191 対立する者たちの狭間で
景紀が結城家皇都屋敷に戻ると、屋敷の車寄せに人力車が一台、停められていた。
「誰か来ているのか?」
「相柄国より、景秀様が御館様に面会を求めてやってきております」
景紀が家令に尋ねると、そのような答えが返ってきた。
「……」
叔父の名を聞いて、景紀の表情が険しくなる。有馬頼朋翁不在の影響が早くも出たか、と思った。
六家長老の頼朋翁が政治の場から姿を消した今、伊丹正信公が六家の中で最年長となる。その伊丹公と一色公との接近を強めているという景秀が上京してきたことに、景紀は不穏なものを感じていた。
「……冬花」
「はっ」
屋敷の廊下を進み、周囲に誰もいないことを確認した景紀は自らの従者に短く呼びかけた。そして、それだけでシキガミの少女は主君の意図を理解した。
妖狐の血を色濃く発現している彼女は、鋭敏な聴覚を持つ。普段は自らに封印をかけて妖狐としての能力を抑えているが、それを解けば景忠公と景秀卿との会話を聞き取ることが出来る。
景紀は自らのシキガミに、実質的な盗聴を命じたのだ。
以前、景忠公が病に倒れ景紀が政務を代行した際にも、冬花はその能力を使って家臣団の内偵を行っている。冬花自身も、たとえ自らの望んだ能力なかったとしても、それで主君の役に立てるのであれば否やはなかった。
叔父の景秀は、自らが伊丹・一色両公と共通の知人(攘夷派国学者のことだろう)を持っていることから、自分ならば戦後の満洲利権を巡って混迷を深めている六家同士の関係を調停することが出来る、と父・景忠に主張しているらしい。
頼朋翁が動くことの出来ない今、これからの六家を主導するのは伊丹公だとあの叔父は思っているのだろう。
冬花から父と叔父の会話内容について逐一報告を受ける景紀は、皮肉げに笑った。
これを機に、結城家内での主導権も確立するつもりか。
以前、父・景忠が倒れた際には、景紀が速やかに家臣団の掌握を行ったために、また頼朋翁という後ろ盾があったために、叔父・景秀に政治的な出番はやってこなかった。
しかし、景紀が伊丹・一色両公と対立し、関係を深めていた頼朋翁がいなくなった以上、景秀はこの状況を自分と嫡男・景保のために積極的に利用しようとするだろう。
こうした弟の発言に対して兄である景忠は、露骨に不快感を表わしているらしい。もともと、兄弟仲は悪かったのだ。
それに、父は何だかんだで景紀が結城家を継ぐことにこだわっている。明らかに自身の息子である景紀の結城家内での政治的影響力を削ごうとするかのような景秀の発言は、受け入れがたいものなのだろう。
結局、兄弟の面会は景忠が景秀の軽挙を戒め、相柄国の領政に専念するようにという注意を与えて終わってしまった。
自室で冬花から会見の様子を聞いていると屋敷の家扶がやって来て、景秀卿がお帰りになるのでご挨拶なされますように、との父からの言葉を伝えてきた。
景紀としては気が進まなかったが、父としても景秀に結城家の次期当主は景紀だと示したいのだろう。
「ご無沙汰しております、叔父上」
父の思惑も判らなくもないので、景紀は慇懃な調子で景秀に挨拶する。
「景紀殿も、息災そうで何よりだ」
一方の景秀も、型通りの反応を返す。
「それにしても、兄上のご健康もよろしくない中で、景紀殿も苦労されているのではないか?」
言葉自体は甥を心配するようでいながら、口調はどこか牽制するようであった。
「まだまだ貴殿は十九の若者であろう。慣れぬ領軍の再編や彩城国の領政に追われる中、皇都に出てくる余裕も本来はないのではないか?」
自分のことを棚に上げて、景秀はそう言う。
「この叔父に言ってくれれば、いくばくかは景紀殿の負担も減ると思うのだが、如何だろうか?」
「叔父上のお気持ちだけ、有り難く頂戴しておこうと思います」
慇懃な調子を崩さずに、景紀は答えた。
「自分は結城家次期当主ですので、これも父上の後を継ぐときに備えた修行だと思っております」
暗に、不穏な行動を見せる叔父への対応も次期当主たる自分の仕事の内、と景紀は言っているわけである。
恐らく、景秀にも甥の言いたいことは伝わったのだろう。かすかに、瞳の奥に不快げな色が現れた。
「……ふむ、景紀殿はそう言うが、この叔父から見ると貴殿はいささか次期当主としての自覚が欠けておるように思える」
つい、と景秀の視線が景紀の背後で従者然とした態度で控える冬花に向かった。
「皇室第一の藩屏たる六家次期当主たる者が、そのような妖とも人ともつかぬ者を側に侍らせておくべきではなかろう。それが証拠に、貴殿の体から獣の臭いがする。その者の臭いが移ったのではないか?」
「冬花は自分の補佐官としての務めを全うしておりますので」
自身のシキガミを嘲る言葉に、景紀の語調も強くなる。
「妖狐の娘が君主を惑わし、国を傾けたという逸話には事欠かない。叔父としては、貴殿がそのような轍を踏まぬか心配しておるのだ」
そういう言葉を残して、景秀は景紀たちの前を通り過ぎて玄関へと向かっていった。
「……ちっ」
そしてその背中が見えなくなってから、景紀は行儀悪く舌打ちをした。
「ありがとう、景紀。庇ってくれて」
そんな主君の怒りを宥めるように、冬花は言った。景秀の言葉に彼女自身、何も感じないわけではなかったが、景紀が自分の補佐官だと言ってくれたから心強くいられた。
「冬花、あんまりあの男の言うことは気にするな」
少年の言葉には、叔父への怒気があった。
「ええ、そうするわ」
冬花がそう応ずれば、景紀の怒りも幾分か和らいだようであった。
◇◇◇
「景紀よ、お前、六家間の調停を行う自信はあるか?」
直後、父・景忠に呼び出された景紀はそう問いかけられた。
恐らく、弟・景秀が伊丹・一色両公との調停を申し出たことから、父はそれが必要ないことを次期当主である景紀自身に証明してもらいたいのだろう。
父も叔父も厄介な問題を自分に持ってきてくれたものだと思いながらも、景紀はそうした内心を顔に出さない。
「現在、最も頑なに自らの権益を主張しているのは長尾家でしたね?」
「うむ」
「でしたら、ひとまず俺が長尾家の方を説得してみましょう。宵を通じて俺と長尾憲隆公は義理の伯父・甥の関係ですから、調停役としては適任でしょう」
結局、血縁関係などを総合的に判断した場合、景紀の立場上ではそう答えるしかない。
有馬頼朋翁不在の今、どこまで六家が互いに妥協の道を導き出せるかは判らなかったが、だからといってここで政治的主導権を取りにいかないと自らの次期当主としての立場が危うくなることも景紀は自覚していた。
父の期待に応えるというよりも、宵やいずれ生まれてくるだろう自らの子のために、景紀は手を尽くさねばならなかったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
長尾憲隆公へ会談を申し込む書状を出しその返答を待っている傍ら、そういえば宵を連れて彩州領内を回ったことがなかったな、と景紀は気付いた。
今は、そろそろ八月も終わりに差し掛かろうとしている頃であった。
だからといって暇を持て余しているというわけではないのだが、夏ももうすぐ終わろうとしているということで何となく勿体ない思いが景紀の中に湧き上がってきてしまったのだ。
宵の故郷・嶺州は昨年の春過ぎに一緒に巡遊したが、景紀の故郷である彩州はまだであった。宵が結城家に嫁いできたことを思えば順序が逆としかいえなかったが、彼女が嫁いできて以来、景紀が河越に腰を落ち着けている時間の方が短かったので仕方がないとも言えた。
南洋群島の視察が途中で切り上げざるを得なかったため、景紀の中で宵にもっと色々な景色を見せてやりたいという思いは未だ強かった。
「なあ、宵。次の休み、長瀞の渓谷を見に行かないか?」
河越城本丸にある執務室で領政に関する書類を捌きながら、景紀は応接椅子のところで資料を読み込んでいる宵にそう言った。
「長瀞、ですか?」
そこは、彩州における景勝地として知られる場所であった。特に緩やかに流れる川に沿って岩畳が見られることで有名になっている。
南洋群島で巨石建造物遺跡を見せてやれなかったことの代わりというわけではないが、夏という季節もあってそこが良いのではないかと景紀は思ったのだ。
「この後は頼朋翁の不在の所為で色々なゴタゴタに巻き込まれるだろうと思うから、夏の最後の息抜き代わりに行ってみないか?」
景紀がわざわざ時間を割いていると思われては宵も遠慮してしまうだろうから、彼はあえて自分が息抜きをしたいという体で尋ねる。実際、半分はそれが本心であった。
「実は私も、そろそろ息抜きが欲しいと思っていたところなんです」
資料を机の上に置いてから、宵は景紀の内心を見透かすように答えた。自分が気遣われたことに気付いて、景紀と同じ建前を返したのである。
「戦時中に領内の視察に出向いたことはありますが、それは工場だったり農家だったりと、景勝地とは無縁でしたので、是非とも行ってみたいですね」
「じゃあ、行ってみるか」
「はい!」
景紀の言葉に、宵は楽しそうな笑みを浮かべていた。
◇◇◇
長瀞渓谷は、南洋の氷川島の浜辺とはまた違った夏の趣があった。
濃緑に染まる山々を背景に、澄んだ水が涼やかな音と共に流れている。抜けるような青空は、日差しの強い南洋の空よりも柔らかい色をしているように思えた。空の彼方からもくもくと天へ伸びる入道雲も、南洋とは違う内地の夏らしさを見せている。
そして、川岸に沿うようにして広がる岩畳。
無骨な印象を見る者に与えながらも、流れる川や生い茂る木々といった風景の中に溶け込んで一枚の絵画のような光景を作り出していた。
「内地にも、まだまだ色々な見所がありますね」
汽車から降りて渓谷へと到着すると、宵は感嘆の吐息と共にそう言った。
「ああ、南洋には南洋の、内地には内地の良さがあるな」
「青々とした緑が周囲の景色に映えて、確かに夏に来た甲斐がありました」
宵は景紀よりも少し先を、弾む調子で岩畳を登っていた。
転ばないように気を付けながら岩畳を登り切ると、一気に視界が開けた。岩畳の下から見るのとは、また違った趣がある。
彼方に聳える山々の連なり。その先へと続いて行く青い空。川岸に沿って切り立った岩肌を見せる畳岩。その岩の上を鮮やかに彩る低い木々。
視線を下へと向ければ、切り立った岩畳の下を流れる透明な川面、周囲の緑を映し出すその下に魚が泳いでいるのがはっきりと見える。
「景紀様も、早くいらして下さい」
この景色を見た思い出も景紀と共有したくて、宵は背後を振り返ってそう急かす。
「ああ、今行く」
そして景紀の方はむしろ、岩の上に立つ宵の方に見とれるような思いを抱いてた。
今日の宵はいつもの見慣れた着物姿とは違い、洋装姿であった。水兵服風の襟飾りの付いた白い薄手の衣は、少女によく似合っていた。頭には、日差し除けのための麦わら帽を被っている。
着物を着ているときは“綺麗”という印象を受ける宵だったが、洋装姿だと十七にしては小柄なためにむしろ“可愛らしい”という印象を周囲に与えていた。
氷川島の時と同じくはしゃいだ様子を見せていることも、そうした印象を強くしているのかもしれない。
景紀も水兵服の意匠を取り入れた服が西洋では出回っているという話を聞いたことがあるが、それが女性用の服装として似合うのかどうかについては懐疑的であった。
しかし、宵の着こなしを見ていると、案外悪いものではないなと思ってしまう。むしろ、白を基調としたその水兵風の洋装はひどく似合っていた。
この衣服は河越城下の呉服屋から献上されたものらしく、戦勝の影響で軍人がもてはやされている昨今の風潮を反映してか、皇都の若い女性たちの間で流行り出した様式であるとのこと。次期領主の正室に着てもらうことで領内への宣伝になるという呉服屋の思惑に何となく癪なものを景紀は感じていたが、宵に似合っているので良しとすることにした。
「っと」
宵と同じく岩畳の頂上まで辿り着いた景紀は、彼女の隣に立って周囲を見渡した。
川からの涼気を含んだ風が頬を撫でていく。
宵がそっと身を寄せてきて、景紀の腕を抱きかかえるようにした。
「景紀様」
そんな甘えるような仕草をしてきた宵だったが、声には硬質な響きが宿っていた。
「今日は、ありがとうございます」
「別に。俺もお前と一緒に来てみたかったんだから、気にすんな」
景紀が宵の顔を見れば、強い意志を湛えた瞳と目が合った。
「最早、この国は穏やかでいることは出来ないでしょう。それは、私も判っています」
「……そうなる前に、お前にもっと色々なところを見せてやりたかったよ」
南洋へと向かう船に乗り込む前、宵は景紀と共に蛍狩りや紅葉狩りをしたいと言っていた。その望みは、国際情勢の変転と国内情勢の緊迫化によって、またしても中途半端にしか叶わない結果となりそうであった。
自分と宵との約束は、いつも果たされることなく終わってしまう。そんな思いが、景紀の中にあった。
だからこそ、彼は夏の終わりに宵を城から連れ出したとも言える。
そしてそのことを、宵自身もよく理解していた。目の前に広がる美しい景色を楽しみつつも、どこかこれが見納めのような気がしてしまうのだ。
だけれども、景紀と共にこの景色を見られたことで、心の中に一つの区切りを付けることは出来た。
「私の一番の望みは、あなたを支えることなのです」
それは宵の望みであり、同時に景紀との誓約であった。
「その望みを、今度は叶えさせて下さい」
それは、景紀への願いというよりも、宵自身の決意を伝えるための言葉であった。
「ああ、判った」
日常と完全に決別するわけではない。ただ、自分たちを、そしてこの国を取り巻く情勢が何か大きく変わってしまうような予感が、拭いがたく二人の胸の内に存在していた。




