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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十三章 相克の皇都編

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248 離反する者

 宮城北の丸を衛戍地とする近衛第一、第二歩兵連隊の一部が蹶起に加わり、師団長殺害という暴挙に及んでいたとはいえ、近衛師団が宮城全域を占拠しているわけではなかった。

 陸軍歩兵第一、第三連隊と同じく、彼らも彼らで蹶起に加わったものの、宮城を占拠することへの躊躇いがあったのである。

 そのため、蹶起に加わった近衛将兵と御所を守ろうとする皇宮警察との間で銃撃戦が発生していたとはいえ、宮城内部では緊張感の伴った均衡状態が続いていた。蹶起に加わった近衛将校は北の丸の師団司令部を占拠し、宮内省に繋がる電信線を切断して外部との通信を遮断したところで、それ以上御所の内部へと踏み込もうとはしなかったのである。

 陸軍側蹶起部隊も宮城の外側から各門を封鎖しているだけであり、宮城二の丸では依然として皇宮警察本部と宮内省書陵部庁舎を中心に皇宮警察・御霊部の者たちが御所を守るべく蹶起部隊との対峙を続けていた。

 その均衡が破られたのは、蹶起三日目となる十九日の早朝であった。

 突然、二の丸南側に位置する宮内省本庁舎に無数の軍靴の音が響き渡ったのである。


「全員その場を動くな!」


 着剣した小銃を構える兵士たちを従えていたのは、歩兵第一連隊連隊長・渋川清綱大佐であった。


「いったい、何事です?」


 渋川大佐の対応に出たのは、式部官長・桜園季邦(すえくに)子爵であった。渋川大佐は正信公女婿であり、桜園子爵はその孫・直信の婚約者・理都子の父親である。

 その内心がどうであれ、二人は伊丹閥の人間と見られていた。


「今よりこの建物は陸軍が接収する。桜園殿は、職員を講堂に集めることに協力せよ」


 渋川大佐は、一方的にそう告げた。もともと、伊丹・一色両公と違い、彼は蹶起の当初から宮城占拠を主張していた人間である。その行動に、迷いらしきものはなかった。

 一方、今まで蹶起部隊は宮城内に兵を引き入れることに慎重であったにもかかわらず、このような行動に出たことに、桜園季邦の内心に暗い予感が生まれる。最早なりふりを構っていられないほどに、蹶起部隊は追い詰められているのか。

 これまで、宮内省本庁舎は伊丹・一色陣営や五摂家の宮中工作の窓口的存在として機能してきた。

 伊丹・一色陣営にとってみれば、宮内省高官である桜園子爵がいるからという要因が大きい。五摂家の側にとっても、自分たちと同じ公家華族が多数、宮内省の要職に就いている。

 だからこそ、宮中を武力で占拠しては詔勅の正統性が保てないという伊丹・一色両公の意向もあって、宮城敷地内で銃撃戦が発生しようとも、宮内省本庁舎はこれまで騒乱の渦中に呑み込まれることを免れていた。

 宮中内での銃撃戦の中心地となったのは、皇宮警察庁舎の付近だったのである。蹶起側は宮中の武装勢力である皇宮警察の武装解除とそれによる無力化を行うことで、宮中における抵抗勢力を排除しようとしたのであった。

 もちろん、庁舎内部では伊丹閥、一色閥に属する職員と有馬閥、結城閥に属する職員との間で疑心暗鬼による対立が続いていたが、かといって近衛師団や皇宮警察、内大臣府のように流血の事態にまでは至っていない。

 そうした危うい上に均衡の成り立っていた状況が、ここに来て崩されたのである。


「案ずる必要はない」


 一応は職員を戦闘に巻き込まないように講堂に集めるという配慮を示している渋川大佐は、なおも強気の態度を崩していなかった。不安に顔を青ざめさせる桜園季邦子爵に対して、続ける。


「我らの背後には伊丹公と一色公がおられる。結城公も両公との和睦を決意している。一人、結城景紀だけが抵抗を続けているだけだ。あの小僧さえ討ち取れば、すべてが終わる」


「しかし、宮城に兵を入れるなど……」


「結城家領軍の将兵も、皇国臣民であることに変わりはない。御所を背後に戦う我らに軽々しく銃口を向けるだけの意気がある将兵が、小倅の下にどれだけいると思う?」


「……」


 それはつまり御所と皇主を人質にしていることに等しいのではないか。そのような疑念が桜園の喉元まで出掛かったが、何も言うことは出来なかった。

 自分の娘は伊丹直信の婚約者であり、息子の一人も近衛将校として蹶起に参加してしまっている。自分もまた、伊丹閥の人間として宮中工作を行ってきた。

 このまま結城景紀が勝利すれば、自分たち桜園子爵家も処断を免れない。

 自分自身もまた追い詰められていることに気付いたこの式部官長は、だからこそ反論の言葉を失ってしまったのだ。

 皇都内に分散している蹶起部隊を宮城に集結させれば、相応の兵力になる。まさか結城家領軍も宮城に砲門を向けることは出来ないであろうから、宮城に籠城すればまだ互角以上に戦えるだろう。

 もちろん、籠城に備えて宮中に十分な量の糧食は蓄えられているはずもないので、実際に籠城に耐えられる時間は短いだろうが、皇宮が戦場になるのであればそれを避けようとした皇主から停戦、和衷協同の詔勅が出される可能性もある。

 攘夷派新政権樹立のための詔勅を欲していた伊丹・一色両公にとっては不本意かもしれないが、ここで結城家領軍に宮城や皇都を奪還され、自分たちが賊軍として討伐される立場になればすべてを失うことになる。

 それならば六家としての地位を最低限維持出来る状況の方を選ぶだろう。

 少なくとも、桜園子爵はそう考えていた。恐らく、渋川大佐も同様に考えていることだろう。

 だが、そうした楽観論に身を委ねようとしていた二人の元に、一人の伝令が飛び込んできた。


「伝令ー! 警視庁庁舎に陣を敷く伊丹少尉殿の部隊、合流遅れるとのこと!」


「どういうことだ!?」


 よりにもよって、蹶起部隊の中で最も寝返る可能性の低いと思われていた伊丹直信の率いる部隊が、ここに来て不穏な動きを見せ始めたのである。

 苛立たしげな渋川大佐の怒声が、庁舎内に響き渡る。


「……」


 一方、桜園子爵も娘の婚約者の日和見ともとれる行動に絶句していた。彼は、武家出身の直信という少年が公家出身である娘の理都子を尊重していることを知っていた。

 武家と公家との結婚では、政略とはいえ価値観の違いから夫婦仲が上手くいかない事例も多いという中で、自分の娘は良い相手に巡り会えたと桜園季邦は思っていたのである。それなのに、あの少年はこの局面になって自分たち桜園家、究極的には自らの祖父である伊丹正信公を見捨ようというのか。


「下士卒たちが怖じ気づいてでもいるのか!?」


 渋川大佐はなおも伝令に状況を問い質そうとしていた。下士官・兵卒たちが宮城を戦場とすることを厭い、直信に抗命しているのかと彼は思っていたのだ。


「いえ、その……」


「報告ははっきりとせよ!」


 言い淀む伝令を、渋川大佐はなおも問い詰める。それで、その伝令も言い辛そうに続きを口にした。


「伊丹少尉殿の部隊は、兵卒たちに朝の配食を終えたばかりで当分は動けぬと……」


  ◇◇◇


「兵卒たちに食事をさせているですと!? そのような言い訳が通用するとでも思っているのですか!?」


 一方、その直信らの拠る警視庁庁舎では、伊丹家に仕える術者・大江綱章が主君・正信の孫に詰め寄っていた。


「実際に食事中なのだから、仕方ない」


 家臣である術者の青年からの詰問に、六家当主の孫たる少年は答える。


「腹が減っては戦は出来ぬと、昔から言われているじゃないか」


 緊張感の籠った声で、直信はそう言い張った。

 庁舎内では、下士官・兵卒たちが異様にゆっくりと握り飯を咀嚼していた。一口一口が明らかに少なく、しかもその一口を延々と咀嚼しているため、当分、配られた握り飯を食べ終わりそうになかった。


「あなたはそれでも、六家を継ぐべき者なのですか!?」


 明らかに詭弁を弄する主君の孫に、大江綱章は叱り付けるように言った。

 この皇都内乱の最終局面に至った段階で、蹶起を主導する伊丹公の孫が戦線を離脱するという裏切り行為に及ぶなど、伊丹・一色陣営の誰も考えていなかったのだ。

 綱章が主君の孫・直信の下に馳せ参じてみればこの有り様であったのだから、彼の怒りと失望はある意味で当然のものであった。

 だが一方で、その言葉は直信の心の深いところ抉った。この家臣たる鬼狩りの術者の末裔は、自分に秋津人同士で殺し合うことが、六家を継ぐべき者の責務であるとでも言っているようなものだったからだ。

 だから六家に連なる少年は、反射的に叫んでしまった。


「六家は秋津人同士を殺し合わせるためにあるんじゃねぇ!」


 この蹶起に感じていた漠然とした違和感と忌避感、そうした鬱屈とした思いが、一気に直信の口を突いて出てしまった。周囲の下士卒たちが、思わずこの少年を見てしまうほどに。


「六家は戦国時代を終わらせるために皇主陛下を盟主に頂いたんだ! なのにあんたは、六家の俺に今の皇国を戦国時代にまで戻せって言うのか!?」


 かつて兵学寮で同期生を手に掛けたこともある少年の叫びは、いっそ悲痛ですらあった。

 だが、大江綱章の方も父・綱道が主命に殉じて死んだ身である。父の死を蔑ろにするような主君の孫の発言に、納得出来るわけもなかった。


「……御館様の大義を理解なされないとは」嘆息と共に、術師の青年は言う。「直信様、貴方も御父君の寛信様同様、六家を継ぐに値しないお方のようだ」


 彼の瞳には最早、直信を主家の人間として敬う意思は浮かんでいなかった。


「ここで結城景紀を討ち、六家体制を終わらせ戦国時代の清算を成す。伊丹家が覇権を確立してこそ、父やこの乱に殉じた者たちが浮かばれるというものです」


 そう言って、大江綱章は家に伝わる霊刀“鬼切丸”を携えたまま直信に背を向けた。

 鬼狩りの末裔たる青年は、もはや主家の少年を将来の主君としては捉えていないようであった。

 それでも、直信はどうしても祖父たちのやり方に納得出来なかったのだ。

 やがて、大江綱章の姿は彼の視界から完全に消えた。


「―――っ」


 声にならない呻きと共に、直信はその場にへたり込んでしまった。家臣とあのような形で対峙した経験は、これまでの十六年の彼の人生の中でなかったからだ。


「直信様!」


 ずっと側で遣り取りを見守っていた理都子が、咄嗟にその体を支えようとする。


「……なあ、理都」


 婚約者の少女に背中を支えられながら、直信はぽつりと言った。


「これで、良かったと思うか?」


 一色公直公より蹶起部隊に宮城への集結命令が出されていながら、直信はそれに従わない決断をした。御所を、皇主を人質に取って結城家領軍と対峙しようなど、最早佞臣・奸臣を芟除するというお題目が恥ずかしくなってくるほどだ。

 実際、直信の配下にある下士卒たちの士気は振るわなかった。

 直信は伊丹家の人間であると共に、一人の将校でもあるのだ。自分の率いる下士卒たちは伊丹家の家臣でも領民でもないが、それでも将校として責任を負う立場である。

 そんな彼らを、皇軍相撃が確定している戦場に連れていくわけにはいかない。

 秋津人同士の殺し合いを厭う直信は、せめて自分の手の届く範囲にいる者たちには、そのようなことをさせたくなかったのだ。

 あるいは渋川清綱大佐に蹶起趣意書と直訴状を祖父に届けて欲しいと言われた時、断るなり破り捨てるなり何なりすれば良かったのかもしれない。

 だから自分も、この乱を引き起こした責任がある。

 その責任感が、少年に祖父への実質的な裏切りを決意させていたのだ。


「直信様は、間違っておられないと思います」


 そっと優しく、理都子は言った。彼女にとっても、秋津人同士の殺し合いは望むものではなかった。


「自分も、先ほど少尉殿が切られた啖呵には感動いたしました」


 どこか子供を見守る親か教師のような口調で言ったのは、直信率いる部隊の先任下士官であった。実際、二〇年近い軍歴を誇るその下士官と直信は、親子ほどに歳が離れていた。


「六家は秋津人同士を殺し合わせるためにあるのではない。六家に連なる少尉殿からその言葉を聞けて、自分は大変嬉しく思います」


 先任下士官は、この少年将校に敬意を示すように敬礼した。わざとゆっくりと食事をとっていた他の兵卒たちも、その手を止めて直信に向かって敬礼した。

 彼らは少年の示した決断に、満腔の敬意を表わそうとしたのである。


「お前たち……」


 自分よりも年上の部下たちの示してくれた態度に、直信の声が震える。彼はへたり込んでしまった己の体を無理矢理に起こし、部下たちの敬礼に答礼した。将校の癖に無様にへたり込んでしまうという醜態を見せながらも、それでも直信は彼らの上官であろうとした。

 手を下ろし、上官としての最後の命令を下すことにした。


「斜め向かいの兵部省に、畑秀之助軍務局長がいるはずだ。この蹶起には加わっていない、伊丹家家臣団出身の将官だ。同期に結城家家臣団出身の川上荘吉軍監本部長がいる。その伝手を使って、兵部省側に投降するんだ。お前たち下士卒は、あくまで巻き込まれた身だ。何かあれば、そのことを強調するんだ。いいな?」


「少尉殿?」


 直信の言葉に、先任下士官が怪訝そうな声を出す。今の彼の言葉は、投降する者たちの中に自分自身は含まれていないように受け取れたからだ。


「俺は、このまま宮城に向かい、一色公と渋川大佐殿の説得に向かう」


「いけません、少尉殿!」険しい声で、先任下士官は叱り付けるように言った。「これは最早狂気の沙汰です! 御所と陛下を人質に徹底抗戦しようとする輩など、放っておきなさい!」


「蹶起の趣意書を爺様に届けたのは、俺なんだ」


 ほろ苦く、直信は笑った。その言葉に、先任下士官は言うべき言葉を失った。


「だから俺には、この動乱を始めてしまった一人としての責任がある」


 絶句している部下を置き去りに、直信は警視庁庁舎の出口へ向かおうとする。


「直信様」


 その前に立ちはだかったのは、理都子であった。だが彼女は、直信を止めようとしたのではなかった。


「私も、お供いたします」


「……」


 一瞬、直信は無理でも彼女をここに残しておくべきか迷った。

 本音を言えば、理都子も兵部省に保護してもらいたい。だが、彼女は自分の婚約者で、実家である桜園子爵家もまた、蹶起側として、伊丹閥として行動している。

 上官の命令に従っていただけの下士官と違い、もし結城景紀が皇都を奪還した場合、彼女も彼女の実家も処断されることは免れないだろう。

 だとすれば、彼女の好きなようにさせても良いのではないか。

 いや、それも言い訳か、と直信は思う。自分はただ、一人で宮城に向かうのが怖いだけなのだ。

 自分を慕ってくれてる少女に甘えていることは判っている。それでもこの騒擾の中で不安と孤独を抱えていた直信にとって、桜園理都子という存在はそれを多少なりとも癒してくれる存在であった。


「……理都、すまない」


 だから結局、直信は理都子に甘えてしまった。そんな将来の夫に対して、公家の少女は優しく叱るように言う。


「直信様、そういう時は謝るのではなく、礼を言って欲しいです」


「……そうだな。ありがとう、理都」


 そんな少女の気遣いに、直信の顔にも若干の笑みが戻る。


「最後まで、付き合ってくれ、理都」


「はい、直信様」


 そう言って理都子は、嬉しそうな表情を浮かべていた。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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