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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十一章 流血の皇都編

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208 シキガミの思慕と忠義

 人気の絶えた大通りの中央に、一人の少女が立っていた。

 かつて中部地方を通り西国へと通じていた街道は、今や複線の馬鉄が敷かれ、道の両脇にガス灯が立ち並ぶ近代的な大通りへと様変わりしている。

 完全に夜の帳が降り、ガス灯の光が街道を照らす中で白髪赤目、狐の耳と尻尾を生やした少女が立つ様は、凜とした彼女の雰囲気と共にどこか幻想的な印象を与える一方、逢魔が時に妖魔が現世(うつしよ)へとさまよい出たかのような不穏な印象をも与えていた。


「―――なんのつもりだ、葛葉冬花?」


 そんな少女と対峙することになった一人の男が、険しい声で尋ねた。

 男の名は、大江綱道(つなみち)と言った。

 伊丹家に代々仕える術師の家系・大江家の当主を務めている男であった。


「やはり、私のことはご存じでしたか」


 特に驚いた表情も見せず、ただ淡々と冬花は応じた。


「その特異な容姿、六家に仕える術者として知らぬわけがなかろう」


「そう言うそちらは大江綱道殿ですか? あるいは、その息子の綱章(つなふみ)殿ですか?」


「私は、綱道だ。ふん、名乗り合いなど、中世武士の一騎打ちでもあるまいに」


 大江綱道は、じっと冬花を見つめる。

 たった一人、この中山道の大通りを塞ぐように立つ少女。その背には矢筒を背負い、弓を体に斜めに掛け、腰には刀を佩き、手には薙刀を持っている。

 その昔、主君が落ち延びる際に付き従い殿を務めた女武者がいたというが、あるいはこの少女のようであったのかもしれないと綱道は思う。


「……貴殿、やってくれたな」


 警戒心を緩めずに、大江綱道は言った。その声は、賞賛よりも悔しさの方が勝っていた。


「結城景紀を追ってきたかと思えば、貴殿一人のみか」


「狐は、化かすのが得意ですから」


 自嘲とも不敵ともとれぬ笑いを浮かべつつ、冬花は指に挟んだ人型に切り取った紙を示した。その人型に、一筋の黒髪が結わえ付けてある。


「その式に、結城景紀の気配を移したというわけか。どうりで、結城景紀の気配を追ってきても、貴殿しかおらぬはずだ」


 人型に結わえられた髪は、結城景紀のものだ。その上、周囲一帯には人払いの結界が張られている。てっきり、せめて追撃してくる近衛騎兵たちだけでも撒こうとしての術式かと思ったが、そうでもないようだ。


「貴殿一人で、殿を務めるつもりか?」


「ええ、それが主命なれば」


 大江綱道が問えば、冬花は動じぬ口調で答えた。その言葉には、一切の躊躇のない、苛烈なまでに純化された忠誠心だけがそこに宿っていた。

 つまり、目の前の少女はここで自分たちを足止めするつもりなのだと、大江綱道は判断せざるを得なかった。人払いの結界を張ったのも、近衛騎兵を撒くためではなく、これから起こる呪術戦に無関係な人々を巻き込まないためだろう。


「捨て駒というわけか。何とも哀れなことだな」


「私は、私の意志でここに立っている」途端、冬花の声に敵意が混じり、口調も硬いものへと変化する。「貴様ごときに哀れまれる必要はない」


 少女の感情を表わすように、丈の短い着物の裾から伸びる尻尾がぶわりと逆立つ。その様に、大江綱道は溜息と共に首を振った。


「どう言い繕おうと、捨て駒に違いはなかろう。結城景紀の寵愛を受けながら、結局、お前の主君はお前を見捨てる道を選んだ。自分自身のために、そして河越で待っているであろう宵姫のために。結城景紀は他の女のために、お前に死ぬように命じたのだ。同じ女として、怒りは湧かぬのか?」


「言霊で私を惑わそうとしても無駄だ。そして、我が主君を愚弄するな」


 冬花の赤い瞳に、雷光の如き煌めきが宿る。その華奢な体から、周囲を威圧するような霊力が放たれる。

 空気を切り裂く音と共に、白髪の少女は薙刀を振るい、構えた。


「私は、結城景紀のシキガミ・葛葉冬花。主従の誓いを交わしたあの日から、この身は髪一筋から血の一滴、魂の一欠片に至るまであの方のモノだ」


「……それは、狂気だな」


 一瞬、ぞわりとした悪寒が綱道の背を駆け抜ける。そして、これ以上の揺さぶりは無駄であると感じていた。

 そこに結城景紀がいると判断して人払いの結界に誘い込まれていってしまったのが、自分の誤りか。大江綱道は内心で悔やんだ。

 こちらを誘い込めたと判断したのか、彼女は人払いの結界にさらにもう一つの結界を重ねていた。内部の存在を逃がさないようにするための、封印用の結界だ。

 結界を破壊して脱出することも大江綱道にとっては不可能ではないが、目の前の少女はそうやすやすと結界を抜け出させてはくれないだろう。

 だからこそ、言葉で揺さぶりをかけ、術者の精神を乱すことで結界の術式に綻びを生じさせようとしたのだが、無益に終わったらしい。

 葛葉冬花の結界の所為で、外部との呪術通信も封じられている。結城景紀を追討する部隊を、せめて街道を先回りして封鎖させるよう主君である伊丹正信に報告することも出来ない。

 自らに仕える従者を切り捨てるという思い切りの良さを示した結城景紀、そしてその命令を貫こうとする葛葉冬花の忠義に、自分は負けたということか。

 ならば今は一刻も早く目の前の術者を倒し、急ぎ結城景紀を追わねばならなかった。


「……やれ、綱章(つなふみ)


 虚空へと、伊丹家に仕える陰陽師は呟いた。

 直後、大通りに火花と共に金属同士のぶつかり合う甲高い音が響き渡った。


「ちっ……」


「……」


 今まで誰もいなかった空間から、突如として一人の青年が出現していた。その青年が冬花に向かって突き出した刀を、シキガミの少女は薙刀の刃で受け止めていた。その赤い瞳に、動揺はない。


「くそっ!」舌打ちと共に、青年は跳び退った。「何で俺の隠形(おんぎょう)が判った?」


 隠形とは、自らの姿を視認出来ないようにする術のことである。しかし、奇襲的に斬りかかった青年―――大江綱章の刀は、あっさりと冬花によって防がれていた。


「空気の振動」


 相対する術者の疑問に、冬花は端的に答えた。

 妖狐の能力を開放している彼女にとって、いくら隠形術とはいえ、姿を視認出来ないようにしただけでしかない。存在そのものを消したわけではないのだ。その優れた聴力によって、空気のわずかな揺れ、術者の呼吸音を捉えることなど造作もないことであった。


「化け物め」


 悔しげに吐き捨てる大江綱章に、冬花は冷めた目で一瞥をくれるだけだった。そして、改めて大江綱道に視線を向ける。


「通りに隠れている連中もかかってくるといい。まとめて、私が相手をしてやる」


 十九の少女が発するとは思えない気迫と共に、冬花は宣言した。


「小娘が。粋がりおって」


 主命を阻む陰陽師の少女に向かって、綱道は腹立たしげに呟いた。

 そして、冬花の挑発が聞こえたのか、街道に沿って並ぶ建物の影に潜んでいる者たちが動き出す気配。大江親子と同じように結城景紀追討を命じられた、伊丹家の忍たちである。

 彼らは大江親子と行動を共にしていたため、やはり結界内に誘い込まれてしまっていた。

 そのことに歯噛みしつつ、綱道はサッと刀印を結んだ。


「臨兵闘者皆陣列在前!」


 そして一気に九字を切り、呪文を唱える。同時に、通りに黒装束の集団が飛び出してくる。


「オン・キリキリ・バサラ・ウンハッタ」


 だが、冬花は霊的障壁を作り出して九字を防ぐと共に、通りの両側から現れた忍たちの放った鉤縄を狐火で焼き切ってしまう。そして、同時に斬りかかってきた綱章の刀も、薙刀で受け止めていた。

 通りに、一発の銃声が響いた。

 忍の一人が、建物の屋根の上から冬花を狙撃したのだ。しかし、一瞬後にその場から少女の姿は消えていた。銃弾が、虚しく地面を抉る。

 消えた冬花の姿は、ガス灯の上にあった。


「化け物め……」


 今度は、一人の忍の口からその罵りが漏れた。


「降臨諸神、諸真人、縛鬼伏邪、百鬼消除、急々如律令!」


「降臨諸神、諸真人、殺鬼万千、却鬼延年、急々如律令!」


 大江親子が、破邪と妖魔調伏の呪文を同時に詠唱する。妖狐の血を引く冬花に対しては、最も効果の高い呪文の一つであった。


「ウン」


 シキガミの少女が短く唱えたのは、あらゆる障害を取り除くという軍荼利明王の種子(しゅじ)真言。

 結城家と伊丹家、それぞれに仕える術者たちの呪文がぶつかり合い、霊力の相克が起こる。


「ぐっ……」


 だが、いくら冬花が妖狐の血を解放しているとはいえ、相手も高位術者。自らにのし掛かる霊的な圧迫感に、冬花の口から思わず呻きが漏れる。

 このままでは拙いと、冬花はガス灯から飛び降りた。だが、着地の際にわずかにたたらを踏んでしまう。

 その隙を、伊丹家の忍たちは見逃さなかった。

 前後左右、四人が同時に飛びかかったのだ。


「舐めるなあぁぁぁぁぁぁっ!」


 だが、冬花は裂帛の叫びと共に薙刀を振るった。身にのし掛かる重圧を吹き飛ばすかのように霊力を一挙に解放する。

 刹那、血飛沫が舞った。

 冬花は片足を軸にして体を回転、その回転に合わせて振るわれた薙刀が四人の喉笛を切り裂いたのだ。

 直後に銃声の響きと共に、重く湿ったものが地面に落下する音が響く。

 見れば、狙撃手の胸に薙刀が突き刺さっている。

 体を回転させた勢いのまま冬花は薙刀を投擲し、今まさに自らを撃とうとしていた忍を逆に仕留めたのだ。

 体に薙刀が刺さった衝撃で絞られた引き金は、銃弾をあらぬ方向へ飛ばしただけであった。


「他愛なし! これが伊丹の呪術師、そして忍の実力か!」


 鬼気迫る態度で、シキガミたる少女は叫んだ。

 常人(ただびと)でしかない伊丹家の忍たちが、気圧されたような動きを見せた。彼らはあくまでも忍でしかなく、術者を相手取った経験など皆無なのだ。


「お前たち、退け」


 黒装束の一人から、そんな声が発せられた。それで、伊丹家の忍たちは潮が引くように冬花から距離を取っていく。


「綱道殿、それに綱章殿、部下たちではあの化け物の攪乱にもならぬらしい。忍の育成には時間がかかる。我らは、退かせてもらうぞ」


 その忍が、忍集団の頭目らしかった。


「だが、小娘の結界が維持されている限り、外に出ることは出来ん。しばらく距離を取っておかれるがよかろう」


 大江綱道が、冬花を警戒しつつ頭目に応じた。それで、黒装束の集団たちは再び影の中へと消えていく。

 冬花は妖狐の聴力を使って注意深くその気配を追う。退いたと見せかけて、不意打ちをしてくる可能性を警戒したのだ。だが、本当に伊丹家の忍たちはこれ以上の損害を厭ったようであった。

 改めて、三人の術者が広い街道の上で対峙する。


「絶対に、行かせない」


 冬花は腰に差した刀を抜き、そして構えた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 冬花が殿を務めている間、景紀たちは中山道をひたすらに北上していた。

 冬花や鉄之介の幻術で相手側の探索用の式を攪乱し、さらに景紀の気配を人型の式に移すことで、相手の術者の判断を誤らせようとした。

 それは今のところ、成功しているようであった。

 三騎の馬は、人気の少なくなった街道を駆けていく。やはり職務に忠実な警官たちの交通整理を無視して、とにかくまずは川を越えることを目指す。

 人払いの術式とは無関係に、通りからはすっかり人の気配が消えていた。家々は雨戸を完全に閉じて、ひっそりとしている。

 このような状況下にあっても律儀な職員によって灯されたガス灯の明かりが、通りを虚しく照らしていた。

 これまで何度も地震や大火に見舞われてきた皇都市民たちにとって、どこまで正確な情報を掴んでいるのか判らないが、将家同士の武力衝突は地震や大火と違って息を潜めてやり過ごせる程度のものと考えているのかもしれない。

 少なくとも、騒乱は結城家皇都屋敷まで及んだものの、それよりも北の地区へは未だ波及していない様子であったから、皇都市民たちの考えも判らないでもなかった。

 馬の蹄が地面を叩く音が、通りに虚ろに木霊する。


「橋の方はどうだ?」


 探索用の式を先行させている鉄之介に、景紀が問う。


「まだ軍による封鎖はされてないみたいだが、やっぱり大八車に家財道具を乗せて橋を渡ろうとしている奴らはちらほらいる」


「……厄介だな」


 景紀は呻くように呟いた。

 避難民を押しのけて強引に橋を渡るのは、流石に憚られた。下手をすれば、避難民たちとの間で一悶着あるかもしれない。

 そうなれば徒に時間を浪費し、殿を務めて相手術者を引き付けてくれている冬花の献身を無駄にしかねない。


「直接、川を渡るぞ」


 景紀は即座に決断した。三騎の馬は、少しだけ速度を速めて通りを北へと駆けていく。






 皇都の北側から東側にかけて流れる荒川の下流域は、河川敷と川幅がともに広い川として知られている。水深も増水などなくとも、最低一メートル二、三十センチに及ぶ。

 鉄之介の式を先行させて、渡河に適した地点を探してそこに馬を進めた。

 陸軍では橋などを架けず直接川を渡河する場合には慎重に渡渉点を探るのだが、今はそのようなことをしている余裕はない。


「……」


 川に辿り着いた時、鉄之介はしきりに後ろを窺うような素振りを見せた。姉を殿に残し、そして婚儀を挙げたばかりの八重を皇都に残したまま、自分だけ皇都を脱出することに躊躇いがあるのだろう。


「もたもたするな」


 だが、そんな彼の心情を斟酌せず、景紀は少し厳しい声で言った。鉄之介には、水深を確かめるために霊力波などで川底を探索してもらい、渡河を先導してもらわなくてはならない。

 景紀は素早く衣服を脱いで褌一つになる。手際よく畳んだ衣服と装備を、濡らさないように馬の背に括り付ける。貴通もまた、裸身を晒すことに躊躇いを見せず衣服を脱いだ。


「ちっ……」


 馬の手綱を引いて川を渡る準備を整えている二人に鉄之介は舌打ちをすると、彼自身も褌一つになって馬の手綱を引き、二人に先行して川の中に入っていく。

 霊力波で川底を探りつつ、慎重に川を渡り始める。その後ろに、手綱を引いて馬を誘導する景紀と貴通が続く。

 三人は胸のあたりまで水に浸かりながら、対岸を目指していった。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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