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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十二章 皇都内乱編

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234 裏切り

 ばしゃりと、氷のように冷たい水が頭上から浴びせられた。


「うっ……」


 意識が無理矢理覚醒させられ、冬花は反射的な呻き声を上げた。


「目は覚めたか?」


 冷厳ともいえる声が、少女の上から降ってくる。


「……」


 だが、その問いかけに冬花は答えなかった。答えるだけの気力が、最早湧いてこないのだ。

 市中引き回しから伊丹家皇都屋敷の蔵に戻された冬花を待っていたのは、伊丹家隠密衆による石抱き責めであった。

 引き回しから戻った直後、気付のための梅干しが入った飯を与えられただけで、ほとんど休息らしい休息は与えられなかった。


「そうまでして結城景紀に尽くそうとしたところで、お前の苦しみは増すばかりでしかなかろう。お前を見捨てた主君に、お前が忠義を尽くす義理があるとは思えんな」


 拷問を指揮する男はそう言って冬花に揺さぶりをかけてくるが、その赤い瞳は虚ろな光を宿したままだった。

 拷問は基本的に、相手を殺さないように休息や治療を挟みながら行う。しかし、冬花は妖狐の血を引いているという体質故に、回復が常人(ただびと)よりもはるかに早かった。

 午前中に行われた笞打ちの傷はすでに完治してしまったこともあって、伊丹家隠密衆の責問を担当する者は、引き回しのために一時中断していた拷問を即座に再開することにしたのである。

 主君・伊丹正信による宮中工作が思うように進まない中で、葛葉冬花から結城景紀に対する讒言を引き出すことは、彼らにとっても急務であると言えた。

 だが、市中引き回しで完全に心が打ちのめされてしまったように見える少女は、それでもなお彼女にとっての主君・景紀を売るような言葉を発しようとしなかった。


「やむを得ん。もう一枚足せ」


 拷問を指揮する男は、部下たちに対してそう命じる。

 石抱き責めは、十露盤(そろばん)板と呼ばれる三角形の木を五本打ち付けた敷板の上に受刑者を正座で座らせ、その足の上に重さ約五〇キロの石を一枚ずつ積み上げていくという拷問である。

 着衣をすべて奪われて縄で縛められている冬花の足の上には、すでに三枚の石が載せられていた。五本並べられた三角形の木が脛に食い込み、皮膚を破って敷板に血を染み込ませている。

 受刑者はおおむね石を三枚載せられたあたりで苦痛のあまり意識が朦朧とし、喘鳴を漏らし始める。そこで、意識を覚醒させるために冷水を浴びせたり、あるいはさらに激しい苦痛を与えたりして、拷問を行う者たちは受刑者に自白を迫っていく。

 実際、いかに妖狐の血を引いていようとも、責め苦による痛みは冬花の限界を越えていた。


「ぁっ、ぅぁっ……!」


 四枚目の石が載せられた衝撃が体を突き抜け、シキガミの少女の漏らす喘鳴の中に苦痛の呻きが混じる。もはや叫ぶだけの気力も体力も奪われて、冬花はぐったりと首をうなだれる。


「……」


 冬花の様子を、拷問を指揮する男は慎重に観察する。石の重みで足が青白くなっていき、それが腰の方にまで回ってくると拷問は中止しなければならない。そうでなければ、相手を殺してしまうからだ。


「ゆすれ」


 しかし、まだ責問を継続出来ると判断し、男は部下たちに新たな指示を下す。彼らは四枚に重ねられた石を揺り動かした。


「うぁ、ぁっ、うぁ、うぁあああああああっ……!」


 途端、足を骨ごと削られるような激痛に、息を吹き返したかのように冬花の口から絶叫が迸る。


「いい加減、諦めろ。丸一日経とうとも、お前の主君はお前を救いに来なかった。それが、お前に対する結城景紀の答えだ」


「ぅ……ぁ……」


 景紀は助けに来ない。そんなこと、冬花には判っていた。

 景紀には、冬花よりも優先すべきものがある。彼は、結城家次期当主なのだ。いずれ領軍を率いて、皇都を奪還しようとするだろう。

 そのために、冬花の主君は冬花を犠牲にすることを選んだのだ。

 しかし、景紀にとって冬花が不要になったから殿を任されたわけではない。冬花の忠義を、術者としての力を、景紀が認めていたからこそ彼は自分に殿を命じたのだ。

 激痛で途切れ途切れになる思考の中で、そう冬花は思っていた。

 だから自分は最後まで彼のシキガミであることを貫く。

 そう何度も、冬花は自分に言い聞かせていた。絶対に、景紀を売るようなことは言わない。

 だが、市中引き回しで打ちのめされてしまった少女の心は、そうした気丈さをすでに保てなくなっていた。


「たす……けて……」


 気の狂いそうになる痛みの中で、冬花の口からか細い声が漏れる。


「たすけて……、かげのり……」


 縋るような懇願は、本当に届いて欲しい相手には届かない。身も心も打ちひしがれてしまった冬花の弱々しい声は、ただ虚ろに蔵の中に響くだけだった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 接見の間から退出した鉄之介であったが、その胸中は依然として晴れないままであった。

 娘が景紀のために殿を務めて安否不明となっているというのに、父親の態度に娘を心配する気配がないことも気に喰わなかった。

 父は以前から姉の冬花が戦場で爆裂術式を使ったことを陰陽師としての価値観に背くものだとして、快く思っていない。冬花の方も何となく父に顔を合せ辛くなっていたのか、帰国以来、景紀の側に付き付き従うばかりで、ほとんど父の近くに寄りつかなくなっていた。

 もしかしたら父は娘が若君を逃がすために名誉の死を遂げていることを密かに望んでいるのかもしれないとまで考えてしまう。

 焦燥と苛立ちを抱えたまま本丸表御殿を後にしようとした鉄之介に、声をかける者があった。


「葛葉鉄之介」


 廊下の影から声をかけてきたのは、宵の護衛を務めている忍の少女・風間菖蒲であった。今までどこかに消えていた彼女がどうして今、自分に声をかけてきたのか。


「んだよ」


 思わずささくれ立った気持ちのまま、陰陽師の少年は応じてしまった。菖蒲はそんな彼の心情に特段の反応を示すことなく、事務的な口調で告げた。


「姫様がお呼びよ。付いてきなさい」


 そう言うと、鉄之介の反応を待たずに御殿の廊下を歩き始めてしまう。

もちろん、宵姫が呼んでいるとなれば、鉄之介としても付いていかないわけにもいかない。彼は舌打ち一つを残して、黒装束の女忍の後を追った。






 結城家当主一家の私的空間である奥御殿に、鉄之介は導かれた。

 奥御殿に入るのは初めてではないが、次期当主である景紀の側近を務めている冬花のように自由に出入り出来る立場ではない。

 宵姫の居室まで辿り着くと、菖蒲が鉄之介を連れてきたことを告げる。中から入室を許可する宵姫の返答があってから、菖蒲は襖を開けた。

 部屋の中では宵姫が一人、端然として座っていた。


「ご苦労でした、菖蒲殿」


 北国の姫は常と変わらぬ淡々とした口調で、そう言った。


「あなたは下がって結構です」


「はっ、失礼いたします」


 菖蒲は鉄之介の入室を見届けると、静かに襖を閉めた。

 御殿の庭園に面した障子なども閉め切られており、部屋は実質的に密室状態であった。男である自分が次期当主正室とこのような空間で二人きりになっていいのかと、鉄之介はどこか落ち着かない気分であった。

 宵姫が視線で座るように促してきたので、ひとまず畳の上に腰を下ろすことにした。


「あなたが景紀様をお守りして河越まで辿り着いたことについて、未だ面と向かって労っていませんでしたね。景紀様の室として、鉄之介殿の忠義を嬉しく思います」


 やはり宵姫の口調は、普段通りの抑揚に乏しいものであった。そのため、景紀のことということもあって、鉄之介としては労われても面はゆくも何ともない。


「周囲から何かと冬花様と比較されて、あなたのことを未熟者と思っている者もいるようですが、私はあなたの呪術師としての技量を評価しています」


「……そうかよ」


 思わずぶっきらぼうな声が口を突いて出た。宵姫も先ほどの景忠公と同じような話し方をしているので、鉄之介としてはどこか失望した思いを抱いてもいた。

 彼女ならばもっと明快な方針を示してくれるのではないかという、淡い期待があったのだ。

 しかし宵姫は所詮、次期当主正室でしかない。景忠公がいる以上、その方針に従う義務が彼女にもある。鉄之介は宵姫に対する不満を口にしそうになるのを、ぐっと堪えていた。


「八重さんとの関係も良好ですし、そう遠くない内に葛葉家に新たな術者が誕生するかもしれませんね。八重さんは子供が生まれたら景紀様のお子のシキガミにするのだと言っていますから、新たに生まれるだろう二人が仲良くなることを私としても願っています」


「……」


 何故ここで鉄之介の心を掻き乱すようなことを言うのか、判らなかった。景紀のシキガミである姉はどうなったか判らず、八重もまた反乱軍の包囲下にある女子学士院に留まっている。

 このような状況で子供の話をされても、焦燥ばかりが募るだけであった。


「その上でお尋ねいたしますが」


 刹那、宵姫のまとう雰囲気が変わった。淡々と話す人形のような態度から、周囲を凍てつかせる雪女のような態度に変わったのである。それはある意味で、この姫君がこの場で見せた初めての人間的な態度であった。


「先ほどの接見に参加して、鉄之介殿は景忠公についてどう思われましたか?」


 一瞬、自分よりも小柄な少女の雰囲気に圧倒されそうになる。


「お、俺としては……」


 何と言うべきか、迷う。どれほど不満があるとは言っても、相手は主家の当主なのである。


「嘘や世辞は不要です」だが、宵はそんな鉄之介の内心を見透かすように告げてきた。「あなたがどのような本音を抱えていようとも、私は一向に構いません」


「……っ」


 今までぐっと堪えていたものが一気に湧き上がり、先ほどとは別の意味で言葉に詰まった。


「……正直、あれが六家当主としての態度かって思う」


 そして、宵姫に促されるようにして、鉄之介は本心を口にしてしまった。だが、一度口にしてしまうと止めることは難しかった。


「姉上は、景紀のために命を投げ出したんだぞ。あいつだって、姉上の犠牲に報いようって決意を固めているんだ。なのに何で、結城家の当主が家臣の献身を無駄にするようなことをするんだよ。だいたい、伊丹公や一色公と、どうやって和議を結ぶんだ。もうこっちは領軍を動かしちまってるんだ。勝つか、賊軍になるか、どっちかしかないだろうが」


 ぎゅっと鉄之介は膝の上で拳を握りしめた。爪が、手のひらに食い込む。


「伊丹・一色両公の要求は、景紀様の廃嫡と新海諸島への追放、そして景忠公の隠居と景秀卿へ家督を譲ること、要約すればこの四つです」


 宵姫は冷たい空気をまといながらも、口調はなおも淡々としていた。感情が声に乗ってしまう鉄之介とは、対照的であった。


「もし六家相克を回避すべく両公と和議を結ぼうとすれば、最低限、景紀様の廃嫡は必須条件でしょう。有馬頼朋翁のいぬ今、両公にとって政治的に敵対しているのは景紀様しかおりませんから。そしてそれは、結城家の伊丹・一色両家への屈服を意味します。景忠公は景紀様が逆賊として追討されないのであれば、そして生きているのであれば、景紀様が島流しになってしまうことを一人の親として受け入れるつもりのようです」


 接見が始まる前、宵姫は一度御殿の奥に姿を消していた。そこで、景忠公から伊丹・一色両公の使者が告げた要求事項と景忠公の決断を聞かされたのだろう。


「しかし現在、景紀様に率いられた領軍は皇都中心部に迫りつつあります。一度振り上げた拳は、叩き付けねば収まりは付きません。しかるに、景忠公にはその決意はないご様子」


 冷たい空気をまとう宵姫の中で、瞳だけが異様な炎を帯びているように感じられた。


「ですから、私は決意しました。近日中に、景忠公を廃立します」


 その宣言は、今までの口調と同じく淡々とした口調で告げられた。

 鉄之介の息が、一瞬だけ止まる。この姫様が、御館様を廃立する……?


「……流石に、冗談がきついぜ」


 口の中に渇きを覚えながら、鉄之介は引き攣った笑みを浮かべた。


「大寿丸の時も、そうやって……」


「私がいつ、冗談を言いましたか?」


 だが、鉄之介の言葉を遮って、宵姫の口調は氷点下の温度で告げる。

 そこでようやく、鉄之介は何故宵姫が襖や障子を閉め切った部屋の中に自分を招き入れたのかを理解した。

 これは、謀反の謀議だ。


「……それは、謀反ってことだ。そんなことをして、あんたは……」


「ええ、私の行いは立派な謀反でしょうね。しかし、私は景紀様に河越のことは任せて下さいと言いました。その言葉を、違えるつもりはありません。景紀様の御為に、我が名を汚してみせましょうとも」


 苛烈な光を宿す姫君の瞳が、容赦なく鉄之介を射貫いていた。

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