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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第十一章 流血の皇都編

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204 親の情

「結局、脱出に応じたのは二〇〇名弱か」


 家令長から渡された屋敷で働く者たちの名簿に線を引きつつ、景紀は眉根を寄せた。

 冬花が第一報をもたらしてから一時間ほど、結城家皇都屋敷を真っ先に脱出した集団は護衛も含めて二〇〇名程度に過ぎなかった。現在、屋敷に詰める人数の五分の一以下である。

 この他、奉公人の中で暇乞いを申し出てきた者が八〇名ほどおり、彼らはすでに屋敷を出ていた。

 当初の予定では、暇乞いを申し出てきた者を除き、第一陣で平民出の奉公人はすべて脱出させてしまうつもりであった。しかし、彼らの中にも脱出を拒む者がおり、第一陣での全員脱出という景紀の思惑は完全に外れる形となった。

 仕方なく、定府家臣の中で幼子とその母親、身重の女性も合せて脱出させたが、残りの者たちについては、家臣団・奉公人ともに説得が必要であった。

 もちろん、一人一人説得している時間などない。

 屋敷がいつ、攘夷派浪士や蹶起した陸軍部隊に襲撃されるか判らない以上、第二陣の脱出組の編成を急がなければならなかった。しかし、それが予想以上に困難であった。

 未だ騒擾が皇都の南側で留まっているのか、結城家皇都屋敷周辺にはまだ異変はない。

 そのため、無理に脱出するよりむしろ屋敷に留まっていた方が安全なのではないかという意識が、屋敷の者たちの中に広がっているようにも感じられたのである(後世でいうところの「正常性バイアス」が働いていたといえよう)。

 そうした意識が、もともと家族を残して自分だけ脱出することに抵抗を覚えている者たちの説得を、ますます困難なものとしていた。


「もうこうなったら、僕らも脱出を諦めましょう」


 このままでは埒が明かないと思ったのか、貴通が強い口調で言う。


「代わりに、この屋敷を拠点にして領軍を皇都に入れるんです。海城や紫禁城で僕らがやったように、まず屋敷に気球を使って兵員を送り込みます。気球では重装備の輸送は出来ませんが、こちらには冬花さんを始め、四名の高位術者がいます。冬花さんのお父君は爆裂術式などの大規模破壊術式の使用に否定的なようですので、屋敷の結界の強化を担当させるとしても、冬花さんさえいれば重装備などなくとも何とかなります。そして、一定程度の兵員を輸送し終わったら、蜂起した部隊と対峙している部隊と連絡をつけ合流、出来れば御霊部の浦部伊任殿と連絡を取り合い、宮城に入って皇主陛下から賊徒討伐の勅命を得られるのが最善です」


「……その手を、俺も考えなかったわけじゃない」景紀は、呻くように言った。「だが、無理だ」


「何故ですか?」


 これが現状で打てる最善の手だと考えている貴通は、不服そうな声を出す。


「領軍を皇都に入れるとなると、下手すると逆賊扱いだ」


「だから何だと言うのですか? 正直、不敬な言い方になりますが、これは宮城、ひいては陛下の玉体を抑えた側の勝ちです。大義名分なんて、後からいくらでも付け加えられます」


 自分が軍師として支える相手が、自分が最善と考える進言を受け入れようとしないからか、貴通の声には苛立った響きが混ざり始めていた。


「貴通、俺たちは、その考え方が出来る。だが、領軍の連中はどうだ?」


「あっ……」


 そこで初めて、貴通は気付いた表情になった。景紀は説明を続ける。


「あいつらにとってみれば、主君不在の中、逆賊の汚名を着せられるかもしれない行動に出なければならない。現状、蹶起した攘夷派連中、その背後にいるだろう伊丹・一色両公が宮城周辺を抑えつつあるんだ。必ず、二の足を踏む連中が出てくる。いや、その可能性の方が高いだろう。そういう連中の中には、むしろ父上や俺を廃して、伊丹・一色両公と繋がりを作った景秀叔父を担ぎ上げて、家と所領の安泰を図ろうとする奴も出てくるだろうよ」


 実際、将家の歴史の中では家臣たちによって廃立された当主も存在している。

 それは単に家臣にとって都合の良い当主を擁立するためであったり、当主があまりに無能であって御家の存続を危うくしかねないためにやむにやまれずという事情があったりと様々であるが、後継者の地位を巡る御家騒動の他、君臣間の対立による御家騒動もあったのである。

 そして、結城家では現在、景忠公異母弟・景秀が伊丹・一色両公に接近し、さらに幼少期に冬花を虐げていた若手家臣の一部が景秀嫡男・景保の周囲に集まっている。彼らはすでに幼少期の行いによって次期当主からの不興を買っている以上、この機会に景紀と冬花には失脚してもらった方がいいのだ。


「だからこそ、父上か俺が陣頭に立って領軍を統率する必要がある。そのためにも、何としてでも皇都を脱出しなければならないんだ」


 景紀は、本質的に自らの家臣団を信用していない。彼らの全員が冬花を“不吉の子”と呼び、虐げていたわけではないが、幼少期の体験はこの六家次期当主に無条件に家臣たちを信用するという気持ちを失わせていた。


「しかし、だとしたら脱出を渋っている者たちはどうするんです? 下手に景くんや景忠公だけ領国に帰還すれば、それこそ伊丹・一色両公に家臣を見捨てて逃亡した当主と次期当主と誹る口実を与えかねません」


「……」


 貴通の指摘に、景紀は渋面を浮かべた。領国への脱出、屋敷での籠城、どちらを選んでも自らを取り巻く状況は悪くなる一方である。

 そして、河越城に残る宵の身の安全も気掛かりであった。いざとなれば、護衛についている忍の二人、新八と菖蒲が上手く落ち延びさせてくれるだろうが……。


「あなたがそこまで切羽詰まった顔をするのは、いつ以来でしょうか、景紀」


 不意に、景紀のものでも貴通のものでもない女性の声が割り込んできた。


「母上……」


 現れたのは、景紀の実母で景忠公正室の久であった。後ろに、冬花の母であり景紀の乳母でもあった若菜を連れている。


「屋敷に残る者たちをどうするのか、悩んでいるのですね?」


「はい。俺たちだけが脱出するわけにもいかず……」


「ならば、この母が屋敷に残りましょう」


 息子の言葉を遮るように、強い口調で久は言った。


「それならば、結城家の面子が潰れたことにはなりません。屋敷を守るための結界も、若菜に維持させましょう。あなたたちは景忠様を連れて、後顧の憂いなくこの騒擾に対応なさい」


 これまで政治的なことにまったく関心を寄せていなかった母が、突然、そうしたことを言い出したことに景紀は驚きと困惑を隠せない。

 すると、そんな息子の気持ちを察したのか、久は困ったような笑みを浮かべる。


「私には、政治の難しい話は判りません。殿方同士が何故そうも争いたがるのか、それも理解出来ません。しかし、私はこれでも六家当主の正室であり、あなたの母なのですよ。息子が困っていたら、助けたくなるものです」


「母上は、それでよろしいのですか?」


 確かに母・久が屋敷に留まるのならば、結城家としても屋敷の者たちを見捨てたことにはならない。若菜が結界を維持してくれるというのならば、ある程度、屋敷に残る者たちの安全は確保出来るだろう。

 しかし、冬花の母である若菜は高名な巫女の家系の出とはいえ、妖狐の血を色濃く引く娘ほどの霊力は持たない。冬花が陽鮮の倭館に張った結界ほどの強度と精度を維持することは、困難だろう。

 それに、屋敷が包囲されてしまえば、実質的に結城家にとっては攘夷派に久を人質に取られた形になってしまう。

 そして最悪、母は屋敷と運命を共にする可能性すらあった。

 しかし、それも母は覚悟の上なのだろう。

 景紀の冷徹な部分は、もし母が攘夷派によって害されればその復仇という大義名分を得ることも出来るとも考えていた。実の母ですら、万が一の際には利用しようとする己自身に嫌気が差さないわけでもなかったが、そうした冷徹な思考を止めることは出来なかった。


「私は、あなたがここまで立派に成長出来たことだけで満足なのです」


 そして久の答えは、明瞭であった。


「景紀、あなたの記憶にはなくとも、私には我が子を失った記憶があります」


 景紀を生む前、久は景忠との間に生まれた最初の子を失っている。他の側室との間に生まれた子も次々と流産・夭折して、今、景忠の子で無事に成長出来ているのは景紀のみなのだ。

 そのことを知る若菜が、痛ましげに目を伏せていた。


「だから景紀、あなたには生きられなかった兄や姉の分まで、生きるのです。それが、あなたの母たる私の願いです。そのために私の命が必要ならば、喜んで差し出しましょう」


「母上……」


 景紀は内心から込み上がってくるものを堪えるように、母に対して深く頭を下げた。


「貴通殿と言ったかしら?」


「はい」


 久は、景紀の側に控えている男装の少女を見た。もちろん、彼女は貴通が女性であることを知らない。


「景紀のこと、よろしく頼みます」


「かしこまりました」


 貴通もまた、久に敬意を示すように頭を下げた。


「景くんのことは、お任せ下さい。御台所(みだいどころ)様も、決してお命を粗末になされませぬよう」


「ええ、そうですね」そこで久は、少し茶目っ気のある笑みを浮かべた。「出来れば、孫の顔くらいは見てみたいものですから」


 四人の間にあった緊張していた空気が、それで緩んだ。


「では母上、屋敷のこと、よろしく頼みます。そして、俺は必ずここに戻ってきます」


「ええ、ご武運を。貴通殿も」


「ありがとうございます」


「では、これ以上は邪魔でしょうから私は失礼しますね。若菜」


「はい」


 冬花の母たる陰陽師の女性は景紀と貴通に一礼してから、去っていく久の後に付き従うように続いた。


「景くん」


「ああ、これで何とかなる。父上や重臣たちの脱出も、急ぐぞ」


 これが人の親、母というものなのかと、景紀は深い感慨と共にそう思っていた。


  ◇◇◇


 景紀は脱出の指揮を一時的に貴通に任せると、土足のまま屋敷に上がり込んで父の執務室へと向かった。


「父上」


「景紀か……」


 ここまで六家会議で積み上げてきたものがすべて水泡に帰してしまったことで、父・景忠は悄然としていた。流石に第一報を受けた直後のように茫然自失の体ではなかったが、執務室に籠ったまま景紀にすべてを任せて何ら家臣たちに指示を下そうとしない。

 最早、それだけの気力がないのだろう。この事態をどう収拾すべきかも、この父の頭の中にはないのかもしれない。


「母上が、屋敷に留まりたいと言う者たちのために残るそうです。父上と俺に、自分のことは気にせずに脱出して欲しいと」


「うむ、私も久から聞いた」


 すでに母は、父の方にも話を通していたらしい。


「では、父上も急いで脱出の支度をなさって下さい。いかに葛葉家の者たちに結界を張らせているとは言え、皇都屋敷に留まっていては領軍の指揮統制に差し障りがあります」


「お前は、領軍を使ってこの騒擾を鎮定するつもりなのか?」


「不逞浪士だけでなく、陸軍部隊までが蜂起して陛下の御宸襟を悩ませているとなれば、当然でしょう。それが、皇室第一の藩屏たる六家の務めでは?」


 今、部屋の中には父・景忠と景紀の二人だけであった。

 皮肉なことに、これまで常に父の側に控えていた里見善光は今、父の側にいなかった。重臣たちと共に、機密文書の処理に当たっているのである。側用人として作成した各種文書を、次々と火の中に投じているという。

 父の側近である彼にしか知り得ない情報がそこには書かれているのだろう。この混乱に乗じて、重臣たちにその文書を奪われるのを警戒しているのかもしれない。

 どこまでも父周辺の情報を統制することで自身の地位を維持しようとする彼らしいことであった。


「お前は、皇都に領軍を入れるつもりなのか? 他の六家との協議もせずに?」


 父は、景紀の言葉に懐疑的な口調を返す。


「下手をすれば、皇軍相撃となる。それこそ、陛下の御宸襟を悩まし奉る事態だ。お前は、皇国の歴史を戦国時代にまで戻すつもりか?」


「事ここに至らば、やむを得ないでしょう」


 ここで問答を繰り返す時間が惜しいため、景紀の口調が強くなる。


「何とかして伊丹・一色両公と連絡を取り合って、事態の収拾に動こうとは考えなかったのか?」


「この状況で、まだ父上は六家協調を考えているのですか? 有馬頼朋翁は不在、長尾公は爆殺され、有馬貞朋公も生死不明な今、六家協調など机上の空論です」


「しかし、ならば健在な当主陣で皇都の治安と軍の統制を回復すべきではないか? お前は、逆賊の汚名を着せられることを考えているのか? そうなれば、宵姫と生まれてくるであろう子はどうなる? もう一度、冷静に考えるのだ」


「……」


 思わず、景紀は父を睨み付けてしまった。

 そんなことは、言われずとも判っている。だが、勝てば良い。それだけの話だ。

 どの道、伊丹・一色両公が政権を掌握すれば自分は無事でいられないだろう。廃嫡で済めば良い方で、最悪は自裁なり逆賊として処刑される可能性もある。

 父はここで伊丹・一色両公と協調すれば、そうした事態は避けられるとでも考えているのだろうか。

 少なくとも、攘夷派が皇都を掌握しつつある状況下で、六家だからと伊丹・一色両公と対等な話し合いが成り立つとは思えない。結城家の存続は認めつつも、景忠は隠居、景紀は廃嫡、景忠異母弟の景秀を結城家当主に就けるという条件を呑まされる可能性が高いだろう。

 父の言う通り自分は追い詰められて冷静ではないのかもしれないが、少なくとも皇都に留まっていては自分の周囲の状況は悪化するだけであることだけは確かだと考えている。


「俺は、宵と生まれてくる子のためにも、ここで結城家としての断乎たる対応に出るべきだと考えています」


「……」


 未だに父に対する強い視線を向け続けている景紀に、景忠は深く嘆息した。


「……思えば、お前はそういう子だったな。幼き日、葛葉の娘を従者にしたときから、己の近しい者を守ろうとするために血気に逸った行動をとる。今も、それは変わらんということか」


 結城家当主たる男は、諦めたような力のない表情となっていた。


「そうなったときのお前は、何を言っても聞かんだろう。良かろう。お前に、母だけでなく父も見捨てて河越に逃げ帰った男という汚名を着せるわけにもいかん」


「お聞き届けいただいて、ありがとうございます」


 かすかに気疲れを起こした口調で、景紀は父に対して礼を取った。


「私は、善光や益永らとともに河越に脱出すればよいのだな?」


「はい」


「判った」


 そうは言いつつも、景忠はやはり少しだけ納得していない口調だった。ただ、やはり彼もまた人の親だったのだろう。


「お前も、脱出の時機を見誤らんようにせよ。河越には、宵姫と生まれてくるであろう子が待っているのだ。宵姫に会えば、お前も少しは冷静さを取り戻せよう」


 その言葉には、景紀の無事を祈る響きが込められていた。

 そして景紀は気付いた。父は、景紀や宵、そしてその腹に宿った子のことは心配しつつも、自身のことについては一言も言っていない。

 母とは表し方が違うとはいえ、やはりこれも親の情というものか。

 ここまで色々とすれ違いがあり、今だって父との溝は完全に埋まったとは言えず、この騒擾に対する意見も一致していないが、それでも親としての姿を見せつけられた気分であった。


「俺には冬花と貴通が付いています。俺も、生まれてくる子供の顔も見ずに死ぬつもりはありませんので」


「そうか」


 景紀がまだ見ぬ子のことを思っている言葉に、景忠はかすかに嬉しそうな笑みを見せた。

 そんな父の表情に、景紀は複雑な思いを抱く。六家当主としては頼りなく見える父、一方で一人の父親であろうとする父。

 自分が父にどういう感情を向ければいいのか、判らなかった。

 だから、景紀は言った。


「では、俺はまだやるべきことが残っているので失礼します」


 一礼して、景紀は執務室を後にした。あるいは、父とどう向き合うべきなのかという問題から、逃れたかっただけなのかもしれない。

 しかしともかくも、今は屋敷からの脱出を優先すべきであった。親に対して葛藤する時間など、あとでいくらでも取れる。

 すでに陽はだいぶ傾いていた。このまま順調に進めば、自分たちも夜陰に乗じて皇都を脱出出来るだろう。

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『秋津皇国興亡記』第1巻
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