206 殿の戦い
結城家皇都屋敷に対する襲撃は、伊丹正信や一色公直が期待していたほど順調にはいかなかった。
もとより、二人も攘夷派浪士たちだけで結城家皇都屋敷への襲撃を成功させられるとは思っておらず、まずは攪乱と結城景忠に対する攘夷派の意思を伝えられればそれでよいと考えていた。
つまり、攘夷派浪士の集団に屋敷を襲撃させることで、結城景忠に政治的圧力をかけることを目的としていたのである。病を得てすっかり弱腰となった結城家現当主ならば、流石に息子・景紀の身柄を差し出すようなことはしないだろうが、景紀を廃嫡することで攘夷派との妥協を図ろうとするのではないかと、伊丹・一色両公は考えたのである。
しかし問題は、攘夷派浪士の襲撃に続く蹶起部隊を早々に派遣出来なかったことである。
歩兵第一、第三連隊は氷州鉄道皇都支店爆破事件を奇貨として蹶起したわけであるが、そもそも爆破事件そのものが唐突であっただけに、全部隊が即座に行動を起こせたわけではない。
まずは衛戍地から近い距離に存在する目標である有馬家皇都屋敷と官庁街の襲撃・占拠を目的に、装備を調えた部隊から出撃したのであるが、どうしても泥縄式の行動であるという感は否めなかった。
歩兵第一連隊連隊長・渋川清綱大佐は部下たちに蹶起を促すと共に、駐屯地が近く攘夷派寄りの姿勢を示していた近衛歩兵第三連隊、近衛騎兵連隊にも自分たちに呼応することを求める使者を送った。
しかし、近衛師団の各部隊は歩兵第一連隊などと違って主要な将校がすべて攘夷派で占められているということはなく、そのために渋川大佐の派遣した使者による説得には時間がかかった。
最終的に、部隊全体での蹶起とはならず、歩兵第一、第三連隊の行動に賛同した将校たちが蹶起することとなった。
その中核にあったのは、桜園季寿大尉という青年将校であった。
彼は伊丹直信の婚約者・桜園理都子の兄の一人で、だからこそ同じく伊丹家と姻戚関係にある渋川清綱大佐からの蹶起要請に応じたのである。
だが、近衛第三連隊、近衛騎兵連隊の一部が蹶起するまでに、二時間以上の時間が浪費された。
さらに、伊丹・一色両公は葛葉冬花対策のために自らの家に仕える術者を結城家皇都屋敷に差し向けようとしたのであるが、これにも問題が生じていた。
宮内省御霊部が騒擾事件の詳細を把握すべく皇都市内に探索用の式を放っており、また各地と呪術通信を取ろうとしている兆候が見られたことから、これらの妨害のために二家に仕える術者たちの行動が制約されてしまったのである。
結果として、結城家皇都屋敷に対する第二次襲撃は、牢人たちによる襲撃から一時間以上も間を開けてから実行されることとなってしまったのである。
この時点で蹶起側にとって幸いであったのは、結城家の側でも脱出に際して混乱が生じており、さらに景紀が結城家としての面子にこだわって己の脱出を最後してしまったことであろう。
◇◇◇
「自分は近衛騎兵大尉、桜園季寿である!」
近衛騎兵連隊と近衛歩兵第三連隊の中で、ひとまず自分がまとめることの出来た将兵を率いて結城家皇都屋敷に至った青年・桜園季寿は、乗馬のまま正門前でそう名乗りを上げた。
「結城景紀殿には、畏れ多くも大逆の疑いが掛けられている! 何か弁明あらば、出てこられるがよい!」
これは、完全に季寿の虚言である。結城家皇都屋敷内の者たちを動揺させ、屋敷内部で景紀を孤立させようという考えから出たものである。
そもそも、景紀を大逆罪で捕縛せよという命令は、どこからも出ていない。単に、伊丹・一色両公を中心とする攘夷派政権樹立のために有馬貞朋と結城景紀が障害となると考えられていたから、季寿が咄嗟に思い付いた口上を叫んだだけである。
その隙に、部下の近衛将兵たちに他の門を抑えさせる。
「ここは結城景忠公が屋敷であるぞっ!」
と、季寿の口上に応ずるように、正門脇の番所から声が上がった。
「貴様は何の根拠があって景忠公が御嫡男・景紀様を逆賊呼ばわりするかっ!」
「我らは近衛である! それが根拠である!」
もちろん、近衛師団司令部からの正規の命令による行動でない以上、季寿も自身の言葉の根拠を示すことは出来ない。ただ、武装した将兵によって屋敷の者たちに圧力を掛けるだけである。
そして、結城家があくまでも門を閉ざすようであれば、部隊を突入させて結城景紀の身柄を拘束する肚であった。攘夷派が政権を取ってしまえば、後で自分たちの行動はいくらでも正当化出来る。
それに、ここで妹の嫁ぎ先である伊丹家に恩を売っておけば、攘夷派政権の中での自分の出世、そして公家華族の復権にも繋がるという打算も働いていた。
そのまま正門前で緊張感を孕む対峙が数瞬の間、続く。それを破ったのは、季寿の部下の叫びであった。
「大尉殿! 北門から三騎、馬が出ていきました! 一人は白髪の女、もう一人は穂積大佐殿と思われます! 他に二名の男がいます!」
「すぐに兵を回せ! 逃がすな! ただし、各門の封鎖に兵は残しておけ!」
季寿も手綱を捌いて馬首を巡らし、馬を駆け出させる。
彼は、結城景紀とは面識がない。そのために顔を知らないが、結城景紀が白髪の陰陽師の少女を連れていることは有名であった。それに、今は結城家領軍に所属している穂積貴通は、二年前までは同じ近衛師団の所属であって、自分や部下たちも彼の顔を覚えている。
その二人がいるということは、残る二人の内どちらかが結城景紀だろう。
もちろん、囮という可能性もあるので、部下たちに屋敷の封鎖は続けさせる。季寿を含め、この蹶起に賛同した将校たちを中心とする十一騎の騎兵で、北門から出ていったという三騎の追撃を開始した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
景紀たち四人は、間一髪で屋敷の門が近衛師団に封鎖される前に屋敷を脱出することが出来た。
ただし、益永たちが用意してくれた馬は三騎であった。てっきり、益永は景紀、冬花、貴通の三人で殿を務めるものと思っていたのだろう。
これは景紀たちと益永との間の完全な意思疎通の不足であった。
結果、景紀の馬の後ろに冬花を乗せ、貴通、鉄之介でそれぞれ一騎ずつ駆ることになった。
冬花には式を放って前方を索敵させる。出来るだけ人通りが少ない道を選んで、彩州との国境のある北へと逃れるつもりであった。
それでも、暗くなった通りを歩く者たちはいる。
突然現れた三騎の馬に驚いて悲鳴を上げる者、逆に景紀たちに罵声を浴びせる者、それらの人々が慌てた調子で道の端に除けていく。
このような状況だというのに、警官たちは律儀に交差点で交通整理を行っている。だが、警官たちの指示を無視して、景紀たちは通りを北へと駆け抜けた。
後ろから警官の制止する声と笛の音が聞こえ、それらの音もすぐに後ろからやって来た近衛騎兵連隊の者たちに対する驚きの声に代わる。
「逃がさんぞ、賊徒ども!」
景紀たちの背後から聞こえる声が、徐々に大きくなっていく。
「このままだと追いつかれるぞ!」
鉄之介が声を上げた。
冬花の式に前方を調べさせているとはいえ、それでも景紀たちは通行人たちを轢くことを警戒して馬を走らせている。それに、彩州まで馬の体力を持たせるために走らせる速度も加減していた。
対して、追いかけてくる近衛騎兵たちはとにかく景紀に追いつければ良いので遠慮なく馬に拍車をかけている。
無数の蹄鉄が地面を叩く音が、徐々に近付いてきた。
「景紀!」
冬花の警告の声と、銃声が響き渡るのは同時だった。距離が詰まってきたため、近衛騎兵たちが発砲してきたのだ。
流れ弾が通りのガス灯に命中し、硝子の砕ける音がする。
「くそっ、通行人に当たったらどうするつもりなんだ……!」
馬上で姿勢を低くしつつ、景紀は罵った。
「冬花、頼む!」
「了解!」
景紀の背にしがみつく形で同乗していた冬花が、袖の中に仕込んでいた呪符を後方に放つ。金縛りの術式を仕込んだ呪符が、追撃を行っていた桜園大尉ら十一騎の馬に貼り付く。
「くそっ! 妖術か!?」
突然、固まってしまった馬たちに桜園季寿が悔しげに声を上げた。
ここで皇主と宮城の守護を担う近衛師団と交戦するのは、かえって自らを逆賊として討伐する口実を与えかねない。景紀はそう考えており、だからこそ冬花は主君の意向を汲んで、追っ手の無力化を図ったのだ。
だが、桜園大尉たちが下馬してでも追いかけようとした刹那、馬に貼り付いていた呪符が剥がれて再び馬が駆け出した。
「姉上!」
「判っているわ!」
陰陽師の姉弟は、同時にその気配を察知した。相手の術者だ。そうでなければ、短期間で金縛りが解けてしまうはずもない。
冬花は赤い目を凝らして上空を見上げる。
すでに暗くなった夜空の彼方から、鳥型の式たちがこちらを追いかけてきていた。どういう事情かは判らないが、術者自身の追撃が間に合っていないため式だけ飛ばしてきたらしい。
「―――っ!?」
その鳥型の式たちが、急降下をかけてきた。
「はぁっ!」
冬花は腕を振るって、青白い狐火で紙製の鳥を焼いていく。だが、周囲に建物がある以上、狐火の火力は調整しないといけない。
慎重に一つ一つ、相手術者の式を焼いていく。
その間、弟の鉄之介は防護結界を張って、背後の騎兵たちの放つ銃弾を防いでくれていた。
「景紀、この式、金縛りの術が施されているわ!」
次々と急降下をかけてくる式を焼き尽くしていきながら、冬花は叫んだ。向こうは、こちらをどうしても取り逃がしたくないらしい。
背後からは騎兵が迫り、上空からは金縛りの術式が仕込まれた式が急降下をかけてくる。
「冬花、やむを得ん! 馬だけでも始末してくれ! 鉄之介、その間、降ってくる式をどうにかしろ!」
「了解!」
「おう!」
景紀の命令に、姉弟がそれぞれに応じる。
冬花が自らの長い髪を数本、抜いて指に絡めた。鉄之介が、姉と同じく狐火を操って上空から襲い来る式を焼いていく。
やがて白髪の少女は、指から垂らした髪を一気に引いた。途端、後方から人馬の悲鳴が聞こえてくる。
陽鮮で宵を拐かした武官たちを始末した時と同じく、自らの髪に霊力を込めて伸し、操って対象を切断したのである。
「待てぇ! 待たんかぁ!」
十一騎の馬が一気に殺され、振り落とされた桜園大尉の叫びが遠ざかっていく。
景紀たち三騎の馬は依然として追撃してくる鳥型の式を焼き払いつつ、とにかく馬を北へ向けて走らせ続けるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
だが、式の追撃は執拗であった。
近衛騎兵からの追撃で馬を駆けさせたため、三騎の馬も少なからず疲弊していた。
「どうします?」
貴通が馬に水を与えながら尋ねた。
今、近衛騎兵と式をひとまず撒いた四人は小さな無人の神社の敷地内に身を潜めていた。敷地一帯に人払いの結界と幻術を張り巡らせ、潜んでいることを探らせないようにする。
その上で、神社にあった手水舎の水を馬に与えていたのである。それで多少、馬たちも人心地ついたようであった。
だが、長く留まっているわけにもいかない。
「結界や幻術でこちらを認識させないようにしているとはいえ、限界はあるわ。式で私たちを探知出来なくても、結界や幻術そのものの存在は高位術者なら探知出来るでしょうから」
「とにかく、少し馬を休ませたら北へ向かうしかない」
冬花の言葉に、景紀は険しい調子で応じた。
「その件で、ちょっといいか?」
と、鉄之介が主従の会話に割り込んできた。
「探知用に飛ばした式からの情報だ。河越街道の方は、軍の方が封鎖にかかっているみたいだ。御館様や父上たちは、すでに抜けた後みたいだが」
「ったく、俺たちが河越に直接向かうのは無理か」景紀は腹立たしげに舌打ちをする。「中山道や荒川にかかる橋まで封鎖されたら、完全に詰む。とっとと行くしかないな」
さらに、皇都の騒擾から逃れようと避難民が家財道具とともに橋に押し寄せれば、軍が封鎖しなくとも景紀たちにとっては橋を封鎖されたも同然となる。
加えて、式ではなく術者本人による追撃を受けたら冬花と鉄之介だけでどこまで対抗出来るかも判らない。
馬を十分に休ませられたとは言えないが、やむを得なかった。
皇都に最も近い位置にある六家領軍は、結城家領軍。そして景紀は、その領軍に次期当主として指示を下せる立場にある。今の父・景忠に、伊丹・一色両公と対峙しようという気迫が見られない以上、景紀の身柄を抑える、あるいは命を奪ってしまえば結城家の動きを封じることが出来るのだ。
もっとも、景紀が死ねば逆に景忠が発憤して軍を興す可能性もあったが、叔父の景秀は恐らく伊丹・一色両公側に付くだろう。当然、第十四師団の景保も。
景紀さえいなければ、結城家は御家騒動を起こして内部から崩壊する可能性が高い。だからこそ、何としてでも彩州に辿り着かねばならなかった。
六家次期当主たる少年は、水を飲ませて休ませていた馬に再び跨がろうとする。
「待って!」
それを、冬花が制止した。
「ちょっと、遅かったわ」
「みてぇだな」
陰陽師の姉弟が、揃って空を仰いだ。景紀と貴通もそれに習うようにして夜空を見上げれば、白い紙の鳥が神社の上空に集まりつつあった。
「鉄之介!」
「ああ」
姉の声に、弟が応ずる。
二人して結界越しに狐火を上空に放っていく。自分たちの張った結界の外側に、さらに相手術者によって封印用の結界を張られることを防ぐためだ。
ここに閉じ込められてしまえば、皇都からの脱出はますます困難になる。
だが一方で、これで完全にこちらの居場所は相手術者に特定されてしまったことだろう。
「急いでここを出ましょう!」
冬花と鉄之介がひとまず上空に出現した式を焼き尽くすと、貴通がそう呼びかけた。彼女は急いで馬に跨がり、鉄之介もまた己の馬に駆け寄った。
「景紀」
そんな中、冬花は馬に跨がろうとしていた景紀に、静かに呼びかけた。
「……」
景紀は、自らのシキガミの言葉に宿った響きにすぐに気付いた。少女の赤い目と、視線を合わせる。彼女は、ただ小さく頷くだけだった。
「……冬花」
そう呼びかけて、景紀はそれ以上を躊躇うように口を閉じた。
「……景くん?」
すでに鞍に跨がっている貴通が、気遣わしげに声をかける。
名を呼ばれたシキガミの少女は、ただ静かに主君たる少年からの次の言葉を待っていた。
一瞬だけ、景紀は瞑目した。そして、その赤い瞳と目を合せる。澄み切った紅玉は、ただ主君の姿だけを映し込んでいた。
「冬花、お前の命、俺にくれるか?」
ぎょっとしたのは、鉄之介だった。
「姉上!」
それが、次期当主たる少年が姉に殿を務めるように命じたものであると判ったからだ。
だが、冬花は主君からの命令に、柔らかな微笑みを以て応じた。
「はい、喜んで」
それはかつての幼い日、小指を絡めてシキガミとなる誓いを交わしたあの日の声に似ていた。少女の心の底からの、嘘偽りのない、景紀のシキガミであることの誇りと喜び。
「鉄之介、若様を必ず無事に河越まで護衛しなさい」
「姉上……」
冬花は、一切の反論を許さない口調で弟にそう命じた。そして、彼女は今まさに馬に跨がろうとしていた景紀に近付く。
「若様」
かしこまりつつも親愛の情を感じる響きで景紀のことを呼ぶ陰陽師の少女の声は、やはり幼い日々の彼女を思い出させた。
「一つだけ、この場で褒美を頂きたく存じます」
そう言うと、主君からの返答を待たずにシキガミの少女は身を乗り出した。唇が、少年のそれに重なる。
景紀の方でも、どこか予感がしていたのだろう。かすかな動揺もなく、少女からの接吻を受け入れた。
ほんの刹那の間だけ交わされた、主君と従者の口付け。
だけれども、冬花にとってはそれで十分だった。
「それでは葛葉冬花、これより殿の任に就きます」




