207 有馬家皇都屋敷の攻防
有馬家皇都屋敷が襲撃を受けたのは、十七日午後三時半過ぎのことであった。
「皇都が、本当に戦場になってしまうとはな」
家臣からの報告を、貞朋は苦笑と共に受けた。以前、景紀に言った冗談が真になってしまうとは。
氷州鉄道皇都支店が爆破されたことについては、彼もまた報告を受けていた。長尾憲隆公の生死は不明であるが、恐らくは絶望的だろうと思っている。
そして、それに呼応したのか、あるいは引き摺られたのか、歩兵第一、第三連隊が蜂起。
宮城南側、それも第一運河の内側にある有馬家皇都屋敷は、六家皇都屋敷の中でも最も皇都の中心部に位置している。それだけに情報の入りも早く、そして今回は政府の主要施設襲撃・占拠に向かう蹶起部隊の針路上に位置している。
あるいは、そもそも彼らの狙いは自分なのか。
貞朋は、何とも判断がつきかねた。
父・頼朋ではないのだから、自分にそこまでの政治的価値があるとは彼は思っていない。だから官庁街の襲撃・占拠に向かう途上で屋敷が襲撃を受けたとも考えていたのだが、一方で有馬頼朋の息子だからこそ排除しておきたいと考える者もいるだろうと思っている。
「御館様、残念ながら運河の方も完全に封鎖されております」
家臣は、申し訳なさそうに報告してきた。
有馬家皇都屋敷は皇都第一運河に面している。船を使っての脱出を真っ先に阻止したいのか、屋敷を襲撃した部隊は有馬家皇都屋敷周辺での舟運を停止させていた。
「屋敷内にいる女子供は、一箇所に集めよ。平民出の奉公人たちも同様だ。所詮、これは攘夷派とそうでない者たちの、そして六家の権力闘争だ。彼らを巻き込むわけにもいくまい」
「しかし、脱出させるのは困難で……」
「この状況で無理に脱出させようとすれば、かえって向こうに撃たれる危険性がある。屋敷の一番奥に集めれば、それで良い。蹶起した者たちも、女子供にまで手をかけようとは思わんだろう」
「はっ、承知いたしました」
「それと、機密文書の焼却を行わせよ。ひとまず、私からの命令は以上だ」
「はっ、失礼いたします!」
その家臣は硬い面持ちで礼を取り、貞朋の前から駆け出していく。
「さて、景紀殿はどうしているのやら」
結城家とは違い、和風な造りの執務室でこの有馬家当主は独りごちた。恐らく、あの少年のことだから自分よりは上手くやっているだろう。
こちらの屋敷と違って、距離の問題から情報の入りも遅いだろうが、その分、蜂起した者たちに襲われるのも遅くなるだろう。そして、自分たちがこの屋敷で粘れば粘れば粘るほど、結城家が襲撃を受ける時間を引き延ばすことが出来る。
今は一個中隊規模の襲撃であるが、それでも突破出来ないとなれば蹶起部隊はさらなる増援を注ぎ込んでくるだろう。
他の六家のために自家を犠牲にするなど六家当主のやることではないが、貞朋はすでに覚悟を決めていた。道連れにしてしまう家臣たちには申し訳ないが、この状況下で生き残るべきは自分ではなく景紀だろう。
自分では結城家領軍を動かすことは出来ないし、脱出して南嶺に落ち延びられたとしても軍を興して皇都に攻め上るにも時間がかかる。その前に、蹶起した者たちは新たな政権の基盤を固めてしまうだろう。
「父上が不在なだけで、ここまで政局が混迷を極めるとはな」
自分は父の言いなりのような形でこれまで当主を務めてきたが、改めて父・有朋という政治家の偉大さを知る。だからこそ、貞朋は六家当主としての主体性を失ってしまったといえるが、少なくとも彼自身は今の己の在り様に納得している。
有馬頼朋という人物が父親として尊敬すべきであるかはまた別問題だが、少なくとも皇国にとってなくてはならない政治家だったのだろう。
今は領地に下がって、病状が回復するのかは判らないが、もし健康を取り戻し、そして景紀が無事であれば、この国は新たな段階へと踏み出すことが可能となるかもしれない。
そのための捨て石となれるのであれば、別に構わなかった。
そこまで考えて、やはり自分には主体性というものがないのだなと改めて苦笑する。
「失礼いたします」
去っていった家臣と入れ替わるように、まだ声変わり前の男子の声が執務室に響いた。
「屋敷への結界を張り巡らし終わりました。これで、いま少しの時間稼ぎは出来るかと」
「そうか。ご苦労」
「いえ、父が不在である以上、私がその代わりを務めるのは当然です」
かしこまった調子で臣下の礼を取る少年の名は、弓削昌慶という。有馬家に仕える術者の家系・弓削家の嫡男で十三歳の少年であった。
貞朋は陽鮮倭館での戦訓から、この陰陽師の少年に対物理結界を屋敷に張るように命じていたのである。すでに対呪術用結界を維持している少年にとっては負担になってしまうが、やむを得なかった。
「皇都に来て早々にこのようなことに巻き込んでしまい、済まないね」
「いえ、これも将家にお仕えする者の運命でしょう」
少年の声は、緊張で硬くなっていた。六家当主を前にしたからか、あるいは戦いに巻き込まれたからか。
将家に仕える陰陽師と言っても、その実態は様々であることを貞朋は改めて感じていた。結城景紀と葛葉冬花の関係を見ていると、むしろ弓削昌慶の態度はどこか新鮮ですらあった。
六家は呪詛などを警戒して高位術者を家臣に加えているが、結城景紀と葛葉冬花ほど主従の距離が近い関係を築いている者は皆無であった。
葛葉冬花の母が結城景紀の乳母を務めていたというから、当然といえば当然なのかもしれないが、それでも珍しいことには変わりがない。
基本的に六家にとって、高位術者とはいえその存在は用人系統の一家臣に過ぎない。呪術という特殊能力を持ってはいるものの、あくまで主家直属というだけで家臣団の中で特別に厚遇されているというわけではない。
実際、葛葉家の当主・英市郎にしても景忠公の病の呪術的治癒のために側に控えているだけで、政治的な権限は一切与えられていないという。
術者とは、あくまでも呪詛や怨霊などの霊的災厄から主家を守るための存在でしかないのだ。副次的に、呪術通信や式を使った諜報といった能力が求められるだけである。
その意味では、当主の側用人として取り立てられる者の方がよほど主君から重用されているといえた。
貞朋が対斉戦役に弓削慶福を従軍させたのも、側近として用いるためではなく、あくまでも呪術的な身辺警護と不衛生な宿営地周辺の浄化を行わせるためであった。
今、有馬家皇都屋敷の結界を維持している弓削昌慶も、学士院に通わせるようなことはしていない。十歳までは領内の尋常小学校に、十二歳までは同じく領内の高等小学校に、それぞれ通わせただけである。
だからある意味で、子供を学士院に通わせている葛葉家は、六家に仕える術者の家系の中でも比較的優遇されていると言えるだろう。
もともと葛葉家の初代は妖狐と人との間に生まれた、今の葛葉冬花と同じような特異な容姿の持ち主であったという。その者を当時の結城家当主が直々に家臣に取り立て、「葛葉」の名字を与えたというのだから、未だ主家である結城家がある程度、葛葉家を厚遇するのは両家の関係から見て当然であるのかもしれない。
「君の忠誠を、私は嬉しく思う」
「きょ、恐縮です」
昌慶は、貞朋に対して頭を下げっぱなしであった。
「だからこそ、君のような未来ある少年を死なせるのは忍びない。今、屋敷の女子供を一箇所に集めている。君はまだ十三。将家にとっては、兵学寮を卒業する十五で一人前。君も子供の一人として、そこにいなさい。そして、その周辺にさらに結界を張って彼らを守ってくれ。流石に外の連中が女子供まで手に掛けるとは考えがたいが、興奮した兵士が何を行うのか、判断のつかないところがある」
屋敷を襲撃した部隊の将兵がそこまで見境のない殺戮を行うとは考えていないが、やはり実際に戦場を経験しているが故の不安は貞朋の中にある。
「しかし、私は父から御館様のことを任されたのです。御館様は私を子供と申されますが、父は私を一人前と認めて下さったからこそ、皇都に遣わしたのです」
「君は、反抗期を迎えているのかい?」
「いっ、いえ、そのような……」
からかうような、苦笑するような声をかければ、昌慶はますます恐縮してしまう。
「判った。君の覚悟は認めよう」結局、折れたのは貞朋の方だった。「ただし、無駄に命を捨てるようなことはないようにせよ」
それが自身の願望の混じった虚しい命令であることに気付きつつも、この六家当主としてはそう命じるより他になかった。
◇◇◇
有馬家皇都屋敷を巡る攻防は、陽が完全に落ちてからも続けられた。
当初は一個中隊での襲撃だったのであるが、有馬家側は警備掛だけでなく男の家臣団すべてを動員して屋敷の防衛に当たっていたため、襲撃側は逐次、戦力を増強しなければならなくなった。
最終的に三個中隊、一個大隊(皇国陸軍の一個大隊は四個中隊からなる)に迫ろうとする人員を有馬家皇都屋敷の襲撃に投入することになってしまった。
そして襲撃の発生から三時間半が経とうと午後七時過ぎ、ついにその均衡は破られた。
度重なる銃撃や砲撃、擲弾の投擲の前に、少年陰陽師・弓削昌慶の張った結界が耐え切れなくなったのである。
さらにこの時、有馬家皇都屋敷を制圧が遅々として進まないことに業を煮やした一色公直は、ついに一色家に仕える術者を結界破壊のために派遣していた。結界が破壊された原因は、ここにもあった。
それでも、有馬家側の武士たちは果敢に反撃を行った。
広大な屋敷は、いくつもの区画に分かれている。家臣団の居住区画、将家としての執務区画、そして当主とその家族の住まう奥御殿。彼らは奥御殿へと下がりながら、屋敷内部の構造に疎い蹶起部隊に対して、徹底抗戦も辞さない構えで防戦を続けたのである。
だが、襲撃者たちの屋敷内部への侵入を許してから一時間あまりが経った午後八時過ぎ、限界は訪れた。
有馬家の者たちは、奥御殿に押し込められるような形で完全に包囲されることになってしまったのである。
襲撃者側の将校からも、その奮戦を賞賛しつつも降伏が促されている。
「ここまでよくやってくれた。諸君らは降伏せよ」
貞朋は警備隊長にそう促してから、自らの居室へと向かった。
襲撃開始から実に四時間半。よく持ち堪えた方だろう。襲撃側もかなりの兵力をこの屋敷に投入したようであるから、景紀が彩城国に脱出するだけの時間は稼げたと思いたい。
心残りがあるとすれば、国元に残してきた正室や側室、そして子供たちのことか。
自分は他の六家当主たちと違って、正室を娶ってから長い間、後継者たる男児に恵まれなかった。女児は何人か生まれたが、結局、後継者たる男児を産んだのは側室の女性であった。それでも、正室を娶ってから十年以上が過ぎてからである。そのために、正室には肩身の狭い思いをさせてしまった。
だからこそ、ようやく授かることが出来た長男の元服、叶うならば兵学寮入学あたりまでは見てみたかった気もするが、今となっては詮無いことだろう。
それに、自分は六家当主として対斉戦役で多くの将兵を死なせてしまっている。彼らの中には、故郷に帰りを待つ妻子や父母がいたことだろう。
だとすれば、自分にも同じ運命が降りかかってくることは、そう理不尽な話ではない。
書院造りの居室に至った貞朋は、床の間を背にして座る。まるで、これから客人を迎え入れるような態度であった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
最終的に有馬家皇都屋敷制圧の報告が伊丹正信、一色公直の元に届けられたのは、午後九時を回ろうとする時刻であった。
「ようやく、か」
正信は、ほぅと長く息をついた。
奇襲的な襲撃で片を付けられると思ったが、予想を遙かに超えて長引いてしまった。
歩兵第一連隊の麾下にある三個大隊計十二個中隊の内、四分の一に当たる三個中隊と一色家の術者を投入してようやく制圧に成功したのである。
「それで、有馬貞朋はどうした?」
報告に来た将校に問いかけたのは、一色公直であった。
「はっ。貞朋公は奥御殿の居室におりまして、さながら我らを迎え入れるようでありました」
「そのようなことはどうでも良い」急かすように、公直は言った。「首は刎ねたのか?」
「はっ、私ともう二名の将校が、拳銃にて射殺いたしました。遺体は、有馬家家臣団の者に引き渡してあります」
「射殺、だと?」
公直は不快の唸りを発した。
つまり襲撃を担当した者たちは、有馬貞朋を佞臣・頼朋の子であるという理由で殺害を企てながらも、罪人のように首を刎ねるのは忍びないと思ったということか。
出来れば首を市中に晒して自分たちの正統性を訴えたかったが、今さら遺体を奪って首を切り取るわけにもいかない。
「まあ、良いではないか」宥めるように、伊丹正信が言う。「あまり遺体を粗略に扱えば、自棄を起こした有馬家の家臣たちが何をしでかすか判らん。一応こちらも、有馬貞朋に対する礼を尽くしたというのならば、かえって今回の行動を皇国のためにやむにやまれず蹶起した義挙であると民に喧伝する材料になろう」
「公がそうおっしゃるのであれば」
若干納得していない声を返す公直だったが、それでこの話題は終わりとなった。報告に来ていた将校を下がらせる。
「有馬家は片付けた。問題は、結城の小倅の方だ」
そして、二人だけになった途端、先ほどまでの安堵感を消し去って正信は焦燥感の滲む声で言った。
「こちらの術者を向かわせてからというもの、まったく報告がないではないか」
「私のところの術者からも連絡はありません」
伊丹家に仕える術者をまず結城景紀の追討に向かわせ、その後、有馬家皇都屋敷の結界を破壊した一色家の術者も後を追わせている。
河越へと続く街道の封鎖が後手に回ってしまった感はあったものの、近衛騎兵連隊など一部の蹶起に賛同した部隊などを使って現在は彩州へと向かう街道や橋は封鎖している。
取り逃がしてしまったというのならばそれはそれで報告は来るだろうが、それすらないということはどういうことか。
二人は皇都を掌握しつつあるとはいえ、依然として新政権樹立のための障害すべてを排除出来たとは言い難かったのである。




