233 相反する決断
だが、景紀と貴通の当初の構想であった夜襲計画は、独立歩兵第一連隊連隊長・宮崎茂治郎大佐の反対によって中止となってしまった。
夜襲には騎兵第一旅団の島田富造少将も当初は賛成していたのであるが、最終的に三人は宮崎大佐の懸念を容れる形となった。
十八日夕刻までに独立歩兵第一連隊の兵力は次々と到着する列車によって一五〇〇人にまで増強されていたが、問題は彼らが皇都の地理に不案内なことであった。
夜襲となれば、当然、昼間の戦闘以上の混乱が生じることになる。皇都の兵学寮で五年間を過ごした将校はともかく、皇都の地理を十分に把握出来ていない下士卒たちにとって、皇都中心部への夜襲の敢行は種々の困難が伴うと宮崎大佐は主張したのである。
特に宮崎大佐が懸念していたのは、下士卒たちが皇都の街並みの中に迷い込んでしまうこともそうだが、敵の識別に困難が生じてしまうことであった。
味方の識別については白襷を将兵に掛けさせることで解決出来るが、夜の闇の中で反乱軍将兵と民間人の区別が付かず、誤射が頻発する可能性を宮崎大佐は景紀たちに説いた。実際、反乱軍と結城家領軍が対峙する不穏な情勢から、避難を試みようとする皇都市民たちも生じ始めている。
これが夜間となれば、結城家領軍の将兵、反乱軍の将兵、夜陰に紛れて皇都からの脱出を図ろうとする避難民が識別困難なまま入り乱れることになってしまう。
結局、景紀も貴通もこの進言を受け入れることとした。実際のところ、二人とも反乱軍撃滅と宮城突入という目的にばかり囚われて、いささか視野が狭くなっているきらいがあった。
時間が経つほどに領軍将兵の士気は低下するだろうとの予測、伊丹・一色両公に詔勅が下り自分たちが賊軍とされてしまうのではないかという焦燥、そして冬花の市中引き回しなどの情報に接していた所為で、いささか冷静さを欠きつつあったのである。
ある意味で宮崎大佐の進言は、そうした彼らに一時的な冷静さを取り戻す切っ掛けにもなったといえよう。
「貴通、例の作業はどこまで進んでいる?」
だがもちろん、夜襲が中止となったからといって景紀がそれで宮城突入を断念したわけではなかった。
「工兵隊によれば、何とか明日の朝、遅くとも〇七〇〇時までには作業を完了させるそうです」
夜襲が失敗に終わった時に備えて、次善の作戦なども当然用意していた。
もっとも、夜襲が失敗した段階で領軍将兵の士気は崩壊する可能性が高く、景紀と貴通は一度の敗北すら許されない立場に置かれているといえた。夜襲中止の件も含めて、皇都に領軍を入れることの難しさに二人は直面していたのである。
そして夜襲中止の決断を下した以上、次の作戦の準備に取りかかるのは当然であった。
「明日の朝、か」
貴通からの報告を聞いて、景紀はかすかに眉を寄せた。
「そこまで持つか?」
何が、とは言わなかった。時間は、自分たちにとって常に敵なのだ。
このまま反乱軍と対峙している状況が続けば続くほど、下士卒の中で皇軍相撃への躊躇いは膨れ上がっていき士気は低下していく。
そして伊丹・一色両公が宮中や諸侯への工作を進め、自分たちに有利な詔勅を得る可能性も高まっていく。
それでなくとも、河越にいる父・景忠が伊丹・一色両公に譲歩する形で和議を結ぶ決断を下す可能性があるのだ。
時間は、短期での軍事的決着を目指す景紀と貴通にとって、ある意味では反乱軍以上に厄介な相手であった。
「持たせるしかありません」流石の貴通も、そう言うしかない。「いざとなれば浦部御霊部長を説得して、翼龍で宮城に乗り込む策を本気で選ぶしかありません」
「ああ、判っている」
「ここが皇都でなければ、反乱軍が多銃身砲を据えている橋に火を掛けた船を突っ込ませたんですが……」
結局のところ、景紀たちが宮城突入を目指す上で最大の軍事的な脅威と見なしているのは、要所に据えられた多銃身砲の存在であった。これをいかに無力化するかが、突入作戦の焦点であるともいえた。
そして貴通の言う通り、これまでに徴発した川蒸気を中心とする船に火を掛けて多銃身砲陣地を構築している橋に突入させるという策は、皇都に大火をもたらしかねないとして最初から選択肢より外していた。
もし結城家領軍の行動で皇都が炎に包まれれば、たとえ宮城に突入を果たせたとしても結城家側の正統性を確立するのは難しくなる。
その意味では、軍事的決着を目指す景紀の側も、伊丹・一色陣営と同じく正統性の確立という政治的な束縛からは逃れられていないといえた。
「もしくは運河を船で進めれば皇都中央駅のすぐ東側か宮城北側に出られるんだが、運河が狭いのが難点だな」
「一本棒になって進めば、結局、敵の餌食になるだけですからね」
川蒸気などの船を用いた迂回突破という策も、宮城突入という作戦目標からすると限界があった。運河の幅が限られているため、大兵力を船で輸送しようとした場合、隊列が一列となりかえって敵に射撃の標的を与えるような形になってしまうのだ。
あくまでも、当初の構想通り、陽動作戦程度の利用に留めるべきであった。
「とにかく、総攻撃は明日に持ち越しだ。今、俺たちの手元にあるあらゆるものを利用して、反乱軍の防衛線を突破するぞ」
様々な困難を予測しつつも、景紀は宮城突入への決意を固めていた。
「はい、明日、決着をつけましょう」
そして貴通も、彼の軍師としてその決意に応じるのだった。
すべての決着は明日。その思いと共に十八日の夕刻は過ぎ、皇都は騒乱から二度目の夜を迎えつつあった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
十八日未明に空襲を受けた河越城は、この日さらに二度、敵龍兵の来襲を受けた。
しかし、その時には結城家側の龍兵も城の防空のために備えており、来襲した敵騎の迎撃に成功している。結果、河越上空で龍兵同士による相応の規模の空戦が繰り広げられ、結城家側はその内の何騎かを撃墜している。城や城下町の被害も、第一次空襲の時に比べれば極めて限定的であった。
ただし、それでも河越が反復して空襲を受ける可能性が生じているということは、一部の者たちに大きな心理的影響を与えていた。
また、結城家側の翼龍もいつ敵騎の来襲があるか判らないため常時、上空に上げておかざるを得ず、交代制をとっていても翼龍の疲労は増していき、時間と共に飛ばせる翼龍の数は低下していった。
そうした緊迫感を抱えつつも、宵の空襲を受けた者たちへの見舞いに行くことという決意は変わらなかった。次期当主正室としての責任感もあるが、何よりも景紀の皇都進撃を支えるためには結城家の指導力・統治能力が健在であることを家臣や領民たちに示す必要を感じていたからだ。
皇都へ進撃する景紀率いる領軍の兵站に万全を期すためには、領内からの支援が欠かせない。これは皇国陸軍としての軍事行動ではなく、あくまで結城家としての行動であるのだから当然であった。
領内から皇都への食糧の出荷を停止し、領内の私鉄網を中心に鉄道輸送を結城家の指揮下に置くなど、結城家領は明確に内乱への備えを進めていた。
未明から三度、龍兵の来襲を受けながらも、宵の決意はいささかも揺らいでいなかった。
まず、宵は城で発生した死傷者たちを見舞った。
景忠公のいた本丸御殿は葛葉英市郎の結界で無傷であったが、それ以外の施設には爆弾の命中による破壊の痕跡が生々しく残っていた。
建物の焼ける臭いも、この北国の姫の鼻を突いた。
城内の建物の一部が臨時の野戦病院となり、そこに負傷者が集められていた。かつて宵は対斉戦役中、皇都の陸軍衛戍病院に収容されている者たちを見舞ったことはあったが、未だ血を流し呻き声を上げる負傷者で溢れた野戦病院を見舞った経験はない。
そこは、この城がまさしく戦場となっていることを示す場所であった。
血と薬品の臭いが立ちこめる建物内を、宵は負傷者一人一人を励ましながら回る。それが終わると、今度は城下に降りた。
城下の市街地にも複数の爆弾が落下し、小規模な火災を発生させていた。不幸中の幸いか、市街地の住民に死者は出なかったが、それでも負傷者の数は相当数に上っていた。
市街地にある尋常小学校の一角にも野戦病院が設置され、第二師団から派遣された軍医と衛生兵、そして民間の医師たちが負傷した領民たちの治療に当たっている。
宵は彼ら彼女らにも励ましの言葉をかけ、城からさらなる医療品の提供や焼け出された者たちに向けた炊き出しなどを行うことを約束する。
また、消火に尽力した河越の火消したちにも労いの言葉をかけ、結城家の姫として彼らの一層の献身を望むことを伝えた。
そうして宵が城内と城下の見舞いを終えた頃には、すでに日は西の彼方へと沈みかける日暮れの時刻になっていた。
と、彼女が再び自身の本陣と定めている電信局に戻ろうとしたところで、本丸からやって来た家臣からの伝言を受け取った。
どうやら、景忠公が本丸表御殿の接見の間に主要な家臣を集めるよう命じたらしい。
「……」
宵は少し思案して、自身の警護役となっている風間菖蒲に二言三言指示を与えると、自らは鉄之介を伴って本丸に向かうことにした。
◇◇◇
宵姫を本丸御殿まで送り届けた鉄之介は、そのまま電信局に戻るつもりであった。
電信情報と呪術通信情報を集約しているのは、あの建物なのだ。本丸には父・英市郎がおり、いざとなれば呪術通信で連絡を取り合うことも出来る。
しかし、宵はこれから始まる景忠公による接見に鉄之介自身も出席するように言いつけてきたのである。そのため、この陰陽師の少年は父・英市郎の隣で接見の間で待機することとなってしまった。
「宵姫様は、お前に葛葉家次期当主としての経験を積ませたいとお考えなのだろう」
自分が何故この場に呼び出されたのか理解出来ずにいると、父はそう宵姫の意図を解釈していた。
鉄之介が送り届けた宵姫は、一度本丸の奥へと姿を消していた。
接見の間に集められた重臣を中心とする家臣たちも、どこか落ち着きがない。これから景忠公による何らかの布告があることは予想していたが、今さらになって何を言い出すのか、益永を始めとする家臣たちは若干の不安を抱いているようであった。
どうやら、鉄之介が宵姫の護衛として城下に降りていた間に、河越城に伊丹・一色両家からの使者がやって来ていたらしい。その応対を行ったのは景忠公と側用人・里見善光だけであるらしく、本来であれば領政の中枢を担うべき重臣は、またしても蚊帳の外に置かれることになっていた。
鉄之介自身も、そうした不安と無縁ではいられない。
景紀の殿を務めたまま安否が判らなくなっている姉について、この少年陰陽師は未だ何の情報も得られていなかったのだ。
だからこそ何らかの情報が得られるかもしれない電信局にいないことにもどかしさを感じていたし、自分が景紀と共に皇都に向かえなかったことについても未だ納得出来ない思いを抱き続けている。
「景忠公、ご出座である!」
やがて、接見の間に現れた里見善光がそう声を張り上げ、集められた家臣たちが一斉に平伏する。景忠公の後ろに付き添うようにして、宵姫もまた姿を現わしていた。
「皆、面を上げよ」
六家当主というにはいささか頼りなく聞こえる声で、景忠公は言った。病の影響というよりは、現在の彼の心境を表わしているかのような口調であった。
「此度、皇都にて変事があったことは皆も承知のことと思う。その上で、我が結城家は六家としてこの変事に対する態度を決めなければならない。すでに事態は我が領軍の皇都進撃、皇都の龍兵部隊による河越空襲と、六家相克の様相を呈しつつある。しかし、事態がこのまま推移すれば河越と皇都は焦土と化し、民への被害もまた大きなものとなろう。皇国が再び戦国時代の如き状況になれば、その混乱は計り知れない。今まさに我が領軍は皇都中心部に迫りつつあり、皇都を占拠する者たちとの衝突は、このままでは時間の問題となる。故に私は六家当主として、惨禍を未然に防ぎ陛下の御宸襟を安んじ奉ることこそが、皇室第一の藩屏たる我ら六家のとるべき道であると信じている」
自身の心情を述べるだけで一向に当主としての方針を示そうとしない景忠公の態度に、鉄之介は焦れるような思いを抱く。
姉である冬花の安否は不明であるが、皇都にはまだ八重が留まっている。景紀も冬花を犠牲にしてしまった以上、今さら立ち止まることは出来ないだろう。自分も、それを望んでいない。
だが、続いて景忠公の口から発せられたのは、そうした鉄之介の願いを裏切るようなものであった。
「先ほど、伊丹・一色両公の使者がこの城を訪れ、皇都の秩序回復と皇軍相撃の禍を防がんとするため、和議の提案をなしてきた。皆の動揺を防ぐためここでその内容を明らかにすることはせぬが、いずれにせよ、内乱を防がんとする志において私と両公との意見は一致を見た。故に私の名で我が嫡男・景紀率いる領軍の皇都への進撃を現時点を以て停止させると共に、私自身が直接皇都に赴き、両公との交渉に臨むつもりである。両公からの使者にはその旨を伝え両公からの返答を待つことになろうが、結城家領の安堵は私としても譲れぬ線であるが故、皆はその点は安心せよ。皆には他の者たちの動揺を鎮め、これまでの通りの忠勤を望むものである」
つまり、景忠公は伊丹・一色両公に妥協する道を選んだということだ。
ぎゅっと、鉄之介は膝の上で拳を握りしめた。姉と八重が景忠公によって見捨てられたのだという、憤りに等しい思いが湧き上がってくる。
集められた家臣団の一部にも、動揺が走っているのが判る。
そっと宵姫の方を見れば、この北国の姫は人形のような態度で上段の間に座っているだけであった。景忠公の決断にも、それによる家臣団の動揺にも、彼女は一切の反応を示していない。
鉄之介は、胸の内で渦巻く思いをどこに向ければいいのか判らないまま、爪を手に食い込ませることで自身の感情を抑えつけるより他になかった。




