25 嶺州鉄道建設請負契約
「……」
景紀、宵と佐薙成親による会談が行われている間、冬花は隣室で待機していた。
畳の上に正座して、刀は横に置いている。
「……」
陰陽師の少女は瞑目し、自身の感覚を研ぎ澄まさせていた。彼女の体質ならば、多少、部屋が離れていようとも、主君と佐薙伯との会話を明瞭に聞き取ることが出来る。
「……」
景紀に対して威圧的な態度で会談に臨んでいる佐薙成親の声が、彼女には不愉快だった。それに対して慇懃に対応している自らの主君にもまた、気に喰わないという思いを抱く。
六家会議や有馬頼朋翁、あるいは長尾憲隆公と会談した時のような態度で臨んでくれればいいのに、と思ってしまう。主君を侮る人間に対して、その主君がそれを受入れるような態度を取っていることが、冬花には許せなかった。
「……」
だが、だからといって冬花はどうすることも出来ない。後でこの怒りを景紀にぶつけることは出来るだろうが、それで佐薙伯の態度が改まるわけでもない。
「……」
胸の内にもやもやとした不愉快な思いを抱きながらも、冬花は耳を澄ませて屋敷内での会話を拾うことに集中していた。
彼女の耳には、景紀と佐薙伯の会話だけでなく、屋敷で働く家臣や使用人たちの発する声まで届いていた。とりとめのない日常会話から、会談の行方を気にする会話まで、内容は様々である。
『いったい、結城の若造は何を考えてあのような不気味な者を従者としているのか』
『しかも女だ。“混じり物”との噂もある』
『穢らわしいことだ。御館様に穢れを移されぬとよいが』
「……」
どこかの家臣同士のやり取りを聞いて、冬花は膝の上の拳をきゅっと握りしめた。
やはり、自分の容姿を噂する人間たちがいた。幼少期ならばともかく、今更、そう言われて塞ぎ込むほどに自分の心は弱くない。
だけれども、やはり不愉快なものは不愉快なのだ。自分の容姿の所為で、景紀まで侮蔑されてしまうとなれば、その不快さに自責の念まで籠ってしまう。
『後で、丞鎮殿に穢れを払ってもらわねばなるまい』
「……!?」
その名を、冬花の聴覚ははっきりと捉えていた。
景紀が最も気にしていた、佐薙家屋敷に出入りする呪術師らしき僧侶。
会話の流れを聞くに、どうやら今はこの屋敷に居ないらしい。
丞鎮。
この正体不明の僧侶について、結城家側が持つ情報は少ない。
会談の前に、冬花と景紀は宵に対しても心当たりはないかと尋ねたのであるが、正体に繋がる情報は彼女も知らないようであった。
その時の会話を、冬花は思い出す。
『佐薙家屋敷に僧侶が出入りしている、ですか?』
景紀から尋ねられた宵は顎に手を当てて虚空を見つめ、少し記憶を手繰るような素振りを見せていた。
『二年ほど前に大寿丸が流行病に罹った際、平癒祈祷のために何人かの術者が呼ばれたことは記憶しています』
大寿丸とは、佐薙成親と側室・お定の方(本名、定子)との間に生まれた男子である。今年で七歳になったという。
『何人もの医師や薬師、術者が呼ばれたのですが、大寿丸の病状は一向に回復しなかったそうです。このままでは死も危ぶまれる容態だったらしく、その時は家臣団も含めて大騒ぎでした。ところが、ある一人の僧侶が祈祷を捧げたことで、大寿丸の病状は回復に向かったそうです。以後、父やお定の方はその僧侶を重用するようになったとか。佐薙家の家臣団には、結城家にとっての葛葉家のような、優秀な術者の家系はいませんでしたから』
腹違いとは言え弟が生死の淵を彷徨っていたことに対して、宵は淡々としていた。彼女と側室の子との間には、接点がほとんどなかったらしい。宵の話も、あくまで伝聞がほとんどであった。
『その僧侶の名前は知っているのか?』
と、景紀は聞いていた。
『“丞鎮”と、そういう名であったと記憶しています』
結局、得られた情報はそれだけであり、丞鎮なる僧侶の正体までは判らなかった。心から佐薙家に仕えようと思っている人間なのか、それともあくまで報酬目的で佐薙家に接近しているのか。
そして、単なる佐薙家の呪術的警護のために雇われた存在であるのか、あるいは術者としての能力を利用した間者としての役割を与えられているのか、まったく不明であった。
いずれにせよ、警戒しておくに越したことはない。
自分は、結城景紀のシキガミなのだから。
◇◇◇
景紀は佐薙成親に対して、嶺州鉄道建設請負契約の概要を説明した。
説明をするに従い、佐薙成親の目付きは鋭くなっていった。為政者として、景紀の提案の是非を検討していたのだ。
ただし、景紀が最後に契約の担保として岩森港の独占的使用権を求めると、鋭い視線は険しいものへと変わった。
「岩森港は嶺州における最大の港である。それを結城家に引き渡せと、貴殿は言うか」
「こう言っては何ですが、御家領内に他に担保として適切なものはありません。いくつのかの鉱山はありますが、鉄道が未発達な状態では担保としては不十分であり、我が家臣団を納得させるには足りません。また、御家が逓信省に提出されている報告書では、港湾設備の維持費が嵩み完全な赤字港となっているとか」
「ふん、結城家であれば、黒字経営に転換出来るとでも?」
馬鹿らしい、とばかりに佐薙は鼻を鳴らした。
「何故、貴殿は借款契約を提案しなかったのだ? これならば、御家は我が領における鉄道敷設権を手に入れられたであろうに」
詰問するような調子で、佐薙は言う。とはいえ、内心では建設請負契約は悪くないと思っている。家臣の中には、自前の鉄道を持つべきと主張する者たちもおり、鉄道経営権を結城家に渡せばそうした者たちからの反発を受ける可能性があったのである。
ただし一方で、佐薙家は結城家から金銭的支援を受けるわけではないので、長尾家へ対抗するための兵備増強という目的は達せられなくなる。
借款方式も建設請負方式も、現状では佐薙家にとって一長一短であった。
「御家との、今後の友好関係構築のためです」
完全に善意からの提案といった口調で、景紀は応じた。横で会談の行方を見守っている宵にしてみれば、この人、神経が太いなと思える光景であった。
善意など欠片も含まれていない提案を、善意と臆面もなく言い切るその精神。宵は表情に出さずに感心していた。これが冬花であれば呆れていたかもしれないが。
「我が家が鉄道経営権を握っては、将来的に自前の鉄道を欲する家臣や民衆からの熱意が高まった際、両家の友好関係に悪影響を与える懸念があります。そのため、我々が支援するのは鉄道敷設そのものだけとすべきと考えたのです」
本当は佐薙家に自由に使える資金を与えたくなかったからだというのに、大した言い草であった。もっとも、そうした将来に禍根を残さないというのも、景紀の狙いではあったのだが。
「ふむ、結城家との将来にわたって友誼を維持することは、我が輩も大いに望むところである」
佐薙成親は、難しい立場に立たされていた。
景紀の提案が、佐薙家や嶺州にとって魅力的なものであることは確かであった。しかし一方で、結城家からの資金調達という目論見は達成出来ないことになる。
結城家からの金銭的援助を受けられないとなれば、この契約は相対的に長尾家にとって有利となるだろう。佐薙成親はそう考えていた。
資金力という点で、佐薙家は長尾家に到底及ばない。だからこそ、成親としては結城家からの資金援助を欲していたのである。
しかし、結城家から提示されたのは、有り体に言ってしまえば鉄道敷設という「現物支給」であった。
結城家から資金を得、それを軍備に回すことは、建設請負契約という形態では不可能である。
だが、ここで結城景紀からの提案を受けないというわけにもいかなかった。
会談が決裂に終われば、今後の結城家との関係にも悪影響が出る。そうなれば、長尾家に付け入る隙を与えてしまう。また、自身の家臣や領民に対する求心力も低下してしまう。
結城家との会談を行った時点で、佐薙成親は何らかの成果を挙げることが必須であったのである。
もし結城家が佐薙家の領地経営に過度に介入するような要求があれば、それを理由に突っぱねるという選択肢もあった。それにより、反六家感情で家臣団を統制出来る。
だが、景紀の建設請負契約の提案は、家臣や領民たちを十分に納得させられるものであった。
これを蹴れば、逆に成親は絶好の機会を逃したとして、特に嶺州出身の民権派議員から非難に晒されることだろう。現状、国内振興のための軍事費削減という目的で手を組んでいる彼らとの関係を悪化させることは出来なかった。
家臣団たちの間にも、反六家派と領内振興派という二つに分裂してしまう危険性もあった。
彼は、景紀から提示された内容を呑むしかない立場に、いつの間にか追いやられていたのである。
「……して、結城家による鉄道敷設は、内陸経由の路線で行われるのであろうな?」
それだけは、成親にとって譲れない点であった。
景紀はあくまでも友好的な雰囲気を出しつつ、言った。
「ええ。それに加え、逓信省の求める海岸沿いの路線の敷設も請け負わせて頂きます」
「……」
佐薙成親は黙り込むことになってしまった。
海岸沿いの路線と内陸の路線、双方を建設することになれば、家臣団も民権派議員も嶺州領民も納得するだろう。
これだけの好条件を提示されていながら、鉄道経営権を与えずに済むのだから、家臣団を始めとする領内への根回しは容易である。赤字経営となっている岩森港を手放せるというのも、大きい。
実質的な岩森港の租借については家臣団内から感情的な反発はあるだろうが、少なくとも九十九ヶ年近く鉄道権益を手放すことになる借款契約を結ぶことに比べれば妥協出来る範囲であろう。
「細目協定については今後、双方の家臣団を交えながら詰めていくことになるでしょう。今日に関しては、当主間における建設請負契約そのものについて合意を得たく思っています」
ここで結城家と合意を形成しておくことは、長尾家に対する牽制になる。佐薙伯はそう考えていた。
結城家は来年度予算を巡る問題で、有馬・長尾両家で連携していることは、彼も把握していた。あまり悠長な交渉をしていては、目の前の若造が長尾公に取り込まれてしまう恐れもあった。
しかし一方で、岩森港の独占的使用権という代償があるとはいえ、これまでの借款方式よりも大幅に条件が緩和されている建設請負方式がどこから出てきたものなのか、成親にとっては疑問でもあった。
彼にとって結城景紀とはまだまだ取るに足らない若造であり、だからこそ彼に入れ知恵をした存在がいると考えてしまったのである。景紀自身の発案であるとは、考えていなかった。
家臣に切れ者がいるのか、それとも有馬頼朋翁か……。
「……よかろう。今日の合意内容はそれぞれ文書にして両家で保管することとしたい」
しかし結局、佐薙成親としてはそう答える他なかった。
「とはいえ景紀殿、長尾公にはくれぐれも気を付けられたい。この合意内容を知れば、我らの友好関係に楔を打ち込んでくるやもしれん」
「列侯会議においては、我が結城家と長尾家、そして有馬家は軍事偏重となっている来年度予算案を阻止し、より常識的な範囲での予算案に変更したいと思っています。御家も民権派議員の方々と関係を築いている模様。ならば、我らと長尾公は、列侯会議において歩調を合わせる余地もあるのでは?」
「それと領地問題は別である」
頑なな佐薙の態度に、景紀はそれ以上を領地問題についてこの場で話し合うことを諦めた。今回の目的は、嶺州鉄道建設請負契約について当主間での合意に達することであった。
一度合意出来たものを、別の問題を持ち出して拗らせる必要もない。
だから、景紀は最後にこう言うに留めておいた。
「我が結城家は、御家と長尾家との間に横たわる懸案問題について、いつでも仲介の労をとることを惜しみません。この問題が平和裏に解決されることを、願っております」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
景紀一行が屋敷から出ていった後、佐薙成親は隠密担当の家臣を呼び出した。
「どうにも契約内容が、六家にしては手緩すぎる。連中にとっては我が嶺州を経済的に蚕食する好機であるというのに。結城の若造と長尾の間で、何か密約がなされているのかもしれん。それを探るのだ。多少、手荒くなっても構わん。それと、こちらの防諜体制は今まで以上に強化するのだ。念の為、最重要の機密書類は焼却処分しておけ。六家の連中に、こちらの弱みを握られるわけにはいかん」
「かしこまりました、御館様。そのように手配いたしましょう」
◇◇◇
一方、景紀も当主間の合意が成立したからといって、楽観はしていなかった。
「伯は六家に対する警戒心が強いな」馬車の中で、景紀はそう評した。「こちらとしては、色々な面倒事を避けるために建設請負方式を提案したんだが、それが逆にあの男に疑心暗鬼を生じることになるかもしれん」
「確かに、そうかもしれません」隣に座る宵が同意した。「どう考えても、父上は私の取りなしで景紀様がこのような、言ってしまえば“緩い”契約条件を提示してくれたとは思っていないでしょう。かといって、景紀様自身の発案であるとも考えていないと思います。何かしら裏があるのでは、と疑うに違いありません」
「流石にそこまで疑われ出したら、切りがないわね」
冬花の方は、そうした佐薙成親伯の姿勢に対して辟易しているようであった。
「まあ、こっちとしては実際に裏があるわけだが」
「それは面倒事を避ける、って意味でしょ?」冬花が溜息をついた。「そういう結論に、向こうが辿り着く可能性は低いと思うけど」
「はい」宵は同意した。「恐らく、景紀様と長尾公との間に何らかの密約があり、佐薙家を罠に掛けようとしているのではないか。そのようにあの人は考えると思います」
「やれやれ、人の善意を素直に受け取れない人間ってのは嫌だね」
「景紀のどこに善意があるのやら……」
善人ぶる景紀に対して、冬花は呆れたような視線を向ける。
「まあ、疑心暗鬼に駆られた人間ってのは、何をやらかすか判らん」景紀は心底面倒そうな口調であった。「少し警戒しておくべきだろう」
「はい、それがよろしいかと」
宵が頷いた。
「ところで宵」
「なんでしょう、景紀様」
不意に真剣な調子になった景紀の声に、宵は背筋を伸ばした。
「お前は、今でも母親が大切か?」
「私は結城の人間であると、何度も申し上げたはずです」宵の口調には、断乎たる響きがあった。「もし景紀様が、母上の存在を利用するというのであれば、お気遣いは無用です」
「いや、そういう意味じゃない。純粋に、俺の質問に答えてくれ」
「……」
真剣な調子の少年に対して、少女はしばし黙り込んだ。ここで本心を言って景紀を困らせてしまうのか、それとも自分の心に完全に蓋をしてしまうのか。
「……大切、です」
しばしの逡巡の後、宵は絞り出すようにそう答えた。
無理に自身の心を殺したところで、この少年には判ってしまうだろう。ならば、最初から正直に答えた方が良い。
「そうか」その答えに少しだけほっとしたように、景紀は呟いた。「その答えが聞けて、よかったよ」
そう言って、彼は宵の髪を優しく梳いた。
「だからこれは、本当に念の為の予防策だ。冬花。宵の母親について、少し協力してもらいたいことがある。術者である、お前にしか出来ないことだ」
景紀の瞳に冷たい色はなく、ただ自らのシキガミを信頼する温かい色だけがあった。




