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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十二章 皇都内乱編

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239 和睦の贄

 景紀のことをもっと明確に止めるべきだったと、結城景忠は後悔していた。

 止める機会は、いくらでもあったはずだ。葛葉冬花が長尾憲隆公爆殺を報せた時、自分たちが皇都を脱出する時、そして河越に辿り着いた景紀と再会した時。

 だが、そのどの機会も、自分は逃してしまった。

 長尾憲隆公爆殺の報せから景紀は冷静さを失っていたように見えるが、自分自身もまた果断さを欠いていたことを、景忠は自覚していた。しかし、六家当主が白昼堂々その嫡男や家臣諸共に爆殺され、さらにはそれを契機とするように一部の陸軍部隊が蹶起するなど、景忠は予想もしていなかったのだ。

 不逞浪士取り締まりに関する六家間の合意もまとまり、ようやく皇都の治安を回復させる目途がついた時期だったのである。五摂家側に六家間の合意を妨害しようとするような言説が見られたものの、六家が合意に至った以上は大したことにはなるまいと、この結城家現当主は考えていたのだ。

 そうしたところに突然飛び込んできた凶報は、まさしく景忠にとって青天の霹靂であった。

 一度は収まりかけた六家間の対立を、この事件が再燃させかねない。景忠は、報告を受けた瞬間にそう直観した。

 景忠が望むのは、安定的に景紀に当主の座を引き継がせることである。たった一人だけ成長することが出来た己の子供に当主の地位を継がせたいと思うのは、親として当然の心であろう。

 しかし、景紀は兵学寮で首席を取り、自分が病に臥せっている間は当主代理を務めてくれるなど、その能力に不安はないのだが、いかんせん、他者との対立を生み過ぎていることが父親として気掛かりであった。

 幼少の頃は葛葉の娘を庇おうとするあまり従兄の景保や家臣団の子供たちと対立し、兵学寮卒業後はその葛葉の娘を重用し過ぎるあまり自分の側用人である里見善光と対立し、さらには当主代理を務めていたときは伊丹・一色両公と対立した。

 もちろん、自分自身も異母弟の景秀との対立を続けている立場ではあるが、景紀のように結城家の内にも外にも敵を作るようなことはしていない。

 幼少期からそれほど兄弟仲が良いとは言えなかった自分と異母弟・景秀との対立が深まったのは、自分の子供が次々と夭折して景秀が次期当主の座を窺い始めたあたりであった。

 だからこそ景忠は、景紀へと安定的に当主の座を渡せるよう、結城家の外に敵を作るようなことは極力避けてきた。

 かつて六家長老・有馬頼朋翁に息子・景紀を紹介して、いざ景秀・景保親子との間でお家騒動が起こった際の後ろ盾となってくれるように人脈を作ったことも、そうしたことの一環であった。六家次期当主としての能力に不足のない息子は頼朋翁に目をかけてもらえるようになり、実際、自分が病で倒れていた間、頼朋翁の存在は景紀の実質的な後ろ盾として機能してくれていたようである。

 しかし、攘夷論の高まりとその頼朋翁が倒れてしまったことで、景忠の目論見は大きく狂うことになってしまった。

 今や実質的な六家長老は伊丹正信公となり、彼が次世代の六家を担う者として目をかけているのは一色公直公である。そして、その両公から景紀は敵視されている。

 異母弟・景秀は伊丹・一色両公に接近し、その嫡男・景保は結城家家臣団出身の青年将校たちの間で支持を広げているという。

 最早、息子である景紀の立場は、結城家の中でも外でも極めて不安定なものとなってしまったと思わざるを得なかった。

 だというのに景紀は、皇都での騒擾に対して強硬な姿勢を示していた。それが六家の対立を激化させ、結城家の結束を不安定なものとさせ、そして息子自身と宵姫、その腹に宿った子の命を危うくさせるものだと、景紀自身も判っているだろうに、止まろうとしない。

 それは、葛葉の娘を虐めていた家臣団の子供たちを叩きのめしていた子供の頃と同じ態度であった。あの頃から、息子の心は成長していないのではないか。そんな疑念すら、景忠は抱いてしまう。

 景紀に折れる形で景忠が皇都からの脱出を決意したのは、景紀も河越に帰って宵姫の顔を見れば、少しは冷静さを取り戻してくれるのではないかと期待していたからだ。

 しかし、それは淡い期待であった。

 自分が今後、結城家としてこの騒擾に対しとるべき態度について懊悩しているうちに、景紀は領軍を動かしてしまったのだ。

 病の後遺症か、あるいは単に歳を取ったからなのか、六家当主として自分自身の果断さが失われていることを、景忠は痛感せずにはいられなかった。もっとも、息子の景紀が果断に過ぎるという面もあるのだろうが。

 そうしたところに、伊丹・一色両公からの使者はやってきた。

 使者からの書状、そして伝えてきた言葉から、景忠は両公もまた皇軍相撃とそれによる皇都の焦土化を望んでいないことを知った。

 すでに河越の城と城下町は空襲を受け、伊丹・一色両公が皇都に衛戍する部隊の大部分を掌握しているであろうことは容易に推測が出来た。

 何せその使者は、「刑部宮令旨」なるものまで携えていたのだ。

 この段階で、景忠は結城家が伊丹・一色両家に対して政治的に敗北したのだと思い知らされた。だからこそ、早急に和睦を結ぶことを決意したのである。

 そして、景紀が葛葉冬花に命じて、伊丹・一色両公を呪殺しようとした疑いを告げられたことも、景忠の心を揺るがした。

 景紀への安定的な当主位の継承は、最早望めない。ならば、たった一人成長することが出来た己の子供には、せめて生きていてもらいたい。そうした親心が、景忠の胸中を支配したのである。

 彼自身としても、苦渋の決断ではあった。

 しかし、景忠は結城家当主として、結城家そのものを滅ぼすわけにもいかない立場にある。彼は家臣団とその家族、そして領民に対しても責任を負っているのだ。このまま景紀が領軍を掌握したままでは、結城家そのものが逆賊とされてしまう。

 だからこそ景忠は自身の名で領軍に進撃停止命令を出し、そして武装解除などの要求があった場合にはそれに従うように命令を出したのである。

 だというのに、景紀の直率する騎兵第一、第二旅団、そして独立混成第一旅団を中核とする部隊は、皇都衛戍部隊からの武装解除要求を拒絶したという。

 景忠は改めて、当主である自身の命令に従わない将兵は謀反人として討伐の対象とするという通信を、葛葉英市郎に発信させざるを得なかった。

 景紀は、そしてそれに従う将兵は、自分たちが皇都を掌握し、天下を取れるかもしれないという幻惑に目がくらんだのだろうか。

 あるいは、景紀の側に付いている穂積公爵家の妾腹の子・貴通が息子を唆したのか。貴通は穂積公爵家を継ぐという野心はないと自分には言いながら、本心では景紀を利用して実父を追い落とそうとしていたのではないか。

 そんな疑念すら、景忠の胸のうちに湧き上がってきてしまう。


「善光よ」


「はっ」


 自身の重用する側用人・里見善光に、景忠は言った。


「宵姫を、連れてきてくれ。彼女の言葉ならば、景紀を翻意させられるかもしれんからな」


 自分の言葉が息子に届かないのならば、宵姫に頼るしかない。

 景忠は未だ尽きぬ苦悩と懊悩の中で、側用人にそう命じるのだった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 暗い牢の床の上で、冬花は体を覆う倦怠感と共に目を覚ました。


「うっ……」


 体には、未だ鈍い痛みが残っている。しかし、伊丹家の隠密衆たちはひとまず木馬から降ろして自分を牢の中に放り込んだのだろう。

 牢の中にあるのは、寝具代わりだろう一枚の粗末な(むしろ)と、排泄用の桶だけであった。

 傷付いた裸身を引き摺るようにして、冬花は牢の隅で蹲るようにその筵に身をくるんだ。荒く編まれた筵は肌をちくちくと刺すが、身を守るものが何もない心細さには耐えられなかった。

 手足には未だ封印のための呪文が施された鉄の枷がはめられ、牢内の壁や格子にも冬花の呪術と妖狐の血を封じるための呪符が貼り付けられている。


「大丈夫、まだ耐えられる……」


 自分の声に、黒い夢に囚われる前には失われていた意志の力が、かすかに戻っていることに冬花は気付いた。あの夢の中で、景紀に出逢えたからだろう。

 なんて現金な女なんだろう、とシキガミの少女は口元に苦笑を浮かべた。

 格子の外を見ると、自分をあの黒い夢の中を見せた小柄な女術者の姿は消えていた。

 自分は大江綱道を討ち取り、大江綱章は縮地の術に自らの肉体が耐えられずに半ば自滅した。今、伊丹・一色陣営の高位術者の数は不足しているに違いない。だから、自分に悪夢を見る術を施しておきながら、その効果を見届けることなくこの蔵から姿を消したのだろう。

 そうでなければ、あの女術者は黒い夢の中で自分が夢の中に迷い込んだ景紀と再会することを、絶対に阻止しようとしていたはずだ。

 あの八束いさなという術者は、景紀の実母・久と共に皇都屋敷に籠る自分の母・若菜と浦部伊任を始めとする宮内省御霊部の術者全員を牽制し、さらに飛び交っているであろう呪術通信まで妨害することで忙殺されてしまっているのだろう。

 自分は間違いなく、殿としての役目を十分に果たせた。

 そう、少しだけ前向きな考えが出来るようになった。

 景紀には、かつて自分と宵姫が(しゅ)を込めたお守りを今も身に付けている。そのお守りは、伊丹・一色陣営の高位術者から彼の身を守ってくれるはずだ。


 それに―――。


 冬花は、別れ際に景紀と交わした口付けを思い出す。

 あの口付けの意味を、景紀は判ってくれただろうか。ただ思慕の念を伝えるためだけに、自分は唇を重ねたのではない。

 意識すれば、景紀の肋骨を埋め込んだ己の脇腹が軽い疼きを発している。自分と景紀との霊的な契約、そして繋がりは絶えていない。

 なら、()()()()()()()()()()()はずだ。


「……宵姫様、貴通様、どうか、若様のことをお願いします」


 黒い夢の中で、景紀には伊丹・一色両公に勝ってくれと告げた。だから冬花は、自分の代わりに景紀を支えてくれるだろう二人の少女に向けて、祈りの言葉をそっと呟いた。






 そして、どれほど牢の隅で筵にくるまりながら体を休めていただろうか。

 冬花の頭部から生える狐耳が、複数の足音を捉えた。

 牢の高い位置にある窓からは、未だ一条の朝日すら差し込まぬ暗い空がかすかに見えている。

 不覚にも、冬花はかすかに身を震わせてしまった。未だ、昨日受けた拷問の記憶と痛みは鮮明に脳裏に焼き付いている。シキガミの少女は、カタカタと音を立てそうになる歯を必死で食いしばった。


「……大丈夫。景紀と約束したもの」


 一度ぎゅっと目をつむり、夢の中で逢えた景紀との会話を思い出す。どうしたって、今の自分に縋れるものはそれだけなのだ。

 うるさく脈打ち始めた心臓を落ち着けるようにゆっくりと息を吐いて、目を開ける。

 まだ、自分は耐えられる。耐えなくてはならない。

 牢の格子の前に、昨日、冬花に対する責問を行っていた伊丹家隠密衆たちが現れる。あの小柄な女術者の姿は、やはりなかった。


「……目覚めては、いるようだな」


 これまで拷問を指揮していた男が、牢の中の冬花を覗き込んできてそう言った。


「結城景忠公は、我が伊丹家および一色家との和睦を決定したようだ」


 拷問吏は、昨日と同じく淡々とした声で告げてくる。


「そして、皇都へと越境侵攻した結城家領軍に対し、停止命令と我らの武装解除要求に応じるよう、命じたそうだ」


 それは、黒い夢の中で景紀からも聞いていたことだった。この伊丹家隠密衆の男は、冬花が見ていた夢の内容を知らないらしい。それはつまり、この隠密衆の拷問掛たちと八束いさなという術者の連携が不十分であることの証拠でもあった。

 やはり、伊丹・一色陣営側は高位術者が不足して、様々な対応に限界が生じているようだ。


「だが、結城景紀とその麾下部隊は当主である景忠公からの命令を拒否した。これで貴様の主は、逆賊と謀反人、二つの罪を背負うことになった」


 それでもなお、この拷問吏の男は自分たちの陣営の優位を疑っていないようだ。

 実際、景忠公が和睦の決意を見せてしまった以上、客観的に見れば政治的にも軍事的にも追い詰められているのは景紀の方だろう。

 だけれども、冬花は自身の仕えるべき主の勝利を信じている。敵である者たちの言葉に、心は揺るがない。


「当初は新海諸島への島流しで済ませようとしていた公爵閣下であるが、最早こうなっては結城景紀は逆賊として、謀反人として討伐せざるを得ないだろうな」


 そうやって揺さぶりをかけてくる男の言葉に、冬花は無言であった。


「朝になれば、公爵閣下と一色公、そして結城公との間で和睦の会談が始まる」


 朝まであとどれくらいの時間があるのか、冬花には判らない。それでも、鋭敏な聴覚を持つ彼女の狐耳は、男の言葉に宿る焦燥に気付いていた。

 自分たちの優位を確信しつつも焦燥感を覚えているという矛盾は、ある意味で滑稽ですらあった。


「小娘、貴様にはその席で我が主と一色公に対して結城景紀が呪詛を企てていたと証言してもらう」


「断る」


 昨日よりも声に力が戻っていたからか、拷問掛の男たちが怪訝そうな顔をしていた。恐らく八束いさなから、過去の辛い場面を繰り返し夢として見せる術を掛けたことで精神的にも追い詰められているはずだとでも伝えられていたのだろう。


「……結城景紀を庇うのならば、貴様も逆賊であり謀反人ということになる」


 男が、怪訝そうな表情を険しいものに改めて言った。


「私の主は、結城景忠公じゃない。結城景紀様だ」


 赤い瞳で、冬花はその男を見返した。


「ふん、まだ強情を張るか」


 男は、部下たちらしき男たちに目配せをした。牢の鍵が開けられ、男たちが入ってくる。当然、牢の壁を背にしている冬花に逃げ場はない。筵を剥ぎ取られ、二人の男に両腕を掴まれて立ち上がらされ、そして引き摺られるようにして格子の外に出される。

 昨日、拷問を指揮していた男が、改めて冬花の前に立った。


「貴様が結城景紀を庇いたいのであれば、一つだけ方法がある」冷厳な声で、その男は続けた。「呪詛は、貴様が主君を思うあまり独断で行ったと言うのならば、結城景紀の罪も多少は軽くなろう。あるいは、妖狐として貴様が結城景紀をたぶらかしたのだと言えば、な。そうなれば、結城景紀は狐に憑かれたとして一生を寺の中で過ごすことになろうが、まあ、生きてはいられよう」


「そんなことを、私が言うとでも?」


 はね除けるように冬花がその男を睨めば、男は威圧的な口調で告げた。


「どうやら貴様は、昨日、我らが貴様をどう扱ったのかを忘れたようだな」


 男は両脇から腕を掴まれている冬花の右手の人差し指を掴んだ。そして確認するように一瞬、少女と目を合せた。


「こうすれば、少しは思い出すか?」


 次の瞬間に響いたのは、小枝が折れるような乾いた音。


「―――っ!?」


 激痛が冬花の全身を駆け巡り、反射的に体が跳ねる。それでも、意地で悲鳴だけは耐えた。

 指を折られた激痛は、シキガミの少女の脳裏に昨日の拷問で受けた苦痛の記憶を鮮明に蘇らせた。今すぐ男たちの腕を振り解き、逃げ出したいという思いに一瞬、体が支配される。


「こらっ! 暴れるな!」


 だが、冬花を掴んでいた二人の男に、その体を押さえ込まれた。その頭上に、拷問を指揮する男の嘲るような声がかけられる。


「ふん、持ち直したように見えても、やはり痛みには耐えられまい」


「だま、れ……!」


 額から脂汗を流しながら、冬花は必死で吠えた。こんな最初から、耐えると言った景紀との約束を違えるわけにはいかない。


「まあいい。おい、お前たち。小娘を責問の間に連れて行け」


「はっ!」


 両腕を掴んだ男たちに引き摺られるように連行されながら、冬花はぎゅっと唇を引き結んだ。

 景紀は、父であり当主である景忠からの命令を無視してでも、戦い続ける決意でいる。ならば彼のシキガミたる自分も、こんなところで心折れるわけにはいかない。

 冬花は景紀と再会出来るはずの少し先の未来を胸の内に描きながら、ともすれば男たちの腕を振り払って暴れ出し、叫び出したい己の中の弱い部分を必死で押さえ込もうとしていた。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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