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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十三章 相克の皇都編

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252 阿尾舎法

「貴通!」


 男装の少女の体が床に叩き付けられた瞬間、景紀は駆け出していた。狐火を乗せた斬撃を一色公直に放つことで八束いさなを牽制し、その隙に貴通の元に向かう。


「くっ……」


 思わず、景紀は歯噛みした。

 貴通自身は、無事だった。床に叩き付けられながらも、霊力を乗せた斬撃は鉄之介の護符が防ぎきったようだ。

 斬撃を放った大江綱章も、今の一撃で肉体が限界を迎えたのか、膝から崩れ落ちるように倒れ伏している。貴通に、これ以上斬りかかることは最早出来そうにない。

 しかし、それはあくまで貴通が体に傷を負わなかったというだけの話だ。

 護符も限界だったのか、彼女の肉体は無事でも、まとっていた軍服は下に着ていたシャツや胸に巻かれていたさらし諸共にずたずたに引き裂かれてしまっていた。

 女性らしい曲線を描く肢体、そして控え目ながらも膨らみを持つ胸が、露わになってしまっている。貴通が慌てて切り裂かれた衣服で剥き出しになった己の体を隠そうとしたが、すでに遅かった。


「さっきから何となく気になっていたんだが、そうか、その術は“女”であることを隠そうとしていたのか」


 嬲るような女術師の声が、部屋に響き渡る。

 その声に怯えるように、貴通は体を縮めて蹲ってしまう。

 霊的な威圧感の込められた言霊。

 護符を失った貴通の心を追い詰めるには、効果的だったろう。兵学寮に入学して今に至るまでの九年間、彼女が必死に隠し通そうとしてきた秘密を、裸身を晒されるという恥辱に満ちた形で暴かれてしまったのだ。


「貴通!」


 景紀は、もう一度強く呼びかけた。

 だが当然、そんな隙を八束いさなが見逃すはずがなかった。


「臨兵闘者皆陣列在前!」


 鋭く唱えられた、陰陽術の呪文。


「くそっ!」


 景紀は半ば反射的に、貴通を抱きしめるようにして覆い被さった。

 火鼠の衣をまとったその背中に、九字の呪術が直撃する。


「がっ……」


 一瞬、背中を蹴り飛ばされたような衝撃が走る。だが、肉や骨を砕かれるような痛みはない。火鼠の衣が、二人を守ってくれたのだ。


「景くん……?」


 景紀の腕の中で、か細く貴通が声を上げた。今にも泣き出しそうなその顔は、心なしか青ざめている。


「心配すんな」


 そっと景紀は笑いかけると、火鼠の衣を脱いで剥き出しになった貴通の白い肩に掛けた。


「貴通、今はこの場を切り抜けることだけを考えてくれ」


 強い口調と共に、景紀は少女に掛けた火鼠の衣の上から両肩を掴んで、その顔を正面から見つめた。

 自身の正体を知られてしまったことへの悔恨と怯えを見せていた貴通の目に、光が戻る。

 言霊の影響力から、抜け出せたらしい。


「お前がいてくれないと、背中が寂しいからな」


 もう一度景紀は彼女に笑いかけると、自身の軍刀を貴通に渡し、自らは霊刀 “雪椿”を再び構えた。


「―――はい!」


 本来の性別を暴かれてしまった少女は、それでも景紀から頼りにされていることに嬉しそうに返事をした。

 赤い衣の前を合せて立ち上がり、貴通は鞘から抜いた軍刀を構えた。

 床に倒れて自らの血の中に沈んでいる大江綱章は、動き出す気配はない。景紀と貴通が対峙すべきなのは、八束いさなと一色公直の二人だけであった。


「……まったく、鬼狩りの末裔の癖して、親子揃って不甲斐ない」


 その八束いさなが、倒れたままの大江綱章に嘲りと失望の混じった呟きを放っていた。


常人(ただびと)相手にここまで手こずるとは、正直誤算だ」


 小柄な女術師は、景紀が狐火を放つことを警戒してか、主君である一色公直を背後に庇うような態勢をとっていた。


「だが、ガキ共に負けるほど、私も落ちぶれたつもりはないよ」


 そう言って、彼女は袖から取り出したいくつかの紙片を放つ。それは、人型に切られた紙に呪文が記された呪符であった。いわゆる、「人形(ひとがた)」である。

 ぱん、と八束いさなが柏手を打つと、それら人型の呪符は等身大の人間の姿へと変化(へんげ)した。

 その数は、六体。


「―――っ」


 思わず、景紀と貴通は息を呑んだ。


「こいつらは護法童子と言ってね、まあ見た通り人間型の式さ。そこの鬼狩の末裔一人倒したからと、いい気になってもらっては困る」


 六体の護法童子は、じりじりと二人を取り囲むようにして移動を始める。


「景くん」


「ああ」


 景紀と貴通は、背中合わせに刀を構えながら護法童子たちと対峙した。

 六体の護法童子たちは、得物を持っていなかった。あの呪符で作り出せるのはあくまで人型の式だけで、得物などは別に用意しなければならないのだろう。

 そこに、景紀たちは勝機を見出そうとした。

 下手に不動金縛りに遭っている兵部大臣たちが人質に取られるようなことになれば、自分たちはより一層、不利になる。この護法童子たちを突破して、一色公直を討つつもりであった。

 だが、二人が互いの背を離し、護法童子たちに立ち向かおうとした瞬間、再びあの呪文が響き渡った。


「オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ」


「―――っ!?」


「貴通!」


 貴通の体が、不意に固まってしまう。


「くそっ!」


 景紀は彼女を拘束しようと手を伸した護法童子の手を斬り飛ばし、貴通を背後に庇うような態勢になる。


「やっぱり呪術を知らない常人だね。火鼠の衣は、あくまで肉体を傷付けようとする攻撃から身を守ることの出来る霊装だ。拘束のための呪文には、大して効力を発揮しないのだよ」


 景紀と貴通の浅はかさを嘲笑うように、八束いさなが指摘する。


「くっ……」


 景紀は、狐火をまとった“雪椿”を構え、貴通を背後に庇いながら歯噛みする。確かに、自分たちは迂闊だった。

 今この場で動けるのは、冬花と宵の作ってくれたお守りを持つ、自分ただ一人になってしまった。

 手を斬り飛ばしたはずの護法童子は、いつの間にかその手が戻っていた。人間ではない、ただの紙に霊的な実体を与えただけの護法童子には痛覚もなく、そして術者が霊力を注ぎ込めば損傷もすぐに直すことが出来るということか。

 それでも、景紀の脳裏に諦めるという感情は浮かばなかった。だが、状況を打開するための策が思い浮かんでいるわけではない。

 いっそ狐火を周囲に振りまいて宮殿を燃やし、御霊部が、究極的には浦部伊任が介入せざるを得ない状況に持ち込むか。

 いや、それは駄目だと景紀は即座に己の考えを否定する。そのようなことをすれば、浦部伊任は八束いさなと一色公直諸共に景紀を討とうとするだろう。あの呪術師はあくまで、皇主・皇室に忠誠を誓っている人間なのだ。

 今、宮殿で戦いが行われているというのに介入する気配すら見せていないということは、所詮はこれを六家同士の争いと見ているからだろう。


「……」


 自分が間違いなく追い詰められていると自覚し、景紀の背を嫌な汗が流れる。

 ここまで来て、自分たちは終わるのか……?

 その刹那、脳裏に閃くものがあった。


「……オンマカヤシャ・バザラサトバ・ジャクウン・バンコク・ハラベイシャヤウン」


 何故かその呪文が、口を突いて出る。

 瞬間、自らの中に自らのものではない力が漲ってくるような、そんな感覚を覚えた。そして、その力がどこからもたらされたのか、景紀には判っていた。


「……冬花」


 今この瞬間、常人であるにもかかわらず、景紀は己のシキガミとの霊的な繋がりを強く感じていた。

 離れていても、酷い責め苦を受けていても、あの少女は自分のシキガミであろうとしてくれている。

 景紀は、“雪椿”の柄を強く握りしめた。ぶわり、と刃にまとっている狐火の火力が勢いを増した。


「ふんっ!」


 景紀は空間そのものを切断するような勢いで、“雪椿”を払った。斬撃と共に放たれた狐火が、自分と貴通を取り囲む護法童子たち襲いかかる。

 六体の護法童子たちの全身が燃え上がるというようなことはなかったが、その霊的な威力に押されて人型の式たちが後退する。


「景くん!」


 薙ぎ払われた“雪椿”の影響か、貴通に掛かっていた不動金縛りの術式も破壊されたようだった。赤い衣をまとった少女が、景紀の隣に並ぶ。


「オンシチュリ・キャロラハ・ウンケンソワカ!」


 大独股印と共に、八束いさなが呪文を唱える。大威徳明王の、悪魔を降伏させる呪文。

 霊的な圧迫となって自らを押し潰そうととするそれを、斬、と景紀は“雪椿”で斬り捨てた。


「行くぞ、貴通!」


「はい!」


 次の瞬間、二人は勢いよく駆け出した。

 途端、六体の護法童子が景紀たちを取り押さえようとその針路を塞ぎ、手を伸す。景紀は自らの行く手を阻もうとする人型の式を、刃に狐火を乗せた“雪椿”で斬り捨てていった。

 先ほどと違い、護法童子は斬られた箇所が回復することなく、斬られた瞬間に元の小さな人型の紙片に戻り、青白い炎で燃やされていく。

 やがて六体の護法童子は、すべてが青白い狐火に包まれて消滅した。


「ちぃっ! ―――付くも不肖、付かるるも不肖、一時の夢ぞかし。生は難の池水つもりて淵となる。鬼神に横道なし。人間に疑いなし。教化に付かざるに依りて時を切ってすゆるなり。下のふたへも推してする」


 長い呪文を、八束いさなが早口で一息に詠唱する。

 憑きものを払う効果を持つ神道由来のその呪文は、だが景紀に宿る冬花の力を消滅させることはなかった。

 空気を裂く斬撃の音と共に“雪椿”の刃が八束いさなに迫った瞬間、彼女は咄嗟に後ろに跳んだ。金属のぶつかり合う音と共に、彼女の手に装着された手甲鉤が弾き飛ばされる。


「おのれ……っ!」


 そして景紀が八束いさなを牽制していて間隙を生み出した瞬間を、貴通は見逃さなかった。景紀から渡された軍刀で、八束いさなという護衛を引き剥がされた一色公直に斬りかかったのである。

 剣戟の音と共に、一色家当主の口から険しい声が漏れる。


「……」


 だが、貴通はそれに取り合わず、ただひたすらに己の刀に力を込めた。


「公家の、小娘の分際で……っ!」


 一色公直としては、公家出身で、しかも女である貴通に斬りかかられているという状況が屈辱であるらしい。

 鍔迫り合いから、足払いをかけ、跳び退り、また斬りかかる。宮殿に相応しからぬ剣戟の音が、二人の間で交わされ続ける。


「……ふん、阿尾舎(あびしゃ)法の亜種といったところか」


 一方、景紀と対峙している八束いさなは、この六家次期当主の全身を眺めてそう言った。

 阿尾舎法とは、密教由来の神懸かりの術である。術者自らの体に、金剛夜叉明王や迦楼羅(かるら)などを降ろす術であった。


「下手にあの妖狐の娘の力を受け入れれば、体そのものを乗っ取られかねんだろうに」


 警告するように、八束いさなは言う。

 要するに、この呪術を景紀が受け入れるということは、逆に言えば景紀の体を冬花がいいように操ることも可能となるということだ。そうして次期当主を傀儡にして、結城家の権力を簒奪することをあの妖狐は目論んでいるかもしれないと、この女術者は言いたいのだろう。


「あまり俺のシキガミを侮辱するなよ」


 だが、自らを惑わそうとする言霊の込められた警告に、景紀は低くそう言うだけであった。

 自分と冬花との絆を、侮辱することは許さない。景紀の瞳には、険しい感情が宿っていた。再び、“雪椿”を構える。


「……」


「……」


 妖狐の力をまとった少年と、人魚の肉を喰らった術者が動いたのは、同時であった。

 八束いさなが袖から新たな呪符を取り出し、景紀が狐火をまとった霊刀と共に踏み込む。

 袖から抜かれた手が空を裂き、繰り出された斬撃が鋭く走る。

 刹那、鮮血が舞った。

 八束いさなの右腕、その肘から先が切り落とされる。だが次の瞬間、その口元がにぃと嗤った。


「っ!?」


 刀を振り抜いた景紀の背に、泡立つような悪寒が走る。ぱちん、と八束いさなは残された左手で指を鳴らした。

 切り落とされ、宙を舞っていた右手に握られていた呪符が、発動する。

 それは、先ほどと同じ護法童子の呪符であった。実体を与えられた紙の式は、床で倒れたまま動かない大江綱章から霊刀“鬼切丸”を拾い上げる。

 だが、その護法童子が向かった先は、景紀ではなかった。


「ちぃっ……!」


 景紀は忌々しげに舌打ちをしつつ、即座に駆け出していた。護法童子は、未だ不動金縛りで動けない坂東友三郎兵相たちに斬りかかろうとしたのである。

 狐火を乗せた斬撃は、兵相たちを巻き添えにしかねないために放てない。

 だが、その体を直接斬り付けるには間に合わない。

 その刹那のことだった。


「―――臨兵闘者皆陣列在前!」


 新たな声による九字が、宮殿東溜に響き渡った。それが“鬼切丸”を持った護法童子を直撃し、呆気なく消滅する。持ち主を失った刀が、床に転がった。


「景紀!」


「若様!」


 そう叫びながら東溜に駆け込んできたのは、鉄之介と八重であった。二人は不動金縛りを掛けられた者たちを守るように立つ。


「はぁっ!」


「くっ……!」


 ほぼ同時に、一色公直と切り結んでいた貴通が、公直に押し負けて体勢を崩して床に転がされていた。一対一では、体格差や経験から一色公直に敵わなかったのだ。

 だが、貴通は振り下ろされた刀を火鼠の衣で守られた腕を交差させて受け止め、そのままさらに床を転がって一色公直の刀の間合いから抜け出すことに成功していた。


「貴通!」


 景紀は、そんな少女の元に走り寄る。


「すみません、僕では及びませんでした」


 立ち上がりながら、貴通は悔しそうに謝罪した。


「いや、十分だ」


 ここまで来て、景紀はようやく自分たちの優位を確信することが出来た。


「……」


「……」


「……」


 今、この部屋にいる者たちの視線が油断なく交錯する。

 八束いさなの左手がぴくりと動き、瞬時に景紀たちが身構える。直後、女術者は懐から取り出した巻物を、放り投げるように広げた。

 その瞬間、東溜を覆い尽くすかのような“魑魅魍魎”の群れが飛び出してきた。どれもが漆黒の姿をしており、濃密な墨の匂いが部屋一杯に満ちる。


「くっ!」


 咄嗟に景紀は“雪椿”で向かってくる“魑魅魍魎”を薙いだが、その程度で消え去るような数ではなかった。ほとんど視界が効かないほどの数である。

 まさしく、東溜の中に百鬼夜行が現れたかのような有り様となってしまった。


「東海の神、名は阿明(あめい)、西海の神、名は祝良(しゅくりょう)、南海の神、名は巨乗(きょじょう)、北海の神、名は禺強、四海の大神、百鬼を(しりぞ)け、凶災を(はら)う、急々如律令!」


 その中で、ぴったりと息の合った呪文が朗々と響き渡った。

 鉄之介と、八重の唱えた呪文である。

 呪文の効果が部屋の中に満ちた瞬間、この空間を覆い尽くすように出現した“魑魅魍魎”は消え去っていた。

 同時にまた、一色公直と八束いさなの姿も消えていた。

 後にはただ、ころころと床を転がる一幅の巻物―――「百鬼夜行絵巻」が残されているだけであった。


「……まったく、もったいない」


 と、場違いなほど、緊張感の欠けた声が響き渡った。


「その絵巻物、文化的価値は結構あるんだがね」


 斯波兼経である。不動金縛りが解けた直後の第一声がそれとは、景紀以下、全員が呆れるしかなかった。

 ただ、それで全員の緊迫感が解かれたことも事実であった。


「鉄之介、八重、あいつらがどこへ逃げたか判るか?」


 とはいえ、だからといって油断は出来ない。景紀の問いに、鉄之介は渋い顔をする。


「いや、気配は完全に消えている。かなり高度な隠形(おんぎょう)か何か、そういう術を使ってるんだろうな」


「なら、俺たちが拝謁を果たすまで周囲の警戒を怠らないようにしてくれ。とりあえず、そいつを呪符なり何なりで動けないようにしておけ」


 景紀は、未だ意識を失って倒れたままの大江綱章を指す。


「ああ」


 頷いた鉄之介は、懐から呪符を取り出して、油断なく術者の青年に近付いていく。


「……お前たち、よく来てくれたな。お陰で、助かった」


 ひとまず“雪椿”を鞘に収めながら、景紀は安堵と共に二人に感謝した。流石に、肝が冷える戦いだった。鉄之介と八重が間に合わなければ、確実に自分たちは討ち取られていただろう。


「ああ、そいつは姫様と浦部部長に言っておくんだな」


 意識のない大江綱章に不動金縛りの術式の書かれた呪符を貼り付けながら、鉄之介が答えた。


「俺を皇都に向かわせたのは姫様だし、あんたらが宮殿で戦っているって知らせてくれたのは浦部部長だ」


 浦部伊任の名を聞いて、思わず景紀は唇をねじ曲げた。宮殿を汚すような戦いが起こっているというのにあの男が動かなかったのは、自ら六家同士の争いに直接介入しないという姿勢を貫こうとしたこと以外に、鉄之介と八重が景紀たちの元に向かおうとしているのを察知していたからか。

 貴通の件を黙認した以上、ここから先は結城家の人間だけで最後の敵を打ち破ってみせろとでもあの男は思っていたのだろう。

 一方、鉄之介が大江綱章を呪術的に拘束している横で、八重は相手が逃げてしまったことに口をへの字にねじ曲げていた。一色家の術者と手合わせが出来なかったことに不満を抱いているのかと思えば、どうもそれ以上の憤りに近い感情が彼女の瞳に宿ってるようであった。

 しかし、景紀はいったん、八重の内心については置いておくことにした。


「おい、景紀、貴通!」


 そこに、小山朝康の苛立ったような声が飛んでくる。


「ちゃんと説明、あるんだろうな?」


 彼が視線で示していたのは、火鼠の衣をまとっている貴通であった。

 今の彼女は、女であることを隠すための認識阻害のお守りも大江綱章からの斬撃によって壊されてしまって所為で、赤い衣をかすかに押し上げる胸の膨らみが判ってしまう。火鼠の衣から伸びる剥き出しになった白い足も、肌のきめ細かさは明らかに男のものではなかった。

 今さらながらに自分の姿を自覚して肩を縮めて俯く貴通を、景紀は背後に庇った。


「ああ、判っている。ただ、このことは他言無用だ。いいな?」


 朝康だけでなく、坂東兵相や斯波兼経にも念を押すように景紀は言う。その言葉には、どこか脅すような響きが籠っていた。

 景紀の側には鉄之介と八重がおり、二人もまた貴通を気遣うように立っていた。いざと言う場合には、この二人に秘密を漏らすと発動する呪詛を皆に掛けるよう命じることすら、景紀は選択肢に入れている。


「まあ、男だろうと女だろうと、穂積貴通殿の今までの功績が否定されるわけではないでしょう」


 最初に口火を切ったのは、斯波兼経だった。六家当主の中では影が薄いものの、それでもこの男は六家当主である。彼がそう言えば、小山朝康としてもこの場でそれ以上の追及をすることは出来なかった。


「今はそのような些事を気にするよりも、陛下に拝謁しこの乱を収めることを考えるべきであろうな」


 そして兵相の坂東友三郎海軍大将もまた、この状況下で貴通が性別を偽っていたことを追及するのは時間の浪費であると考えているようであった。

 さらに、嘉弥姫が朝康の袖を引っ張って咎めるような視線を向けると、この結城家分家の青年は憤懣やるかたなしといった調子で唇を引き結んでしまう。兵学寮の先輩として後輩が自分を騙していたこと、そして不動金縛りに掛けられてまったく戦いに加わることが出来なかった不満が、彼の中にあるだろう。

 そしてもちろん、景紀はそんな朝康の不満に付き合うつもりはなかった。


「鉄之介、陛下は今、どこにおられるか判るか? 一応、浦部部長から俺たちが拝謁を望んでいるって、陛下の側に控えている御霊部の術者に通信してくれたらしいんだが」


「ああ、ちょっと浦部部長に確認してみる」


 鉄之介は通信用の呪符を取り出して、霊力波を浦部伊任の元に飛ばす。その様子を、景紀は少し焦れるような感覚と共に見守っていた。

 流石のこの状況下で、侍従長たちが皇主を宮殿に連れてこようとするとは思えなかった。あの御霊部長のことだから、宮城二の丸の状況が落ち着くまで、皇主には本丸の御所に留まっているよう、呪術通信を送っているはずである。


「……本丸の方に向かえ、だとさ」


 やはりと言うべきか、浦部伊任との通信を終えた鉄之介が、そう報告してきた。


「そっちの方で、侍従長が拝謁の支度を調えてくれるらしい」


「判った」


 鉄之介に向けて頷くと、景紀は改めて貴通、朝康、嘉弥姫、坂東友三郎兵相、斯波兼経公爵に向き直った。


「―――では、行くぞ」


 結城家次期当主たる少年は、いっそ傲岸ともとれる態度でそう宣言したのであった。

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