224 爆弾と伝単
十月十七日午後四時に兵部大臣・坂東友三郎海軍大将が参内してからおよそ十四時間後の十八日午前六時、伊丹正信と一色公直はようやく参内を果たすことが出来た。
昨夜は蹶起部隊の掌握、皇都周辺に展開する部隊へ恭順を促す使者の選出、五摂家との協議を始めとした宮中工作などに奔走していた二人は、ようやく皇主への謁見を目的に宮城に入ることが出来たのである。
すでに昨日午後十時、兵相が皇主への拝謁を行っていたことは二人も把握していたが、蜂起を鎮圧するための詔勅を目的としていた坂東大将の目論見は失敗していたことから、彼らは兵相の存在を軽視していた。
所詮、六家の後ろ盾がなければ国務大臣である兵相といえど何も出来ないのだと考えていたのである。
皇主が殺害された有馬貞朋公の元に弔問の勅使を送るなど気になる部分はあったが、すでに皇都の占拠と蹶起部隊の掌握、攘夷派政権樹立への五摂家の賛同という既成事実を積み重ねている以上、皇主としても新たに誕生することになる権力者の存在を認めざるを得ないだろうというのが二人の共通した認識であった。
歴史上、皇主・皇室は世俗の最高権力者の上に権威として君臨することによってその皇統を維持してきた。今回も、そうした例の一つになるだろうという見通しが、伊丹・一色両公の中にあったのである。
しかし、参内した彼らを宮中で迎えたのは、意外な人物であった。
「やあ、お二方。随分と参内が遅れたようですな。お陰で待ちくたびれましたぞ」
このような状況であるにもかかわらず緊張感の欠いた挨拶をしてきたのは、斯波公爵家当主・兼経であった。
六家の現当主陣の中で最も存在感が薄く、政治的にも影響力が皆無と思われた、芸術・美術といった文化的活動にしか興味を示さない人物。
「……何故、貴殿がここいる?」
謁見の準備が整うまでの間、二の丸にある宮殿東溜の間で待つことになった伊丹正信はそう問いかけた。内心では意外さと苛立たしさが同居している。
「何故と言われましても、私も六家の当主ですからなぁ。このような状況で参内し、陛下よりの御諮詢を待たぬわけにはいきますまい」
斯波兼経の口調には、蹶起への同調も反発も見られなかった。ただ、泰然と評するにはどこか緊張感の欠けた態度であるだけであった。
「……宮城の門は近衛と協力してすべて封鎖したはずではなかったのか」
小声で、伊丹正信は一色公直に問いかけた。
「そのはずですが……」
とはいえ、問われた公直の方も困惑顔を隠しきれなかった。そもそも、現場で実際に蹶起部隊の指揮をとっているのは二人ではなく正信女婿の渋川清綱大佐なのである。
「……恐らく、単純に斯波兼経公の動向を誰も気にしていなかったことが原因かと」
実際、渋川大佐らが起案した蹶起趣意書や直訴状でも、兼経公のことには触れられていなかった。つまりは、その程度の存在だと見られていたのである。
そして、宮城の門を始め占拠した地域の封鎖を現場で担当しているのは、蹶起の趣意を完全に理解しているとは言い難い下士官以下の兵卒たちであった。蹶起を主導しているのが伊丹・一色両公であると中途半端に知らされているために、六家の家紋の付いた馬車が来れば、何となく不興を買うのが怖いからと検問を通してしまうということも十分にあり得ることであった。
とはいえ、ここに来て斯波兼経という不確定要素が出現したことは、伊丹・一色両公にとってまったく歓迎出来ることではなかった。
兼経が屋敷に留まっているのであれば政治的に無視することも出来たが、参内されてしまった以上、皇主の諮詢は彼にも向かうだろう。伊丹正信と一色公直が主導する形での攘夷派新政権樹立という参内の目的にとって、政治的な立ち位置がひどく曖昧な斯波兼経という存在は極めて厄介であった。
六家当主というよりは一文化人といったこの男が、皇主からの諮詢にどのように答えるのか、まったく予想がつかなかったからである。
あるいは、皇都が戦場となることで各将家や豪商、そして皇室博物館などが所蔵する貴重な美術品や古文書が戦禍に晒されることを阻止すべく、六家間の対立を鎮めるために皇主に和衷共同の詔勅を出すことを奏上してくるかもしれない。
それは、攘夷派新政権の成立を目指す伊丹・一色両公の望むものではない。
「卿はいったい、陛下に対して何と奏上するつもりで参内したのか?」
今のうちに斯波兼経の態度を明確にさせておくため、伊丹正信は威圧的な口調で問いかけた。
長尾家と有馬家は当主を失い、結城家は皇都から脱出せざるを得なかった。だから斯波家は今、皇都内で完全に孤立した状況に置かれている。兼経としても、伊丹・一色両公との対立は避けるために攘夷派に同調せざるを得ないはずであった。
「それは、陛下の御諮詢次第でしょうな」
だが、斯波兼経は曖昧な態度を崩さない。正信と公直の鋭い視線が彼に向けられるが、それでも兼経は二人の視線を柳に風と受け止めるだけであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
南西から河越城に接近していた翼龍の集団は、一度、反時計回りに城下町を迂回してから爆弾の投下を開始した。
河越城の東側は水田と湿地帯が広がっている。第一龍兵集団は、出来るだけ市街地に被害を及ぼさないように東側から河越城上空に侵入したのである。
一方、これを迎撃すべき味方の龍兵は存在していなかった。河越付近に存在する結城家側の龍兵は皇都上空での伝単散布作戦のために出払ってしまっており、澄之浦にある独混第一旅団麾下の龍兵部隊も距離の問題から間に合わない。
河越城守備隊は、手持ちの火器で上空の龍兵を迎撃せざるを得なかったのである。
この時代、高射砲や対空機関砲は未発達である。
敵の弾着観測用の気球を狙うために小口径軽量の砲が開発されはしたが、肝心の砲弾の信管が対空戦闘に適しておらず、効果の低いものしか存在していない。
機関砲に至っては、その萌芽的存在である多銃身砲がようやく実用化されているだけであり、到底、対空戦闘に耐えられるものではなかった。
河越城には一応、万が一にも城が砲撃の目標となる可能性を考えて対気球用の小口径砲が配備されていたが、その他は兵士たち各人が小銃を上空に向けるしか、翼龍に対抗する術はなかったのである。
大規模な防空戦闘というものを、ほとんど想定していなかったが故である。
列強諸国の中で翼龍を大規模に運用しているのは皇国のみであり、対翼龍用の防空戦闘に適した兵器を開発しようとすることは、皇軍相撃を意味する。誰もそのような不吉な発想で、兵器開発を行おうとはしていなかったのである。
「てっー!」
指揮官の命令一下、城に備えられた対気球用の小口径砲が仰角を取り、敵龍兵集団へと向けて火を噴く。
「次弾装填、急げ!」
対空砲に取り付いた兵士たちが、素早い動作で装填と発砲を繰り返す。城の各所から、黒色火薬の白煙が上がる。
だが、小気味良い発砲音とは裏腹にその効果はほとんどなかった。
気球などよりも遥かに俊敏に動く翼龍に、信管の調整が間に合っていないのである。上空に向けて放たれた砲弾はまるで見当違いの場所で炸裂し、敵翼龍は一騎も撃墜されることなく城の上空へと侵入を果たす。
そこでようやく、小銃の射撃が加わった。
しかし、敵翼龍は遙か上空を飛行し続けるだけであった。目標への命中率の高い急降下爆撃や、低空での爆撃を行おうとする動きは皆無であった。
あくまでも部隊の統制を維持するという消極的目的で蹶起に加わった第一龍兵集団にとって、ここで撃墜される危険性の高い機動をとる意思はなかったのである。第一龍兵集団の各隊長たちは、対空砲火の届きにくい高度から水平爆撃によって河越城を攻撃することにしていたのだった。
やがて約五十騎の翼龍の胴体下から、次々と爆弾が切り離される。
黒い塊が、空気を切り裂く音と共に落下する。
最初の一発は、目測を誤ったのか風に流されたのか、城の東側に広がる水田に落下した。信管の作動と共に、すでに収穫の終わっていた水田の土を巻き上げる。
二発目、三発目も城の東側の堀や湿地帯に落下した。
しかし、そこから弾着の修正を行ったのか、四発目からは城の内部へと命中していく。
城の東側を守る田曲輪や新曲輪に、まず黒煙が上がる。爆弾の弾着位置は、徐々に城の西側へと移っていった。富士見櫓や本丸御殿のある本丸付近でも、爆弾が炸裂する閃光が次々に発生する。
三の丸外側の中曲輪にある電信局の付近でも、着弾の衝撃があった。
「……」
やはり宵は身じろぎ一つせず、結界を維持しようとする鉄之介の背中を見守っているだけであった。
やがて城を揺るがせていた弾着の衝撃が収まり、見張り員からすべての敵騎が南西に去っていったことを告げられると、宵と共に電信局に詰めていた筆頭家老・益永忠胤が怒鳴る。
「御館様がご無事か!? それと、城の被害を至急知らせ!」
城は、宵がかつて経験した倭館攻防戦さながらの騒々しさに包まれることとなった。
あの時との違いは、結界の範囲が限定的であったために城の各所に被害が生じてしまったことだろう。倭館よりも遙かに敷地面積の大きな城を、鉄之介とその父・英市郎の結界だけで守るのには限界があったのだ。
城の各所から黒煙が上がり、消火のために人が走り回っている。男だけでなく、家臣たちの妻、城で働く女性たちも懸命に城を守るために動いている。
「姫様」
やがて被害の簡単な集計を終えた益永が、恐懼した面持ちで宵へと報告した。
「城下にも、三発ほどが落下した模様です。火消しどもを総動員して消火活動に当たらせており、死者もなく大火に発展する恐れはないでしょうが、負傷者は空襲の混乱などの影響もあって三十名ほどに上っており、町人どもの一部に動揺が見られるとのことです」
「城下にも被害が……」
思わず、宵の声が険しくなる。
結城家の本拠地である河越城下の者たちに動揺が広がれば、この内乱で領民を統制することが難しくなるだろう。それに民に徒に被害を拡大させてしまうことは、内乱を覚悟していることとは矛盾してしまうかもしれないが、宵の本意ではなかった。
「益永殿」
「はっ」
「城下の消火と混乱がある程度収まり、火消しの方々の邪魔とならぬようであれば、私が城下の者たちを見舞いましょう。それで、動揺はある程度、抑えられるはずです」
少なくとも、こうした状況下で結城家の人間が城下の者たちを鼓舞することは一定の効果があるはずだと宵は思う。
そして、義父である景忠公に積極的な動きが見られない以上、それは宵の役目であった。
「……かしこまりました。ただちに、手配いたします」
益永もこの少女にあまりに多くのものを背負わせてしまうことに、臣下として、そして老境に入りつつある大人として忸怩たる思いを禁じ得なかったが、それでもこの状況下ではやむを得ないことと宵の言葉に従うのであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
伊丹・一色・斯波三公爵の皇主への拝謁はなかなか行われなかった。
五摂家による宮中工作への協力などもあったものの、それでも宮中にある有馬閥の者たちが伊丹正信と一色公直が皇主への謁見に臨むことを妨害しているようであった。
実際、有馬閥の者たちにとってみれば、伊丹・一色両公は自らの主君たる有馬貞朋公を殺害した張本人と見られていたから、こうした妨害は当然の反応であるとも言えた。
しかし、皇主を盟主とする盟約によって帷幄上奏権を持っている六家の当主たちの皇主への拝謁を、長く阻止することは不可能であった。
伊丹・一色両公やその宮中派閥、五摂家の圧力によって、謁見の準備が進められているという。
だがその間、二人の元には不快な情報が舞い込んできた。
一つ目は、結城家領より発進したと思われる翼龍の集団が皇都中心部を中心に伝単を散布したというものであった。そして実際の伝単が、蹶起部隊との連絡役の一人となっている伊丹家家臣によって二人の元に届けられた。
その紙片には、伊丹・一色両公や攘夷派が皇都を占拠していることの不当を訴え、彼らを武力によって皇主の大権を私議しようとする不逞の逆賊であるとして、蜂起した部隊に加わっている下士官・兵卒は彼らの指示には一切従わず直ちに兵営に帰還するように促す内容の文言が連ねられていた。
それも、出来るだけ簡潔な表現で、漢字には振り仮名まで付け加えられていた。明らかに、下士官・兵卒たちを狙った伝単であった。
しかし、それ以上に伊丹・一色両公が問題視したのは、自分たち攘夷派を逆賊と名指ししていることであった。
「これは、結城の小僧の仕業か!?」届けられた伝単を、正信は破り捨てた。「このような伝単、断じて許すわけにはいかぬ!」
「即座に、渋川大佐や我らの家臣団の中で手空きの者たちに、回収を命じましょう。市民たちにも、この伝単を拾わぬよう布告を出すべきです」
一色公直も、強くそう主張した。
「それと、こちらの正統性を皇都市民たちに伝える布告も出すべきだ。直ちに皇都にある新聞社の輪転機を接収して、この紙くずと同じようなものを皇都市内に配るのだ」
正信が家臣にそう命じると、今度は別の者が報告にやって来た。
「響谷川の東岸で、騎兵の大部隊が皇都中心部に向けて進撃しているのが確認されました!」
「騎兵第一、第二旅団には使者を向かわせたはずだ!? どういうことだ!?」
少なくとも伊丹・一色両公は、結城家の本拠地である河越の第二師団はともかく、志野原の騎兵第一、第二旅団の行動は遅くなると考えていたのである。
こちらが皇都を占拠している以上、不用意に部隊を率いて国境の伊奈川を越えれば、それこそ逆賊となりかねない危険な行為である。いかに結城家領軍とはいえ、皇都への進撃にはそれなりの心理的葛藤が生じると二人は考えていたのだ。
結城家の本拠地である河越の第二師団は、河越へと落ち延びた結城景紀あたりが直率すれば動くかもしれないが、一方の景忠公はこれまでの態度から軍を動かすことを躊躇するだろうと読んでいた。
この時点で伊丹正信も一色公直も、結城家皇都屋敷を脱出したのが結城景忠・景紀父子であることをすでに把握していた。
結城家皇都屋敷の明け渡しを求めた蹶起側の使者に応対した景忠公正室・久が、そう言ったからである。当然、久は屋敷の明け渡しを拒み、使者を追い返すと屋敷に残った者たちで立て籠る姿勢を見せた。屋敷は結界で守られているようで、蹶起側は結城家皇都屋敷の各門を封鎖しただけで未だその占拠に成功していない。
伊丹・一色両家に仕える高位術者たちのうちで健在なのは一色家の術者・八束いさなだけであり、宮内省御霊部や呪術通信の妨害などの対応に忙殺されて身動きが取れなくなってしまっているのだ。
とはいえ、結城家皇都屋敷の各門はすでに封鎖され、実質的に久姫は攘夷派の人質となっていると言っても過言ではない。
この状況下で、景忠公が伊丹・一色両家との直接的な対決を望むとは思えない。
そうなれば、景忠公と景紀の親子間の意見対立が発生し、結城家領軍が迅速に行動を起こすことは難しいだろうと判断していたのである。何せ、腹心であり強力な術者である葛葉冬花を、今の結城景紀は失っているのだ。
結城景紀が結城家の実権を実力で奪取することも困難であると考えていたのである。
「清綱の奴めは、皇都東側の防備をどこまで進めている!? 直ちに確認させよ!」
「はっ、承知いたしました」
その家臣は主君の焦燥が乗り移ったかのような態度で、正信の前を退出していった。
「まさか結城の小僧めが、早々に領軍を掌握したというのか……」
そうでなければ、この状況は考えられない。そして恐らく、皇都と総野国の国境を躊躇なく越えたということは、志野原の騎兵部隊を結城景紀は直率しているのだろう。
「こうなったら、河越城への爆撃を反復させましょう」
一色公直の声にも、緊迫感が滲んでいた。
「せめて景忠公の意思さえ挫けば、結城家を恭順させることが出来ます。そうなれば、あの小倅が何を叫ぼうと、軍を動かそうとしようと、その正統性は失われます」
「うむ、それと、陛下への謁見を急がねば」
蹶起の趣意を奏上し、暫定政権でも良いから攘夷派新政権を樹立出来れば、こちらの正統性は完全に確立する。そうなれば、皇都に迫ろうとする結城家領軍をすべて賊軍とすることが出来る。
皇主の言葉一つで、軍事的な劣勢は一挙に覆されるのだ。
伊丹正信と一色公直は、未だ皇都を占拠する自分たちが政治的には有利であると考えていたのである。




