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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十一章 流血の皇都編

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205 皇都脱出

「鉄之介くんからの報告です! 脱出組第一陣が、河越鉄道で高畠駅を出発したそうです!」


 景紀が貴通のところに戻ると、ちょうど鉄之介からの呪術通信が入ったところだったらしい。


「良かった。まだ鉄道は封鎖されていないか」


 ひとまず、景紀も安堵の息をつく。

 蹶起部隊が真っ先に皇都の交通・通信網を抑えようとしていればまた別の結果になっていたかもしれないが、今のところ、蹶起した者たちは要人の襲撃や政府施設の占拠に手一杯のようであった。


「はい、河越鉄道も結城家からの要請に従ってくれたようです」


 そもそも、結城家領内の私鉄会社は多かれ少なかれ結城家が設立に関わっており、河越鉄道の幹部、一般職員にも結城家家臣団出身者(多くは家を継げない次男以降)が含まれていた。

 そして、有事の際には結城家の指揮下に入ることが定められている(この場合の有事とは、基本的に一揆、匪賊の鎮圧、災害の発生など領内での有事を指す)。

 このため、最初に景紀が領内鉄道を統制する命令を出してそれが河越鉄道の方に伝達されていたこともあり、結城家と河越鉄道との連携は円滑に行われることとなったのである。


「若様!」


 と、重臣たちとともに機密文書の処理を任せていた冬花が駆けてきた。景紀の前でサッと片膝をつき、臣下の礼を取る。


「飛ばしていた探索用の式からです。牢人と思しき武装集団が、途中で警邏中の警官たちを排除しつつ、こちらに向かっています」


「……やっぱり、このまま順調にはいかないようだな」


「の、ようですね」


 景紀は貴通と顔を見合わせた。互いに、狼狽はない。ただ、嬉しくない予想が当たったことに対する複雑な感情があるだけだった。

 これで、宮城南側を中心に起こっていた騒擾は、結城家皇都屋敷のある皇都第一運河の外側、皇都北西にまで広がろうとしていることになる。


「冬花」


「はっ」


 他の家臣の目もあるため、従者としての姿勢を崩さずに冬花が応じる。


「機密文書の処理はひとまず益永らに任せ、お前は屋敷に呪術的な罠を仕掛けてくれ。万が一、屋敷に張った結界を破って侵入する者があっても、簡単に屋敷内を蹂躙できないようにするんだ。母上が、屋敷からの脱出を拒む者たちのために残って下さるそうだ。罠は、念入りに仕掛けてくれ」


「お方様が、ですか?」


 流石に冬花も、景紀の母・久が屋敷に残ることには驚きを隠せないようであった。


「ああ、この状況ではやむを得ない。お前の母・若菜が母上の側についていてくれるそうだが、念には念を入れておきたい」


「承知いたしました。ただちに、取りかかります」


 冬花は景紀に向かって頭を下げると、素早く立ち上がって駆けていく。自身の母と景忠公正室の久が屋敷に残ることについては驚いていたようだが、やはり彼女にも狼狽はなかった。


「……ったく、陽鮮の時と状況が似通ってて逆に笑えてくるな」


 その背を見送りながら、景紀は毒づいた。

 陽鮮での経験があるから自分と貴通、冬花に鉄之介は比較的冷静に対処出来ているのだから、どこでどの経験が役に立つか判ったものではなかった。


  ◇◇◇


 結城家皇都屋敷が最初の襲撃を受けたのは、午後四時半を過ぎたあたりであった。

 冬花が式を飛ばして探知していた牢人集団が、屋敷を襲撃したのである。人数は三〇人ほどで、陽鮮の倭館が凶徒に包囲された時に比べれば、微々たる数であるといえた。


「逆賊・結城景紀を出せぇ!」


「国賊に天誅を!」


「逆賊に与するならば、屋敷の使用人といえど容赦せんぞ!」


 実際、脅すような声を張り上げているものの、彼らがいるのは屋敷の正門前だけであった。屋敷を包囲するには至っていない。


「逆賊、だとさ」


 正門脇の番所で攘夷派浪士の怒号を聞きながら、景紀は皮肉そうな笑みを浮かべた。


「まあ、吠えさせておきましょう」貴通は嘲るように応じた。「いずれ彼らの方が逆賊として扱われることになるんですから」


 辛辣な同期生の言葉に景紀は「ハッ」と短く嗤った。


「まだ撃つなよ」そして、同じく番所に詰める屋敷の警備隊長に言う。「まずは警告からだ」


 景紀としては、牢人たちの側から手を出したという大義名分が欲しい。無意味だろうと知りながらも、彼は金属製の格子で守られた窓の戸を開けると声を張り上げた。


「貴様ら、ここをどこだと心得る! ここは結城公爵家の屋敷であるぞ! 屋敷に対する狼藉はすなわち公爵閣下への狼藉! 結城家の名において賊徒として征伐することとなろう! 貴様ら、その覚悟があっての行いか!」


 それに対する返答は、単純明快であった。

 牢人たちの集団の中から、何かが正門に向かって投げつけられた。

 刹那、轟音とともに爆発が起きる。恐らく、三月の宵襲撃事件でも使われた手製の爆弾だろう。

 だが、もともと分厚い門扉に加え、葛葉家の結界に守られた正門はその程度では小揺るぎもしなかった。

 番所も格子の隙間から爆風が吹き込んだが、全員が伏せたために被害はない。番所の建物自体にも、結界に守られて被害はなかった。

 景紀はすぐに立ち上がって命じた。


「総員、反撃を開始せよ! 結城家に仇なす逆徒どもを殲滅せよ!」


「はっ!」


 番所に詰めていた警備掛の者たちが、一斉に格子の隙間から二十二年式歩兵銃、スタイナー銃を突き出した。


「てっー!」


 警備隊長の号令一下、射撃が開始される。

 正門の両脇に設けられた番所から、今まさに正門に向けて吶喊しようとしている牢人たちに銃弾が浴びせられた。

 悲鳴と怒号と銃声が、立派な造りの正門を中心に交錯する。

 流れ弾が周辺の民家に飛び込む危険性を少しでも避けるため、警備掛の者たちは十分に引き付けてから引き金を絞っていた。

 そして正直なところ、軍で将校・下士官として匪賊討伐の経験をした者も多い屋敷の警備掛にとって、遮蔽物もなしに刀と拳銃、そして手製の爆弾のみで襲撃を仕掛けてくる牢人どもを迎撃することなど、造作もないことであった。

 しかも牢人集団の統制はとれておらず、誰もが遮二無二正門の突破を試みようとしているだけとなれば、その戦闘は完全に一方的なものとなる。

 結城家が貿易商から輸入したスタイナー銃を中心に、一部軍から払い下げられた二十二年式歩兵銃を装備した警備掛の者たちは、正門の外に牢人たちの死体の山を築いていく。

 もともと統制のとれていない牢人集団が、完全に崩壊するまでさほど時間はかからなかった。


「他愛もありませんな」


 番所内に硝煙の臭いを漂わせながら、警備隊長は言った。堪らずに逃走を開始した牢人集団を追撃出来ないからか、その声にはどこか欲求不満の響きがあった。


「まあ、統制のとれていない烏合の衆ならこんなもんだろう」


 自分が指揮するまでもない状況ではあったが、それでも彼らを督戦していた景紀も醒めた声であった。


「確か、若君は陽鮮の倭館で万近い凶徒どもに囲まれたとか」


「ああ、あの時に比べれば人数の差は歴然だな。ただ、この後は装備を調えた陸軍部隊がやってくるだろう。すでに、有馬家の屋敷や政府の主要施設が歩兵第一、第三連隊の襲撃を受けているらしい」


「……」


 景紀がそう告げれば、先程までの楽観的な雰囲気を警備隊長は引っ込めた。


「若様」


 番所の入口の方から声をかけてきたのは、屋敷内に呪術的な罠を張り巡らせるように言いつけた冬花であった。黒い胸当てを付けて矢筒を背負い、薙刀を担いでいるなど、彼女も戦支度を調えている。


「屋敷内への罠の設置、完了いたしました」


「ご苦労」


 景紀は主君としての態度で鷹揚に応じた。


「警備隊長」


「はっ」


「母上たちのこと、よろしく頼む」


 久が屋敷に残ると言ったことから、避難する者たちの護衛を除く警備掛の者たちは全員が屋敷に留まることになった。つまり、彼らは今後も屋敷を襲撃しようとする者たちと戦い続けなければならないのだ。


「何の。この場を守ることこそが我らの務めでありますれば、そのようなお言葉は無用に存じます」


 にやり、と警備隊長は不敵な笑みを見せた。


「すでに軍を退き、此度の戦役で若の下に馳せ参じられなかったことを悔やんでおりましたので」


「そうか」それが警備隊長なりの諧謔であることを理解しつつ、景紀は言った。「では、後は頼んだ」


「はっ!」


 警備隊長は臣下の礼ではなく、陸軍式の敬礼で景紀に応じた。景紀も軍服をまとってはいなかったが、それに対して答礼で応ずる。

 六家次期当主の少年は、そのまま冬花と貴通を伴って番所を後にした。






 父や重臣たちを皇都から脱出させるに当たって馬車や人力車の準備を整えさせていた景紀は、新たな問題に直面することとなった。

 三〇名ほどの牢人たちとはいえ屋敷が襲撃を受けたことで、これまで屋敷に留まっていた方がかえって安全だと考えていた奉公人たちが、暇乞いを申し出てきたり、景忠に伴って河越へ向かうと言い出したのである。


「くそっ、だったら最初から脱出に応じていれば良かったんだっ!」


 景紀は苛立ちのあまり、近くにあった椅子を蹴飛ばしていた。

 定府家臣、そして奉公人の中でも皇都に家族を残している者、そして平民の奉公人でも徴兵経験者などは襲撃があっても比較的冷静さを保ち、屋敷に残る決意を固めていた。徴兵経験者の奉公人の中には、自ら屋敷を守るために武器の支給を願い出る者までいるほどであった。

 そうではない一部の奉公人たちが、屋敷に留まるのは危険だと考えて暇乞いを申し出てきたり、景忠に河越へとともに連れて行ってくれるように願い出ていたのである。


「貴通、家令長に言って急いで新たな脱出希望者を集めさせろ!」


「はい!」


 陽鮮の倭館の時と違いまったく順調に進まない脱出の指揮に、景紀も貴通も焦燥を滲ませていた。

 脱出が遅れれば、それだけ蹶起部隊の追撃を受ける可能性が高くなる。そうなれば、自分たちは避難民を守りながら戦わなければならなくなってしまう。

 一方、屋敷内では家令長と警備隊長の指揮の下、家具や畳、戸板などを侵入者に対する遮蔽物として利用すべく、各所に設置しつつあった。陽鮮の倭館防衛戦と同じである。

 景忠や重臣たちも平民より先に脱出することは武家としての矜持が許さず、脱出準備は遅々として進まない。

 脱出組第二陣一五〇名が屋敷を出たのは、時計の針が午後五時を過ぎてからのことであった。さらにこの間、新たに四〇名ほどの奉公人が暇乞いを申し出て屋敷から退去している。

 だがその直後、さらなる問題が発生した。高畠駅に派遣していた鉄之介から呪術通信が入ったのである。


「景くん、駅にいる鉄之介くんからの通信です」


 脱出の指揮のため鉄之介から通信用呪符を受け取っていた貴通が、固い声で報告する。


「第一師団の将校を名乗る人間が駅にやって来て、駅長に対して列車の運行は兵部省の命令があるまで停止せよと言ってきたそうです。先ほど出た第二陣は、駅長と将校が押し問答をしている隙に何とか列車に乗り込ませて発車させたそうですが」


「ちっ、やっぱりそうなるよな」


 歩兵第一、第三連隊が蜂起した背後に伊丹・一色両公がいるのならば、景紀たちが皇都を脱出するのを見逃すはずがない。

 結城家当主ないし次期当主を取り逃がしてしまえば、結城家領軍を糾合して皇都に攻め入ることが容易となってしまうからだ。結城家領軍の指揮系統を麻痺させるためにも、景忠や景紀が皇都を脱出することを阻止したいはずだ。

 先ほど屋敷が攘夷派浪士の集団による襲撃を受けたのも、あの二人の差し金だろうと景紀は考えている。

 そして、蹶起部隊側が最も有力な脱出手段である鉄道を抑えにかかることは、当然といえた。

 二個連隊が蜂起してからすでに二時間以上、彼らも初動の混乱を収拾して皇都の封鎖にかかる頃だろう。景紀だけでなく、六家当主や政府の要人たちも皇都から脱出させるわけにはいかない。

 攘夷派がどこまで考えているのかは不明であったが、伊丹正信公を首班とする攘夷派政権の成立程度は考えているだろう。

 政権掌握後、彼らが残る六家をどう処理するのかまでは読めない部分が多いが、少なくともこれまで伊丹・一色両公と対立してきた景紀は攘夷派政権にとって障害となる。向こうにとっては、絶対に取り逃がすわけにはいかない人間の一人なのだ。


「ひとまず、鉄之介は屋敷に引き上げさせろ。これ以上は、駅員たちを巻き込むことになる」


「了解です」


 通信用呪符を通して高畠駅に遣った鉄之介と連絡を取り合う貴通をその場に残して、景紀は第三陣として脱出の準備を整えている父たちの元に出向いた。

 車寄せでは、病を得て体に不自由を感じるようになった父のために馬車が用意されていた。

 第二陣脱出後も奉公人の中から新たな脱出希望者や暇乞いを申し出る者は現れ、父や重臣を中心とする脱出組第三陣は二〇〇人規模のものとなっていた。

 第一陣、第二陣、第三陣でおよそ五五〇人が脱出し、その他暇乞いを申し出てきた奉公人は約一五〇人。屋敷に久と共に残るのは、一部の定府家臣とその家族、奉公人を含めて三〇〇名弱であった。


「若君」


 近付いてきたのは、結城家筆頭家老である執政・益永忠胤であった。


「これが、最後の脱出組となります。それと、御館様の乗られる馬車ですが、貴通殿の指示により結城家が都から落ち延びたという印象を皇都市民に抱かせないため、家紋は消しておきました」


「ああ、助かる」


 このあたりの細かい調整は、流石貴通といったところであった。

 景忠は体に不自由を感じるようになったために、馬に乗ることが出来なくなっていた。必然的に、車に頼ることになる。


「ただ、悪い報告だ。鉄之介から連絡があったが、高畠駅が封鎖されかかっている。これ以降は、鉄道での脱出は無理だ。駅には向かわず、中山道、河越街道を通っての脱出を目指してくれ」


 中山道は、皇都を北方に向かい中部地方を経由して西国に向かう街道であった。鉄道網が全国的に張り巡らされる以前は皇国の五街道の一つであり、現在でも結城家領北部へ向かうための主要街道でもあった。

 そして中山道は、皇都を北から東に回り込むように流れる皇都と彩城国、総野国の国境(くにざかい)となっている河川・荒川の手前で北西に向かう河越街道に分かれる。


「かしこまりました。ただ、街道を通るとなりますと、最悪、皇都内の混乱で道が混在する可能性もあります。その場合、馬車が立ち往生する可能性も考えられます。お体が不自由な御館様をどうお連れいたしたものか……」


「その場合は、馬車を放棄して誰かが操る馬の背に乗せてもらうか、力のある奴に担いでいってもらうしかない。ひとまず国境を越えれば、領内の鉄道も使えるはずだ」


「かしこまりました。万が一の場合は、そのように。それと、若君と貴通殿、冬花殿のための馬も、鞍や鐙などを付けて厩舎の方に用意してあります」


「ああ、助かる。それで、機密文書の処理についてはどうなっている?」


「なにぶん、量が多すぎます。最低でも、あと一、二時間はかかります」


「そんなに待てん。後で冬花に書庫ごと燃やさせる。益永、お前たちももういいから、父上と一緒に脱出してくれ。俺たちも、後から合流する」


 かつて宵が頻繁に籠っていた場所が失われようとしていることに景紀としても残念な気持ちを抱かないでもないが、背に腹は代えられない。今は一刻も早く河越に向けて脱出すべきなのだ。


「若君が、殿(しんがり)を務めるおつもりで?」


 景紀の言葉からそう受け取った益永は、諫めるような口調であった。だが、景紀の返答はきっぱりとしていた。


「体の不自由な父上には先に逃げてもらわなければならないし、父上が逃げないとお前たちも脱出し辛いだろう? 機密文書の処理もまだだ。それに、結城家としての面子もある。これから騒擾に巻き込まれるだろう皇都市民を見捨てて六家の一つが早々に皇都から逃げ出すんだ。母上が屋敷に残るとはいえ、俺あたりが殿を務めないと、攘夷派に要らぬ宣伝材料を与えかねない」


「……判りました」


 それで、益永も翻意させることは無理だと悟ったのだろう。


「河越では、姫様がお待ちです。どうか、ご無事で」


「ああ、判っている。父上のことを頼む」


 それだけ言うと、景紀はその場を後にした。屋敷内の様子を一回りして確認しつつ、付き従っている冬花に尋ねる。


「冬花。屋敷の外、特に第一運河内側の状況はどうだ?」


「妨害の霊力波が放たれているわ。探索用の式からも、靄がかかったような情報しか送られてこなくなってる」


「まあ、他の六家にも高位術者はいるしな」


「頼朋翁が倒れて弓削殿が皇都を離れていなければ、貞朋公もご無事の可能性は高いけど……」


 有馬貞朋公については、屋敷が襲撃されているという以外に安否を確定させる情報はもたらされていない。

 もし有馬家に仕える高位術者の家系・弓削家当主の慶福(よしとみ)が皇都に滞在していれば、結界を張って屋敷に籠城することが出来ていたかもしれなかった。ただ、郊外にある有馬家別邸ならばともかく、皇都の中心に近い有馬家皇都屋敷からの脱出は困難であったろうから、弓削慶福がいたとしても状況が大きく変わったかは判らない。

 他にも、政府要人たちの多数が襲撃を受けて殺害されたという情報ももたらされていた。しかし、どれも錯綜する情報の中に紛れ込んで、真実か否かを判断することは出来なかった。


「今は他の連中の安否よりも、俺たちが脱出する方が先だ」


 景紀の言葉に冬花が表情を引き締めながら頷く。二人して、貴通の元へと戻る。


「景くん! 鉄之介くんが駅から戻ってきました! これで、新たな脱出希望組と景忠公はじめ重臣の皆様方が脱出されればあとは僕らだけになります!」


「鉄之介は俺たちと一緒に脱出は最後だ。すぐに呼んでこい。冬花と一緒に残った機密文書を処理する。それが終わったら、俺たちもここを発つぞ」


「はい!」


「冬花」


「こっちよ」


 途中まで重臣とともに機密文書の処理に当たっていた冬花は、景紀を先導するように駆け出した。中庭に至ると、硝煙の臭いから、焼け焦げた臭いへと変わる。


「照明や暖房用の油を持ち出して燃やしたんだけど……」


「結構燃え残っちまっているな」


 機密文書焼却用に掘られた穴を見つつ、景紀は渋面を作った。分厚い帳面などは、まだ形を残している。


「冬花、やってくれ」


「了解」


 シキガミの少女は、手のひらに青白い狐火を発現させると、それを穴の中に放り込んだ。穴全体に、一気に狐火が広がっていく。


「次は書庫だ」


 景紀が駆け出し、冬花が続く。途中で、貴通と彼女に連れられた鉄之介が合流した。

 角灯の明かりが点けられたままの書庫の内部は、まるで台風が通り過ぎたかのような有り様になっていた。床のそこかしこに書類が散らばり、書棚から乱雑に資料類が引き出されている。


「やってくれ」


 景紀は、躊躇なく命じた。


「鉄之介」


「おう」


 姉弟で頷き合って、二人で庫内に狐火を投げ込んだ。その青白い炎は、一気に建物内部全体に広がっていく。


「延焼しないように、結界で覆ってくれ」


 この火災が大火の原因となることを懸念して、景紀はそう命じる。結城家を構成する文書群が、二人の術者の放った炎に呑み込まれていく。

 そこで術を操っていた冬花が、ハッとしたように顔をあらぬ方向に向けた。その視線が、遠くを見つめている。


「……拙いわね。今度は牢人なんかじゃないわ」


「蹶起した陸軍部隊の方か」


「ええ、騎兵部隊みたい。軍服からして近衛ね」


 探知用の式から送られてくる情報から、冬花はそう判断していた。


「拙いな」景紀は剣呑に呟いた。「今さっき、父上たちが屋敷を発ったばかりだ。このままじゃあ、すぐに追いつかれる」


 それどころか、自分たちが屋敷を脱出した途端に鉢合わせする可能性すらある。


「景忠公らの脱出組には、平民の奉公人たちも混じっています。彼らを守りながら河越へ脱出するとなると、如何に冬花さんのお父君や風間家の忍が護衛に付いているとはいえ、かなりの困難でしょう」


 貴通の声は、事実を述べていると言うよりも、景紀に何かを確認しようとしているかのような口調であった。


「冬花、貴通、鉄之介」


 景紀は、三人の名を呼んだ。冬花は生真面目そうな顔で、貴通はどこか不敵にも見える微笑みで、鉄之介はやはり反抗的なぶすりとした顔で、それぞれ次期当主たる少年の言葉を待っていた。


「俺たちで、連中を引き付ける。父上たちとは、別の経路で脱出するぞ」

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