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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十二章 皇都内乱編

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225 内乱による諸問題

 純軍事的に見ると、蹶起側の部隊も結城家側の部隊も兵力不足の感は否めなかった。

 伊丹正信と一色公直は蹶起部隊が結城家領軍に対して兵力で劣っていると見ていたが、一方の結城景紀もまた皇都中心部に突入するには兵力不足であると感じていた。

 この時、歩兵第一、第三連隊を中心とする蹶起部隊が占拠していたのは、宮城を中心とする皇都第一運河内の地区であった。ただし、第一運河内すべての地域を占拠出来ていたわけではない。

 南側は第一運河を越えた歩兵第一、第三連隊の衛戍地のさらに南側にある伊丹家皇都屋敷、一色家皇都屋敷の周辺までを占拠しており、北側も運河を越えて長尾家皇都屋敷を封鎖出来る地域にまで進出していた。

 一方、西側に関してもやはり第一運河を越えて宮城から北西の方角にある兵学寮や結城家皇都屋敷周辺にまで占拠する地域を広げていたが、逆に東側の縦深は極めて薄かった。

 東側で確保出来ている地域は響谷川まで達しておらず、辛うじて皇都中央駅や東海道本線・東北本線の路線の東側の、秋津橋を起点とする東海道・中山道に沿った南北の線を占拠しているに過ぎなかった。

 これら地域を占拠している蹶起側の中核は、歩兵第一、第三連隊を中心として近衛歩兵第一、第二、第三連隊の一部、近衛騎兵連隊の一部といった陣容であった。

 蹶起側の説得によって立原の第一龍兵集団が蹶起側につくことになったが、これは陸戦兵力ではない。

 皇都にはその他、第一師団麾下の野砲兵第一連隊、騎兵第一連隊、工兵第一大隊、輜重兵第一連隊、近衛師団麾下の近衛歩兵第四連隊、近衛野砲兵連隊、近衛工兵大隊、近衛輜重兵連隊などの諸部隊が駐屯していた。

 この内、第一龍兵集団の蹶起側への恭順に続くように、部隊長の決断で蹶起側に加わったのは騎兵第一連隊と近衛歩兵第四連隊のみであった。

 騎兵は将家・士族出身者が多く、伊丹・一色閥系の将校による説得が効いた形であった。そして近衛については、五摂家が伊丹・一色両公側に協力する姿勢を見せていたことが、蹶起側へ合流する最後の一押しとなった。

 もちろん、これら部隊の中でも蹶起側への合流を拒んで兵営に留まっている中隊、小隊もあり、連隊と言いながらも実質には大隊規模でしかなかった。

 そのため、部隊数で言えば歩兵六個連隊(約一万八〇〇〇)、騎兵二個連隊(約三〇〇〇)という規模でありながら、その兵数は歩兵を中心に一万程度にしかならなかった。

 ここに、伊丹正信の下に馳せ参じた牢人集団などが加わるが、それでも数は一万五〇〇〇にも届かない。

 そして、野砲兵第一連隊、近衛野砲兵連隊など去就を明らかにしていない部隊も多く、蹶起側はなおも使者を送って説得に努めている最中であった。

 この兵力で、皇都中心部の主要な交差点を封鎖しつつ諸侯に対する人質として学士院、女子学士院、兵学寮の包囲も続けていなければならなのであるから、兵力不足に陥るのは当然であった。

 しかし、一方の結城家側も皇都中心部に送り込む兵力は不足していた。

 景紀率いる騎兵第一、第二旅団は十八日未明より行動を開始し、その先鋒は迅速に響谷川の線にまで進出していたが、河越を進発した第二師団の方は距離の問題から皇都中心部に迫るまでに時間がかかっていた。

 河越から皇都との国境まで、およそ二十キロ。そこから皇都第一運河の線を目指そうとすればさらに十キロ以上の距離を進まなくてはならない。

 つまり、十八日朝の時点で蹶起側の占拠する地域に迫りつつあったのは、景紀率いる騎兵第一、第二旅団だけだったのである。

 攻撃側は防御側の三倍の兵力が必要というのが原則であるから、蹶起側の兵力を完全に把握出来ていなかったこともあって、結城家の側が警戒するのは必然であった。

 朝康らの斥候の結果、当初の予想に反して反乱軍側が響谷川沿いに防衛線を敷いていないことが判明すると、景紀は主力の到着を待たず再び西進を開始し、響谷川に架かる総野往還の橋およびそこに並行する京総線の鉄橋を占拠した。

 この時点で、時刻は〇七三〇時を回っていた。

 響谷川にはこれより下流に三本の橋が架かっており、景紀は後続部隊の到着を待ってこれらの橋も順次、占拠するつもりであった。






「ひとまず、部隊全体に朝食が行き渡るように手配しました」


 響谷川を越えたところにある京総線の駅を占拠して、その駅舎に野戦司令部を前進させた景紀に、貴通が報告した。


「ああ、ご苦労」


 皇都の地図を広げてそこに視線を落としていた景紀が応じる。

 どのような軍事行動であろうとも、兵站の問題はなくすことが出来ない。皇都に進撃するに当たって、実は最も気にしなければならないのは兵たちの食事の問題であった。

 結城家の人間が先頭に立って指揮をとることはもちろん重要ではあったが、所詮は人間の行動である。空腹では士気も上がらない。

 二個旅団もの兵力を動かすのであるから、兵站には気を遣わなければならなかった。

 景紀の幕僚を務める貴通にとって、騎兵第一、第二旅団の幕僚との十分な協議もなく皇都へ進撃する部隊の兵站を維持しなければならないのだから、これは一苦労であった。


「将兵や馬への糧食は、どこまで持つ?」


「今日一日は何とか持たせます。京総線の路線を無傷で確保出来ましたから、機関車や機関士の手配が上手くいけば明日以降も、総野国から糧食を運ばせることは可能です」


「民間人を徴用するのなら、遠慮なく俺の名を出して構わん。とにかく、兵の食事だけは何としてでも確保し続けろ。下手に民家に押し入って食い物を漁るような兵が出てきたら、俺たちは一巻の終わりだ」


「はい。そこは島田少将たちとも十分に協議します」


 貴通は、景紀の言葉に神妙に頷いた。

 少なくとも、この状況で皇都市民たちを敵に回すことだけは何としても避けなければならなかった。そうでなければ、皇都に軍を入れた結城家の正統性が揺らいでしまう。

 あくまでも、結城家領軍は皇主を軟禁する逆賊を討伐するという大義名分を守らなければならないのだ。


「それで、ここから先はどうしますか」


 貴通は景紀の隣に並び、皇都の地図を覗き込んだ。ここまでは比較的順調に進撃出来たといえる。逆に言えば、反乱軍側は宮城周辺に兵力を集中している可能性が高かった。


「斥候の結果次第だが、出来れば近衛師団の衛戍地のある北の丸、そして皇都中央駅は迂回して宮城に突入したい」


 現段階で、景紀たちは近衛師団全体の去就を把握していなかった。ただ、皇都を脱出する際に近衛騎兵連隊の追撃を受け、騎兵第一、第二旅団への使者としても近衛将校が赴こうとしていたことから、相当数の近衛将兵が反乱軍側に参加しているのではないかと考えていた。

 その意味では、宮城の北側の北の丸には近衛師団の司令部および第一、第二歩兵連隊の衛戍地があるため、こちら側の防備は固いと考えられていた。

 さらには宮城北側には、宮内省管轄の華族・士族を対象とした教育機関である学士院の敷地が存在しており、この周辺を戦場として万が一にでも流れ弾が校舎に飛び込めば結城家領軍の正統性を揺るがしかねない。八重や御霊部からの呪術通信によれば、反乱軍は学士院、女子学士院を包囲して生徒を人質としているというから、なおさら学院を戦場とするわけにはいかなかった。

 一方、宮城東側には皇都中央駅が存在している。赤レンガ造りの頑丈なこの建築物は、線路を挟んだ東西を見渡せることもあり防衛側の拠点として最適だろう。また、駅舎の西側には大蔵省、農務省、逓信省、鉄道局、印刷局の各庁舎が存在し、こちらもまた拠点として利用することが可能であった。

 そして、景紀は手元に重火器を持たない。騎兵旅団に配備されているのは、十一年式七糎野砲よりも威力に劣る十三年式三十七粍騎兵砲なのだ。


「上手く連中の防衛線の間隙を突いて、宮城に突入したいが……」


 市街戦となれば、兵力はいくらあっても足りない。民間人を巻き込むことが前提になってしまうが、建物一つ一つを奪い合う凄惨な白兵戦の連続となるからだ。

 皇都中心部を戦場にするということは、そうした危険性を孕んでいたのである。


「とにかく、今は兵の腹を満たして、斥候の報告と島田少将の主力待ちだな」


 速やかに宮城に突入してしまいたいという逸る気持ちを抑えつつ、景紀は貴通にそう言うのであった。


  ◇◇◇


 糧食事情という点で言うと、実は蹶起部隊の方が深刻であった。

 何しろ、長尾憲隆公爆殺事件という突発的な出来事を切っ掛けにして蹶起したのである。当然、弾薬は一定量が配られたが、兵の糧食についてはほとんど注意が払われていなかった。兵士たちには兵営を進発するに当たって、乾パン一食分が配られただけであった。

 とにかく蹶起して皇都中心部を占拠することのみを優先させてしまった結果であった。

 そのため、十七日の夜までに皇都中心部の占拠を終えたまでは良かったが、翌十八日の朝になると途端に問題が発生した。

 兵たちの糧食を、どう確保するのかという問題である。

 第一師団には一個輜重兵連隊が所属していたが、この部隊の去就も判然としていなかった。旅団全体が反乱軍鎮定のために出撃した結城家領軍側の騎兵第一、第二旅団とは事情が違っていたのである。

 そして、兵站のことを十分に考えずに皇都に駐屯する諸部隊に蹶起への合流を呼びかけ、その一部に成功してしまったことが、糧食の問題をさらに深刻化させていた。一万食以上の食事をどう確保するのか、誰も計算に入れていなかったのだ。

 さらに悪いことに、上級司令部たる皇都鎮台司令部、第一師団司令部、近衛師団司令部は蹶起へ参加しておらず(近衛師団に至っては師団長が殺害されてすらいた)、統一的な兵站業務が不可能だったのである。

 皇主の詔勅による政治的決着にすべてを賭けようとしていたことによる綻びが、純軍事面に現れていたのである。この点、武力による皇都奪還と宮城突入を最初から目的にしていた結城家領軍とは対照的であった。

 十八日未明になって、少なくともこの日の午前中までの政治的決着は困難ということが明らかになってくると、蹶起に参加した将校たちの焦燥は高まった。

 一万食以上の糧食の確保だけでなく、輜重部隊が蹶起に参加していないため、皇都の各地に散らばっている蹶起部隊にどう糧食を届けるのかという問題も発生していたからである。

 やむを得ず、糧食を部隊ごと、あるいはその地域ごとに確保せざるを得なかった。

 連隊それぞれの衛戍地に人員を遣り、糧食庫からひとまず朝食分の糒と缶詰を部隊に運んだのである。昼食に関しては、各兵営の調理場で主計科の者たちに作らせ、運ばせることにした。

 十七日の夜、十八日の朝、昼と三食続けて味気なく冷たい食事が続いては、兵士の士気に関わると蹶起部隊将校たちは判断していたのである。

 そして当たり前だが、これにより兵力の一部が糧食の輸送任務に駆り出されることになってしまい、正面戦力を低下させる要因となってしまった。

 さらに午前中になって結城家領と取引のある商人たちを中心に、彩州や総州から皇都への食糧供給が停止してしまったという噂も出回り始めていた。つまり、蹶起部隊への糧秣の供給だけでなく、皇都市民への食糧供給にまで問題が生じる可能性が出てきているのだ。そして、噂が拡大すれば皇都市民たちが動揺することは必至である。


「こいつは、相当拙いぞ」


 蹶起側の将校の中で、最も兵站事情・食糧事情を深刻視していた一人は、正信の孫・直信であった。

 彼は占拠した警視庁庁舎の防衛に加わっていた。

 宮城南側にある警視庁庁舎は、南大手門を含む宮城南側の各門および東大手門を見通せる位置に存在し、さらには兵部省や外務省、内務省などの庁舎が立ち並ぶ官庁街を封鎖出来る位置にあり、宮城南側における拠点として重要であった。

 そのため、絶対に裏切る恐れのない伊丹正信の孫・直信に警視庁庁舎の防衛が任されたのである。

 また、結城家家臣団出身の軍監本部長・川上荘吉少将が立て籠もっていると見られていた兵部省庁舎に圧力をかけるという意味も、そこには含まれていた。

 そして、この庁舎からならば道一つと堀を挟んで宮城に辿り着けるため、祖父・正信の名代として参内することになった場合、素早く対応出来るという点も、蹶起部隊を現場で指揮する渋川大佐が直信をここに配置した理由であった。

 昨夜から祖父・正信と一色公直は、蹶起部隊との意見調整、新政権樹立に向けた諸侯・公家の懐柔工作、五摂家と協力した宮中工作など、様々な問題に自ら対処していた。

 現在、祖父と一色公直は共に参内しており、拝謁によって攘夷派新政権の樹立の詔勅を得ることが出来れば、その後は新政権に参加する者たちとの調整に入らなければならない。

 だからこそ、式部官長・桜園季邦の娘・理都子を婚約者としていることもあり、直信が祖父に代わって宮中との調整役を任される可能性があったのである。

 とはいえ、直信自身はそう簡単にこの事態が決着するとは考えていなかった。たとえ祖父に大命が降下したとしても、今まさに皇都中心部に迫りつつある結城家領軍、そして恐らくはそれを指揮しているだろう結城景紀と穂積貴通が大人しく引き下がるだろうか。

 兵学寮の後輩としてあの二人を見てきた直信には、まったく確信が持てなかった。

 下手をすれば、事態は長期化する恐れがあった。そうなった時、蹶起部隊の糧秣は、皇都市民の食糧は、どうするのか。


「先任曹長」


「はっ」


 直信は自らに付けられた直属の下士官を呼び出した。


「この庁舎で籠城する可能性もあるから、誰か使者を立てて、うちの屋敷から相応の量の食糧を運び込むように俺の名前で屋敷の家令に伝えてくれ。それと、各庁舎の食堂に勤めている料理人たちを俺の名前で徴用しておいて欲しい」


「宜しいのですか?」


 その下士官は、この少年を案ずるように問い返した。祖父に無断で伊丹家の名を使うことになり、さらには後々補償問題まで生じるであろうことを、直信の独断で行ってしまっていいのか確認したいのだろう。


「ああ、いい」だが、直信は自らの言葉を翻さなかった。「少なくとも俺は将校なんだ。兵卒たちの面倒を見る責任がある。どんな状況でも、な」


 最後に、この少年は小さく苦笑を浮かべた。

 自分にとって、未だこの蹶起の大義は不明確なままだ。それでも兵学寮を卒業し、将校となった以上、そして六家に生まれた者である以上、まずは部下に対する責任を果たさなければならないのだった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 伊丹正信、一色公直、斯波兼経の三公爵が皇主への拝謁を果たせたのは、十八日午前八時過ぎのことであった。

 謁見は、宮殿御学問所(皇主の執務室)で行われた。

 まず、伊丹正信が今回の事態のここまでの経過を報告した後、自らの女婿・渋川清綱大佐の起案した蹶起趣意書を読み上げた。


「卿がその趣意書を読み上げたる理由は何か?」


 読み終えた正信の頭上に、皇主の声がかかる。その声には、若干の不快の念が込められていた。


「はっ、今回の事態は統帥の本義に(もと)り、甚だ恐懼に耐えませぬが、皇国へ尽くさんとする至情に基づいて蹶起した者たちについて陛下のご理解を賜りたいためであります」


 正信は腰を折りながら奉答した。


「八月来、皇都では不祥事相次ぎ、今また斯くの如き事態を招来せるに、なにゆえ六家たる卿がそれを容認するが如き言を申すのか?」


「皇国は現在、外侮外患の危機に瀕しており、臣もそれを憂えておりますが故」


「であるならばこれまで通り六家の協調を以て対処すべきと考えるが、如何?」


 それは疑問の形をとっていたものの、攘夷派による暫定政権の樹立を否定する皇主の発言であった。


「六家の中にその立場を利用し国を誤らせんとする者がありました故、臣らもやむにやまれずその者らを討たねばならぬと考えた次第にて」


「故に有馬公を亡きものにし、さらには河越を爆撃したと卿は申すのか?」


 その声には、皇主の憤りの感情が明確に込められていた。


「はっ、斯くせざるを得なかったことは臣らも慚愧に堪えぬ思いであります」


 深く頭を下げて平伏するように言う正信の上に、皇主の深い溜息が降ってきた。


「再び戦国時代のような様相とならば民は塗炭の苦しみを味わうことになるであろう。卿らは六家としての本分に則り、速やかに事態の収拾と時局の安定に力を尽くすよう」


 具体的な勅命ではないものの、皇主がそのように望んだ以上、三名は恐懼して退出せざるを得なかった。


  ◇◇◇


「少なくとも、五日以内に皇都を平穏に戻さないと大変なことになりますぞ」


 御学問所を退出した後、斯波兼経は伊丹正信と一色公直にそう言った。


「卿は何を言っているのだ?」


 発言の意図が判らず、公直が少し強めの語気で問う。拝謁の結果が思うようにならず、彼もいささか苛立ちと焦燥を感じていたのだ。


「うちの側用人は、財政と経済については一家言持っておりましてな」


 当主が芸術・美術に傾倒していながら斯波家の財政がそれほど傾いていないのは、兼経の側用人の辣腕の賜物であると六家や政府の間ではもっぱらの噂であった。


「このままでは銀行の取引や為替が完全に停止し、企業の中には倒産するものが出てきて、為替も円安傾向に流れると、心配しているおるのですわ」


「……」


「……」


 それは、正信や公直にはない視点であった。

 皇国は対斉戦役を終結させながら、マフムート朝とルーシー帝国の対立や対外的緊張の継続といった要因から戦争特需の影響が続いており、深刻な戦後不況には陥っていない。

 それが、この皇都での騒乱によって一挙に経済不況に突入してしまう可能性があると言うのである。

 蹶起の政治的決着が未だ付かなかったこともあり、伊丹正信と一色公直は険しい面持ちで宮城を後にせざるを得なかった。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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