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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十一章 流血の皇都編

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210 兵部省の立場

 皇暦八三六年十月十七日の夜。

 本来であればとうに終業時刻を迎えているはずの官庁街は、緊迫した雰囲気に包まれていた。


「とりあえず、主要な出入り口や門はすべて机やら何やらで封鎖した」


「まあ、それでどこまで持つかは判らんが、何もやらぬよりは良いだろう」


 兵部省庁舎では、軍監本部長・川上荘吉少将と陸軍軍務局長・畑秀之助少将がそんな会話を交わしていた。


「はす向かいの内務省や警視庁は、酷い有り様のようだな」


 兵部省庁舎から見て通りを挟んで西側斜め向かいに、内務省庁舎・内務大臣官邸・警視庁の建物が存在している。今は収まっているものの、少し前まで続いていた警察側と蹶起側との銃撃戦の様子は兵部省の窓からも確認出来ていた。


「しかし貴様、良いのか? 一応、外にいる連中は貴様の主家側に付いているようだが」


 狙撃を避けるため、窓帷(カーテン)を閉めた窓の外を川上は指した。


「まあ、御館様から不忠者などと言われそうだが、俺はこれでも兵部省の人間だ」


 皮肉な笑みを浮かべて、畑は応じる。


「兵部省庁舎を枕に討ち死にってのも、また一興かと思っているのさ」


 現在、兵部省庁舎を包囲しているのは、蹶起した歩兵第一、第三連隊の将兵たちである。そして、その蹶起を主導しているのが攘夷派将校と伊丹・一色両公であることは、すでに判明していた。

 畑は伊丹家家臣団出身の将官であったが、攘夷思想とは無縁であったし、むしろ攘夷派将校による蹶起を警戒してすらいた。


「しかし、俺が余計な気を回した所為でかえって連中の蹶起を促すことになってしまったのは、痛恨事だ」


「今さら悔やんだところで、どうにもなるまい」


 氷州鉄道皇都支店爆破事件発生直後、畑が第一師団司令部に歩兵第一、第三連隊の動向を確認したことが、逆に蹶起の好機と見て渋川清綱大佐らを蹶起させる原因になってしまったことは、確かに兵部省側最大の失策といえた。

 しかし、それを川上は責めようとは思わない。


「とはいえ、このままでは孤立無援だな」


「ああ、今はまだ外の連中は海軍を巻き添えにすることを恐れて庁舎を包囲するに留めているが、いつ痺れを切らすか判らん」


 兵部省は、陸軍部と海軍部に分かれている。そのため、敷地を警備する衛兵も約半数は海軍軍人である。

 だからこそ蹶起部隊にとって、事態が沈静化するまでの間、海軍には中立を保ってもらう必要があった。

 攘夷派将校、そして伊丹・一色両公も、結局はこの騒擾が六家による権力闘争の一環でしかないことを自覚しているのだ。

 下手に海軍を巻き込み、敵に回してしまえば、伊丹家皇都屋敷や一色家皇都屋敷が海軍艦艇からの艦砲射撃で焼き払われる可能性すらある。


「坂東大臣も宮中から戻られぬし、電信線も切断された。兵部省の命令系統は最早、麻痺状態だな」


 軍監本部長として、本来であれば陸軍部隊に命令を伝達する立場にある川上はそう嘆く。

 兵部大臣の坂東友三郎は、陸軍部隊が蹶起したことを皇主に報告するために参内したまま、兵部省庁舎に戻ってきていない。正確には、庁舎が包囲されてしまったために戻れなくなってしまったのだ。

 坂東兵相が蹶起部隊討伐の奉勅命令を携えて兵部省に戻ってくることが出来れば、事態は万事解決するのだが、そうもいかないだろう。

 むしろ、蹶起側としてはそれを恐れているはずだ。だからこそ、兵部省と外部との連絡を完全に遮断したと言える。


「だが貴様、河越には何とか通信を試みたのだろう?」


「ああ、少なくとも電信と呪術通信が何とか生きている内は、我々が得た情報はすべて河越に送った」

 兵学寮同期の問いに、川上は頷く。


「結城家は、どう出ると思う?」


「さて、屋敷の状況もよく判らんからな。ただまあ、うちの若君には葛葉の術者が付いている。みすみす蹶起部隊に討ち取られるようなことにはなるまいよ」


 有馬貞朋公ら数名の要人が蹶起部隊によって殺害されていることは、辛うじて兵部省側も把握出来ていた。


「ああ、あの倭館籠城戦やその後の遼河戦線、紫禁城降下作戦で活躍した葛葉冬花という陰陽師か?」


「あとは、河越の宵姫様。少なくとも、あの姫様ならこちらの送った情報を理解して、何らかのご対応をして下さるだろう」


「確かに、徴傭船の問題では、あの姫様に随分と世話になったからな」


「今の台詞、貴様のところの御館様に聞かれたら結城家に寝返ったかと叱責されるぞ?」


 諧謔を込めて、川上が指摘する。だが、直後にその表情を険しくした。


「しかし正直なところ、貴様の家族が心配ではある。俺のところは結城家領内にいるからまだ良いとして、省員の多くは皇都内に家族を残している。蹶起側に人質に取られているも同然だ」


「確かにまあ、御館様は俺の家族を使って揺さぶりをかけてくるかもしれんがな。主家への忠誠をとるか、国家への忠誠をとるか、こういう状況では難しいものだな」


 努めて何でもない口調を装っているが、畑秀之助が彼なりの苦悩の末に兵部省側についていることを、同期生たる川上は理解していた。

 そして実際のところ、それは多くの兵部省省員が抱えている葛藤だろう。それでも、彼らは攘夷派の主導するこの蹶起に賛同出来なかったからこそ、兵部省庁舎に立て籠もっているのだ。


「しかし、俺はもうどちらに付くかを決めてしまったのだ。今さら御館様の下に馳せ参じれば、変節漢の誹りは免れまい」


 畑秀之助少将は、同期生たる男に心配をかけまいとして言う。


「それに、どうにも今の主家の下に馳せ参じようという気分にはなれんのだ」


 最後に彼は、ほろ苦く笑った。主家への忠誠の揺らぎは、伊丹家家臣団として生を受け、育ってきた畑秀之助にとって簡単に受け入れられるものではなかった。

 しかし彼とて、主家の当主である伊丹正信公が攘夷思想を抱いていたとはいえ、ここまでの行動に及ぶとは考えていなかった。蹶起した渋川大佐らの行動に引き摺られたのかもしれないが、それでも陛下から軍をお預かりしている六家当主ならば、むしろ蹶起部隊を諫めるべきではなかったのかと思っている。

 本来であれば陸軍の一部隊が六家や兵部省の統制を離れて行動を起こすなど、皇国陸軍の根幹を揺るがしかねない事態なのだ。

 だからこそ、軍を統制すべき立場にある兵部省の一員として、伊丹正信公の態度に彼は疑念を抱かざるを得なかった。


「まあ、今はこれ以上、出来ることもあるまい」


 自分自身の中にある感情に区切りを付けるように、首を振りながら畑秀之助少将は言う。内心に複雑な葛藤を抱える同期生に川上荘吉少将は案ずるように視線を遣ったが、畑はそれ以上、自らの葛藤を軍監本部長たる同期生に語ろうとはしなかった。

 それで、川上もそれ以上、この話題を続けることを諦めた。そして、代わりに言う。


「動きがあるとすれば、宮中だろう。鎮圧の奉勅命令が下るにせよ、あるいは攘夷派の圧力に屈して伊丹公に大命が下るにせよ、まずは宮中の動きを知ることが重要だ。呪術通信兵に、何とか通信妨害を破って宮中と連絡が取れるようにさせたいが……」


 現状でのその困難さを思い、二人の同期生は深く溜息をつかざるを得なかった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 その兵部大臣・坂東友三郎海軍大将が参内したのは、この日の午後四時のことであった。

 この時点ですでに有馬家皇都屋敷は蹶起部隊による襲撃を受けており、歩兵第一、第三連隊が兵部省や皇都鎮台司令部の命なく行動を起こしていることは、兵部省側でも把握出来ていた。

 特に攘夷派将校が多く連隊長が伊丹正信公女婿である歩兵第一連隊が蹶起したため、その背後に伊丹正信、一色公直がいるだろうと、坂東は早々に判断していた。

 そのため彼は、この二人よりも早く参内して皇主に対しこれが反乱であることを奏上しようとしたのである。伊丹・一色両公が参内すれば、必ず横槍が入って事態の収拾が困難になると考えたからであった。

 しかし、参内はしたものの、夜に至っても坂東兵相が皇主へ拝謁することは叶わなかった。

 坂東兵相が参内した時点で近衛師団の一部も不穏な動きを見せており、宮中の多くの人間が疑心暗鬼に陥っていたからである。

 この事態に対する坂東の政治的な立ち位置を、宮内省の側は十分に見定めることが出来なかったのだ。伊丹・一色家に近い宮内省職員は坂東兵相を有馬閥の人間と見ており、逆に有馬閥の人間は坂東が有馬閥の影響下から独立を図るために今回の蹶起に参加しているのではないかと疑ったわけである。

 坂東友三郎は、有馬頼朋が六家の利害関係に囚われない中立的な立場にいる軍人であったことから兵部大臣に任命した人物であった。その、どこの派閥にも属さない(あえて言えば海軍閥だが)という彼の立場が、この場合、かえって周囲の人々の疑心を掻き立てることになってしまったのだ。

 そうして時間を浪費している間に、有馬閥であった内大臣が殺害されるという事件が発生した。

 内大臣は宮内大臣と並び、宮中に置かれた大臣職である。

 宮内大臣が宮内省を統括して皇室に関する事務を行い、華族の管理を行う一方、内大臣は御璽国璽を管理して皇主を輔弼することが求められていた。

 そのため、単に事務を統括する宮内大臣と違い、内大臣は宮中と政府、六家を繋ぐ政治的な役割を担っていた。

 その内大臣が殺害されてしまったために、宮中はさらに混乱してしまったのである。


「貴殿は“卜部”だというのに、この事態を予見出来なかったのか?」


 なかなか拝謁の許可が下りない中、兵部大臣・坂東友三郎海軍大将は御霊部長・浦部伊任を責めるような口調で問い詰めていた。


「確かに我が一族は卜占を得意として皇室に取り立てられた術者の家系だが、天災ならばともかく、人の運命には不確定要素が多すぎる」


 一方、浦部伊任はその厳つい顔に不本意そうな表情を浮かべている。


「それに、下手に他者の運命を占えば、かえってその者の運命をねじ曲げる結果にもなりかねん。故に我らは、陛下がお求めになられない限り人に対して卜占を行うことはない」


 その反論に、坂東兵相は深く溜息をついた。


「……術者というのも、何かとしがらみが多いようだな」


 現在、坂東友三郎は御霊部の得た情報を兵部省側に共有してもらうため、宮城内にある書陵部庁舎に身を置いていた。しかし、拝謁も出来ず、かといって兵部省庁舎に帰還出来る見込みも立っていない。戻ろうにも、官庁街そのものが蹶起部隊によって封鎖されてしまったからだ。

 その上、切断された電信に代わって最後まで生き残っていた呪術通信に関しても、恐らくは伊丹・一色家側の術者による妨害もあって、通信が困難となっていた。

 さらに言えば、書陵部庁舎の外、皇宮として神聖不可侵であるはずの宮城の敷地内にも不穏な空気が満ちていた。一部の近衛将兵が蹶起に加わり、皇宮警察の武装解除を行おうとした結果、それに抵抗した皇宮警察の者たちとの間で一時銃撃戦が発生し死傷者も出していたのである。

 今は銃撃戦は収まっていたが、宮城の敷地内では依然として皇宮警察と蹶起に加わった一部の近衛師団の将兵たちが対峙を続けている。

 そうした事情もあって、坂東兵相は宮廷術師たちによって守られている書陵部庁舎に身を寄せていたのである。

 しかし、宮内省御霊部による式を飛ばしての状況の把握も、呪術通信と同じように妨害のための霊力波が放たれているため、十分に行えなくなりつつあった。


「何としてでも、伊丹・一色両公よりも先に拝謁せねば、事態は両公の望み通りに進んでしまうだろうな……」


 坂東は嘆息気味に呟いた。時間だけが無為に過ぎていく中、ようやく拝謁が認められたのは、午後十時を過ぎた頃であった。






 宮内省本庁舎では有馬閥、伊丹閥の者を中心に互いに疑心暗鬼に陥り、さらには近衛師団の一部将兵が蹶起側に合流したこともあり、宮城内では依然として混乱と緊張状態が続いていた。

 この状況に変化をもたらしたのは、皇主自身であった。

 すでに侍従長より皇都で変事が起こったことを知らされていたにもかかわらず、誰一人として自分の下に詳細な報告をもたらさないことに不満の声を漏らしたことがその切っ掛けとなった。

 そこで皇主の意を汲んだ侍従長は、すでに参内していた坂東友三郎および情報収集に当たっていた浦部伊任を皇主に謁見させることとしたのである。

 この時、坂東兵相は浦部御霊部長と共に皇主に対して事態の推移を説明した上で、次の点を強調して奏上したとされる。

 皇都での混乱を収拾するために暫定政権を成立させるのはかえって政争の具となり混乱を助長しかねないため、現政権を維持したまま事態の収拾に努めるべき、と。

 武力によって政権を打ち立てられるとなれば、皇国は戦国時代に逆戻りしてしまう危険性がある。坂東はそう皇主に訴えたのである。

 それに対して、皇主は二人に対して今回の事態を深く憂慮すると共に早期の解決を望む言葉を述べたという。

 もちろん、権威の象徴としてのみ君臨して政治的な決断を下さない皇主は、反乱鎮圧の奉勅命令を発するようなことはしなかったが、代わりに殺害された有馬貞朋の元に弔問の勅使を送るように命じた。

 ある意味でそれが、武力による政権の奪取という行為を許さないという皇主のせめてもの意思表示であったのかもしれない。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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