅命が下されたことにより、この通信には宮内省御霊部も全面的に協力している。
このとき、確実な連絡手段がなかった反乱部隊相手にとられた通信方法は、呪術師同士の霊力波による通信ではなく、発信者の声を遠方に届けるという方式であった。術式を組み込んだ式を皇都市内各所に飛ばし、その式から勅命の内容を読み上げる声を拡散させるという、いわば後世でいうところの拡声器、あるいは街頭ラジオのような手法をとったのである。
実際に皇主の勅命が下ったことを反乱部隊下士卒たちに伝える役割を担ったのは、兵部大臣・坂東友三郎海軍大将であった。彼の声を、御霊部の術者たちが式を使い反乱部隊へと届けたのである。
坂東兵相は景紀に対する詔勅と軍に対する奉勅命令とをそれぞれ奉読した上で、下士卒たちに語りかけた。
「―――すでに皇主陛下の御命令が発せられたのである。お前たちは上官の命令を正しいものと信じて絶対服従して、誠心誠意活動してきたのであろうが、お前たちの上官のした行為は間違っていたのである。すでに皇主陛下の御命令によってお前たちは原隊に復帰せよと仰せられたのである。この上お前たちがあくまでも抵抗したならば、それは勅命に反することとなり逆賊とならなければならない。正しいことをしていると信じていたのに、それが間違っていたと知ったならば、徒に今までの行きがかりや義理上からいつまでも反抗的態度をとって皇主陛下に叛き奉り、逆賊としての汚名を永久に受けるようなことがあってはならない。今からでも決して遅くはないから、直ちに抵抗を止めて軍旗の下に復帰するようにせよ」
兵部大臣が呪術通信で語りかけたこの文面は、実はかなり早い段階から用意されていたと言われている。そもそも、坂東兵相が他の六家当主や五摂家当主などに先駆けて皇主への拝謁を行った理由は、奉勅命令による反乱の鎮定を狙っていたためである。
その段階で、この兵部大臣の胸の内にはこの文面があったと言われる。
その声を霊力波に乗せて反乱軍に伝えるという手法を思いついたのは、景紀であった。自らの側近として呪術師を侍らせている彼は、謁見に臨んだ六人(結城景紀、穂積貴通、小山朝康、有馬貞朋、斯波兼経、坂東友三郎)の中で最も呪術という技術への造詣が深かった。
反乱討伐の詔勅を受けてまず問題となったのは、皇主の勅命を反乱軍側にどう伝達するのか、ということであった。
反乱軍側の使用している呪術通信の霊力波に同調させようにもその波長が判らず、かといって今から伝単を刷っていたのでは徒に反乱と流血を長引かせてしまう。
そのために、景紀は呪術通信を用いるのではなく、式を飛ばして直接声を届けるという手法を思いついたのである。もちろん、彼としてもこの方法が確実に行えるという確証はなかったが、側にいた鉄之介が可能と答えたので、ただちに実行する運びとなった。
反乱部隊に帰順を語りかける担当が坂東友三郎兵相になったことにも、理由がある。
景紀の声では若すぎるというのと、結城家側の謀略と捉える者も出てくるだろうと考えられたのである。そして、景紀に下った詔勅を有馬公や斯波公が読み上げるというのも、おかしな話になる(特に有馬貞朋はこれまで死亡したと思われていたのだから、余計に混乱を生じる)。
半ば消去法的に、陸海両軍を統制する立場にある兵部大臣が選ばれたというわけである。
一方、結城家領軍および河越への呪術通信は、独混第一旅団司令部の呪術通信兵が担当した。
その際、景紀は投降の意思を示した者、特に下士官・兵卒の扱いは丁重に行うようにと付け加えることを忘れなかった。皇軍相討つ骨肉の内乱となってしまったとはいえ、投降者を虐殺するような事態となれば結城家の正統性も揺らぎ、何より皇国陸軍内部に重大な遺恨を残すことになる。
下士官に関しては下級士族出身者も含まれているとはいえ、ほとんどは徴兵によって入隊した平民たちである。六家である結城家の領軍が平民を殺害するようなことになれば、皇国の徴兵制度そのものが揺らぐ事態となる。
下士官・兵卒は、たとえ反乱軍の側の者たちであっても、あくまで内乱に巻き込まれた者という建前でなくてはならない。
「景くん、もうこの場は僕に任せて下さってかまいませんよ」
景紀が反乱討伐の詔勅を受けたことに伴うこまごまとした命令を一通り下し終わると、貴通はそう言った。
皇主からの勅命を受けた者たちは、宮殿東溜に戻ってきていた。ただし、坂東友三郎兵相だけは“呪術放送”とでもいうべきものを行っているため、今は反対側の西溜にいる。
「……」
景紀は、同期生の少女の顔を見た。
貴通の言いたいことは、判っている。早く、景紀自身の手で冬花の救出に向かうように促しているのだ。
だが本来は、ここで景紀は有馬貞朋公と斯波兼経公と共に、皇都での内乱を鎮定した後の政権について協議すべきであった。少なくとも、実質的に結城家が反乱部隊討滅の功を挙げている以上、新たな政権は結城家を中心とするものでなくてはならない。
そうでなければ、家臣団や領軍将兵が納得しないだろう。
ここで景紀が抜ければ、その間に有馬・斯波両公の二人で新政権について皇主に奏上する可能性もある。二人はまだ六家当主となっていない景紀と違い、帷幄上奏権がある。
再度の皇主への拝謁も、十分に可能であった。
もちろん、そうした懸念は両公の性格を知っている景紀にとってみれば杞憂とも言えたが、やはりどこか他者を信じ切れない心と、政治的主導権を自ら握ることへの拘りがこの少年の中にはあった。
「大丈夫ですよ、僕が何とかします。今の僕は唯一、結城家に味方した五摂家で、景くんの軍師です」
そして、貴通はそっと景紀の耳に顔を寄せた。
「何でしたら、表の領軍にお二人と兵相を拘束させておきましょうか?」
彼女は、有馬・斯波両公と坂東兵相が少しでも景紀に不利となる行動を取ろうとするようであれば、躊躇いなくその身柄を拘束すると言っているのだ。
「……任せられるか?」
ここまで来て、一度すべてをなげうって冬花のためだけに動こうとする葛藤を呑み込んで、景紀は問うた。やはり、どうしても自身のシキガミのことが心配であった。
彼女が伊丹・一色陣営によって報復的に殺害されてしまうこともそうであったが、それ以上に冬花に妖狐の血を暴走させて市中に放り込むことで、こちらの行動を妨害してくる可能性を景紀は危惧していた。
一色公直と共に行方をくらました八束いさなという術者の存在が、それだけ不気味であった。
そのために、出来るだけ早く冬花の身柄を取り戻しておきたいという考えがあった。もし暴走した冬花が無辜の市民を切り裂くようなことになれば、彼女の心は癒えない傷を負うことになるだろう。
そして景紀も、そんな冬花を彼女の望み通りに殺してやらねばならない。
それだけは、嫌だった。
「ええ。僕は、景くんの軍師ですから」
貴通は、景紀の内心を理解しているのだろう。柔らかい笑みで、そう言った。
「すまん、頼んだ」
景紀は内心の葛藤を表わすような固い声と共に、同期生の少女に後を託した。
「鉄之介、八重、付いてこい。冬花を助けに行く」
景紀が念のため術者である鉄之介と八重を連れていこうと呼びかけて、それは起こった。
「八重!?」
景紀に付いていこうと一歩踏み出した八重の体がよろめき、それと咄嗟に鉄之介が支えたのである。龍王の血を引く少女の顔が、あからさまに悪かった。
「おい、大丈夫か!?」
突然のことに、鉄之介も驚いているようであった。
「……ごめんなさい。なんか、急に気持ち悪くなっちゃって」
口元を抑えながら、八重がくぐもった声で答える。鉄之介がその体を支えて、布張り椅子に彼女を座らせた。
「鉄之介、早く行ってあげて」
だが八重は、鉄之介の体を押し返すようにしてそう言った。彼女自身も、義理の姉の身が心配なのだ。
「手遅れに、なる前に」
その言葉に、鉄之介ははっとしたようになる。景紀たちはまだ知らなかったが、鉄之介と八重は結城久を助けるのに、間に合わなかったのだ。だから、八重はそれを恐れていた。
「……ああ、お前も、無理すんなよ」
そう言って、鉄之介は景紀に駆け寄った。
「有馬公、斯波公、俺は冬花の救出に向かいます。後ことは、貴通に任せます。では、一度失礼」
景紀は両公の反応を見ずに、鉄之介を従えて足早に宮殿を後にするのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
宵は、河越城本丸奥御殿の廊下を歩いていた。
昨日の龍兵爆撃にも、本丸は結界に守られて無事であった。
その奥御殿の一室に、結城景忠は軟禁されていた。
「……景忠様」
「宵姫か」
いつも以上に淡々とした声の宵に、景忠は顔を上げて反応した。声と同様に、この北国の姫の顔には表情らしい表情は浮かんでいなかった。ただ無表情に、義理の父である男を、部屋に入ることなく廊下から見ていた。
「景紀様は、自ら領軍を率いて皇主陛下および宮城を解放なさいました」
宵は勝利の高揚など一片も感じさせない、ただ事実だけを淡々と伝える声で続けた。
「皇主陛下より反乱討伐の詔勅を賜り、現在、反乱軍の制圧および武装解除を行っているとのことです」
「……皇軍相撃となったわけだな」
景忠公は、宵が伝えてきた息子の勝利を喜ばなかった。
「宵姫、まさか貴殿は景紀が詔勅を得たからと、すべてが丸く収まるとでも思っているわけではあるまいな?」
それは、義理の娘に軟禁され、実の息子に背かれた父親の、復讐するような響きが混じっていた。
「景紀はまだ十九。皇主陛下を補弼し奉るには若すぎる。反発する者は確実に出てこよう。今回の詔勅の正統性に疑問を抱く者も出てこよう」
「ええ、そうでしょうね」
しかし、結城家が伊丹・一色両公に屈し、景紀や自分が処断されるよりもよほど良い。宵はそう思っている。未だ景忠は、伊丹・一色両公との和睦と協調による事態の収拾が、最善の道であったと信じているのだろうか。
「伊丹・一色両家は特に激しく反発するであろうな。そうなれば、皇国は東西に分かれて六家が対立し、内乱は皇都だけに留まらない事態となろう。たとえその内乱に勝利出来たとしても、遺恨は確実に尾を引く。宵姫、貴殿は嶺州浪士に殺されかけたことを、よもや忘れたわけではあるまい?」
つまり景忠は、景紀がたとえ伊丹・一色両家を降したとしても、暗殺の標的として長く狙われることになるだろうと言っているわけである。あるいはそこには、宵のことも含まれているのかもしれない。
景忠公としては、たった一人の息子には大それた野心など持たず、結城家の当主として大過なく一生を過ごして欲しかっただけなのかもしれない。
しかし、そうした未来が脅かされていると景紀も宵も感じていたからこそ、自分は景忠を軟禁し、景紀は父親の命に背いたのである。
親の心を子は知らず、子の心を親は知らない。
宵はそれを一度、実父との関係で体感したが、今また義理の父との間で体感することになるとは思わなかった。
「景紀様は最早、父親であるあなた様の庇護を必要とはしておられないのですよ」
宵は平坦な口調のまま、そう突き付けた。
「そして、景紀様のお側には、冬花様がいらっしゃいます。貴通様もいらっしゃいます。そして、この私も景紀様の室としてお支えいたしましょう。この先、どのような事態に立ち至ろうとも」
宵はそう言って、結城景忠という存在を完全に切り捨てた。
せめて息子が勝利を収めたという報告だけでも届けようかという、彼女の義理もここまでであった。
宵は景忠に一言、去り際の挨拶を述べると踵を返した。そのまま、再び城内の電信局へと戻ろうとする。
そのとき、宵の体がふらりとよろめいた。
「姫様!」
側に付いていた風間菖蒲が、咄嗟に声を上げる。
「いえ、少し気分が悪くなっただけです」
廊下の捨柱に片手を添えながら、宵は言った。世話役の済に言われた通り、身重の体で少し無理をし過ぎたかと思う。
しかし、これでお腹の子が生まれたときから逆賊の汚名を着せられるということはなくなった。
悪阻の吐き気に襲われつつも、宵の口元にはかすかに安堵の笑みが浮かんでいた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ねえ、貴通様」
ひとまず吐き気の収まったらしい八重が、それでもまだ気怠さの残る声で唐突に問うてきた。
「何ですか?」
八重が吐き気を催した原因を何となく予測しつつ、貴通は応じる。彼女と鉄之介が婚儀を挙げてすでに二ヶ月近く。そういう可能性があってもおかしくはない。
「若様は、冬花義姉様のことや、久様のこと、ちゃんと心配しているように見えた?」
そういえばこの陰陽師の少女は、冬花が市中を引き回されているのを見て激昂して通信を繋げてきたな、と貴通は思い出した。
「景くんは冬花さんがあのような目に遭わされて、憤っていましたよ。でも、あの時、景くんには他に優先しなければならないことがありました。そこは、理解してあげて下さい」
景紀と臣下の間に亀裂が入ることを貴通は望んでいない。だから、諭すようにそう言った。
「それと、結城家皇都屋敷を救出するように、河越を出発したときから命令していました。残念ながら、第二師団はその命令を果たせなかったようですが」
それは結局、景忠公の進撃停止命令で師団司令部が混乱に陥ってしまったことが原因だ。景紀は、決して母親を捨て石にしようとしていたわけではない。
「そう……」
そう説明したところ、何やら八重の気分は沈んでしまったようであった。また気分が悪くなってきたのかと思ったが、そうでもないようだった。
「……だったら若様、悲しむかもしれないわね」
「何か、あったのですか?」
怪訝そうに、貴通は問うた。
「結城家皇都屋敷は、もうとっくに落ちているわ。久様も、殺されていたわ」
「っ!?」
貴通は、その告白に目を見開いた。
「小山少佐!」
思わず、彼女は朝康を呼んでいた。
「何だ?」
彼も結城久殺害という八重の報告に驚いていたが、自分の母ではないためか、いまいち衝撃が軽いようであった。
「すぐに呪術通信を通じて領軍全体に通達が必要です!」一方の貴通は、どこか切羽詰まった声であった。「このままでは仇討ちと称して、反乱軍の将兵を無闇に虐殺する部隊が出てきかねません! 僕の、じゃなかった、景くんの名で全軍に久様の死と、勝手な仇討ち行為は厳禁する旨、即座に伝達させて下さい! 急いで!」
「お、おう」
貴通の剣幕に気圧されるようにして、朝康は宮殿から駆け出していた。
「景くん……」
恐らく景紀と共に冬花の救出に向かった鉄之介もまた、景紀に久の死は伝えていないだろう。あのシキガミの弟は今、姉のことで頭がいっぱいなはずだ。
だが、いつかの段階で景紀は母の死を知ることになる。
そのとき、彼がどのような反応を示すのか、母という存在の記憶がほとんどない貴通には判らなかった。




